表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

気ままな短編集

歌姫の守り手 ~剣と魔法の物語~

作者: 辺 鋭一

第三回小説祭り参加作品

テーマ:剣

※参加作品一覧は後書きにあります


かなり長いお話になってしまいました。

読んでいる最中に目が疲れたら、遠慮なくお休みしてくださいませ。

   ●




「――おい、来たぞ」

「ええ、見えてるわ」


 深い森の中、立っているのはローブ姿の二人だった。

 身体全体を頭まで覆うそのローブは、体の前面を中心にところどころが泥で汚れたり擦り切れていたりしているが、頼りなさは感じない。

 どちらが纏っている物も、旅の中で苦楽を共にし、多くの危険から主の身を守ってきた大切な相棒であり、一目ではわからないがよくよく見ると数多く存在する傷跡――正確に言えば補修あと――も名誉の負傷と周囲に認識させることができるだろう。

 少なくとも二人の纏うそれは、二人の武勇伝は語っても、それ以外は匂わせすらしない。

 そしてそれは、手を翳して空を見上げる一人や、その傍らに立って同じく空を見る小柄な一人の言動にも言える。

 ここは先述の通り深い森の中であり、その地面は木々の根で凹凸が激しく、普通ならば歩くことはおろか立っているのも難しいだろう。

 そんな地形において、二人は大地をしっかと踏みしめ、揺らぐことなく木々の隙間から空を見ている。

 明らかに常人離れしているその行為を、しかし当人たちは当たり前だとでも言うように行っていた。

 その様に初々しさは微塵もなく、ただただ玄人然とした雰囲気のみを放っている。

 そして、視界が悪くて本来ならば見えるはずのない空の果てから去来するその影も、二人ははっきりと認識していた。


「タンクコウモリ、数は千と数百。それぞれの個体はそこまで強くないから、炎の密度は薄くても大丈夫だろう。……数匹残して焼き尽くせるか?」

「今更そんな確認する意味ないでしょう? 私をなめないで」


 一方の影がどことなく幼さが残る低い声でそう問いかけると、小柄な影が憤りの混じる高い声でそう返す。

 フン、と鼻を鳴らしながら小柄な影はローブの隙間から手を伸ばし、視線の先へと掌を向けると、


「――炎」


 とつぶやく。

 そのつぶやきと同時にその掌に小さな炎が発生した。

 それは掌から少しだけ離れたところに留まり、ゆらゆらと揺らめきながら、しかしはっきりと存在している。

 だが、その大きさは小柄な影の拳ほどもない小さなものであり、現状何かの役に立つとも思えない。

 その思いは小柄な影も同じだったようで、


「……炎」


 と、重ねてつぶやく。

 すると掌にある炎は一回り大きくなる。

 だが、変化はそこで止まらない。


「……炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎、炎」


 一つつぶやくごとに炎は拡大を続け、ついには大の大人一人を飲み込んでしまえるほどの大きさになった。


「――繰り返す言の葉、その数は十三」


 小柄な影がそう呟いている間に、二人のいる森の上空を大きな影が覆う。

 それは一見して大きな空飛ぶ蛇のようであった。

 青々とした空の端から、幅は大人の身長数人分もあり、体長は測定するのが難しいほど長い、そんな影がうねるようにして空中を泳いでくる。

 それは大きな一つの影のよう、しかしよく見てみれば小さな点の集まりだ。

 その点一つ一つは不気味な模様を持った人間の子どもほどの大きさがある蝙蝠であり、それらが集まって飛ぶことで周囲に対して威圧感を与えている。


「後ろの方の数匹は無傷で生かせ。残りは完全に焼き殺していい」

「了解。――言の葉に応えしモノよ、我が意に従い、集い来たりて彼の影を食い尽くせ!」


 小柄な影がそう叫び腕を振り上げた瞬間、掌の炎球は腕の動きに従って空へと勢いよく飛び上がった。

 炎は陽炎を伴いながら、周囲の大気を喰らってさらに勢いを増していく。

 それと同時に形もだんだんと長くなって行き、上空へと至るころには大きな蛇のようになっていた。

 真っ青な空で対峙した二匹の蛇だが、しかし炎の蛇の方が黒い蛇よりも二回り以上大きい。

 黒点の蛇は、炎の蛇に向き合った数瞬後に慌てたように崩れ出し、もと来た方へと戻ろうとする。

 それを一切気にせず、炎の蛇は口を大きく開けて黒い蛇へと食らいつき、飲み込み、骨ひとつ残さず燃やし尽くしていく。

 最終的にかつて黒い蛇だったものは尾の先端近くまで完全に食い尽くされ、炎の蛇はどことなく満足気に大気に溶け、消えていった。

 尻尾側に残された極少数のコウモリたちは、背後を気にする余裕もなく一目散にその場を離れていく。

 それを確認し、満足げに頷く小柄な影に、その影よりも頭一つ分ほど背の高い影は静かに問いかける。


「……おいマリ。俺は確か、生かすのは数匹だって言ったよな?」

「そうね、確かにさっきタタラはそう言ってたわ。――なに? あんたもうボケちゃったの?」

「……なあ、俺の目には、二十匹近く無傷で逃げて行っているように見えるんだが……?」

「違うわ。正確には逃したのは十九匹。二十匹じゃないわ」


 呆れたようにそういう小柄な影は、纏っていたローブのフードだけを背中に流すと、その中におさめられていた背中の中ほどまである黒くて長い髪をばさりと払う。

 十代後半程であろうその少女が持つつややかな漆黒とは裏腹に、輝くような真っ白い肌には日焼け一つ見当たらない。

 この深い森の中で、明らかな異物である。


「同じだろそんな誤差! なんであんなに逃がしたんだよ! 住処を見つけるために生かすのは一匹で十分だけど、それでも念を入れて数匹生かせって言ったんだ。二桁も生かしたら後々処理がめんどくさくなるだろうが!!」


 と、荒々しくローブのフードを払って顔をあらわにしたのは、こちらも十代後半ごろだと思われる少年だ。

 先のマリと呼ばれた少女とは違い、浅黒い荒れた肌の少年は、灰色の短髪をガシガシと掻き毟りながら顔をしかめて少女に対して抗議する。


「タンクコウモリは人を襲って血を吸い尽くし、その体に蓄えて主君の元へと運ぶ魔物だぞ! 俺たち冒険者にとっては大した相手じゃなくても、普通の奴らにとっては十分に脅威になるんだ。だからまとめて退治できる時にはできるだけ多くやっておきたかったのに、なんで十九も取りこぼすんだよ!?」

「ギャーギャーうるさいわよタタラ。いいじゃないの、追いかけるのには数が多い方が楽でしょう? 全滅させちゃわなかっただけマシだと思いなさい」

「――ああもう、なんで使い勝手の悪い『言霊(コトダマ)』を使ったんだよ! 『旋律(リズム)』はともかく、他の魔術だったらもっと加減がしやすいだろうに!」

「だって普通の魔術は魔方陣やら呪文やらが面倒なんだもの。なんでわざわざ人間にも精霊にもわかりにくい言葉を使うのか、理解に苦しむわ」

「お前が特別製なだけだろうが!!」


 そう叫ぶ少年――タタラに対し、マリと呼ばれた少女は何事もなかったように、


「ほら、さっさと追いかけないと本気で見失うわよ。見つけやすいように数を残した意味がないじゃない」


 と涼しい顔で返してきた。


「……ッ、この――」


 その態度にタタラはまた叫ぼうとしたが、目標であり目印でもあるコウモリたちを見失っては元も子もないのは確かなので、腹から飛び出そうとしたモノを飲み込みなおし、黙ってフードをかぶりなおすとコウモリたちの逃げた方角へ荒々しく走り始めた。

 マリはそれを見て満足げに頷き、髪を手早くまとめてフードをかぶりなおしながらタタラの後を追って軽やかに走り出す。


「――おい、さっさと加速をかけろ。見失っちまう」

「はいはい、わかったわよ。――風、風、風、風、風。繰り返す言の葉、その数は五。集い来たりて我らを支えよ!」


 マリがそう唱えた瞬間、森の風が一斉に二人の後を追いかけ始めた。

 追い風に押されながら、二人は森の木々を縫うように駆け抜けていく。




   ●




 その影は、森の中にぽつんと存在する草原にいた。

 おそらく大きな木が中心に立っていたのであろうその空間は、今では根元から折れた大木が朽ちかけているのみであり、森の中では貴重ともいえる背丈の低い植物の楽園となっている。

 そんな場所で枯れ木に寄り添うように立っているのは、一人のローブ姿の影だ。

 全身をくまなく覆うローブをまとった影は、何もせずただ立っているだけで、一切動こうとしない。

 本来ならば、猛獣や魔物が跋扈する森の奥深くの、それも見晴らしの良いところで立ち尽くすなど愚者以外の何物でもない。

 しかしその影は、立っているだけでも周囲に対して何らかの圧力を与えているようだった。

 まるで大型の熊のようながっちりとした体格と背丈を持っている、というだけでは説明がつかないその圧力は、あいまいな理由ではあっても猛獣除けの役割をしっかりと果たしているようで、その影の周囲には何の気配も存在しない。


