いつもの朝
処分屋 守屋祐の怪異譚
『勿忘草(忘れな草)』と『死に至る催眠』の間の話です
皆も挫折や苦しみを味わった時に夢想するだろう。
自分にとって理想とする世界を。
それはファンタジーでも、SFでも、現実世界でも何でも良い。
とにかく自分に都合の良い世界を求める。
人によっては現実逃避と言うだろう。
ただ、現実を直視できないことも多々ある。
そんな現実を受け入れる容量が足りなくなった時に夢想するのだ。
容量以上に溜まった現実の苦痛を逃がすかのように……。
誰だって自分に特別な何かを持っていたいと思うだろう。
しかし、何かを持っている者も、更に別の何かを欲する。
欲とは限り無いものだ。
その欲を満たす為に行う努力の源にも、夢想する世界が必要になる。
人それぞれが作り出す夢の世界。
夢見る世界に入ることができたとしたら、その者は何をするのか。今回はそんな話をしよう。
・ ・ ・
4月下旬
携帯で設定している目覚ましのアラームを、祐は寝ぼけ眼で止めていた。
ベッドから起き上がりカーテンを開けると、爽やかな朝日が部屋の中を照らした。
こんなに爽やかな朝日をリビングにも浴びせたいと思い、寝室の扉を開けた。
多少大きい家が良いと、寝室とリビングが完全に別の1LDKを借りたが、1人で生活するには少し大き過ぎた気もする。
ただ、この家に住みながら、家具などが増えるかもしれないと考えると悪い選択ではないだろう。
携帯が電話着信のメロディーを奏でる。
自分の好きな曲のクラシックバージョンが流れると電話を取る気分も良くなる。
ディスプレイに表示された名前を見るまでは……。
「もしもし、母さん。朝っぱらから何?」
「朝からホント酷い言い方ね。親に対しての敬意が感じられないわ」
「これが限界の敬意だよ。で、何かあったの?」
「限界って……。もうすぐゴールデンウィークじゃない。どうするの?」
母の言葉で改めてカレンダーを見る。
来週の後半から嬉しい連休が始まることを再認識させられた。
「あ~、とりあえず何日か帰るよ。友達とも遊びたいし」
「違うわよ。弥生さんはどうするの?」
「弥生さん?」
「まだ寝ぼけてんの? 祐、もしかしてまだ何もしてないの? 付き合って、もう何年になるのよ?」
ああ、そうだ。頭がやっと動き出したようだ。
母の言葉で考えさせられた。何て返せば良いのだろうか……。
「…うん。まだ…、何も……」
親に対して情けない口調で恥ずかしいことを言わされた。
いや、自分が悪いことなど百も承知だが。
電話口からため息が漏れてきた。
「相変わらずヘタレなんだから……。
もう家と弥生さんの実家には何度も顔見せてるんだから、そろそろ良いんじゃないの?
って、これぐらい自分で考えてよ。もう大人なんだし」
おせっかいではあるが、優しい母の声に安心する。
俺だけではなく、弥生のこと、その両親のことを考えての言葉なんだろう。
「だね。俺も漠然とは考えてたけどさ……。やっぱり弥生ちゃんにも、ご両親にも悪いよね。
ありがとね、母さん。頑張って勇気振り絞るよ」
素直に思いを伝えた。口に出した言葉は自分に言い聞かせるものでもある。
「ホント素直というか、自分がないというか……。勇気が萎む前に頑張りなさいね」
「はいはい。父さんにもよろしく言っといてね」
「ホント頑張りなさいよ? お父さんも口には出さないけど心配してるんだから。じゃ、仕事頑張りなさいね」
優しい言葉を残して母は電話を切った。
改めて思い知らされた。このままで良い訳がないと……。
朝食を簡単に済ませて、携帯でニュースを一通り読む。
朝に弱い弥生の為とまではいかないが、モーニングコール代わりにメッセージを送っておく。
スーツに着替えていると携帯のメッセージ着信のメロディーが流れた。
メッセージを見ると、『いまおきた』。漢字に変換できないぐらい、寝ぼけているのだろう。
今日の予定を忘れない為にも、今一度メッセージを入れておく。
『優雅なお目覚めでございますね(笑) 今日の夜の予定忘れてないよね?』
これだけ入れておけば、昼までには返信があるだろうと思い、出社することにした。
