初恋話
処分屋 守屋祐の怪異譚
『孤独なネクロフィリア』と『出会いのお話』の間の話です。
多くの者が経験しているだろう、初恋。
読んで字の如く、初めての恋のことをいう。
初恋を経験する時期は人それぞれだ。
幼稚園や小学生の時もあれば、高校生になって経験する者もいる。
初恋には淡い思い出を持つ者が多い。
それもそうだろう。早い時期に初恋を経験していれば、その思い出は色あせて、初恋の思いによって綺麗な思い出に変わる。
淡く綺麗な初恋の思い出は、次の恋への素敵な力を与えてくれる。
初恋は自分が人に恋をした…恋することができる証明であるからだ。
では、初恋を遅い時期に経験した者についてはどうなるのだろうか。
それは時期が違うだけであって、恋をしたこと…恋ができることに変わりはない。
相手を思い慕うことが早かろうが遅かろうが、恋は恋なのだ。
例え、その思いが報われなくても、いずれは次の恋への力に変わる。
初恋を…恋を抱く相手は誰でも構わないと思う。
相手を思い慕うことに嘘偽りがなければ、それは立派な綺麗な恋なのだ。
不器用に育ち、周りとの関わり方を模索している中で、男に芽生えた思い。今回はそんな話をしよう。
・ ・ ・
7月上旬
祐はプレシャス・タイムで萌香と天の3人でお茶を楽しんでいた。
仕事も一段落着いた時に天が遊びに来たので、仕事明けの一杯ということになったのだ。
それぞれが好みの飲み物を注文して、出来上がるのを待つ。
コーヒーの良い香りが鼻に届いてくると、その匂いに酔いしれてしまう。
匂いには人を惹き付けるもの、酔わせるもの、穏やかにするもの、実に様々な良い気持ちにさせてくれる。
「祐さん、今自分に酔ってませんかぁ?」
天の声で現実に引き戻された。事実、酔っていた。
ただし、自分にではない。そんなナルシストではない。
「違う違う。三善が入れてくれている、コーヒーの匂いが好きでね。
その匂いが俺を酔わせてくるんだよ」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。なんや、いつからナルシストになったんや?」
三善を褒めている事に繋がるのに、三善は酷い言葉を返してきた。
「ナルシストじゃねぇよ。皆も好きな匂いがしたら、酔いしれるだろ?」
「それもそうですね。私も甘い香りを嗅ぐと、気持ちが良くなりますね」
「でしょ。俺もお菓子は先ず匂いからだもん」
せっかく買ってきたお菓子の匂いが合わないと、大抵味も合わない。
楽しみにして買ってきた物が、ガッカリな思いに変わる。
「そこでお菓子ですか……。祐さんは大味な物が好きですもんね」
天がなかなか手厳しい言葉を放った。
事実、大好きだ。ここもお子ちゃま舌と言われるところだ。
「天ちゃん、祐に繊細な味は分からんて。女心の繊細さも分からんからな」
経験豊富で色々な味に詳しい男が、俺のことを真っ向から否定してきた。
しかし、言い返すことができない事ではある……。
「ま、三善は酸いも甘いも経験済みだろうからな。それで分からないならポンコツだな」
「なんや、祐。お前かて甘いは経験しとる真っ最中やないか?」
恥ずかしくなる事をいじるように三善は言った。
俺も天も急に照れくさくなってしまった。
「ま、まあ、甘いは良いとしてだな。ほら、綺麗な苦みのするコーヒーを出せよ」
「コーヒーを飲んで、苦い体験でもした気になりたいんか? もうちょい待てや」
苦い体験か……。処分屋の仕事の中で何度も味わってはいる。
そんな苦い思いをコーヒーの綺麗な苦みで洗い流そうとしているのかもしれない。
色々と思い出すと、少しセンチメンタルになってきた。
周りにもそれが伝わったのか少し暗い感じになった気がした。
その時、天が無理矢理顔を明るくし、楽しそうな声を出した。
「三善さんは、酸いも甘いも経験されてるんですよね? 初恋はどうだったんですか?」
