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白天狗の道  作者: 隠れ鬼
第一章 椎の木の森で
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第三節

「俺の里に来ないかって、あいつに言ったんだ」


 太陽の日差しがいよいよ弱まり、薄暗くなった森の中で、三太は倒れた樹の幹に腰掛けていた。

 その対面の樹に寄りかかりながら、シラフィーは彼の話を聞いていた。


「灯は森の外に出たことがない。けど、出たくないわけじゃない。外に出なかったのは、外の世界で自分が受けいられるかどうか、分からないのが怖いから……そう、あいつは言っていた」


 そう言った時の彼女は、こちらが心配になるほど萎縮していた。

 もともと引っ込み思案で内気な性格をしていた彼女の小柄な身体が、ますます小さく見えたものだ。

 だからだろうか。あんな"約束"をしたのは。


「俺は、一緒に外に出ようとあいつに言った。森の知識が豊富な灯なら、里のみんなもきっと受け入れてくれる。人間でないからってどうこう言うやつからは俺が守ってやるって、そう言ったんだ。最初は嫌がっていたあいつも、何度も話をするうちに、少しずつ前向きな気持ちになってくれた。いけると思った俺はある日、灯にこう約束した。次の満月が沈んだ朝に、迎えに行く。その日までに心を決めておいてくれ、って」


「カッコつけたね」


「俺も男なんだ。ちょっとくらいいい格好したいじゃないか」


 目を逸らす三太に、シラフィーはからかい混じりの笑みを向ける。だが、その笑いはすぐに収めた。

 女の子の前で格好つけようとする男性の気持ちはシラフィーにはさっぱり分からないし、正直なところあまり興味もない。けれどその想いが真剣なら、あまり笑うのも失礼だろう。

 それに、この話で肝心なのは約束の内容ではなかった。


「それで、三太さん。あなたはその約束を……」


「ああ。……俺は約束を破った」


 暗く沈んだ声で三太は答えた。


「弟が夏風邪をこじらせてな。俺も家族も手が離せなかった。前の晩から夜通し看病を続けて、ようやく医者が来て容態が落ち着いた時にはもう日が暮れかけていた。どうにか時間を取って森に行って灯を探したが、あいつは姿を見せてくれなかった。それが今から一週間前の話だ」


「なるほどね」


 これでシラフィーにも理解できた。三太が必死になって灯を探す理由と、灯が三太を避ける理由が。

 話を終えた三太の身体は、前よりも一回り(しぼ)んだように見えた。


「なぁ、シラフィーさん。やっぱり灯は俺を恨んでるのか? 約束を破られたから、もう誰にも会わないつもりなのか?」


「さあ。私は灯さんに会った事はないから。彼女の気持ちは想像することしかできないよ」


「そう、か」


 突き放すようなシラフィーの返事に、三太は消沈しきった様子でがっくりと項垂れる。

 だが、シラフィーの話はそこで終わりではなかった。


「そんな私の想像で良いのなら話すけど」


「うん……?」


「灯さんはきっと、今も三太さんを信じたいんじゃないかな」


 彼女の言葉と時を同じくして、その日最後の光を放ち終えた太陽が、山の稜線の向こう側へ消えた。

 ――そして、森に光が生まれた。


「ほら、見てよ三太さん」


「何だよ……」


 シラフィーの呼びかけを受けて、項垂れたままだった三太は顔を上げる。

 そして、目を見開いた。


「……なんだ、これは?」


 木の幹が、枝が、葉が。地面に落ちた枝や葉までもが。

 三太とシラフィーの視界一面に広がる木々が、一斉に光を放っていた。


 それは蛍の発光のような、柔らかな緑の光だった。熱はなく、眩しくもないぼんやりとした輝きで、夜の帳が落ちた森を照らしていた。

 その幻想的な光景に、三太は息をするのも忘れてしばし見入っていた。

 やがてはっと気が付いた彼は、興味深そうな表情で光る木々を眺めている白い娘に問いかけた。


「これは、どうなってるんだ? 俺の目がおかしくなっちまったのか? それとも、俺たちはいつの間にか天国に迷いこんじまったのか?」


「どれも外れ。これは菌糸だよ」


 青年の狼狽ぶりがおかしくて、シラフィーはくすりと笑いながら種明かしを始めた。


「発光性のキノコの菌糸が木や葉っぱの中に入り込んで、暗くなると光って見えるんだよ。と言っても、普通はこんなにはっきりとは光らないはずなんだけど。よほど発光性の強い菌なのか、この菌の主が長い間この辺に住み着いているのか……あるいは両方、かな」


「じゃあ……これは、灯が?」


「だと思うよ」


 光る森という奇妙で美しい世界に包まれてもなお、シラフィーの態度は落ち着き払ったものだった。

 それを見た三太にふと疑念が生じる。


「あんた、まさか最初からこれを知ってたのか?」


「それこそ"まさか"だね。知っていたならむやみに歩き回ったりせずに、最初から夜を待っていたよ。けど、こんな事もあるだろうと予想はしてた。キノコの娘にとって、名は体を現すものだから」