愛車のコンパクトカーに乗り、会社に向かっている途中の信号待ちで、1人の女性に目が捕えられた。
パーマなのか首元まで伸びた柔らかい髪に、少し伏し目がちな女性だった。
可愛いという表現が正しいのだろう。
ただ、可愛いと思う前に何か不思議な感じがした。
それが何なのか考える前に信号が変わったので、アクセルを踏んだ。
出社して朝礼を済ませ、メールを確認する。
大きな問題も無さそうだ。あとはお得意先の会社に営業兼顔見せをするとしよう。
今月のノルマは達成済みなので、コミュニケーションを取りに行きつつサボろうと思った。
営業先で何かと話し込んでいると昼前になったので、早めの昼食を取るために営業車に乗り込む。
昼食の候補はいくつもピックアップしている。その中から近場を探すことにしよう。
そんな時、朝見た女性が道を横切って行くのが見えた。
珍しいこともあるもんだ。何か引かれるような気がしていると携帯が震えた。
弥生からのメッセージだ。予測通りの時間だ。
『ちゃんと覚えてるわよ。ちょっと遅れるかもしれないから、三善くんの所で待ってて』
相変わらずそっけないメッセージが届いた。
これもいつものことだが、何となく優しい感じが伝わってくる。
『了解しました。仕事大変だろうけど、無理しないでね。俺はサボってるから大丈夫(笑)』
前半の文章だけで良いような気もするが、締めに何か笑いが入れたくなるのだ。
とにかく予定は覚えているようなので、一安心だ。あとは適当に仕事を終わらせて向かうとしよう。
サボりを混ぜつつ、営業先を回るといい時間になった。
会社に戻り、日報を書き終えて上司に報告し、早々に退社した。
早速、三善が経営している喫茶店へ向かう。
喫茶店プレシャス・タイムのドアを開けると軽やかなベルが頭上から響いてくる。
柔らかなコーヒーの良い香りが漂う店内に足を進める。
「いらっしゃいま、お前か。お前だけなんか?」
「いらっしゃいませぇ。あ、祐さん、こんばんは」
三善の酷い雑な声と、円の愛らしい声が歓迎してくれた。
「三善、俺は仮にも客だぞ? いや、正真正銘の客だぞ?
円ちゃん、お仕事、お疲れ様。ホットコーヒーをお願いね」
「お前は客やのうて、わいの店ん子らにちょっかい出しに来よる、エロいおっさんや」
「まだおっさんじゃねぇよ! ちょっかいも出しとらん」
相変わらず酷い言い草だ。ただ、こんな会話ができる友人がいるのが嬉しい。
「まあ、お前はそれでええとしてや。弥生ちゃんはどないしたん?」
「良い訳ないだろ。弥生ちゃんは仕事で遅くなるかもってさ」
俺の扱いの酷さだけは分かった。そして弥生は客扱いなんだ。
「そぉかぁ。なら、しばらくはお前の相手をせなならんのか……」
俺を手の掛かる子供とでも言わんばかりに息を吐きながら口にした。
「別にいいし……。そういえば、栞さんも来てないじゃないか。どした?」
「あぁ、栞も遅れるみたいや。せやから、お前の相手をせなならんのや」
まるで母親が出かけている間に、父親が子供の面倒を見なければいけないような表情をしている。
「何なんだよ、俺の扱いは。…三善さぁ、栞さんと婚約してたよな……?」
振り絞った勇気の1つをここで使った。参考にしたいと思ったからだ。
「あぁ、しとるで。って、お前……やっとやる気になったんか?」
「まぁな。で、お前は何て言ってプロポーズしたんだよ?」
三善はいつもながら察しが良い。情けないが人を参考にしたい。
「ん~、まぁ、人それぞれやろけど。わいは単純に、わいに付いて来ぉい、て言うたで」
三善の男らしさを感じるプロポーズだ。とてもじゃないが言える気がしない。
「なんや? 聞いといて、暗い顔すんなや。まぁ、勢いに任せんのも大事やで?」
「勢いかぁ……。あんまり行けそうにないなぁ」
「何言うとんのや。弥生ちゃん口説いたん、お前ならやれるやろ?」
三善の言葉に首を傾げてしまった。何をしたのか思い出せない。
「何をアホな顔しとんのや。クールビューティーな弥生ちゃんを落とせたお前ならイケるて」
更に励ますようなことを三善は言ってくれるが……。
その時、店のドアのベルが来客を告げた。
女性が2人。三善の彼女の栞と、俺の彼女の弥生だ。




