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白天狗の道  作者: 隠れ鬼
第一章 椎の木の森で
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第二節

椎野(しいの) (あかり)? それが彼女の名前?」


「ああ。最初に俺と会ったとき、あいつはそう名乗った」


 シロテングタケの娘・シラフィーと、里の青年・三太は、話をしながら森の奥へ向かって歩いていた。

 順序としてはシラフィーが先導し、そのすぐ後に三太が続く、という並びである。シラフィーの歩みは緩慢で、先を急ぎたい三太としては苛立ちのつのる遅さだったが、今は彼女だけが頼りだった。

 逸る気持ちを紛らわせるためにも、三太は話を続ける。


「初めて会ったのは三年くらい前になる。山菜を採りに来ていたんだが、どこかで道を間違えたみたいでな。迷っていたところで偶然、灯に会った。あいつが森の外まで道案内してくれなきゃ、俺は二度と里に戻れなかっただろうな」


「そう。命の恩人ってことだね」


「ああ。その一件があった後、森でたびたびあいつと会うようになった。山菜のよく採れる場所や、毒草と薬草の違いなんかに関しちゃ、灯は里の年寄りたちよりも詳しかった。けど、森の外の事はさっぱり知らなくてな。俺たちはお互いの知らない事を教えあって、ついでに他愛のない話も沢山して……仕事そっちのけで話だけで一日が終わっちまって、親父にしこたま怒られた日もあった」


 その時の事を思い出して、三太は頭をさする。父からもらった拳骨の痛みはもう残っていないが、楽しかった思い出は頭の中に残っている。

 初めて笑みを浮かべた青年の表情を眺めながら、シラフィーは質問を続けた。


「そんなに仲が良かったのなら、彼女が住処にしていた場所くらい知らないの?」


「いや、それが……あいつが普段どこに住んでるのか、俺は知らないんだ。灯と会う時はいつも灯の方から俺を見つけてきて、ひょっこり顔を出すってのが定番でさ。俺の方からあいつを見つけられた事は無いんだ。……一度も」


 三田は一瞬、悔やむような表情を浮かべた。しかしすぐに強い意志の篭もった目つきで顔を上げて、強く拳を握り締める。


「だから、今日こそは俺の方からあいつを見つけてやろうと思って、ここまで来たんだ。……ま、結局シラフィーさんの世話になってるんだから、格好つかないけどよ」


「別にいいよ。急いでたわけでもないし、私のことは気にしないで」


「すまねぇ、恩に着る。金の持ち合わせは大して無いが、この礼は必ずする」


「なら、お金より食べ物がいいな。いい加減、水と光だけの食事は味気なくって」


 肩をすくめるシラフィー。キノコの娘とは言え、彼女にも味覚はあるし、美味しいものを食べたいという人間的な欲求もある。逆に、そういったこだわりを捨てれば無一文でもどうにかなってしまうのが、キノコの娘の生活だった。

 メシくらいならお安い御用だ、と三太は気安く請け負うと、今度はふと気になっていた彼女のことについて聞いてみた。


「シラフィーさんは旅をしてるんだよな。いったいどこの生まれなんだ?」


「さて、どこだったかな。ここよりずっと遠くの、東だったか、西だったかな。ずいぶん長い間あちこち旅してきたから、よく覚えてなくて」


「故郷が恋しくなったりはしないのか?」


「帰りたくても、帰る場所がないからね」


 シラフィーの表情や口調は穏やかなまま、変化はない。

 だが、土と落ち葉を踏みしめる彼女の足取りは、少しだけ重くなった。


「三太さんは、最初に私を見たとき、私のことを妖怪って呼んだよね」


「え、いや。それは、その」


「別に咎めてるわけじゃないよ。あなたが言ったとおり、人間には私たちのことを妖怪や化け物だと思ってる人もいるってこと。事実、私たちの中には人間にとって有害な者もいるしね」


「そんな事は……っ?!」


 思わず反論しようとした三太の言葉は、振り返ったシラフィーの眼差しによって遮られた。

 純白の瞳に宿る赤い光が、一瞬だけ輝きを増したのが彼には見えた。


「あなたがキノコの娘に敵意を持っていないことは分かるよ。でも、そうじゃない人間もいる。私たちの存在を消してしまいたいと思っている人も、ね」


「……じゃあ、シラフィーさんの故郷は」


「森ごと焼かれて、一緒に暮らしていた同族も散り散りに。殺されたり"珍しいキノコ"として捕まった子もいる。私が旅をしているのも、昔の仲間の消息を調べるのが理由の一つだよ」


「…………」


 しばらくの間、二人分の足音以外、いっさいの音がしない沈黙が続いた。

 無言のまま前を歩く白い娘の背中を三太は見た。自分よりもずっと小さな背中だ。彼女はその背にどんな荷物を負ってきたのだろう。

 人間であれば、彼女の容姿はまだ娘盛りの年頃だ。若く繊細で、傷つきやすい心を宿す年頃だ。

 今まではちょっと変わった、しかし心強い相手だと思っていた彼女のことが、三太は急に心配になった。


 緩慢に歩く彼女を追い越し、前に出る。

 驚くシラフィーの前で、三太は深々と頭を下げた。


「すまん。あんたにだって事情があるだろうに、失礼なことを聞いた」


「ど、どうしたの、急に」


「故郷を出て旅をする人間には、皆何かしらの理由があるって事くらい、俺にも分かる。もし普通の人間が相手だったら、俺だって初対面でこんな事は聞かなかったはずなんだ」


 三太は、"人間"の部分をあえて強調して語った。

 目を丸くしていたシラフィーにも、それを聞いて彼が本当に謝りたい事が何なのか分かってきた。


「シラフィーさんがキノコの娘だと知った時、俺は無意識にあんたのことを見くびっていた気がする。人間じゃないから、ってだけの理由で、"人"に対する当たり前の礼儀を忘れていたんだ。だから、すまん。俺は最低だ」


