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雪がちらちらと舞い降りてきた。
平日午後四時の駅前通りは、いつものごとく鈍いノイズを撒き散らしている。渋滞の車の走行音、肩がぶつかるほど混雑した舗道。たくさんの人間の話し声。重苦しい曇天の下で絶え間なくノイズは発生し、背中に腹に押しよせてくる。
手袋をはめた掌に落ちてくる雪を受けとめながら、紫苑はほんわりと微笑った。雪が降ればきっと、このノイズが遠くなる。そんな気がした。
その時、不意に声が聞こえた。
「‥‥見つけた。」
立ち止まって見回すと、目の前の歩道橋の手摺から身を乗りだすようにして、十才くらいの少年がじっと紫苑を見ていた。
不思議なことにたった今までざわめいていたノイズは消滅したかのように、一切紫苑の耳に入らなくなった。
雪片が後から後から、絶え間なく落ちてくる。立ち竦む紫苑の髪に肩に、行き過ぎる車や人に、音の消えた雑踏のただ中に。ひたすら、無心に降りしきる。
少年は非常識にも歩道橋から飛び下りて、紫苑の目の前にふわりと立った。
「まだこんなところにいるなんて‥。暢気なヤツだな。」
「‥‥?」
「ほら、行くぞ。もう、みんな揃ったんだから。」
「‥‥あの。君は、誰?」
少年は訝しげな紫苑の顔を覗きこんで、溜息をついた。
「何だ‥。解らないのか? 道理で来ないわけだ。俺は真白だ。‥名を聞いても解らんか、しょうがないな。やれやれ。」
少年は驚いている紫苑の額に、いきなり何かを貼りつけた。
「護符だ。喰われてしまわぬよう、つけといてやる。死にたくなければ早く思い出せ。五色の儀式はもう始まっているのだ。」
「???」
「おまえが揃わねば困る。いいな。‥‥待っている。」
そう言うと少年はふっと空に舞い上がり、雪に紛れて消えてしまった。紫苑はぽかんとして見送った。
次の瞬間、いきなりノイズが耳に甦ってきた。
額を撫でてみたけれども、付着しているものはない。夢だったのだろうか、と紫苑は首をかしげ、再び歩き出した。
明日からは二月。紫苑は中学三年生で、級友の大半は高校受験まっただ中にいる。だが既に秋のうちに進学先が決定している紫苑にとっては、明日から始まる自宅学習期間はまるまる春休みのようなものだ。暢気な境遇であるのは間違いないけれども、道端で歩きながら白昼夢を見るとはできすぎている。思わず苦笑いがこぼれた。
瞬く間に雪は勢いを増し、街は白く凍り始めていた。紫苑の吐く息も白く凍っている。
早く家に帰ろう、と紫苑はマフラーをきゅっと締め直して、足を速めた。
「紫苑の記憶が封じられている? それはやはり黒焔の仕業か‥。」
「解らない。しかも今度の紫苑は男だ。能力も封じられているかもしれない。」
「‥‥これだから人間というものは! 役立たずめが‥!」
「琥珀。紫苑のせいではありませんよ。これも新たな障害の一つなのでしょう。けれど、真白さま、黒焔は今までこのような類の関与はしてきませんでしたのに。」
「‥‥最終局面が近づいているということなのだろう。」
誰だろう? 話し声がする。それよりここはどこだ―――見渡す限りモノクロの世界。
勝手に紫苑の噂話をしているようだ。だいたい、『今度の』とは何だ? 紫苑なんて変な名前の男がそうたくさんいるとも思えないが、さっぱり解らない。真白というのはあの小学生のことだろう。では琥珀は? 他に名の解らない声が二人。どこにいる?