「――――――戻った、か」


 と、それまで保たれていた静寂を破ったのは、大きな影から発せられた静かで重苦しい声だった。

 まるで一枚の絵画のように停止していた風景に、いくつもの動きがくわえられる。

 一つは声を発するのと同時に空を見上げた影の動きであり、それ以外の多くは空より舞い降りてきた無数の黒い影だ。


「……む? 血を吸わずに戻ってきたのか? それにしては数が――」


 怪訝さを隠さぬままつぶやきを放ったその影は、ゆっくりとその右腕を空へと掲げる。

 まるで丸太のような太い腕にしがみついたのは、無数の影の中の一つである、コウモリだった。

 人間の子どもほどもある大きな体を、しかしその腕は難なく支えきり、影は腕に止まったコウモリへと問いかける。


「……どうした? 襲いに行った集落で何かあったのか?」


 その質問に対し、コウモリは細かく震えながらキーキーと耳障りな音を何度も発し続けた。

 はたから聞けばまったく意味の解らないその音を、しかし影はしっかりとした言語と認識できているらしく、時折相槌を打つように首をかすかに振っている。


「……なるほど、移動の最中に襲われた、か。そろそろ動きがあるかもしれんと思っていたが、存外早かったな」


 報告を終えたコウモリが首をかしげるのも気にせず、影はしばし黙った後、


「今回の事に関してはお前たちに責はない。大変な目にあったな。ねぐらに戻り、ゆっくりと休むがいい。後程お前たちの分の血を届けさせよう」


 と声をかけ、若干嬉しそうにキーキーとわめくコウモリを腕の一振りで空へと解き放った。

 放り投げられるように空へと昇った一匹のコウモリは、影と話している間周囲を飛び回っていた同胞たちの元へと近寄っていく。

 それまでバラバラに行動していたコウモリたちも、それに気が付くとそのコウモリの元へと集い、小さめではあるが黒の雲を作り上げる。

 しばしキーキーとわめきあっていたコウモリたちだったが、情報交換が終わったのか一斉に影の方へと近付き、その周りで円を描くように周回運動を行った。

 それが彼らなりの感謝の礼だったのか、二、三周してコウモリたちは満足すると、また一塊となって空へと飛び上がっていく。

 そしてとある方角へと進もうとした瞬間、


「――輝ける槍となりて、かの者らを貫け!!」


 涼やかな声と共に、幾筋もの光が空を駆け抜けた。

 その光はあまりにも早く、認識できたのは網膜に焼きついた強烈な光の残像のみだ。

 だが、それらの光は寸分たがわず飛び去ろうとしていたコウモリたちを貫き、焼き尽くしていた。


「……雷撃による攻撃魔法、か。もう追いついてきたのか、ずいぶんと速い……」


 体の各所が炭化して落下してくるコウモリたちの死骸を視界の隅でとらえ、しかし影は必要以上にそれを気にしていない。

 先ほどまで己を慕い、従順に命を聞いていたかつての部下に対し、影は何の感慨も持っていないようだった。

 ただ光と声が飛んできた方へ、視界を遮る木々すら見透かすような鋭い視線を向ける影に答えるかのように、もう一つの影が飛び出してくる。


「――やっと見つけたぜ。お前がコウモリ達の親玉だな?」


 そう言いながらローブのフードを背中側に払って顔をあらわにしながら声を放ったのは、タタラだった。

 そしてそれに遅れる事数瞬、静かにタタラの背後へと出てきたマリも、黙ってフードを払い、その長髪を風に流す。


「……ふん、何が出てくるかと思えば、随分とかわいらしい奴らが出てきたじゃないか。しかもたった二人か」


 二人をしばし眺め、観察し、影はあざけるようにそう言った。

 その様子からは、二人を見下す傲慢な態度のみが感じられる。


「どうやら標的は最初からこのコウモリたちを率いている者だったようだが、それが何を意味するか、解っていないわけではないのだろう?」

「もちろんだ。この地域でタンクコウモリを操り、周囲の集落から血を集めるような魔物は、たった一体だけ。しかもあろうことかそいつは魔物の中でも最上級の力を持つ、魔神クラスの魔物だ」

「そう、だから長い間誰にも手が出せず、放置され続けた。『下手に手を出して怒りを買えば国ごと滅ぼされる。だったら年に数百人以上出る死者は黙認しよう』とな」


 影が得意げに語る中、タタラは余裕そうな表情を崩さず、その後ろに立つマリは無言を貫き続けている。

 そんな二人の様子を無視して、影は言葉を紡ぎ続ける。


「そんな人間どもの涙ぐましい努力を、百年以上続いた均衡を、たった二人の人間が崩すと言う訳だ。……その度胸だけは認めるが、この『吸血貴きゅうけつき』ウォルヴァンに勝てる人間がいるとでも――」

「――残念だが、その言葉は俺たちに対して何の効果ももたらさないぜ?」

「……なんだと?」


 してやったり、とでも言いたげにタタラがそう言ったのを聞き、影は怪訝そうな声色を返す。

 その声を聞いて今度はタタラがにやりと笑い、口を開く。


「そもそも、俺たちがこの件に乗り出したのは、『吸血貴きゅうけつき』の蛮行がきっかけだ。このあたりの住人が言うには、『ここ最近、コウモリたちによる血液狩りの頻度が上がってきている』んだそうでな。……これは明らかにおかしい」

「――なにがおかしいという。私が血を多く求めるのは、いけないことか?」

「ああ、『吸血貴きゅうけつき』が血を多く求めることは、人間はもちろん『吸血貴きゅうけつき』自身にも利点がない。それがわかっているからこそ、奴と人間との歪な共存は成り立っていたんだからな」


 タタラは一歩前へと足を踏み出しながら、左手の人差し指を影に向かって掲げ、


「『吸血貴きゅうけつき』が求めるのは人間の血のみ。なぜなら、奴は人間の血を糧として生きる存在であり、逆に言えば人間の血以外を糧とすることができない存在だからだ」

「唯一の糧なればこそ、より多くを欲することに何の違和がある? それこそ私のきまぐれだ。貴様にとやかく言われる筋合いは――」

「――違和感しかねえな。奴がこの百年守り続けてきた己への制約は、そんな簡単に破っていい物じゃない。……いいか? 奴は人間の血を欲し、人間の血のみでしか生きられない。裏を返せば、奴は人間に死に絶えられては困るってことになるんだ」


 タタラはさらに一歩を踏み出し、続いてもう一歩を出しながら、


「それ故に奴は、人間という種がこの地から絶えないよう最善の注意を払い、奪い取る血の量を調整してきた。さらには他の脅威によって人間の数が減らないように、その力で近隣の魔物たちを威圧さえしていた。……言ってしまえばここは、魔物によって統治されるある種の国だったわけだ」


 さらにもう一歩踏み出す。

 この時点でタタラと影との距離はおおよそ五歩分だ。


「人間たちはそれ以外の外敵から受ける危険を回避する代わりに、税としてごく少数の命を差し出してきた。……そうやって成り立っていた微妙なバランスが、数ヶ月前から崩れ出したのさ」


 黙り込んで話を聞き続ける影に、タタラはさらに近付く。


「これにはさすがの『国民』も驚いて、そのままそこにいれば避けられたはずの危険をこうむることを覚悟の上で外部へと調査の依頼を飛ばした。それを俺たちが受け、公然の秘密となっていた『吸血貴きゅうけつき』の城の場所を聞いてそこに行ってみたら、……なにがあったと思う?」


 そこまで言って、タタラはようやく足を止めた。

 いま、影とタタラとの距離は三歩分。

 もし影が一歩を踏み出せば、彼我の体格差ゆえに一気に詰められてしまうような距離だ。

 だがそれにもかかわらず、影は一向に動こうとしない。


「そこには大きな城があるばかりで、誰もいなかった。『吸血貴きゅうけつき』は強大ではあったがその性質故発展を望まず、配下の類はコウモリのみだったから、他の魔物がいないのは頷ける。……だが、そのコウモリたちですら一匹も存在していなかった」


 目の前で立ち止まり、無防備に語り続けるタタラに対し、一方的に先手を取れる立場の影は、しかし動かない。


「さらに城の奥の奥まで調べてみた俺たちは、やっと生き物を見つけたんだ。――それは、今にも死にそうなぐらい弱り切って、それでも玉座に座る『吸血貴きゅうけつき』の姿だった」


 そこまで聞いて、影はやっと動きを見せた。

 それは、肩のあたりをびくりと揺らすだけの小さな動きではあったが、先ほどまでの余裕ぶった雰囲気からは感じられなかった、明らかな動揺だった。

 それを感じ取ったタタラは、畳み掛けるように言葉を紡ぐ。


「そいつは人間(おれたち)の姿を見るなり『血をよこせぇ……!!』ってわき目も振らず襲い掛かってきてな。慌てて俺が振った剣の一撃であっという間に死んじまったよ。『一騎当軍』とも評される魔神クラスとしての威厳なんて、微塵も感じさせなかったな」


 しみじみとそう言ったタタラは、しかし次の瞬間に影へと鋭い目を向け、


「だから、俺たちはここにいるお前が『吸血貴きゅうけつき』ではないことを良く知っている。そして、お前がコウモリたちをたぶらかして『吸血貴きゅうけつき』を弱らせようとしていたことも、さっきの光景で理解できた。――だから、お前もとっとと正体を見せろ!!」


 気合いの入った言葉と同時に、タタラはローブの裾をはためかせながら前に向かって跳ぶように影との距離を詰めると、右足による薙ぎ払うような蹴りを影に放った。

 だが、影はその大きな体からは想像もできない俊敏さでその場を飛び退き、至近距離からの蹴りをかわして見せる。

 はためくフードの隙間から見える口元を笑みでゆがませながら、影はタタラの悔しそうな顔を見ようとする。

 だが、その予想に反してタタラの顔には薄い笑いが浮かんでおり――


「――炎よ、突き進め!!」


 その直後、タタラの背後から真っ赤な炎が飛び出してきた。

 その炎は蹴りを放った直後で普段より下がっているタタラの頭上すれすれを通り、影の頭近くに直撃した。


「――っく!?」


 突然の事ゆえにガードも遅れ、影の顔のあたりのローブに火の手が回る。

 それにはさすがの影も参ったのか、ズズンと大きく低い音を立てて着地しながらあわててローブを引き裂き、脱いで傍らへと投げ捨てた。

 勢いよくたなびく暗い色のローブの中から現れたのは、その体格の良さから想像できる通りの姿だった。

 一糸まとわぬ上半身はたくましいの一言に尽きる。

 胸板は厚く、肩幅は広く、丸太のような腕はがっしりと太い。

 一切の無駄なく引き絞られた肉体は、しかし普通の人間とは明らかに違う点をいくつも持っていた。

 まず第一に、通常の人間では特殊な病気でもない限り灰色の肌を持つ者はいない。

 次に上半身全体を覆うような複雑な黒い文様は、布のようなものを巻いているせいで見えてはいないが、下半身にも広がっている事だろう。

 一見刺青のようにも見えるそれは、しかしその存在がこの世界に生まれ出た瞬間から持ち合わせ、その体の成長と共に拡大・複雑化していく物だという。

 そして、その存在をさらに人間離れさせている最大の要因が、額の中心から生える一つの突起――俗に角と呼ばれる器官だ。

 学者の間でも献体があまりにも少ないため役割をしっかりと把握できていないそれは、しかし特殊な肌の色と体を覆い尽くす文様と合わせてしまえば、その存在を確実に定義できるだけの要素となる。


「……やっぱり、魔物か」

「しかも知能も高い。それにあの姿だと、魔王クラスは確定ね」


 影がローブをはぎ取った瞬間に跳び退いてマリのすぐ前に戻ったタタラは、マリとそんな会話を交わす。

 だが、その視線は目の前の人外から逸らされることはない。




   ●




 この世界において、本来ならば鍛錬を積まなければうまく扱う事の出来ない魔力を、生まれながらにして自由に操れてしまう存在が時折生まれてくる。

 その存在は生まれながらにして強靭な肉体と魔力に愛された証である特殊な文様を持ち、肌の色や目の色もその種族では持ちえない色になることが多い。

 そして、その存在は普通の人間では扱えないような特殊な能力を操れることも多く、その性格はなぜか皆凶暴かつ好戦的であり、生まれた瞬間からその周囲にいる親やその一族をその手にかけてしまうという。