 自分が寄りかかっていた木に、そっと手を当てるシラフィー。


「三太さんは、この木が何の木か分かる?」


(しい)の木、だが」


「そうだね。(しい)の木を照らす(ともしび)……この光は、まさに彼女の思いそのものじゃない?」


 すっと手の位置を下げると、シラフィーは木の幹から生えている、一際強く輝く光の塊を指差した。

 それは、一本のキノコだった。


「そしてこれが、彼女からのメッセージ」


「キノコ……そういえば俺、灯が何のキノコの娘なのかも知らなかった……」


「私も始めて見る種類だけど……それは後からでも知ることができるよ。今は、ほら」


 シラフィーが指差した先には、同じようなキノコが何本も何本も、朽木や落ち葉の隙間から、光を放ちながら生えていた。

 彼方まで点々と続くそれは、まるで一本の光の道を描いているようにも見える。


「あれは、もしかして」


「道標だと思うよ。灯さんからあなたへの」


「どうして……」


「それも想像することはできるけど。考えるより行ってみた方が早いんじゃないかな」


 視線がキノコの光に釘付けになったまま、呆けた表情で立ち尽くす青年の背中を、シラフィーは軽く突き飛ばす。


「今度は、あなたの方から見つけてあげなよ」


 その言葉が、彼の心の導火線に火を点けた。


「っ――恩に着る!」


 振り返ることなく、弾かれたように三太は走り出した。

 緑の光が導く先へ。大切な相手が待つ場所へ。

 途中、何度も地面の窪みや木の根に足を取られ、転びそうになった。背の低い位置から突き出した枝で、顔を切った。

 それでも、彼は足を止めようとはしなかった。


 走りながら、三太はシラフィーの言葉を思い返していた。


(灯さんはきっと、今も三太さんを信じたいんじゃないかな)


 信じたい。それは、信じきれてはいないということ。

 同時に、疑いながら、それでも信じようとしてくれているということだ。

 だから、灯は三太を試したのだ。彼が立ち入りの許されないこの森の奥深くまでやって来て、夜闇の中で自分が残した道標を見つけられるかどうかを。

 里の住人である彼が、里の禁忌を破ってでも、自分を探しに来てくれるかどうかを。


 考えようによっては、ずるい行いかもしれない。

 だが、試さずにはいられないほど灯を悩ませたのは、三太が灯との約束を破ったせいだ。なら、三太には試練を受ける義務がある。

 少なくとも、彼自身はそう信じている。


「灯……っ」


 だから、彼は走る。


「灯……っ!」


 だから、彼は叫ぶ。


「灯ーーっ!!」


 夜の森に、青年の叫びが轟く。

 いったいどれだけ走り続けただろうか。不意に、彼は開けた場所に出た。


「ここは……?」


 広さにして十数メートルほどの円形の空間の中心に、一本の大きな椎の木が立っていた。

 幹のちょうど彼と同じ目線の位置には、三太がここまで追ってきたのと同じキノコが生えている。

 辺りを見回しても、他にはもうキノコはない。すると、ここが終着点なのだろうか。


「っ、そうだ」


 椎の木とキノコを見ているうちに、電撃のような直感が三太の記憶を呼び覚ます。

 彼は以前にも一度、ここに来たことがあった。それは忘れてはならなかった、森で迷った三年前のあの日のことだ。


「ここは、俺と灯が出会った場所だ……」


 奔流のように押し寄せてくる記憶に導かれながら、足を進める。

 あの日、道に迷って歩き疲れた自分は、偶然見つけたこの場所で、この椎の木に寄りかかって休んでいた。

 その時に淡い褐色の傘を持つキノコを見つけて、地味なやつだな、とその時は思った。小さくて可愛いやつだな、とも。初めて見るキノコをまさか食う気にもなれず、そのままにしておいたが。

 そして、もう里には戻れないのだろうかと途方に暮れはじめたその時、あの()に出会った。


「――見つけた」


 回り込んだ幹の向こう側。そこに彼女はいた。

 小柄な娘が緑色に輝く瞳で三太を見て、ひかえめな小さな声で言葉を紡ぐ。


「見つかっちゃっ、た」

 

「灯っ!」


 その声を聞いた瞬間、三太は彼女に駆け寄り、抱きしめていた。


「灯、すまん、すまなかった。約束破ってごめんな、灯……!」


「くる、しい、三太」


 大の男から力いっぱいの抱擁を受けて、小柄な娘はきゅう、と呻く。

 はっとなった三太は慌てて腕を放す。


「す、すまん。いや、このすまんは今苦しい思いをさせた分のすまんで、さっきのすまんは……ああ、お前にはいくら謝っても謝りきれん!」


「いい、よ」


 しどろもどろになりながら、それでも謝ろうとする三太に、灯は優しく微笑んだ。

 そして、今度は自分の方からぎゅっ、と彼に抱きつく。


「来てくれたから、いい」


「しかし、俺はお前に辛い思いをさせた。お前を森の外に連れて行くと言いながら、里の家族を、里の事情を優先したんだ」


 それが、三太の彼女に対する罪悪感の根源だった。

 もちろん、生まれ育ってきた里も、里に住む仲間も、家族も大切だ。たとえ黄金の山を積まれても譲れない、何物にも替え難い宝だと思っている。

 それでも、三太が"森の家族"よりも"里の家族"を優先したのは、言い訳のしようのない事実だった。


「俺はお前の信頼を裏切った。ずっと人目を避けて森で生きてきたお前が、どれだけ俺のことを信じてくれていたかも知らずに。そんな俺が、お前に許されるはずがないだろう?」


「それでも、三太は私を見つけに来てくれた。だからいいの」


 三太の後悔と罪で淀んだ心を、光放つ娘の声が洗い流す。

 三年前から耳に馴染んだ声。一週間ぶりに聞けた声。


「ありがとう」


 いつもは無口な彼女からの、それは精一杯の思いの丈を込めた言葉だった。


「――――っ!」


 声もなく、三太は泣いた。

 子どもみたい、と言いながら、灯も泣いていた。


 許されたことが、嬉しくて。

 信じられることが、嬉しくて。

 また会えたことが、嬉しくて。


 天国のような優しい光に包まれて、二人は涙で濡れた顔で微笑みあった。


「「ありがとう」」

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