眼を開けてはっきり見ようとすると、息苦しさがこみあげてきた。苦しい。胸が締めつけられる。息ができない―――
胸をかきむしった手が何かに触れた。
「動くな。じっとしていろ。」
誰かの声がした、と思う間もなく、圧迫されていた胸が開放されて呼吸ができるようになった。
気がつくと自分の部屋のベッドで寝ている。
そろそろと起き上がると、暗闇の中に少年が立って紫苑を見ていた。闇の中なのに姿がはっきりと見える。昼間と違って、彼の全身は銀色に輝いていた。
「やはり、夢喰いに取りつかれていたな。」
「夢喰い‥?」
少年は床を指さした。そこには真っ黒い大きなトカゲの死骸が落ちていた。
「うわ‥気色悪い。これが夢喰い?」
さっきの手触り。冷たくてざらっとした感触はこのトカゲだったのか、と紫苑は納得した。そして少年を振り返る。少年は冷めた眼で紫苑を見た。
「昼間、護符を貼っただろう。だからこいつは今夜、おまえの夢を喰うことができなかった。それで手っ取り早くおまえを殺そうとしたのだ。‥‥まだ思い出さないのか?」
「そう言われても‥。どこかで会ったんだっけ? て言うか、君は何者?」
「俺は真白だ、紫苑。おまえとは千五百年前に出会った。人間であるおまえは今回で七度目の転生だ。共に宿命を変えるために闘っている‥はずなのだが。どうやら今回は記憶も能力も封印されているらしい。思い出せなければ死ぬぞ。」
ううん、と腕組みをして紫苑は考えてみた。何も出てこない。
真白は吐息を漏らし、悲しげに紫苑を見た。
「人間界に出てきて、おまえを守り続けるのは簡単ではない。間に合わないこともある。現在の人間界は俺たちの常在できる世界ではないから。これまでの紫苑ならば、夢喰いなど傍に寄せるようなことはなかったのだが‥。」
そう呟きながら真白は、床のトカゲの死骸に息を吹きかけた。するとトカゲは跡形無く消えてしまった。
「言ってみても仕方がない。とにかく早く夢わたりをして『五色界』に来い。その方が安全だ。人間界を離れれば封印は解けるかもしれないしな。‥‥俺は先に行く。待っているから、必ず来い。」
「ちょっと待って。来いと言われてもどう行けばいいんだよ? 夢わたりとか『ゴシキカイ』とか、さっぱり解らないんだけど。」
「行く、と心を決めればいい。おまえは紫苑なのだから、それだけでいいのだ。」
「‥‥で、行かないとどうなるわけ?」
「護符が呼ぶ限りは、一応は俺が守ってやるつもりだが‥。早晩、死ぬな。おまえが死ねば俺たちも時間の問題だ。今回は七度目だからもう転生はない。消滅が待っている。」
「は‥? 消滅う?」
なんてヘビーな展開だろう。これが夢じゃないのならば、今までの平凡きわまりない十五年の人生は何だったんだ。
「じゃ‥。とりあえず一緒に行くよ。」
「おまえは人間だから夢わたりでしか来られないのだ。一緒には‥‥行けない。だが必ず『五色界』ですぐに捉まえてやる。心配することは何もない。」
紫苑がよほど不安な表情を浮かべたのだろう、真白は穏やかに微笑した。そして昼間と同様に、一瞬でかき消えた。
あとには漆黒の暗闇が広がった。紫苑はベッドの上で呆然とたたずみ、真白が立っていた空間を凝視していた。
人間界にはジョウザイできない。ジョウザイって? いられないということだろうか。ということは真白は人間ではないのか。千五百年以上も生きている人間ではない生き物。ばかばかしい、ふざけている、下らない冗談だ。でも二度も目の前で消えた。トカゲのこともあるし、銀色に光っていたし。子供のくせに紫苑より難しい言葉をたくさん知っていて、偉そうに見えた。
とにかく寝よう。朝になったら夢だった、ですむかもしれないではないか。それに夢わたりというからには、どちらにしても眠る必要があるのだろう。『ゴシキカイ』とやらへ行かなきゃ死ぬと言うならば―――行ってもいいし。
紫苑は布団を被って、眼をぎゅっと瞑った。
出てきたのは真っ暗なお堂の中だった。
昔は立派だったのかもしれないが、太い柱も梁も朽ちてぼろぼろになっている。立ち上がると床はぎしぎしと鳴った。
真っ暗だと思ったのは勘違いで、よく見ると色がないのだった。モノクロの世界。今夜初めに見ていた夢と同じだ。あの時の四種類の話し声の中には真白もいた。すると夢わたりとやらに成功したのだろうか。
あたりをゆっくりと見回す。既視感が喉でひっかかっているような複雑な気分だ。
それにしても『ゴシキカイ』とは何だ? こんなモノクロの世界のことなのか。ここで何をするというのか。紫苑はぼうっと考えこんだ。
しかし大体が紫苑の脳はあまり深い思考に適していないので、五分も経たないうちに煮詰まってしまった。外に出て真白を探そう。ここが確かに『ゴシキカイ』ならば真白がいるはずだ。そうだ、心配することは何もないと言っていたではないか。すぐに捉まえてやるとも―――捉まえて?