 そんな忌み嫌われ、討伐対象として懸賞金までかけられている存在、それを称して『魔物』とする。

 言ってしまえば生物すべてに共通して起こりえる突然変異種の総称であり、その発生確率は数百万分の一とまで言われるほどだ。

 とはいえ、そもそもの個体数が多ければそれだけ魔物化する個体も多くなるため、世界には虫や魚、小動物型の魔物が相当数存在することになる。

 また、魔物化した生物の身体能力は元の生物の数倍以上となるため、同じ魔物同士で争いでもしない限りは淘汰される事も無い。

 さらに言えば魔物化した生物自体も生殖能力を持ち、魔物同士の子は全て魔物としての性質を発現するので、結果個体数は加速度的に増えていってしまう。

 それにより生態系は滅茶苦茶になり、一部を除けば生物で生き残っているのは魔物と人間だけという世界になってしまった。


 また、人間も生物であるため、当然のようにこのルールに縛られる。

 つまり、人間型の魔物も存在するのだ。

 その場合、人間から生まれた人間型の魔物は、人間の能力を数倍にした状態で生まれてくる。

 虫や小型の獣が数倍の能力を持ったところで大型の生物や人間に勝てるわけでもないが、人間型の魔物は恐ろしく知能が高いため、一筋縄ではいかない存在だ。

 しかももともと持っている高い魔力をその知能で効率的に運用できるために、考えなしになりがちな獣型の魔物を簡単に凌駕できてしまう。

 個体数は少ないが、たった一体でも大きな脅威となれる存在が、人型の魔物なのだ。


 さらに、その魔物にも大雑把なランク分けがされている。

 一番下が普通の『魔物』であり、普通の魔物よりも強い固体を魔物の王ということで『魔王』と呼び、さらに強力な魔物の事を魔物の神、『魔神』と呼ぶ。

 通常の魔物ならば訓練を受けていない一般人でも場合によってはなんとか対応可能だが、魔王クラスともなると訓練を受けた専門家が数人組で対応に当たらなければ何とかできず、その上の魔神クラスに至っては、もはや天災とさえ言われるほどの力を持つ。

 また、それらのランクで下級・中級・上級の三つに細かく分けられているので、魔物の手配書等にはそのランクが討伐難易度の目安として記されている。

 そして、人型の魔物の多くが魔王クラス以上の能力を持っているため、見た目が人間に近いというだけで警戒の度合いを強めなければならないということになる。

 今回の魔物は見た目が人型であり、さらには魔力を長時間――少なくとも数十年単位――扱い続けてきたことによる頭部の変形である『角』まで持っていることから、それなりの年月を生き抜いてきた魔王であることがわかるのだ。




   ●




 脱ぎ捨てたローブを忌々しげに見下ろしていたその魔物は、だがしかしタタラ達に向き直るとにやりと笑い、


「なるほど、会話と貴様の動きに私が気を取られるのを狙い、隙をついて後ろの女が攻撃を放つ段取りだったわけだ。随分と悪知恵が働くと見えるな。……しかしそうかそうか、『吸血貴きゅうけつき』のジジイは死んだか。いい知らせを持ってきてくれて感謝するぞ、人間。おかげでわざわざとどめを刺しに行く手間が省けた」

「その口ぶりからすると、やっぱり狙いは『吸血貴きゅうけつき』の領地か。だったら普通に攻めて行ってくれれば、俺たち人間側も楽だったんだけどな」

「ふん、安い挑発だな。確かにあのジジイは、人間に対して甘い魔物の面汚しではあったが、しかしその実力は侮れなかったのでな。まずは万全を期すために下地から埋めていったのさ」

「……それが、コウモリの掌握、か?」


 タタラがそう尋ねると、人型の魔物は喜色に顔をゆがめ、


「ああ、そうとも! ジジイの配下であったコウモリたちは、ジジイの言いつけで多くの血を吸えず、しかもせっかく吸って持ってきた血のほとんどを巻き上げられていた。コウモリたちは集団ならともかく、一個体での能力は低いからな。寝床を与えてくれるあのジジイには逆らえなかったわけだ」

「ってことは、お前がコウモリたちに提示したのは――」

「そう、より多くの獲物を狩る許可を出すことと、安全なねぐらの提供。その代償は、持ってきた血の半分を私に差し出すこと……。これまで少ない血の九割がたを持って行かれていたコウモリたちは、喜んで俺についてきてくれたよ」

「そうやって、『吸血貴きゅうけつき』に渡る血を遮断したのか」

「あのジジイはただそこに存在するだけでも血を摂取する必要があるからな。供給を止めてやれば勝手に餓えて死ぬと思っていたが、そこそこもっていたようだ。おそらく血の備蓄があったのだろうな」


 『節約しなければ生きていけないとは、ずいぶんとわびしい魔神殿だ』と嘲笑いながら、その魔物はゆっくりとその左手をタタラ達の方へと向ける。


「……さて、楽しい楽しい語らいはここまでとしよう。お前たちには恨みどころか感謝しかないが、まあ計画のためとはいえ一時は我が配下にいたコウモリたちを全滅させてくれたからな、仇ぐらいはとってやらんといかん」

「へっ、なんだかんだ言いながら結局そこに持って行くつもりだったんだろうが。取り繕ったって意味ねえよ」

「そんなことはないさ、私は優しい魔物だからな。……だからあのジジイを倒してくれた褒美に、名前を聞いてやろう。名乗れ小僧」


 傲慢な笑みで傲慢な言葉を吐く魔物に対し、タタラは挑戦的な笑みを返す。


「俺はタタラ、タタラ・グレイン。後ろのこいつは『歌姫』マリ・シフォニカだ。よろしくな」

「なんだ、女の方は二つ名持ちか。貴様は持っていないのか?」

「あるけど言いたくないだけだよ。あんな恥ずかしい二つ名、誰が好き好んで言いふらすもんか」


 そう言いながらタタラは森の中を駆け抜ける際に細かい傷から身を護るためのローブを脱ぎ、麻のシャツとズボンに簡単な革で補強しただけの軽装を表に出す。

 そして、そんな軽装の中で唯一の重装備であった物――鞘に納められ腰に下げられた剣の柄に手を置き、ゆっくりと引き抜く。

 一般的な大剣に見えるそれは、華美な装飾などない実用一辺倒の頑丈な作りになっている。

 ただ、その柄だけは、なぜか長めに作られている。

 普通ならば拳三つ分程度でいいはずの柄の長さは、しかしタタラの持つ剣では五つ分ほどもある。

 その点には魔物の方も気が付いたのか、面白そうなものを見つけたような顔を見せてきた。

 だが、タタラはそんな魔物の様子には一切関心を見せず、ゆっくりとその剣を正眼に構える。

 その背後では、マリが静かにタタラの肩へと手を置いた。

 『タタラ……』と不安そうな声色をこぼすマリだったが、タタラはそちらに見向きもせず、ただ静かに魔物の動きを見逃すまいとしていた。

 マリはそれに気が付くと、この状況がそのまま動かないであってほしいというように、タタラの肩にかけた手の力をギュッと強めるのだった。




   ●




 と、表向きはそんなふうに見えていても、裏ではどうなっているかわかったものではないという実例をお見せしよう。

 タタラが見たままの剣士であるのと同様に、マリは魔術師であり、よって『接触している相手との無音声会話』という物が可能である。

 そのため――


『――ちょっとタタラぁ。なぁんで私の事を無視してくれちゃってんのかしらぁ……!?』

『いてえから力込めるのやめろよマリ! 顔に出ちまったらどうすんだ!!』

『あんたこんなか弱い女の子の握力で肩掴まれた程度で何言ってんのよ、馬鹿じゃない? ひ弱くん? 鍛えてるんじゃないの?』

『か弱い女の子は魔術で身体強化かけて男の肩握りつぶすような真似してこねえよ!!』


 といった会話が裏で密かに行われていたのだった。

 思考による会話のため口頭で話すよりも高速で行える会話はその後も数瞬続いたが、さすがにそんな空気が長時間続くはずもないので、


『……で、一発炎をぶちかましてみて、感触はどうよ?』

『かなり固いわね。できればあいつの顔を見るも無残に焼け爛れさせてやろうと思って放った攻撃だったのに、ローブ以外には焦げ一つついてないわ』

『随分と過激な姫さんだな、オイ。……じゃあ、この先どうする?』

言霊(ことだま)だけじゃ埒が明かない。旋律(リズム)を使うわ』

『……まあ、妥当な策だな。で、演目は?』

獄炎賛火(ごくえんさんか)

