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白天狗の道  作者: 隠れ鬼
第二章 深山の書道家と熊騒動
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第四節

 山に夕焼けが訪れる、少し前。

 シラフィーは熊を目撃したという話のあった、山の狩場に来ていた。


「このあたり……かな」


 周囲を見回す。里の狩人たちが穴場にしていると聞いたとおり、そこには多くの生き物の痕跡があった。

 木々のざわめきや風の音に混ざって、耳を澄ませば大小さまざまな動物の気配を感じられる。地面には獣のフンや足跡がまばらに散らばっている。その中には、里の狩人のものらしき人間の足跡もあった。

 しかし、シラフィーが本当に注意を払っているものは、別にある。

 自然に残された獣の気配とは違う、彼女たちキノコの娘にしか分からない同族の胞子(けはい)だ。


「うん、いるね。一人かな……それも近い」


 この付近に来てから、同族の気配は増し続けていた。海空のものとは違う。他に知り合ったキノコの娘のものでもない。シラフィーが会ったことのない娘の気配だ。

 まだ新しいその気配を辿って少女は歩を進める。アイゼンが土を踏む音が山に響いた。


 やがて、空が紅色に染まる頃。

 シラフィーは、探していた相手をようやく見つけ出した。


「初めまして、だね」


「ンだよ、お前」


 その娘は、樹の根元にうずくまるようにしゃがんだまま、近付いてくるシラフィーを険しい表情で睨みつけた。

 その容姿で真っ先に目に留まるのは、不規則に波打つ赤みを帯びた黒髪だろう。赭熊(しゃぐま)というボリュームのある変わった髪形をしている。

 衣装は胸元ほど色の濃いロング丈のワンピース。さらに熊の手足を模した手袋とブーツを身に着けており、髪の隙間からは熊耳も見える。飾りだろうか。

 つり目で睫毛と眉毛のラインが濃い、顔立ちのはっきりした美人だが、不快げに歪められた口元と、真紅の瞳から爛々と輝く赤い光が、彼女の今の気分を表していた。


「あたしは今、機嫌が悪いんだ。用がないなら話しかけるなよ」


「用も無いのに、こんな所まで来たりしないよ、シャグマさん」


「……あたしとあんたは初対面だと思ったけどな」


 名前を呼ばれた娘――シャグマの目つきがいっそう厳しくなる。

 敵意に近い視線にも動じず、シラフィーはまた一歩、彼女に近付く。


「友達から聞いたんだよ。あなたの友達……モリーユさんとコニカさんが私の友達にした話を、私が又聞きしてね」


「つまり、赤の他人かよ」


「その言い方はちょっと素っ気無いんじゃないかな?」


「事実だろ。だいたい、あたしはあんたの名前すら聞いてない」


「おっと、それは失礼。私はシラフィー、アマニタ・シラフィー。シロテングタケの娘だよ」


 名乗りと共に黄土色の帽子を取って、すっと一礼するシラフィー。

 それを見たシャグマはまだ不快そうだったが、それでも一応は礼を返すべきと思ったのか、木陰から立ち上がると正面からシラフィーと対峙した。


「シャグマ。シャグマアミガサタケの娘、シャグマ・エスクレンタだよ。って言っても、あんたはもう知ってるんだろうけど」


「まぁ、ね。全部じゃないけど、あなたの事はある程度は聞いてるから」


「気に入らないな。それで? いったいあんたはあたしに何の用があるんだよ。勿体つけるな」


「ん、なら率直にいこうか。里の狩人を襲ったのは、あなた?」


 張り詰めた沈黙がその場に降りた。

 シャグマは何も答えず、シラフィーも答えを急かさなかった。ただ、質問した途端、シャグマの纏う怒気が膨れ上がったのは分かった。

 時間にして十数秒の沈黙の後、シャグマはようやく口を開いた。


「あれはあの野郎が悪い」


「と言うと?」


「先に手を出してきたのはあっちの方だ」


 そう言うとシャグマはワンピースの左肩をはだける。

 いきなりどうしたのかとシラフィーは目を丸くし……そしてすぐに、違う意味で目を見張った。


「……それは」


 露わとなった彼女の素肌には、まだ塞がっていない真新しい傷が刻まれていた。

 キノコの娘は身体の作りも人間とは違う。それでも、傷つけば血を流すのは彼女たちも変わらない。

 暗がりでよく分からなかったが、シャグマの足元には真っ赤な血溜まりができていた。


「見ての通りだよ。あの野郎、あたしを見るなり慌てふためいて、終いにはいきなりズドン、だ。頭に当たってたらキノコの娘(あたしら)でも死んでたかもな」


「なるほどね」


 "いきなり襲ってきた"という噂は、やはり間違いだったらしい。狩人が嘘を吐いたのか、人から人へ伝えられるうちに歪んでしまったのかは分からないが、話が盛られていたようだ。

 その遭遇は不慮のものだったのだろう。暗がりでシャグマの格好を見た狩人はそれを本物の熊だと勘違いし、撃ってしまった。傷を負い、怒ったシャグマが狩人に反撃した。

 言ってしまえば、シャグマの行動は正当防衛である。


「でも、ケガさせて追い払うだけならともかく、毒まで……あなたの毒は猛毒だって聞いたよ?」


「知らないよ。あっちは殺す気で撃ってきたんだ、殺されたって文句言えないだろ」


「殺し合いならともかく、不慮の事故でそれはどうかな……」


「じゃああたしはただの事故で殺されかけたってのか?!」


 シャグマの拳が乱暴に叩きつけられる。

 どごん、と鈍い音を立てて、太い樹の幹がぐらぐらと揺れた。


「キノコの娘なら、人間じゃないならケダモノと間違えて殺しても構わないってのか! それともあたしはケダモノと同じバケモノだってか?」


「そんな事は言ってな……」


「あの野郎が言ったんだよ! あたしの事をバケモノって呼んだ! あたしを撃ったクソ野郎が!」


 何度も、何度も。シャグマは肩の傷から血が溢れるのもお構いなしに、拳を幹に叩きつける。

 幹がめきめきとへし折れていくのを見ながら、シラフィーは"まずい"と感じた。

 なんとか宥める言葉をひねり出すよりも先に、輝く真紅の視線の矛先がシラフィーを射竦める。


「あんたもあたしと同じ、キノコの娘だろ。なら、何しに来た」


「私はあなたが心配で来たんだよ。あなたから事情を聞いて、これ以上騒ぎが大きくならないようにできればと思ってね」


「本当は、里のやつらに何か言われて来たんじゃないのか? バケモノのことはバケモノ同士で何とかしろ、とかさ」


「違うよ」


「初対面のくせにやけにあたしの事を知ってるし、馴れ馴れしいし。怪しいよな」


 シラフィーの否定も、既にシャグマの耳には届いていない。

 これまでシラフィーの側から近付いてきた距離が、初めてシャグマの側から詰められる。ただしそれは、彼女がシラフィーに気を許したからでは断じてない。


「ともかく、あたしはあんたの指図は受けない。さっさと失せろ。さもなきゃ力尽くだ」


「待ってよ、私はあなたと喧嘩するつもりはないんだって。ただ話がしたいだけで……」


「こっちには話すことなんてないんだよ!!」


 怒声と共に、シャグマはシラフィー目掛け飛び掛った。

 まさしく手負いの猛獣のごとき勢いで、手袋に備わった熊爪がシラフィーを襲う。


「!!」


 夕暮れの山に、黄土色の帽子が舞った。

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