いきなりお堂の屋根がぐらぐらと音を立てて揺れた。何か巨大なモノが屋根に降り立ったという感じだ。恐怖が足下から逆流して、頭のてっぺんまでそそけ立った。
逃げなきゃ、と頭は主張している。しかし足が言うことをきかない。これは紫苑の夢の中じゃないのか。違うとしても『ゴシキカイ』なら安全だと真白は言ったはずなのに。
揺れがようやく収まった。すると今度はやけに静かになる。
恐怖は下肢に残っていて、まだ走り出せるほど回復していない。紫苑はただ立ち竦んで、今にも何かが現れるのではないかと扉を見つめていた。
「無事に来られたか。‥やはり夢喰いが邪魔していたんだな。夢わたりの能力を失ったわけではなくて良かった。」
「わっ。」
銀色の光がぽわっと灯り、背の高い見知らぬ男が目の前に立っていた。
紫苑は心臓がバクバクして口が利けない。声はどうやら真白に似ているが、姿が違う。
「あの‥‥誰?」
「真白だ。人間界では子供の方が何かと都合がいいのだが、ここでは体が小さいのは不利だからな。では行こう。皆、おまえを待っている。」
真白は軽々と紫苑を抱き上げて、肩に乗せた。
確かに紫苑はクラスでもいちばん小さくて、身長は百六十センチそこそこだし体重も五十キロに満たない。しかしだからといって肩に乗せるとは、このバージョンの真白はどれだけ大きいのだろう? ニメートル以上ありそうだ。
驚くことはそれだけではなかった。なんと真白はふうわり、と空に舞い上がったのである。そしてそのまま風の流れに乗ってすうっと飛んでいく。
連れていかれたのは池のほとりにある梅林の中だった。相変わらずのモノクロームの世界の中で、なぜかそこの梅の花だけは紅く色づいていた。
風に漂うかのようにふわりと着地した真白は、紫苑をそっと地面に降ろした。
「青磁。どこにいる? 紫苑を連れてきたぞ。」
梅の花影から薫風がそよぐように、ゆったりと人が出てきた。
「紫苑‥? この少年が紫苑ですか。では夢わたりができたのですね。」
青磁は真白ほどではないけれども背が高かった。日の光が煌めいているような黄金色の髪は踝に届くほど長く、透けるような白い肌、南国の海のような明るい青い瞳をしている。
あまりの美しさに息をのんで見つめる紫苑に、青磁は穏やかな優しい微笑を向けた。するとあたり一帯の空気が、まるで春が来たかのように花やいだ。
「ええと‥。セイジさん?」
青磁は微笑んだまま、紫苑の手を取った。胸がどきどきしてくる。
「青磁で構いませんよ。‥紫苑は記憶を封じられているのでしたね。わたしは元は天人なのです。青に陶磁器の磁で青磁と言います。この名は『五色界』に来てから真白さまよりいただいたもので、紫苑のこともよく知っています。」
そう言うと青磁は少し眉根を曇らせて、紫苑の頬を両手で抱え、じっと顔を覗きこんだ。
「確かに‥封じられていますね。『五色界』にいるのに瞳の色が黒いままですから。名に相応しい、美しい紫になるはずなのに。」
「え‥? 瞳が紫って‥俺の?」
青磁はうなずいた。そして黙って真白を振り返る。
真白は溜息まじりに答えた。
「能力の大半が記憶と共に封じられているのだ。思い出すことができれば、能力も戻るだろう。だが知恵も力も失っているのだから、その間は身を守ることさえできない。」
「では‥‥どうするのです?」
「待つしかあるまい。心配するな。紫苑は俺が守る。」
紫苑は頭ごしに交わされる会話を聞きながら、どこか他人事のように感じていた。