『っておい、それ、炎歌(えんか)の中でも一番長いやつじゃねえか! やってる間どうやって時間を稼ぐ気だよ!?』

『あんたがどうにかすればいいでしょう』

『無茶言うな! ただでさえ相手は最低でも魔王クラスだぞ。一人で対応できるわけ――』

『だから私も本気を出すために時間がほしいんでしょうが。……まあ、別に強制はしないから、逃げてもかまわないけど?』

『……お前、俺がそんなことできないって、わかって言ってるだろ?』

『ほらほら、そんな事いってる間に貴重な時間がどんどん失われていくわ。ぐずぐずしてると私が死ぬわよ?』

『……ああもうわかったよやりますよやればいいんだろう!? いい加減に人使い荒いよなお前!!』

『そう、それでいいのよ。時は平穏なり、ってね。……しっかり守りなさいよ?』

『わかってるよ。お前を死なせるわけにはいかないからな』

『結構。じゃ、頑張ってね!』




   ●




 硬直した時間を動かしたのは、タタラの肩の上で起こった小さな動きだった。

 ギュッと握りしめられていたマリの手からゆっくりと力が失われ、そして静かに離れて行ったのだ。

 それに伴い、タタラの手元にも動きが生まれ、そして全体にも時間が戻っていく。

 ゆっくりと、しかし確実に剣を握る手に力を込めていくタタラを見て、魔物もそちらに向けている手に魔力を込め始める。

 そして、いつ状況が始まってもおかしくないという段になり、タタラがゆっくりと口を開く。


「……なあ、あんた。名前はなんていうんだ?」

「ん、私か?」


 突然再開した会話に若干面食らいながらも、魔物は反応を返してきた。


「ああ、俺たちにだけ名乗らせておいてあんたが名乗らないっていうのもおかしいとは思わないか? 優しい魔物様?」

「……ふん、本当に口がよく回る小僧だな。いいだろう、教えてやる」


 楽しそうに口元をゆがめながら、魔物ははっきりとした口調で名乗りを上げる。


「私の名は『鉄血公(てっけつこう)』レンサ。いずれ魔神と呼ばれることになる存在だ!!」


 そう叫び、魔物――レンサはタタラ達に向けた左手を握りしめる。

 いきなりの行動に今度はタタラが面食らうが、レンサは不敵に笑い、


「見せてやろう。私が『鉄血公(てっけつこう)』の名を持つ由来をな!!」


 その直後、レンサの手に一振りの剣が現れた。




   ●




 レンサが剣を出した瞬間、動き出した影が一人分、動かなかった影が二人分あった。

 前者はタタラであり、後者はレンサとマリだ。

 さらに後者もタタラの上段からの剣を手に出した剣で受け止めたレンサと、大きく息を吸い込み吐き出す深呼吸を行い始めたマリとに分けられる。

 そしてそのあとの流れは、剣同士を打ち慣らし始めたタタラとレンサ、その戟音にあわせるように涼やかな声で歌を歌い始めたマリの二つに分けられた。


「……何のつもりだ。戦闘を貴様に任せ、援護するのかと思えばのんきに歌など……」

「あいつはああいうやつなんだ。気にすんな」


 怪訝な顔でマリの方を見やるレンサを邪魔するように、タタラは己の剣をレンサに向かって叩きつけ続ける。

 無論剣同士の刃をぶつけては刃こぼれしてしまうので、剣にぶつかる瞬間に柄をひねることで腹による打撃へと切り替えているが、しかし当のレンサ自身はそのような配慮を一切行わずに刃を当て続けている。

 その戦い方に違和感を覚えつつも、タタラは攻撃の手を緩めない。


「……お前、さっきいきなり剣を出したってことは、無機物召喚系の能力持ちか?」

「戦闘中にも関わらず情報収集を欠かさないとは、見上げた心がけだな。素晴らしい。……が、油断して無様を演じてくれるなよ? それでは私が楽しめんからな!」

「楽しむ余裕があればいいな……!」


 右からの薙ぎ払い、上段からの叩きつけ、下段からの逆袈裟。

 タタラが放つそれらの重い攻撃を、レンサはためらうことなく手に持つ剣で受けていく。

 それはレンサの体格に合わせて大きく、しかも剣先から柄尻まで全部が金属製の重厚な両刃の剣ではあったが、それでもこの扱い方を繰り返していればいつかは欠け、あるいは折れてしまう事だろう。

 現にどことなく赤く――(あか)く見えるその刀身は、すでに何か所も刃こぼれを起こしている。


「おいおい、戦いを楽しみたいんだったら、少しは剣の使い方を学んで来いよ」

「その必要はないさ。貴様にもじきにわかる」

「ああ、そうかい……!」


 はぐらかされた恨みも込めて、タタラは攻撃の手をさらに加速させた。

 一つ、また一つとタタラの剣がレンサの剣に叩きつけていくうちに、だんだんと響く音が鈍くなっていき、ついには――


「――よっし!」

「ほう、もう折れたか……」


 キィン、と涼やかな音を立てて、レンサの剣は根元から折れてしまう。

 その刀身のほとんどの部分は折れた勢いのままくるくる回転し、レンサの足元につきささる。

 一歩飛び退いてから相手の武器を無効化できた喜びの声を上げるタタラに、レンサはぽっきりと折れた剣とタタラを見ながら感嘆の声らしきものをこぼす。

 それを聞いてさらに得意になったタタラは、獰猛とも見える笑顔を浮かべながら右手一本で剣を持ち、レンサに向かって突き付けながら勝ち誇る。


「どうだ、思い知ったか!!」

「ああ、思い知った思い知った。貴様は強いよ。私が保証する」


 それに対してレンサはやれやれと言った様子でそう言うと、





「――だから、もう死んでいいぞ」




 折れた剣で切りかかってきた。




   ●




 その巨体に似合わぬ素早さで一気にタタラとの距離を縮めてきたレンサは、己に向けられた剣のすぐ横に立ち、折れた剣で左手による突きを放つ。

 通常ならばタタラの頭を貫く軌道であったが、しかし折れた剣では届かない。

 ……そのはずだったが、


「――ッ、伸び……!?」


 折れたはずの剣は、その断面から新しい切っ先をはやし、元の長さに戻ろうとする。

 そうなってしまえば、タタラを貫いても十分に余りが出る計算になる。

 とっさに付きだされた右腕ごと剣を引き戻すが、それでは到底間に合わず――


「――っく、そがぁ……!」


 引き戻した剣の重さに身を任せるようにして無理矢理体をひねり、頭を反らした半身状態になることで何とかすれすれの回避に成功する。

 眼前を左から右に伸びる剣に震えそうになる身を気合いで抑え込み、そのままお返しとばかりにタタラはレンサの胴体へと引き戻した剣を突き込んだ。

 いくらレンサの懐に潜り込む形になったとはいえ、タタラの姿勢は悪く、狙いも甘いその剣を避けるのはレンサにとって簡単な事であり、タタラも跳び退かせて距離をとることが目的で放った突きだったのだが――


「――ふん!」

「……はぁ!?」


 タタラの突きはそのままレンサの腹に突き刺さり、そして皮一枚を貫いただけで止められてしまった。

 避けなかったことと貫けなかったこと、それら二重の驚きに包まれてしまったタタラを、レンサは残忍な笑みで見下ろし、


「そら、次行くぞ!」


 また剣を左手に出現させ、タタラの頭に向けて振り下ろしてきた。


「――ッこの……!」


 タタラはとっさに剣を強く押す。

 普通ならばそのまま対象に剣を突き刺す行為となるはずのその動きも、攻撃が文字通り『通らない』相手に対して行えば、自分を突き飛ばすのと同じ効果となる。

 そして同時に足へと力を込めれば、タタラの身は逆に背後へと跳び退く事になる。

 マリが変わらず歌い続ける中、タタラは間一髪のところでレンサの剣を回避し、距離を取ることに成功したのだった。


「ほほう、なかなかやる方だとは思っていたが、ここまで私の攻撃をしのいで見せるとは思わなかったぞ」


 余裕に満ちた表情でそんなことを言うレンサに、タタラは極度の緊張により乱れた呼吸を落ちつけながら言葉を返す。


「お褒めにあずかり光栄だが、驚くのはまだ早い。……一度目じゃあ良く見えなかったが、二度三度と繰り返し見せてもらえば、お前の能力についてもある程度見当が付けられる。もうそんな手品は通用しないと思え」


 タタラが言ったその言葉に、レンサは小馬鹿にしたような口調で返答する。


「随分と頼もしい事を言ってくれるが、高々三度見た程度で何がわかると――」

「――あんたが使ってるのは、刀身から柄まで全部が金属製の剣だ。しかもその材質は、重さや固さから言って鉄に近い金属。……色や頑丈さが少し異なるが、そのあたりはお前の魔力でどうにかなったんだと考えられる」


 突然すらすらと話を始めたタタラに驚くレンサにかまわず、タタラは自分の考えた仮説を述べていく。


「そして、かけた剣が断面から伸びて元通りになったこと。その後新しい剣を出したときも、手の中から剣が伸びてきたように見えたこと。これらを鑑みて、俺は一つの仮説を立てた」


 剣を構え直してゆっくりとレンサに近づくタタラは、気迫のこもった目でレンサを見据え、言う。


「お前の能力は鉄の形態操作。しかもその鉄はお前の体の中に蓄えられていて、自由に出し入れ可能。しかも体内で固めて防御にも応用できる。……違うか?」


 静かながらも迫力のこもった問いに、レンサは口の端をゆがめながら、言う。


「……鉄が私の体内に蓄えられていると思った根拠は?」

「最初にあんたが俺の蹴りを避けるために跳び上がり、そしてマリの炎を受けて着地した時だ。あの着地の時の衝撃と音は、お前の体格から考えてもあり得ない。だからお前は体内に大きな質量の物を蓄えているのではないかと考えた」

「体内で固めて防御も、というのは、やはり先ほどの突きを防がれたことからか?」

「ああ、そうだ。いくらなんでも筋肉で俺の剣の突きを防がれるとは思えない。それにあの感触は、固い金属に剣をぶつけた時の感触にそっくりだった。……ついでに、あんたの二つ名である『鉄血公』。これは文字通り『血が鉄になっている』という意味なんじゃないか、と思ったんだ」

「――ふ、ふはは……」


 タタラの話を聞き終わり、レンサはうつむいたかと思えば、


「――ふははははははは……!!」


 いきなり大きな声で笑い出した。


「いいぞ、とてもいい! 戦いの最中にも勝つための方法を探り続ける貪欲さ! たったあれだけの打ち合いで私の能力を看破する洞察力! さらには私の攻撃をすべて回避して退ける勝負勘!! どれもこれも素晴らしいぞ、人間の剣士――タタラよ!!」


 そう言ってひとしきり笑った後、レンサは獰猛な笑みをタタラに向け、


「確かに、お前の言うとおり、私の能力は『鉄の形状を自由に操れること』だ。私の体内には私の体積以上の鉄を蓄えてもあるし、体内であろうが体外であろうが私の魔力に馴染んだ鉄ならば自由に操れる。……こんなふうに、な!」


 レンサがそう叫んだ瞬間、タタラはその場から一歩下がり、同時に剣をブンと振り上げる。

 その最中、ガキンという音がタタラの剣から響き、次の瞬間レンサが後ろに向かって一歩よろめいた。

 見れば、レンサの左肩には先ほどまで折れて地面に突き刺さっていたはずの、剣の刀身が半ばほどまで刺さっていた。


「あんたの能力にあたりが付いたとき、そしてあんたが足元にある剣の欠片に一切触れていないと気が付いたとき、こうなることは予想できた。だからお前とその破片にはずっと注意を払っていたよ」

「……なるほどなるほど、さすがだな。まさか避けるだけでなく、わざわざ打ち返してくるとまでは予想できなかったよ」


 そう言いながら、レンサは右手の刀を地面に突き刺すと、自分の肩に突き刺さった剣の破片に空いた右手をかけ、引き抜く――のではなく、ぐいっと押し込んだ。

 本来ならば自殺行為でしかないそれも、レンサに限ってはそうはならず、ゆっくりとその剣の破片はレンサの体内へと戻って行った。


「素晴らしい、素晴らしいなこの戦いは! 血沸き肉躍るとはまさにこの事! この出会いをもたらしたあのジジイには感謝しきれんよ。……だがまあ、お前の言を補足しなければならないとすれば、それはこの鉄についてだな」