 地面に手と膝を付いて、三太はひたすらに謝罪した。

 シラフィーに。そしてここにはいないもう一人に、彼女と同じキノコの娘である大切な相手に。

 自分は灯のことも"人"として見ていなかったのではないか……そんな考えが頭がよぎった瞬間、罪悪感が止め処なく溢れてきて、とにかく謝らずにはいられなかった。

 すまん、すまんという言葉を繰り返しながら、彼は頭を下げ続けた。


 何秒、あるいは何分そうしていただろうか。

 三太の頭の上から、静かな娘の声が降ってきた。


「頭を上げて、三太さん」


「いや、けど」


「いいから。そうやって本気で謝ってくれるだけ、三太さんは良い人間だよ」


 なおも謝ろうとする三太の腕を強引に掴んで、シラフィーは彼を立たせた。彼女の白い髪やコートから少量の粉が落ち、雪のように三太の頭に降り積もる。

 まだ浮かない表情をしている三太に、シラフィーは微笑みを見せた。


「私は気にしてないから。話してもいいと思ったから話したんだし、聞かれて困るような話でもなかったからね。もし三太さんが私の身の上を言いふらしたとしても、それが故郷の人間の耳にまで入ることはないだろうし」


「そんな事はしない!」


「分かってる、分かってるから。だからこの話はこれでおしまい。そろそろ灯さん探しを再開しよう?」


 シラフィーはそう言って話題を切り替えようとするが、三太の表情は一向に晴れない。

 白い娘は少しだけ(困ったな)と思い、それから溜息を吐いて、活を入れるためにやや厳しい声音を作った。


「三太さんが謝りたい相手は、本当は私じゃないよね?」


「……それは」


「灯さんに会う、そのためにここまで来たんだよね? だったら、会ってから好きなだけ謝ればいいじゃない。ここで頭を下げてても、何にもならないよ」


 何もかも、見透かされていた。

 敵わないな、という気持ちが三太の中に湧き上がる。他者の視点から指摘されることで、荒ぶっていた罪悪感の波が引いていく。

 同時に、彼女が言ったことが紛れもない正論であることも理解する。確かに、いつまでもこうしていても時間の無駄だ。


「そうだな。すまんシラフィーさん、世話焼かせちまって」


 もう一度だけ、深々と頭を下げる。彼女に謝るのはこれで最後にするべきだ。

 頭を上げた三太の目には、再び強い輝きが宿っていた。


「行こう。灯のいる場所は、もう近いのか?」


「うん、そのはず……なんだけどね」


 復活した三太を見て満足そうに――あるいは一仕事終えた、とでもいう風に――していたシラフィーだったが、急に言葉の歯切れが悪くなる。

 彼女はまるで空気を凝視するように眼を細めてから、首をかくりと傾げた。


「焚きつけておいて締まらないんだけど、少し困ったことになってる」


「ん?」


「ここまで追ってきた彼女の"気配"が途絶えてる。たぶん、彼女が自分で隠したんだと思う」


「はっ? それじゃ、ここからどうやって探すんだよ」


 シラフィーの言葉に三太は慌てる。彼女の言う"気配"とやらを信じて森の奥深くまでやってきて、その発言は寝耳に水だった。

 狼狽する青年を横目に見ながら、シラフィーはさてどうすべきかと黙考する。


 シラフィーが灯の行方を追えなくなったのは、相手の気配――正確には胞子が途絶えたためだ。

 キノコの娘が長く居ついた場所には、その娘が放った胞子が残る。それは通常のキノコの放つ胞子とも異なる、言うなればキノコの娘という"変種"だけが持つ胞子だ。

 キノコの娘は大気中の胞子を"気配"という形で感じ取ることで、同類の活動範囲やおおよその位置を知ることができる。そんな事ができる理由はシラフィーも知らない。歩き方と同じように、自然と身に付いていた能力だった。

 そして、この力はシラフィー固有のものではない。同じ力を持つキノコの娘が、同類からも姿を隠すために、胞子の拡散を意識的に抑えていても不思議ではない。

 それはつまり、この森に住むキノコの娘――灯には、そうまでして人との接触を避けたい理由があるということだ。

 ここまでは気配を辿ってこれたことから、灯が気配を絶つようになったのはごく最近。何かの事情により、人目を避けたい理由ができたに違いない。

 シラフィーが思いつく限り、その理由を知っている人間は一人しかいなかった。


「……ここからは私の力じゃなくて、三太さんの力が必要になると思う」


「俺の?」


「うん。これは聞かないでおこうと思っていたけど、"お返し"ってことで許してくれるかな」


 意地悪をしたいわけじゃない。けど結果的にはそうなるだろう、とシラフィーは思った。

 それはできるなら避けておきたい質問だった。するシラフィーにとっても、される三太にとっても。


「三太さん。あなたが灯さんと会えなくなった原因は、何?」

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