第五節
「本当に、あんたには最後まで世話になりっぱなしだったな。また来た時には改めて礼をするよ、シラフィーさん」
森での再会から一夜が明けた、翌朝。
里の入り口で、三太とシラフィーは別れの挨拶を交わしていた。
「何度も言ったけど、気にしないでいいよ。私にとっては単なる寄り道だったんだから。貰えるものも十分に貰ったし」
そう返すシラフィーの背には、昨日まではなかった小さな背負い鞄がある。
"モノだけ渡されても、入れる物がなければ困るだろう"と三太が彼女に(強引に)押し付けたもので、中身のほとんどは日持ちのする食料品である。
キノコの娘とは言え、女性には他にも何かと入り用だろうと思った三太だが、シラフィーは今のままで不自由はしていないと言い、それ以上のものは受け取ろうとしなかった。
当人曰く、長旅の口寂しさを紛らわせるだけで十分、とのことだ。
それでも三太は若干の不満があるらしく、せめてもう少し歓待を受けてもらおうと引き止めたのだが。
「やっぱり、すぐに発つのか? 急ぐ旅でもないって言ってただろう」
「必要以上に一つの場所に長居すると、旅の感覚が鈍るからね。それに私は歩き回っている方が好きなんだよ」
「だからって一度も家に上がらずに、里の中で野宿してたのはなぁ……」
「人様の家を汚しちゃ悪いからね」
苦笑するシラフィーに、三太は昨晩の彼女の"道案内"の時に見たものを思い出す。
確かに、彼女を泊めれば少しばかり家は汚れるかもしれない。だが、その程度のことが何だというのか。
「客人を家に招き、もてなすのは善い事だ。それが恩人ならなおさらさ。遠慮する必要なんてない」
「……ありがとう。なら、次にここに寄った時は泊まらせてもらうよ」
「ああ、約束だ!」
「約束、ね。たまにはいいかな」
白い瞳の中で、心地よさそうに赤光が踊る。
「けど、いつかの約束の前に、三太さんは今のことを考えなよ。家族が増えるんだから、暫らくは大変だよね?」
「ああ……まあな。けど、灯と一緒に暮らすためなら、これくらい何でもないさ」
照れたように笑う三太。シラフィーは森から帰ってきた三太と灯を見た時の里の人々の騒ぎようを思い出す。
里の若者が森に消えたと思ったら、キノコの娘を連れて帰ってきた。最初こそ灯のことを不審に思う者もいたが、彼女と三太の馴れ初めを話すと、驚くほどあっさりと彼女は里に受け入れられた。
特に三太の両親からは「息子を助けてくれた恩人」として、灯のほうが恐縮してしまうほど感謝される有様だった。
そこから先は、別の意味での大騒ぎだった。すなわち、新しい里の一員を歓迎するための宴会である。
里人同士の話し合いには口を出さず、成り行きを見守っていたシラフィーも、気が付けば客人として宴の席に加えられていた。普段はどんなに厚着でも暑さが気にならないシラフィーでさえ、お祭り騒ぎの熱気には勝てず、早々に中座させてもらったが。
自分が去った後も、この里の熱気は当分冷めることはないだろう。色々な意味で、彼も彼女も"大変"だ。
「ま、頑張りなよ。ちゃんと彼女を支えてあげてね」
「勿論だ。今度こそ俺は約束を守る。大切な、家族だからな」
「その台詞は、本人に向かって言ってあげたら?」
シラフィーがちらりと視線を動かした先には、近くの小屋の陰から顔を出し、こちらの様子をうかがっている緑の瞳があった。
「灯、お前いつから?」
「ついさっき。私も、挨拶したくて」
二人の所まで近寄ってきた灯は、シラフィーにぺこりと頭を下げた。
「三太が、おせわになりました」
「どういたしまして。……昼間だと本当に印象変わるんだね」
初めてシラフィーが明るい場所で見た灯の姿は、光を失った髪もドレスも目立たない色合いで、言ってしまうと確かに地味だった。特徴的なのはその緑の瞳と、額の付近にある強いくせっ毛くらいだろうか。
顔を上げた灯の眉が、不機嫌そうに歪む。
「暗い場所なら、すごいんだから」
「ああごめん、別に悪い意味じゃなくてね。あ、ところでそれはどうしたの?」
これ以上つっこむと余計に機嫌を損ねられそうだったので、早々に話題を変える。
シラフィーは灯が手に持っている、見慣れない銅製のカンテラを指差した。見るのは初めてだが、不思議と彼女の手にあるのに馴染む品だ。
「昨日は持ってなかったと思うけど」
「もらった。これで夜の森番をしてみないか、って」
「あの森は他所の里や旅人からも時折遭難者が出る。そんな時に灯がいれば探しやすいだろう? 他にも見張り番とか、道案内とか……灯一人に任せるのは荷が重いかもしれんが、俺も手伝うから大丈夫だ」
「そう。良かったね、灯さん」
「……うん」
こくりと頷く灯。この小さなキノコの娘は、さっそく森の外で自分の居場所を作りはじめているらしい。
「人、いっぱいいて大変だけど、がんばる」
「昨日も女衆にもみくちゃにされてたな。可愛い可愛いって」
「……そんなに構わなくていいのに」
そう言って肩を落とす灯だったが、その口元は微かに綻んでいる。
構われること自体はまんざらでもないんだろうな、と、無言のままシラフィーと三太の意見は一致した。
「少しずつ、人の多さにも慣れていけばいいさ。そうだ、今度街に行ってみるか?」
「…………さ、三太と一緒、なら」
「はは、当然だろ?」
「……うん」
青年と語らうキノコの娘の幸せそうな様子を、シラフィーは眩しそうに目を細めてしばし眺めていたが、やがて踵を返した。
「その分なら、灯さんも大丈夫そうだね。それじゃあ、そろそろ私は行くよ」
「ああ、達者でな、シラフィーさん」
「お元気、で」
大きく、そして小さく手を振って見送る二人の声を背に受けて、シラフィーは歩き出す。
さくり、さくりと、ブーツのアイゼンが足元を踏みしめる音がする。
彼女の服や髪から落ちた白い粉が、立ち止まっている間にこんもりと降り積もっていた。
歩いている間も粉は絶えず降り続け、白い娘が歩いた後には白い粉が残される。
それはまるで、雪のように。
それはまるで、道のように。
シラフィーの姿が遠く見えなくなった後も、三太と灯の前には彼女の軌跡が残っていた。
すぐにそれも風に吹き散らされるか、雨に洗い流されるか、誰かに掃除されてしまうだろう。
けれど、あの旅するキノコの娘がここにいたのだという記憶だけは、いつまでも残る。
「……あの人は、次はどこへ行くんだろうな」
「さあ」
青年の疑問に、緑の瞳の娘は答える。
「けど、いつかは旅が終わると、いいね」
「そうだな」
いつか彼女にも居場所ができるように。
白い道が繋がる先に幸あれと、二人は森に願いを捧げた。
第一章・終