 そう言いながら、レンサは左手に持ったままの剣を掲げ、そして力を込めて見せる。

 すると、先ほどまでかすかだった鉄の赤みが、よりはっきりと目に見えるようになってきた。


「これはもともと普通の鉄だった。私が人間たちから奪い、時には自ら鉱山へおもむき鉱石を喰らい、この体に溜め込んだのが、この鉄だ。そして、この鉄は私の魔力に触れた程度ではこんなふうにはならん」

「……じゃあなんで、ただの鉄がそんな色を……?」

「おいおい、推察はお前の得意分野じゃないのか? 先ほど私に見せた素晴らしい推理力をもう一度見せてくれ。……いいか? 私はコウモリたちから何を受け取った? そしてそれをどのように使ったと思う?」

「……コウモリから受け取ったのは、奪った血の約半分。その血をどのように……? ……血、血、血。……赤い、液体、鉄臭い……鉄? ――まさかお前……!?」


 剣を構えたままぶつぶつつぶやいて考えていたタタラだが、不意に顔を上げてレンサを睨み付けた。

 その様をにやにやと見ていたレンサは、咎めるような視線を嬉しそうに受け、


「どうやら気が付いたようだな。……その通り。この鉄には、人間の血から取り出した鉄を混ぜてある。とは言っても、その量は微々たるものだがな」


 そう言いながら、レンサは剣の形を自由自在に変えてみせる。


「コウモリたちに不信感を与えぬように対価を要求したはいいが、大量に集まってくる血の処分に悩んでな。単純に捨てるのも芸がないし、かといって私にはジジイのように血を飲む趣味もない」


 小さい刃、大きい刃、直刀、曲刀、両刃、片刃と、様々な形に剣を変えながら、レンサは語る。


「だがあるとき、ふとした思い付きで血から精製した鉄を取り込んでみたところ、なぜか鉄と私の魔力とのなじみが良くなってな。それまで以上に操作できるようになった。どういう仕組みで血が媒質となったのかはわからんが、これを利用しない手はあるまい?」

「――てめえ……!!」

「……今私の体には、人間どもの血が――苦痛と怨嗟に満ちた血が、私の鉄と共に流れているわけだ。そう考えると、何やら面白くはないか? 極々一部とはいえ、私には人間と同じ血が流れているのだからな!」

「ふざ、けるな……!!」


 言葉の勢い通りに突っ込んできたタタラの剣を、レンサは左手の剣で難なく受け止める。

 レンサは剣でしのぎを削り合いながら、そんなタタラの様子を嘲笑うかのように言葉を紡ぎ続ける。


「おいおい、ずいぶんと理不尽な怒りじゃないか。私は資源を有効活用したまでで、結果的に人間どもの命を無駄にしなかったのだぞ? 褒められこそすれ、怒られることではないと思うがな」

「ふざけるなって言ってるだろ! 一番理不尽なのは、己の野望のために余計に人間を殺したお前の方だ!!」

「同じことならあのジジイだってやっていたさ。それに、お前ら人間もそうだ。生きるため以上に生き物の命を奪うのと、何が違う?」

「――――ッ!!」

「頭に血を上げすぎだ。――そら、足元がお留守だぞ?」


 そうレンサに言われてタタラが下を見ると、直後にそこの地面がほんの少し盛り上がり、数瞬後に勢いよく鉄の串が地面から飛びだしてきた。

 あわてて一歩下がって回避した直後、タタラは足元に大きな影が差していることに気が付き、急いで頭上に剣を構える。

 するとすぐに体を揺るがすような衝撃が剣から走り、同時に自分が頭上から狙われていたということに気が付く。

 急いで上からかかるその重圧をはねのけ、数歩下がって間合いの外に出る。

 するとその視線の先には、左手の剣を振り下ろし、右手を地面に差した剣に添えているレンサがいた。


「ふん、冷静になるのが随分と速いな。手ごたえはあるが、少々かわい気がない。その頭の良さも理不尽だな」

「………………」


 挑発の言葉に今度こそ耳を貸さないようにしながら、タタラは大きく息を吐き、そして吸う。

 そうすることで自分の頭を冷まし、状況を的確に判断できる自分を取り戻していくのだ。

 その様を少々つまらなそうに見ていたレンサは、形を変えて地中をひそかに進ませ、不意打ちのブラフとして活用していた右手の剣をもとの形に戻すと、引き抜いて肩に担いながら、しみじみと言う。


「――理不尽といえば、先ほどから妙な歌を歌い続けているあの女も理不尽だな。……なんだあの魔術発動までの時間は? いくらただ炎をぶつけるだけの術だと言っても、あれほどの威力ならばそれ相応の呪文詠唱や準備が必要だし、そんなことをしていればさすがの私も気付くのだが、あの時はそんな気配を感じなかった。……あの女、何をした?」


 ちらりと視線をずらし、レンサはタタラの背後にいるマリを見る。

 そこではマリが変わらずに流れるような歌を誰かに聞かせていた。

 胸に手を当て朗々と歌声を紡ぎ続ける彼女は、それだけである種の芸術品にも見える。

 そんなレンサの様子を観察しながら、タタラは剣を構え直して、


「……まあ、不思議に思うのも無理はない。あいつの使う魔術は少し――いや、かなり変わっているからな」


 口を開いて語るタタラの目は真剣そのものであり、レンサが一瞬でも隙を見せればすぐさま切りかかるであろうことは想像に難くない。

 そんな緊張感のある会話を、二人は繰り広げていく。


「そもそも、普通の魔術師が魔術を使う時、世界に満ちる万物の(もと)――精霊をその目的に合わせた形に作り替えるための魔方陣を書き、そこに呼びつけられた精霊に自分の魔力を通してその形を発現させなければならない。……だが、マリは少々特別なんだ」

「特別、というと?」


 余裕の表れであろう、レンサはタタラの言に対し面白げに反応を返した。


「あいつの声は、生まれつき精霊たちに好かれやすいんだそうだ。だから、あいつが一声かけるだけで精霊はその通りに性質を変え、あいつの言うとおりに動く。それ故に魔術の展開スピードも速く、少ない魔力でもそこそこの威力が出せるのさ」

「言葉の通りの魔術を行使できる、か。世の魔術師たちの羨望を集める体質だな」


 炎一つ、水の一滴を出すのにも魔方陣や複雑な計算が必要な魔術師にとって、確かにマリの声は喉から手が出るほど欲しい物だろう。

 だが、


「――だが、良い事ばかりじゃないさ。ただ単純に『炎』と言ったところで、その威力はたかが知れている。しかもこれはあくまで精霊に対する一時的な『お願い』でしかないから、自由自在に操作できるってわけじゃない。せいぜいが狙った相手に向けて真っ直ぐぶつける程度だ」


 『それ故に大きな魔術を行使する際は言葉の数を重ね、してほしい事を正確に告げなければいけないけどな』と、タタラは若干諦めの入った声色で続ける。


「しかも、発動条件が『声に出すだけ』っていう簡単な物だから、制御の甘い幼少期には何度も何度も暴発を起こす。しっかりと制御できるようになるまで簡単な封印処理も施してたそうだけど、それもあいつ成長するにつれて意味をなさなくなってきてな。おかげでちょっと感情が高ぶっただけで周りを燃やしたり凍らせたりしてたよ」

「なるほどな。精霊に対して頭ごなしに命令できる、二つ名の通りの歌"姫"さま、と言う訳か。傲慢な事だな。近くにいる貴様も苦労しただろう?」


 話を理解し、その性質を揶揄するようにそう言ったレンサに、タタラの体がビクリと震える。


「……てめえ、今なんつった? もう一回言ってみろよ。……いや、」


 震える声のままそう言いながら剣から左手を放し、タタラは背後でいまだ歌い続けるマリを指さすと、






「――もう二十回ぐらい言ってやってくれませんかね、あのバカに!!」






「…………………………は?」


 戦場の空気が、その瞬間に凍りついた。




   ●




「大体あいつはいつもいつも偉そうなんだよ! 旅の最中もちょっとしたことでへそ曲げるし、宿屋が汚いとかでギャーギャー騒ぐし、面倒な魔物の討伐は全部俺に押し付けるし、食い物の好き嫌いは激しいし、何かあるとすぐ俺のせいにするし……!」


 苛立ちを隠そうともせず、タタラは声を荒げて言う。


「大体あいつは昔っから無茶苦茶なんだ! 少しでも都合が悪い事や自由にならないことがあるとすぐに言霊コトダマを使って俺を焼こうとしたり感電させようとしたり……! 挙句逃げようとすれば風を使って自分をすばやくした上での無限追いかけっこと来た! お前、その後三日間はろくに動けなくなるほどへとへとになるまで追い回されたことあんのか、あぁ!?」


 ついにはレンサに向かって理不尽な怒りをぶつけ始める始末だ。

 あまりの事態に呆然としているレンサをよそに、左手を柄に戻したタタラは剣を振り上げ、大地を蹴って駆けだした勢いのままそれをレンサに思い切りたたきつける。


「――ぬぉ……!?」


 いきなりの事にあっけにとられていたレンサは反応が遅れたが、それでもなんとかその大振りな攻撃を両手の剣を交差させて受け止めた。

 それに安堵を覚えたのもつかの間、タタラは剣の柄を握る手のうち、刃がある方とは正反対の位置にある――というよりほとんど柄頭近くを握っている左手をグッと下に押す。

 それと同時に刃と柄の境目に近い部分を持つ右手を少しだけ引けば、剣はレンサの剣から離れ、再び持ち上がる。

 そしてそのまま剣を寝かせ、レンサの胸を薙ぎ払うように振るうが、これもまたレンサの剣により防がれる。

 だが、タタラの攻撃は止まらない。

 防がれては違う場所に切りつけ、はじかれてはすぐさま体勢を整えて切りかかる。


「いつもいつもいつも、あいつは俺に対して無理を言ってこき使う。いい加減にうんざりしてんだよ俺は……!!」


 本来ならばその重量故に連続攻撃には向かない大剣を、何か黒い物を吐き出すように叫びながら、タタラは難なく振るい続けていた。


「――っく……!?」


 そんな連続攻撃を、レンサは数歩押されながらも全て両手の剣で防いでいる。

 今までにタタラがレンサに有効打を与えたことはないが、しかしレンサの顔は苛立ちと焦りの色を浮かべ始めていた。


「……なるほど。重い剣を少しでも取り回しやすくするための長い柄か。まともに構え辛くなるはずなのになぜあのような形をしているのかと思えば……!」


 忌々しげにそう呟いたレンサに対し、タタラは表情を怒から喜に変えて、


「へえ、もう気付いたか。……この剣は、俺の目的に合わせて作られた、俺専用の剣だ。若干以上に邪道な剣ではあるが、それでも俺の大切な相棒さ」


 そう言って、タタラはその場から跳び退くように離れ、手に持つ剣をレンサへと掲げて見せながら、


「重い物を少ない力で動かすには、長い棒とそれを支える点があればいい。そんな生活の知恵を取り込み、さらには強化の魔法や俺の村に伝わる錬鉄の秘伝を惜しみなくつぎ込んで作られたこの剣、そう簡単に攻略できると思うなよ?」

