第四節
「しかし灯、お前……結構変わったな」
「夜はいつも、この姿」
月明かりが差し込む、夜の椎の木の下で。
灯と共にさんざん泣いて笑って、ひとまず落ち着きを取り戻した三太は、夜の彼女の装いを改めて確認していた。
子どもにも見えそうな小柄な身体に、幼さの残る顔立ち。
短めに切りそろえられた淡い褐色の髪に、鮮やかな緑色の瞳。
身に纏うのは裾に白い綿飾りのついたロングドレスのワンピースに木靴。首には椎の葉をかたどったペンダントを下げている。
ここまでは、三太も見慣れているいつもの灯と同じだ。
しかし今の彼女は、その服や髪、そして瞳から優しげな緑の光を放っている。暗闇の中で美しい光に包まれた彼女の姿は、まるで妖精のようだった。
しげしげと彼女の格好を見つめる三太に、灯はほのかに頬を染める。
「なにか、変?」
「いや、変じゃないが。昼間のお前とはずいぶん印象が違うというか、いつもはもっと地味というか……あでででで」
無言で三太の足を踏みつける灯。木靴なのでなかなかに痛い。
「三太はデリカシーが、ない」
「すまん、失言だった。昼間の灯も可愛いよ」
「ふん」
ぷいとそっぽを向く灯だったが、その頬の火照りは相変わらずだったりする。
だがその直後、不意に彼女ははっとした表情になって、暗闇に包まれた森の一方を見つめる。
灯の表情の変化に気が付いた三太も、同じ方向を見る。
「どうした、灯?」
「だれか、来る」
「誰かって……あ、もしかしてお前と同じ、キノコの娘か?」
「たぶん、そう」
「なら大丈夫だ。きっとシラフィーさんだよ」
「シラフィー?」
首を傾げる灯。
「灯を探してる最中に、森で会ったキノコの娘だよ。ここに来るまでの間、色々と世話になったんだ」
「……ふぅん」
「あででででっ。どうしてまた足を踏むんだ灯?」
「おもしろく、ない」
「いでぇっ?!」
かかとをぐりぐりと三太の足にねじ込んでいく灯。その表情はふくれっ面で、拗ねている子どものようにも見える。
一方的に攻撃を受ける三太は、しどろもどろで弁解する。
「いや、そりゃお前を探すのに人の手を借りたのは悪いと思ってるさ。本当なら俺一人でやるべきだったもんな。けど、最後は一人でここまで来たんだし、何とか許してくれないかっていでででで?!」
「彼女が怒ってるのは、そういうことじゃないと思うけど」
「シラフィーさん!」
木々の狭間から二人の前に姿を見せたのは、白いコートに黄土色帽子の娘、シラフィー。
彼女は黄土色の手袋をつけたままの手で額の汗をぬぐい、ふうと息を吐く。
「三太さんは足が速いね。すっかり置いていかれたよ」
「わ、悪い。正直、あんたがここまで付いてきてくれるとは思ってなかったもんで」
「ここまで来て途中で放り出すのも後味が悪かったからね。その様子だと心配することも無かったみたいだけど」
「いや、それは俺の足元を見ても言えることか?」
「犬も食わない痴話喧嘩だよね。ご馳走様」
白いマフラーで口元を隠しながら、シラフィーはふふっと笑う。
そんな彼女をじいっと見つめる緑の瞳があった。
「あなたが、シラフィー?」
「そうだよ。アマニタ・シラフィー。シロテングタケの娘だよ」
「……椎野 灯。シイノトモシビタケの娘……」
互いに自己紹介した後も、灯はシラフィーから目を離そうとはしない。
その態度はまるで威嚇する小動物のようだった。
「そんなに警戒しなくても、あなたが心配するような事はなかったから、安心してよ」
「別に、心配なんて……」
「そう? ならそろそろ足を上げたげたらどうかな。彼、歩けなくなるよ」
「……」
しぶしぶと灯は三太の足からかかとをどける。
木靴の痛みから解放された三太はほっと息を吐いて、シラフィーに笑顔を向けた。
「助かった、シラフィーさん。足のことだけじゃない、ここに来るまでの色々も含めて、本当に世話になったよ」
「どういたしまして。寄り道をした甲斐はあったようで良かったよ」
憂いの消えた晴れやかな青年の表情を見て、シラフィーは目を細めた。
ところで、と彼女は言葉を続ける。
「無事に再会が終わったところで、三太さんにひとつ聞きたい事があるんだけど」
「ああ、何だ? あんたは恩人だからな、何でも聞いてくれ」
「じゃあ遠慮なく。三太さん、あなた、帰り道は分かってるの?」
「え? ……あ」
言われてようやく三太は気が付いた。
今まで灯に会おうと必死だったせいで、道中の道筋をまったく記憶せずにここまで来てしまったことに。
日が沈んだ森の暗闇を当て所なく歩けば、遭難は間違いない。いや、既に半ば以上遭難済みとも言える。
予想通りにさっと青ざめた三太の顔色を見て、シラフィーは溜息を吐いた。
「そんな事だろうと思って、追ってきて良かったよ。森の外までは道案内できるから、ついてきて」
「ありがたい!」
「……案内なら、私にだって、できる」
快哉を叫ぶ三太の服の裾をくいくいと摘み、灯が控え目ながらもはっきりとした自己主張をする。
それを見たシラフィーはさらりと言った。
「なら、灯さんにも付いて来てくれると助かるかな。と言うか、三太さんの里まで一緒に行けばどう?」
「え?」
灯は目を丸くして、傍に立つ三太の顔を見上げる。
彼は真剣な表情で灯の顔を見つめ返した。
「頼む。今度こそ、俺と一緒に来てくれ、灯」
娘の肩を両手でそっと抱きながら、青年が言う。
緑の光の中でも、灯の顔が真っ赤に染まるのが分かった。
「…………はい」
返答は蚊の鳴くような承諾の声と、小さな首肯。
青年の喜びの雄叫びが、森中に響き渡った。