「急な話やなぁ。ん~、ようは覚えとらんけど、多分小学生ん時ぐらいかな」
「それで上手くいったんですか?」
「天ちゃん、ぐいぐい来るなぁ。何もならへんかったよ。そのまま忘れてもうた」
三善の話を聞いて正直驚いた。
小学生の時から、その力をいかんなく発揮しているものとばかり思っていた。
「そうなんですねぇ。私は幼稚園の頃でしたが、何にも繋がらなかったです」
「初恋なんて、そんなもんやないかな。今思えば、かわええ思い出や」
小さな頃に知った恋する気持ち……。その思い出は綺麗な思い出に変わっていくのだろう。
「萌香ちゃんは? 初恋したのっていつ?」
これは中々に興味が湧く質問を天はした。
萌香の表情に注目してしまう。
「…分からない。…したのかもしれないし…してないかも……」
萌香は首を傾げながら答えた。
嘘をついている様子はない。そういう人もいるということだ。
「そっか……。それもあるよね。覚えてないことも多いらしいし。
じゃあ、最後は祐さんですね。何かあるんじゃないんですかぁ?」
萌香のことを気遣ってか早々に追及を止めたようだ。
その勢いがそのまま俺に向かってきた。
「何かって言われても、何かって……。いや、ほら、モテた事ないしさ」
「モテなくてもあるんじゃないんですかぁ? 祐さんだって子供の頃に、」
天は途中まで言い掛けて、目を大きく開くと口を閉じた。場が凍り付いていくのが分かる。
天の顔が曇りだした。萌香は顔をうつむけた。三善は何も言ってこない……。
天も悪気があって聞いた訳じゃないのに、皆にこんな思いをさせてしまった。
「いやいや、モテない事実に変わりはないよ。モテたら初恋どころじゃすまないぐらい、パラダイスさ」
明るく言ったつもりだが、そんなに簡単に場の空気は変わらなかった。
少し沈黙が流れて、三善がコーヒーを渡してくれた。
コーヒーに映る自分の顔を見て、自分でも少し暗くなっているのが分かる。
言って何が変わる訳でもない。
ただ、辛い過去だけが俺の全てじゃない。
今、ここにいる皆から楽しくて綺麗な思い出を貰っている。
そんな皆を悲しませたくない。少しでも悲しい気持ちを癒せるのならば……。
俺の甘くてほろ苦かった思い出の話をしよう。
「んじゃあ、俺の話をしよっか。俺の初恋は……」
・ ・ ・
高校時代 夏
学校の廊下の端を、ただ歩いていた。
窓から外を見上げれば、青さを押し付けて来そうな空に、何重に重なっている雲が見える。
何もしなくても体が汗ばむ季節の中、グラウンドからは大きな声が聞こえる。
白球を追い掛けて走り、放たれた白球を跳ね返そうとバッドを全力で振るう。
見てるだけで辛そうな野球部の練習風景が見える。
傍から見れば、部活程度で何を本気になっているのだろうか。
そう思う人もいるだろう。
だが、俺は違う。何かに本気で取り組むことができる人を知っている。
それが何に繋がるかは分からない時もある。
でも、本気で取り組んだからこそ見つかる時もある。
真理奈が、弱く苦しんでいる人の為に立ち向かう姿を見て、救われた人を見るとそう思う。
邪険に扱われる時も、利用されるだけの時もある。
それでも真理奈は信念を曲げない。その姿がとてもカッコ良かった。
野球で甲子園まで行ける、ましてやプロになるなんて夢の世界かもしれない。
でも、夢の世界に追い付けるように走らないと、現実は進まない。
野球部の皆がそんな風に考えているかは別として、俺には輝いて見える。
何かに一生懸命になること。
俺はまだ模索中だ。それよりも人と上手く接することが先だろう。
自分の現状を改めて認識すると、思わず苦笑いをした。
陽ざしを受け、体の汗が輝きを放つ。
自分がまだ見つけていない本気になれる世界を見ていると、1つの教室に目が留まった。
教材室。言ってしまえば物置だ。
その中で1人の女子が立ち尽くしていた。
何かを取りに来たのだろう。
そう思うと、グラウンドに目を戻した。