 

 挑発的に笑いながらそう言ったタタラは、『それに、』と続け、


「お前もなかなか頭脳派みたいだが、俺もなかなかのもんだぜ? ……その証拠に、お前の弱点も分かったしな」

「……ほう、私のどこに弱点があると――」





「……お前、さっきからなんで俺の剣を、お前の剣で防いでるんだ?」





「………………」


 タタラの問いに、レンサは無言をもって応える。

 その反応を見て、タタラはにやりと口の端をゆがめて、


「やっぱりそうか。さっき俺の剣をまともに食らってもほとんど無傷だったお前が、何でそんな必死になって俺の剣を自分の剣で防いでいたのか。それ以前に、お前が飛ばして俺がはじき返した剣の破片が、なぜお前に刺さったのか。……お前お得意の鉄血防御だったら、全部簡単に防御できたはずだからな」


 そういいながら、タタラは剣をレンサに突きつけながら言う。


「お前の防御は、常に行われているわけじゃない。そもそも、体の中の鉄が常時硬ければ、お前もそんなに機敏に動けるはずがないんだ。だからお前は普段、体内の鉄をやわらかくしておいて、防御のときにだけ硬くしている。しかも、その硬化にもほんの一瞬だけとはいえ時間がかかり、それゆえに不意打ちに対しては無防備をさらす羽目になる。……反論があるなら聞くぜ?」

「……そこまで頭が回るとは、私も予想外だったよ」


 タタラに対し、レンサは静かにそう返す。

 たったそれだけの言葉だったが、肯定の意を含んでいることは間違いない。


「……貴様ほどの知恵者が、ああまで不満たらたらな相手に対して絶対服従か。なぜそんな立場に甘んじている? 貴様あの女に何か弱みでも握られているのか?」


 心底不思議そうにたずねるレンサに、表情を消したタタラは肩をすくめながら答える。


「――だとしたらどうするよ」

「なに、ちょっとした提案をしてみるまでだ。……貴様は黙ってそこに立っていればいい。後は俺が無防備なその女を殺せば、それで貴様は自由の身だ。……悪い話ではあるまい?」

「…………交渉決裂だ。その提案は聞けない」


 無表情のまま、タタラはそう返した。

 おそらくそう返してくるであろうと思っていたレンサは、それでも気になったのか理由を尋ねる。


「何故だ? 貴様にとってはかなり良い条件だと思うがな。黙っていれば自分の弱みを知る人間が一人減るんだぞ?」


 その質問に、タタラは剣を体の脇に構えながら答える。


「なあ腐れ魔族。俺があいつに握られてる弱みって、なんだと思う?」

「は、人間の持つ弱みなど、大抵金か悪事か人質だろう。貴様もそうではないのか?」

「ああ、全然違うな」

「ほう、では貴様はどんな面白い弱みを握られていると?」

「……聞いて驚くなよ?」


 そうつぶやくように言いながら、タタラは大地を力強く蹴り、前へと飛び出しながら剣をたたきつけ、叫ぶ。







「――惚れた弱みだ、文句あるか!?」




   ●




 今度こそ本格的にあっけにとられてしまったレンサは、両手で持つ剣の防御も間に合わず、あわてて大きく飛びのいてタタラの剣をかわす。

 直前まで立っていた場所がタタラの大剣によって抉られたのを見ながら、レンサは言う。


「惚れた、弱み……? まさか、そんな理由であの女と……?」


 つぶやくようなその言葉を聞きつけ、タタラはギロリとレンサを睨み付け、


「そんな理由だぁ? 馬鹿言ってんじゃねえぞ腐れ魔族。あいつのいいところ一つもしらねえくせしやがって。……いいか、あいつはな、笑うと俺好みにすっげえかわいいんだ。それに怒ってない時は小動物みたいに俺に擦り寄ってくるから俺好みだし、料理も実はかなりうまくて俺好みだ。何よりローブの中はなかなかにいい体つきで俺好みだ。さらに――」


 と、いきなりマリの良いところとやらを語り始めた。

 唐突に始まってしまったタタラの話に対し、レンサは呆然と聞いていることしかできない。


「……おい、こら」

「おまけにあいつの長い髪のサラサラ具合といったらこれまた……」


 延々と続くのろけをいい加減に止めようとレンサはタタラに声をかけるが、タタラは無視して話し続けている。

 仕方ないのでしばらく聞いていたレンサだったが、いい加減飽きてきた上に若干同じ内容もループしだしたため、強制的に止めようと動き出す。


「――そろそろ黙らんか……!!」


 振り上げた右手の剣にさらに鉄を注ぎ込むことで大きさと重さを増加させながら、自重に任せて油断しきって熱弁を振るうタタラに振り下ろすが――


「……うるせえ! 今良いところなんだから邪魔すんな!!」


 と、かなり理不尽な叫びと共に、タタラは自分に向かって落ちてくる巨大な剣の側面を、自分の剣で殴りつけることで避ける。

 その勢いのまま地面に落ちた巨大な剣は、地響きとともにその大地と奥に続く森へと斬撃を刻むが、タタラ本人はもちろんの事、いまだに歌い続けるマリも無傷だ。


「――てめえ、せっかく俺がマリの魅力を語って聞かせてやってるのに、なんでおとなしく聞かねえんだ!? これだから魔物ってやつは人間の敵なんだ!!」

「今回に限っては他の人間どもも私の味方をしてくれると思うが、まあいい。……そんなつまらん話はもう終わりにして、とっとと戦いの続きと行こうじゃないか!」


 よほどタタラののろけが退屈だったのか、元の大きさに戻した剣ともう一本の剣を構え、獰猛ながらもうれしそうな表情と声でそう言うレンサだったが、当のタタラ自身は若干つまらなそうな顔で頭をかきつつ、言う。


「……いや、もうこの戦いも終わりだよ。残念だったな『鉄血公(てっけつこう)』レンサ、時間切れだ」




   ●




 唐突になされた終了宣言に対し、レンサはタタラに食って掛かる。


「何を馬鹿な事を……! 戦いはまだまだこれからだろう。互いの能力もわれて、やっと面白くなってきたところで、なぜ戦いを終わらせなければなんのだ! ……まさか逃げる気か!? この戦いはどちらかの死でのみ終焉を迎える物であり、逃亡は許されぬと思え!!」

「おいおい、何勝手に一人で熱くなってんだよ戦闘狂。ついでにさりげなく俺をヘタレ扱いしてんじゃねえこの腐れ魔物。敵前逃亡なんかしてみろ、お前には殺されなくたって、俺がマリに殺されるってんだ」

「なら、なぜだ!? 疲労がたまって体が動かなくなるほど戦ったわけでもあるまい。彼我の実力差に絶望するほどの本気も私はまだ出していない。そんな状況で、なぜ己の負けを認めてしまうのだ!?」

「ついには上から目線でお説教かよクソ魔物。……俺を息切れさせたきゃ三日三晩徹夜で追いかけまわすぐらいの事はしなきゃだめだし、そもそも俺は負けを認めたわけでもねえ」

「……ならば、なぜ戦いが終わるなどと言う? 途中ののろけはともかく、お前との剣戟や頭脳戦には心躍る物があった。できればなるべく長く続けていたいと思うほどに。なのに、なぜ……!?」

「決まってるだろ。……マリの歌がもうすぐ終わるからだ」

「……歌が終わる、だと……?」


 怪訝そうな表情を隠すことなく、レンサはタタラの背後へと目を向ける。

 そこには戦闘開始直後からずっと歌を続けているマリが、今も変わらぬ調子で歌い続けている。

 その歌はレンサ自身初めて聞く歌であったため(もとより人間の文化に興味を持たぬレンサであったので、他の曲ならばわかったかと聞かれればおしまいなのだが)、あとどれくらいで終わるのかということはわからない。

 それでもわからないなりに少しだけ聞いてみると、その歌には一つの特徴があることに気が付く。

 それは――


「――炎を、称える歌……?」


 そう、マリの歌うその歌は、一貫して炎という概念を褒め称える内容だった。


 ――あなたは、生命を導く光にして、万物を滅ぼすモノ

   時にその暖かさで命をつなぎ、時にその熱で命を奪う

   そして命の灰を残し、次の命をはぐくむ苗床とするモノ

   私は、そんなあなたを愛し、誇ります――


 そんな内容の言葉が、独特の流れるような旋律に乗せてうたわれている。


「気付いたみたいだな。そう、あいつがさっきから歌っているのは、題して『獄炎賛火(ごくえんさんか)』。炎を崇め敬い奉る、『炎歌(えんか)』の一つさ」

「……だからなんだというのだ。そんなもの、我らの戦場を彩る余興の一つでしかない。それが終わるからと言って、何も我らの戦いを終える必要は――」

「――さっき、言ったよな? あいつの声は精霊たちに好かれやすい、って。……自分たちが気に入っている声で炎を褒め称えられたら、精霊たちはどうすると思う?」

「……なに?」


 己の言葉へ被せるように放たれたタタラの問いに、レンサは眉を顰める。

 困惑を隠せないレンサに対し、タタラはとびっきりの宝物を自慢する子どものような表情で、言う。


「そんなことをされたら、精霊たちはその言葉を一身に受け止めようとして自分の性質を炎に変え、あいつの近くに集まっていく。――単純で現金な奴らだからな、精霊ってのは」


 『そして、』とタタラは続け、


「そして、それだけ褒め称えられた精霊たちは、短時間ではあるがマリの言う事に対して従順になる。気前のいいことにな」

「……つまり、あの女は――」

「――ああ、戦いが始まってからずっと、お前を倒すための準備をしてたのさ。『言霊(ことだま)』だとでかいのを撃つのに時間がかかる上に単純な攻撃しか出せない。……だからあいつは歌っているのさ。強力無比な攻撃を、的確にお前へとぶち込むために、な」


 『もう一度言うぞ』とタタラは前置きし、


「あいつの歌が終わったとき、この勝負は終わる。――お前の負け、という結果でな」

「……ふん、高々小娘一人が歌った程度で、何ができると――」

「……なあ、そう言えば、なんだかよぉ――」




 ――ここ、暑くなってねえか?