では自分は真白が守ってくれるのかとほっとする反面、まだなぜここにいるのかが解らない。尋ねてもいいものかそれさえも解らない。仕方がないので黙って俯いた。
そこへ羽ばたきの音がして、上から急降下で降りてくる獣が眼に入った。
翼のある褐色の一角獣は地面に降り立つ直前に人形に変化し、すらりと優雅に着地した。
褐色の髪、褐色の肌、褐色の瞳。端正な貌は誇り高そうで、ちょっと近寄りがたいイメージを漂わせていた。
「紫苑がやっと現れたとか? この少年がそうなのか、真白?」
「そうだ、琥珀。聞くまでもなく、見れば解るだろう。」
紫苑はじろじろと眺める視線から無意識に逃れようとして、真白の後ろに半分身を隠した。琥珀はふん、と軽蔑したように上から紫苑を見下ろす。
「相変わらず、真白は紫苑に甘い。役立たずなだけでなく、今度はどうやら意気地もなさそうだ。前回の小娘は気だけは強かったものだが。」
「琥珀。およしなさい。紫苑が怯えてしまうではありませんか。‥ところで深紅は? 一緒ではなかったのですか。」
「深紅は北の方角に揺らぎを感じたとかで見にいった。」
「北に‥揺らぎ?」
「一人でですか?」
真白と青磁が同時に尋ねた。琥珀は苦笑いを浮かべて、うなずく。
「微弱なものだと言っていた。確かめたらすぐに来る、ともね。‥青磁、ついでに足手纏いは不要だそうだ。」
青磁は溜息をついた。
「そうですか。なるほど。深紅も相変わらずだけれど、琥珀、だからといって紫苑に八つ当たりはいけませんよ。」
琥珀はふん、と横を向いた。
彼の表情を見て、紫苑は琥珀の姿が自分と近い年代なのだと感じた。真白の横に立つと背も肩も一回り小さいけれど、紫苑から見ればすらりと背が高い。二十を過ぎたかどうかというところのようだ。だが実年齢はどうなのだろう?
不意に眠気がこみあげてきた。同時に自分がパジャマで裸足であることに、今更ながら気づく。立っていられないほどの急激な眠気。景色も声もどんどん遠くなる―――
夢の中で目覚ましが鳴り、ベッドから起き上がる自分が見えた。
いつも通りに顔を洗って服に着替え、朝食のテーブルに着く。コーヒーを注ぐ母と新聞を読んでいる父。おはよう、と声をかければ優しい笑顔が返ってくる。
―――今日から学校は休みなんでしょう? 何か予定はあるの?
母の声だ。別に、と答える自分がいる。
―――じゃあ、午後になったら洗濯物、お願いね。
―――うん。そう言えば昨夜、変な夢、見たんだ。母さん、俺の名前ってなんでこんな、女みたいな名前なの?
父が新聞から顔を上げた。両親は不思議そうに顔を見合わしている。
―――前に言わなかったか? おまえがお腹にいる時に母さんが夢で見たんだ。
―――そうよ。綺麗な紫色の花畑の中にいたの。そこに立っていた人にこのお花は何ですかって聞いたら、紫苑です、あなたのお腹にいる子供を守る名前なのですよ、って答えたの。それで父さんと相談して紫苑て名づけたわけ。
―――守るって‥。
この名前のせいで数々の苛めにあったのは、『守る』ことと矛盾してやしないか? 紫苑はそう思ったけれど、言葉にはしなかった。
―――それにしても何で今更、聞くの? 変な夢ってなあに?
―――ああ‥。何でもない。関係ないよ。
両親は再び顔を見合わせた。今度は不安げだった。
母が妙に真剣な顔で紫苑を見つめた。
―――紫苑。あのね。出かける時は‥‥いい、メモを残すのよ。
―――は?
