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白天狗の道  作者: 隠れ鬼
第一章 椎の木の森で
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第一節

(あかり)ー。おーい、灯ー」


 薄暗い森の中で、三太は彼女を探していた。

 苔生した樹の幹と木の葉の間を、声がすり抜けていく。

 しばしその場に留まり、呼びかけに何の反応も返ってこないのを確認すると、彼は土を蹴って再び歩きだす。土と緑の匂いがより強い方向へと。

 森に入ってからというもの、青年はもう何時間もその行為を繰り返していた。目的に必死になるあまり、いつの間にか森の奥深くまで入り込んでしまっているのに彼は気が付いていない。


 その森は、三太の里の人間にとって大切な場所だった。里の建物や道具はみんなこの森の材木から作られた物だし、薪がなければ暖を取ることもできない。それに、森の山菜や木の実にキノコがあれば、里の食卓も豊かになる。彼らの生活は森と切っても切れない関係にあった。

 そんな森と共に生きてきた彼らだからこそ、森の恐ろしさもよく知っている。三太のような里で生まれた若者は、年長者から森の歩き方と、森の幸と毒の見分け方、それに幾つかのタブーを教わってきた。


 曰く、夜の森には決して入ってはいけない。

 曰く、森の奥には決して踏み込んではいけない。


 しかし今、太陽は夕焼け空を残して山の麓に差し掛かり、三太の足は森歩きに慣れた年配の者たちでも決して越えようとはしない境界の先へと踏み出しかけていた。

 日が翳りはじめた森の視界は悪く、立ち並ぶ木々は迷路のように人を惑わせる。辺りには獣一匹見当たらず、青年を見守るものは草木やキノコだけ。

 森は、徐々にその恐ろしい(かお)を見せはじめていた。


 それでも、三太の表情に怖れの色はなかった。

 あるいは、単に怖がっているだけの心の余裕がないだけかもしれないが。

 今の彼には、自分の身の安全よりもずっと優先すべきことがあった。焦りも、疲労も、全てはその優先事項が捗っていないせいだ。

 もう何度目になるかも分からない呼びかけを終えると、彼は額に浮いた汗をぬぐい、溜息を吐いた。


「はぁ……どこにいるんだよ、灯……」


「誰をお探し?」


「うおっ?!」


 突然、背後からかけられた声に、三太の心臓が跳ね上がる。

 それほど大きな声でもなかったが、動揺した青年は声に背中を突き飛ばされたかのようにつんのめった。


「と、と、と……っ! 誰だ!」


 二歩、三歩とたたらを踏んで、どうにか転ばずに姿勢を立て直した三太は背後を振り返る。怒鳴るような声の調子は、驚かされたことへの苛立ちと、過剰に驚いてしまったことへの恥ずかしさのせいだろう。

 振り向いた青年の視界に飛び込んできたのは、白い娘だった。


「……何だ、あんた?」


 思わず、三太がもう一度問い直してしまうほど、それは奇妙な格好の娘だった。

 最初に目に飛び込んでくるのは、目が覚めるほどに美しい白い色だ。

 縮れた白い髪に、純白の瞳。白いコートで身体をすっぽりと覆い、その上から短いマントとマフラーを身に付けている。当然その色も、白。雪のような白だ。

 だが、他の色がないわけでもない。コートの下部、そして帽子と手袋とブーツは黄土色をしていて、白色メインの服装の中でも強く目立っている。細身なブーツには何故か、雪も降っていないのにアイゼンが装着されていた。

 そして、もう一色。それは三太が娘のことを"誰"か"何"かで迷った理由でもある。

 娘の瞳の奥からは、ごく控え目に――しかしはっきりと、赤い光が放たれていた。


 今から雪山に登山にでも行くのであれば、その格好もまだ理解できただろう。しかしここは雪のあまり降らない地方で、そもそも今は夏である。

 何より、自ら光を放つその瞳は、ただの人間にはありえないものだ。

 三太が娘の様子を見ていたように、娘もまた青年のことを観察しているようだった。返事をしない娘に対して、三太は警戒を強める。


「あんた、人間か? それとも、森の妖怪か?」


「……どちらかと言えば、後者かな」


 ようやく娘は口を開くと、すっと三太に向かって手を伸ばした。持ち上がったコートの袖の繊維がほつれ、ぱらぱらと白い粉が零れ落ちる。

 ぎょっとした三太はその手から逃れるように下がるが、白い娘は敵意はないことを示すように首を振ると、伸ばした手をぐっと握って、開き――


 ぽんっ。


 気の抜けた音と共に、娘の手元で粉が弾けた。


「……は?」


 思わず緊張の糸が解け、間の抜けた顔をする三太の前で、娘はもう一度自分の手を見せた。正確には、その手の中にあるものを。

 さっきまで空っぽだったはずの黄土色の手袋の掌には、白い小さなキノコが乗っていた。


「これが私だよ」


「あんたが、キノコ?」


「そう」


 娘は頷いて、手を閉じる。白い胞子を少しだけ残して、跡形もなくキノコは消えた。

 手品でないことを示すように手を広げながら、娘は微笑み、名乗った。


「私の名前はアマニタ・シラフィー。この国の"私"は、シロテングタケって呼ばれているよ」


 その娘は、人ではなかった。

 されど、キノコでもなかった。

 人とキノコの性質を併せ持ち、人と触れ合える知恵と心を宿した、謎に包まれた娘たち。

 奇妙であり、不可思議でありながらも美しい娘たち。

 その呼び名は、三太の耳にも入っていた。


「キノコの()……あんたも、そうなのか」


「"も"?」


 今度は白い娘――キノコの娘、シラフィーが問いかける番だった。


「この辺りに同類がいるって話は聞かなかったけれど。あなた、前にもキノコの娘に会ったことがあるの?」


「ああ。前にも、じゃない。今も会いに行くところだ。いや……会おうとしていたんだ」


「……もしかして、あなたが探していた相手って」


 森の中で何度も何度も聞こえていた青年の声を、シラフィーは思い出す。

 本当は次の里への近道として通り抜けるだけのつもりだったのに、あまりに必死そうなその響きに、つい寄り道をしてしまった。

 近くの里の人間が、森で遭難した人間を探しているなら、手を貸すくらいなら構わないだろうと思って。

 しかし、彼が探していたのはどうやら人間ではなく――


 だが、三太はシラフィーの問いかけに答えず、ぶつぶつと呟きながら自問を始めていた。


「まさかあいつの他にもキノコの娘が……いや、こいつは幸運かもしれん……俺には会ってくれなくても、同じお仲間なら……出会ったばかりだが……いや、他に頼れるものも無い……信じるしか……」


「あの、ちょっと?」


 一向に戻ってくる様子のない青年にシラフィーが呼びかけた途端、三太は弾かれるように顔を上げて、白い娘を見た。


「なあ、あんた。いきなりこんな事を聞くのは失礼かもしれんが……あんたもキノコの娘なら、お仲間がどこにいるか分かったりしないか? この森にはあんたの他にも、昔っから住んでるキノコの娘がいるはずなんだ」


 先ほどまでの警戒していた態度とは一転して、三太がシラフィーに向ける視線は声よりも必死で、真剣だった。

 興味本位で彼に近付いたことを、シラフィーは少しだけ後悔した。

 なぜなら、


「俺はあいつに、灯に会いたいんだ。いや……会わなくちゃならねぇんだ。頼む! 協力してくれ!」


 その願いを上手に断ることのできる言葉を、シラフィーは知らないのだから。

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