「……ふむ、そう言えば確かに暑くなってきているような気はするが、それが一体なんだと――!?」

「――ホント、下手に頭の回転が速いと大変だよなぁ。……なにせ、自分の死期も悟れちまうんだから、な」


 若干の憐れみを含んだタタラの言葉を無視し、レンサはぶつぶつと呟き始めた。


「……このあたりの気候から考えて、この時期にこれだけの気温上昇が起こるのはいくらなんでもおかしい……。ならば、これを起こしているのは……!」

「そう。今この辺一帯の温度を上げているのは、マリの歌のちから――正確には、マリの歌に引き寄せられた精霊たちのちからだ。あいつ一人の周りにだけ、大量の炎の精霊が集まってるんだ、気温も上昇するだろうさ。……まあ、あいつ自身にはこの熱気は伝わってないんだろうけどな。精霊たちも自分の放つ熱のせいでマリを苦しめちゃいけないってのは理解してるだろうし、何よりそうなったら歌が聞けなくなっちまう。だから、そうならないようにあいつのすぐ近くには近寄らないようにしているはずだ」


 『まあ、周りにいる俺たちには関係ないけどな』と、半分以上諦めたように語るタタラは、額にうっすらと浮かんだ汗を手でぬぐい、そして手に持つ剣をレンサへと向ける。


「これがあいつの真骨頂、『言霊(ことだま)』の弱点を解消した必殺の技法、『旋律(リズム)』だ。発揮する力の規模に比例して歌う時間も多くなるのがネックではあるが、それさえクリアしてしまえば、あいつに敵はない。なにせ、広範囲にいる精霊を集めて支配できるんだからな。」

「……先ほどまで私を一人で引きつけていたのも、妙なのろけを語りだしたのも、全部ただの時間稼ぎか……!?」

「ご名答。ついでにお前の能力を語ってみたり、俺の剣について話してみたりしたのも――というか、さっきの戦いぜんぶがただの時間稼ぎさ。元から俺はお前を倒す気なんてなかったんだからな。……だけどまあ、それももう終わりだ」


 ゆっくりと剣を構え直したタタラは、レンサを睨み付けながら笑う。


「もうすぐ歌が終わる以上、俺の役目はこれで終了。ついでにお前の野望も終了、だ」

「…………まだだ」


 勝ち誇ったように話すタタラに、レンサはうめくように答える。


「――まだだ! あの女の『旋律(リズム)』とやらが完成する前にあの女を殺せば、それでいい。無防備な女一人切り捨てることなど、簡単だからな……!!」


 そう叫ぶと、レンサは両手の剣に更なる鉄を注入し、より大きな剣とした。

 それを振りかぶり、一直線にマリの元へと突き進んで行く。

 そしてそれは、必然的にその間にいるタタラへと近付くという事であり――


「――そこを退け、剣士よ……!」

「退く分けねえだろ、馬鹿魔物。あいつを守るのが、俺の役割だ……!」


 互いの剣が激しい音を立てて激突する。

 向かってくる二本の剣を一本の剣で防ぐタタラは、しかし表情に余裕を持っている。

 対するレンサはもはや先ほどまで持ち合わせていた余裕など欠片も感じさせない程に焦った動きで両の剣を振るい、タタラを吹き飛ばそうとする。

 それをタタラは時に受け止め、時に受け流しと、的確かつ最小限の動きで防いでいた。


「――いい加減にそこをどけ、人間の剣士よ……!」

「おいおい、口調も崩れて地が出始めてるぜ、野蛮魔物。……どけって言われてどくほど素直じゃねえんだよ俺は……!!」


 何度も何度も響く鉄同士の激突音は留まるところを知らない。

 大男に対して防戦一方のタタラと、体格で劣る者を二刀流で押しつぶそうというレンサ。

 はたから見れば、二人の勝負は一方的な物として映ることだろう。

 しかし、実際にはそうではなく、レンサはタタラとの激突後、一歩も前へ進めないでいた。


「――っクソが。防ぐだけで攻撃もろくにしてこねえくせに、なんて『堅さ』だ……!」

「――ったりめえだ! あいつの真骨頂が歌なら、俺の真骨頂は、むしろ防御(こっち)にある! ガキのころからあいつの嫉妬に満ちた魔法攻撃を日常的に喰らう日々を過ごしてみろ、大抵の攻撃は防げるようになるってもんだ!!」


 レンサの攻撃は四方八方からタタラを襲う。

 それに対し、タタラは剣をさまざまに持ち替えて、その体に向かう攻撃を防いでいく。

 時に逆手持ちで胴への薙ぎ払いを受け止め、時に順手持ちで上段からの唐竹割りを打ち払う。

 長い柄を利用した、ある種の曲芸のような戦い方だった。


「だいたい、あいつは俺に対して厳しすぎるんだよ! ちょっと村の女の子とあいさつしただけで雷降らしてくるし、あいつとの会話中に他の事を考えただけでも氷漬けにされる。挙句の果てに誰かと手をつないだだけで一週間以上獄炎を纏ったあいつに追い掛け回されるんだぞ!?」


 絶え間なく降りしきる剣戟を全て防ぎきりながら、タタラは舌をかむことなく己の苦労話を語る。


「……まあ、そのおかげでこの防御能力とスタミナが手に入ったのは、皮肉っちゃ皮肉だけどな。しかも、あいつを守る盾となって剣を振るう俺に対してついた二つ名が、またひどいんだぜ?」


 笑いながら、タタラは己の代名詞となる二つ名を告げる。


「あいつをまもって守って護り抜いて、その戦い方から付いた忌まわしい名前が『守護堅士(しゅごけんし)』ってんだ。……皮肉が効いてて愉快だろ?」


 『守り抜く』というその名の意味を、タタラは今こそ発揮した。

 剣が増えたのかと思ってしまうほどの高速突きに対しては、最低限の剣の動きによるガードを、

 巨大な剣による受け止めきれないほどの大質量斬撃に対しては、剣の腹に一撃を喰らわせて逸らすことにより回避を、

 大地からいきなり生えてくる鉄の杭に対しては、跳び上がっての回避を行った。

 そして、ついに――


「――タタラ、今すぐそこから離れなさい」


 歌姫の出番がやってきた。




   ●




 蒸し暑い中に響いた涼やかな声を聴いた瞬間、今までその場からほとんど動かなかったタタラが、声の聞こえた方向に振り向くことなく跳び退いた。

 その瞬間に剣を振ったレンサは、今まで受け止められていた剣を空振りしてしまったためにつんのめり、そしてすぐにその事態を起こしたと思われる声の主の方を見る。

 するとそこには、ここに来た時と何ら変わらぬマリが、不敵な笑みを浮かべて立っていた。


「……さて、私のタタラを散々どつき倒していじめてくれたあなたには、たっぷりとお礼をしてあげなきゃね。とりあえず、お熱い物でもどうぞ?」


 と、軽い調子で差し伸べられたマリの手のひらから、いきなり炎の弾が現れ、レンサに向かって飛んで行った。


「――ッなめるな!!」


 マリの拳程度の大きさの炎弾に対し、侮られたと判断したレンサが手に持つ剣を投擲する。

 その剣は炎弾を砕き、マリを貫く軌道を取っていて、このままいけば無防備にたたずむマリの命は儚く散ってしまうであろうが、それを目の当たりにしても当のマリは不敵な笑みを浮かべたままであるし、その隣に立つタタラも剣を構えようとはしていない。

 そして、剣と炎はぶつかり合い――


「なに……!?」


 ――剣が掻き消えた。


「……あら、せいぜい溶けるぐらいだと思ってたのに、まさか蒸発しちゃうだなんて……。あなた、いったいどれだけ質の悪い鉄鉱石を食べてたの?」


 口に手を当てて小さく驚きの言葉を上げているマリを、レンサは呆然とした様子で見ていた。

 それも当然だろう。

 少女の拳ほどの大きさしかない炎に、鉄が触れただけで蒸発するほどの熱量が秘められているなどと、誰が思うだろうか。

 しかも、マリ自身は今の攻撃に対してそこまでの力を込めていなかったらしい。


「――ッこのクソガキがぁ……!!」


 どこまでも己を馬鹿にしてくるマリに対し、レンサは剣を何本も作りだし、連続で投げつけていく。

 それらは全てマリの体を貫こうと空を駆け、しかし、


「あら、お返しだなんて、気にしなくてもいいのに……」


 という言葉と共にマリが手を一振りしただけで、その体を貫く前にすべて蒸発させられてしまう。

 とても丁寧な、しかし小馬鹿にしているのを隠す気もない口調でそう言われ、レンサはますます投擲の速度と密度を上げていく。

 一直線に、弓なりに、空に昇ってから落ちるように。

 さまざまな軌道を描いてマリへと殺到する剣群を、さらには前触れなく足元から飛び出る鉄の杭を、しかしマリはその場から動くことなく、すべて消滅させていく。

 ならば、と趣向を変えてレンサが作り上げた大質量の剣も、ぶつかる瞬間にマリの周囲だけ蒸発し、変な形の剣となってしまう。


「――――っく……!!」


 その段にいたり、レンサは自分に勝ち目がない事を思い知り、歪な大剣を地面に勢いよく叩きつけ、その衝撃に乗じて悔しそうなうめき声と共に退散しようと踵を返した瞬間、


「……あら、あなた確か、『この戦いはどちらかの死でのみ終焉を迎える物であり、逃亡は許されぬと思え』とか言ってなかったっけ?」


 という若干のんきにも聞こえる声と共に、真っ赤な炎の壁が森の中の草原を包み込むように展開された。

 あわてて立ち止まり、手に出した剣をぶつけてみるも、その壁に触れた瞬間に掻き消える。

 ならばと跳躍して乗り越えようとするも、壁の高さはどんどん増していき、どんなことをしても乗り越えられない高さとなってしまう。


「――――――ッ!!!」


 勝機は完全になくなり、退路も断たれ、レンサは憎悪を込めた視線をマリに、そしてその隣に立つタタラにぶつける事しかできなかった。

 と、その視線を受け止めたタタラが、腰の鞘へと剣を納めつつ、声を放つ。


「じゃあな、『鉄血公』レンサ。お前との打ち合い、なかなか楽しめたよ」


 そこまで言うと、となりで掌をレンサに向けているマリをちらりと見たタタラは若干気の毒そうな表情を浮かべて、


「……まあ、なんだ。お前――」




 ――体が一片でも残ったら奇跡だと思うぜ?