―――そう。ちゃんといつ帰るのかをメモに残しておけよ。忘れるな。
小学生じゃないのに。苦笑しながら紫苑は、曖昧にうなずいた。
出勤する両親を見送って、ゴミを集積所に出してくると、紫苑はぼうっとした頭のまま自分の部屋に戻った。
幽霊にでもなったように意識が遠い。何をしているのか、何をするつもりなのか自分がよく解らない。何だっただろう。重大なことを忘れているような気がする。
すると声が響いた。誰かが紫苑を呼んでいる。聞いたことのある声だ。何か、危急性の高い連想につながる声―――例えば生命の危機に。
「真白の声だ‥! 起きなきゃ。」
気がつくと、大きい真白が覗きこんでいた。相変わらず冷めた眼をしている。
「‥‥夢わたりの能力が弱まっている。というより、意志の力が弱いのだな。人間界に半分帰っていたのか?」
「うん‥。多分、そうだと思う。」
紫苑はしゅんとなって俯いた。
意志が弱いとは、学校でいつも言われている言葉だ。もちろん褒め言葉ではない。
高校の進学についてもそうだ。学校や塾の教師に奨められた高校ではなくて、ランクを下げて推薦で決めた。第一志望ではなかったけれど、受験勉強に息切れして早く決めたかったためだ。両親は何も言わなかった。
「夢わたりって、ちょっと家に戻るとかはできないの? ‥洗濯物を取りこまなきゃいけないし、夕食にいなかったら家族が心配するだろうし。」
真白は屈んでいた体を伸ばして、紫苑を見下ろした。
「人間界と『五色界』を行き来するつもりか? 体力を消耗するぞ。」
紫苑は思わず赤くなった。呆れられていると感じたからだ。
どうやら酷く馬鹿な質問をしたらしい。きっと前世までの記憶を思い出せれば、馬鹿げた発言をしなくてすむのだろう。だが覚えていないものは仕方がない。
ふと気づくと、青磁と琥珀ともう一人、濃紅色の髪をした男がこちらを見ていた。
彼が深紅だろうか。真白同様、大きくてがっしりと引き締まった体つきをしていた。すごく強そうだ。豊かな長い髪からは紅い角が一本覗いていて、口元には二本の小さい牙が見える。もしや―――鬼?
天人、一角獣、そして鬼。このパーティは何だ? 何のために集まっている? 人間は紫苑だけ。ということは真白は? 解らないことだらけだ。
家に帰りたい、と紫苑は心から願った。けれどここに来なければ死ぬと真白は言った。
説明はできないが、紫苑は真白の言葉が真実だと知っている。トカゲに襲われた体験のせいばかりではなく、体の奥底から沸き上がる恐怖と背中合わせで、真白の傍にいれば安心だと感じるのだ。多分眠っている記憶の一部が漏れ出ているのかもしれない。
「紫苑。少しは何か思い出したか? ‥例えばここの景色はどうだ?」
「ここ‥?」
色のない池とほとりに立つ神社みたいな造りの屋敷。花弁だけに色がある梅林。
色があれば綺麗なのだろうけれど、今のところはとても物寂しい景色だ。紫苑は一生懸命に見覚えのある箇所を探そうとした。
「ごめん‥。解らないよ。俺は前に来たことがあるはずなんだね? その時もこんなふうに、色のない景色だったの?」
「初めはそうだ。でも色を取り戻した後の景色も、見ているはずだが。‥だめか。」
真白はなぜかいきなり吹きだした。
「そんな情けない顔をするな。つい笑いたくなる。」
紫苑はますます赤くなり、俯いた。役立たずと言われたような気がした。見ると琥珀がくすくす笑っていて、他の二人も笑いをかみ殺したような顔をしている。
「今回の紫苑はなんと‥しおらしいんだろうね。傲慢で自信過剰で、出しゃばりの紫苑とはまるで別人だ。」
琥珀の声がなぜだかさっきより柔らかくなっていた。
真白がそちらを振り向く。
「魂が転生しても、人間は器が変わるのだから容姿や人格は別物なのが正しい。別人で当然なんだよ。むしろ今までが、一番目の紫苑に似すぎていたのだ。」
「そうでしょうね。紫苑、そんなに気にせずともよいのですよ。自然に少しずつ思い出します。夢わたりができたのですから、他にも無意識のうちに覚えていることもありましょうから。」
馬鹿にされているわけではないのか。紫苑は顔を上げた。と思う間もなく、またひょいと真白の肩に乗せられた。
「北にひびが入っているそうだ。修復に行くぞ。」
「修復‥って何を?」
「『五色界』をだ。移動しながら説明してやる。」
真白は穏やかに微笑んだ。