見えない刃
神尾から出た言葉に息を飲み、目を丸くした。
「神尾さん……、それはどういうことでしょうか?」
「お恥ずかしい話ですが、別の県の警察署から極秘の通達があったのです……」
神尾が次の言葉を出すのに苦しんでいる。
それ程までに口にしたくない事なのか。
「ある署で押収した薬物を、横領した者達がいたのです。
そいつらは横領した薬物を、隠れた場所で吸っていたのですが……。
そこで1人が急に発狂したように叫びだしたそうです」
先の話が知りたい。ここは下手に話しを遮るのはよそう。
「その1人は何かから逃げるように部屋の中を走り回ると、周りにいた者達が次々に切り刻まれたそうです。
そいつを合わせて5人いたのですが、2人は死亡し、2人は大怪我を負いました」
神尾の口からとんでもない話が飛び出した。
1人の者が走るだけで周りの者を切り刻む? 怪異としか思えない。
しかし、憑り付いたにしては派手なことをする。
「神尾さん、その大怪我の人達も薬物をきめていたんでしょ? その人達の幻覚では?」
怪異と思いきや、ただの薬物中毒の幻覚で、実際はナイフか何かで切り刻まれたのかもしれない。
しかし、俺の問いに神尾は首を横に振った。
「守屋さん、この男によって一般の方々も傷つけられているのです。幸い、大怪我には至りませんでしたが」
「そうですか……。そいつは走るだけしかしてないんですよね?」
ここも重要だ。もし手を振り回したりしていれば、怪異の特徴に繋がる。
「はい。傷ついた人々も、やつの前にいた人達です。人混みでも、それは変わらなかったそうです」
前だけか……。範囲的な攻撃ではないのかもしれない。
それとも走っているから前方にしか攻撃できないのかも……。どちらにしても怪異としか思えない。
「分かりました。神尾さん、その男は天野原に来ているという事ですよね?」
「はい。潜伏先は分かりませんが、常に動き回っているようですので各所に警官が警戒しております」
それであれば見つかるのも早いかもしれないが、気になるのはやはり人を切りつけることだ。
「神尾さん、先ずは他の警官の方が見つけても、近づき過ぎないように言ってください。
私はアシスタントに思い当たる怪異がいないか聞いてきます」
そう言い、神尾が頷いたのを確認して、部屋を後にした。
携帯を取り出し、幸に掛ける。
「もしもしぃ~? どなたですかぁ~?」
「俺だよ、俺。ちょっと大変なんだけどさぁ」
「オレオレ詐欺ですかぁ?」
何と不毛な会話を幸としているのだろうか。
気を取り直して、改めて聞いてみる。
「守屋 祐だよ! もう…、ふざけてる場合じゃないんだよ。怪異でさ、走り回るだけで人を切り殺すようなやついる?」
「ん~、なかなかの大量殺人系ですねぇ。かなり強い霊力は発してそうですが」
確かに幸の言う通りだ。凶悪な怪異だとしたら、嫌でも強烈な霊力を発するだろう。
「ごめん、とりあえず調べてみて」
「わっかりましたぁ。祐さんは大丈夫かもしれませんが、他の人は気を付けた方が良いですよぉ?」
それもそうだ。俺は不死の体だから切り刻まれようが大丈夫だが、神尾達にとっては大問題だ。
「ありがとう、幸ちゃん。そこは気を付けるよ」
「いえいえ。元気に帰ってきてくださいねぇ。謝礼金と共にぃ」
思わず肩が落ちそうな幸の言葉を聞き、電話を切った。
部屋に戻ろうとすると神尾と立花が飛び出してきた。
「神尾さん、何か分かったんですか?」
「先ほど警邏中の者から連絡が入りました。どうやら総合スタジアムに逃げ込んだようです」
総合スタジアム? いや、場所よりも他の人の安全が優先だ。
「そこにお客さんとかいるんですか?」
「はい……。今、他の者達が誘導して逃がしているそうです……!」
神尾が最後に力を込めた言葉から、かなり厄介なことになっているのだろう。
「今からパトカーで向かいます。守屋さんもご同行願えないでしょうか?」
険しい顔をした神尾に向けて、顔を引き締めて頷いた。
・ ・ ・
総合スタジアムにパトカーで駆け付けると、外は悲惨な状況であった。
何人もの人達が体を切りつけられており、血がにじんでいる。
救急車も何台も止まっており、救急隊員が忙しく動き回っている。
外からスタジアムの中に怪異がいないか霊力を辿ってみる。
だが、強力なものどころか、微かにも感じない。
立花が近くの警官から情報を収集すると、こちらに戻ってきた。
「神尾さん、被害者の方から聞いた話だと、加害者…は、また増えやがった、と言ったようです」
また増えた? どういうことだ。立花の話からだと、何かが増えたことが原因なのか?
「神尾さん、立花くん、これは警察では手に余るかもしれません。
もし付いてくるにしても、手出しは、」
そこまで言った時に、スタジアムの方から乾いた破裂音が何発も響いてきた。
「くそっ! 神尾さん、私は中に入ってきますので、近づかないでください」
2人に念押しだけはして、スタジアムに向けて駆け出した。
スタジアムの中の通路を通る。どうやらスタジアムを囲むように一周できるようだ。
蛍光灯が照らす無機質なコンクリートに囲まれた通路を進む。
そこかしこに血痕が残っている。
何かのイベントがあったのだろう。
多くの人が楽しんだ場所に、残酷な爪痕がいくつも見られる。
注意を払い進んでいると通路の先に、1人の制服を着た警官が立っているのが見えた。
すぐに走りだして、話しを聞きに向かった。
ふらついていた警官は、自分が辿り着く前に床に崩れ落ちた。
「大丈夫ですか!?」
大声で呼びかけながら、警官の体を起こした。
その体の前面には、いくつもの切り傷が見られた。
漏れ出す血の量から、このままにしておくと不味いと判断して背負って外を目指した。
外を目指している間にも、通路の奥から銃声が鳴り響いている。
怪異ならば効果は薄い。だが、怪異の反応がしない。
怪異ではないものなのか? 頭の中に骸骨頭が過ぎっていく。
嫌な妄想を抱えながら、スタジアムの外に出ると救急隊員が駆けつけてきた。
傷を見て危険と判断したのか、すぐに救急車へと運ばれて行った。
そういえば神尾達は? 気になり、周りを見るが見当たらない。
もしかしたら……。すぐに踵を返して、スタジアムの中に駆け出した。