「――っクソがぁぁぁぁああああ!!!!」


 雄叫びと共に生み出された無数の剣群と共に、レンサはマリの放った特大の炎を受け、かけらも残さずに消滅した。




   ●




 戦いを終え、マリが精霊たちにお帰り願っている(本人曰く『付きまとわれないように追い返している』)間に、タタラは戦場となった森の中の草原を見て回っている。

 あれだけの気温上昇や炎弾、さらには炎の壁を創り出したのだ。万が一とはいえ、そこらに炎の欠片などが残っていては大火事になってしまう。

 完璧なようでどこか抜けているお姫様の後始末も、タタラの仕事の一つだった。


「――タタラーーー!!」


 と、粗方見回りが済んだところで、マリの声が響いてきた。

 タタラが自分を呼ぶ声に反応して振り向くとそこには精霊たちを追い返し終わったのであろうマリが、自分の方へと向かって駆け寄ってくるのが見えた。

 その姿勢は両手を大きく広げた物で、表情は若干の不安を含んだとてもうれしそうな物だ。

 このままいけば、勢いよく飛びついて抱きしめられるのだろう。

 そう考えて、タタラは衝撃に備えて腰を少しだけ落とし、踏ん張る姿勢のまま両手を広げ、




「――大地よ、縛れ!」



 と、マリの叫びに応じ、いきなり地面から土でできた手が生えてきて、タタラは両足首をがっちりと掴まれた。

 『……え?』と首をかしげる暇もなく、身体強化を施したマリは全速力でタタラへと駆け寄り、その膝に片足を乗せて段差を上るようにしながらもう一方の足による膝をタタラの顔へと突き込む。


「――シフォニカ家の女に代々伝わる秘奥義、対近接用魔術『輝ける魔術師』!!」

「――ぅぐはぁぁあああ!?」


 技名を叫び、放った後も空中でくるりと見事な後方宙返りを決めて着地したマリは、鼻血を垂らしながら無様に倒れ伏すタタラをビシリと指差して、


「なにふざけた戦い方してんのよこのバカタタラ! いくら時間を稼ぐためとはいえ、あんなことまで話す必要なかったでしょ!?」 


 と言い放った。

 対するタタラはしばし悶絶したのち、起き上がって、


「さ、最初に無茶な要求したのはお前だろうが! 俺は必死で時間を稼ごうと手を尽くしたじゃねえか! その結果しっかりお前が歌い終わるまで手を出させなかっただろ!?」

「結果はともかく、その手段をもう少し考えろって言ってんのよ! なんでいきなりのろけ始めるの!? それを歌いながら聞かされる私の身にもなりなさいよ、途中で数回とちりそうになったんだからね!!」

「戦場で歌を歌ってるお前を目立たせないためには、俺がなんとかして目立つしかなかったんだよ! だからあいつにあわせて中途半端な知恵者を演じたし、ギリギリの勝負で楽しませたし、のろけ話で馬鹿を演じたんじゃねえか!!」

「しかも何よ最後のアレは!?私の歌が完全に終わってない段階でネタばらしって、私を殺す気!? あの段階だと精霊たちを完全に御せきれてないから、攻撃されても防御できなかったのよ!? 普通ああいうネタバレって、こっちの準備が完全に済んでからじゃないの!?」

「あの時はちょうど勝負の仕切り直しで、あいつの頭が冷静になってたんだよ! だから下手すればお前の事にも気づいてたかもしれねえ。だからあえてばらして焦らせることで、冷静な思考力を奪ったんだ!! そうでもしなきゃ、あいつはお前ごと俺をつぶしにかかってきてたぞ!?」


 その後も少しの間言い争い、最終的にマリの拳によって地面に叩きつけられて黙らせられたタタラは、近くに座り込んで一息ついているマリに向かって、つぶやくように言う。


「――今回の討伐で、どれくらい稼げたと思う?」

「弱っていたとはいえ、有名どころの魔神を一体と、自己申告だけど魔王を一体。……おじい様の言った額にはだいぶ近づくはずだと思うけど……」

「……だけど?」

「……この地域、荒れるでしょうね」

「……だろうな」


 この場所はもともと一体の魔神によって支配されていた地域だ。

 その支配者が消え、新たな支配者となろうとしていたレンサもいなくなった今、この広大な土地は空白の物となっている。

 周囲の有力者ならば、人間・魔物問わずに喉から手が出るほど欲しい物だろうし、そのための争いも起こるだろう。


「……でもまあ、それは俺たちにあんまり関係ないからなぁ……」

「それは、そうかもしれない、けど……」

「マリ。俺たちが何のために旅してるか、わかってるだろ?」

「……わかってるわよ。でも……!」


 頭ではわかっていても、心が許していないのだろう。

 絞り出すようにそう言ったマリは、両膝を抱えるように座り込み、そこに顔を埋めてしまう。

 あきらかに落ち込んでいることを表現しており、よくよく耳を傾ければ、すすり泣くような音も時折聞こえてくる。

 それを間近で聞いているタタラは、しばしの無言の後起き上がると、頭をガシガシとかきながら、


「……要はここの争奪戦が始まる前に強い奴が支配してしまえばいいんだろ? だったらいち早くそう言う団体にこのことを知らせちまえばいいんだ。……この間王女様をお助けしたメサルカル王国だったら申し分ないだろうから、もう一つ貸しを作っとけばいい。……今回の報酬を少し寄付すれば、迅速に動いてくれるだろうしな」


 そっぽを向きながら若干照れくさそうにそう言ったタタラの背中に、ポフン、と暖かい重みがかかる。


「――タタラ……!」


 タタラの背後から覆いかぶさるように抱きついたマリは、ゆっくりと、しかし力強くタタラを抱きしめ、体重をかけていく。

 当のタタラは、背中に感じるぬくもりで顔をさらに赤らめ、そしてすぐにハッとして真っ青になると、


「――ってバカ、早く離れぎゃぁぁぁああああ……!?」


 いきなり電撃に包まれ始めた。


「離せ! 頼むから! 離してくださいマリさまぁぁぁあああ!!」


 と、叫びながら懇願するタタラに構わず少しの間そのまま抱きついていたマリは、気が済んだのかパッと離れる。

 その瞬間、タタラに対する電撃は止み、後にはプスプスと煙を上げながらうずくまるタタラと、それを見下ろすマリがいるだけだった。


「――って、いきなり何しやがる!?」

「相変わらずおじい様のかけた呪いは折檻に便利よねぇ。『下心を持ったまま私に触れると電撃が流れる呪い』って、要するに抱きつけばそのままお仕置きになるってことだし」


 うんうんと頷きながらそう言ったマリは、ついでタタラに向き直ると、


「大体、そういういい案があるのならなんでさっさと言わないのよ! おかげでしなくていい泣き真似しちゃったじゃない!!」

「お前やっぱり嘘泣きか!? どうりでおかしいと思ったんだ! しかもお仕置きの理由が滅茶苦茶理不尽だ!!」


 ぎゃいぎゃい言い合った後、マリのボディーブローがダイレクトヒットしたことにより、タタラは沈黙した。

 しばしの悶絶から再び復活すると、タタラは呆然とした様子で言う。


「……あーあ、これでまた目標の金額から遠ざかったな。一体いつになったら耳揃えてあのジジイの眼前に叩きつけられることやら……」

「あんたがいらないところで無駄使いするのがいけないんでしょう? この間だって、報酬のほとんどを見ず知らずの人にあげちゃったじゃない」

「サルドン国での話か? アレはああして用心棒を雇わせないとすぐに焼打ちにあうからって、お前がだだこねた末の解決策だったろ?」

「マンダ村でも報酬を受け取らなかったし」

「貧困を極めた村だったのに、無理して依頼を出した末の報酬を村娘売り払って都合しようとしてたんだぞ? そんな金受け取れないってお前が言い出したんじゃねえか」

「ココメの集落では、最初から無償で盗賊退治なんてやり始めるし」

「女の子の泣き声を無視できなかったお前が盗賊を根絶やしにしろって俺を脅したんだったよな? ……っていうか、目標金額になかなか辿り着かないのって大体お前の――」

「――タタラのそういう優しいところ、嫌いじゃないわ」

「ああ、俺もお前が大好きだ」


 そう言ってしばし笑いあうと、タタラはじっと自分の胸のあたりを見て、


「……なあ、俺にかけられたこの呪い、上手く解く方法はないのか?」

「それ、何度も何度も聞かれてるけど、今回も答えは同じ。……ないわよ、そんな便利な方法」

「お前、村では『百年に一度の大天才』だって評判じゃなかったか?」


 余計な事を言ったタタラのこめかみに鋭い一撃を加えたマリは、肩をすくめて、


「……正確には、上手くなくていいのなら解く方法はある、ってところね。解呪だけなら一瞬で行える。……でも、それを私が行わない理由も、説明したわよね?」

「ああ、『単純な作りの呪いだから、その式にはどうしても術者の癖が出る。だから、一度解いてしまえば同じ式でかけ直すことは不可能』、ってことなんだろ? まったく、あのジジイも念の入ったことを……」

「仕方ないじゃない。『こちらの指定した金額を耳をそろえて用意すること』『旅の間、マリに一切手を出さないこと』『マリを絶対に守り抜くこと』。この三つが、私達の結婚をおじい様たちに許してもらえる条件だったんだから。……タタラだって、それに了承したからこうやって旅をしているんでしょう?」

「ああ、この呪いは、俺の行動をいさめるための物であるのと同時に、俺の潔白を証明するための物である、っていうんだろ? ……わかっていても、つらいもんだよ。目の前にいるお前に触れないなんて」


 そう言いながら手を伸ばし、しかし触れる直前で手を止めるタタラに、マリはクスリと笑い、


「そういうタタラだから、私は好きになったのかもね」

「……今でもそれが不思議でしょうがねえよ。なんでお前は俺を気に入ったんだ? 俺とお前の出会いって、森の中で俺が小刀突き付けたのが始まりだぜ? 普通怖がって二度と近付かねえもんだろ?」

「ああ、それは仕方ないわよ。その時の私からしてみれば、タタラは『キラキラした不思議な物を差し出してくれたお兄さん』だったんだもの」

「……あのころから今のお前は始まってたんだな。良くわかったよ」


 呆れたようにそうこぼすタタラを、マリはじっと見つめて、


「でも、あなたを好きになったのは、もっと後。同年代の男の子たちにからかわれていた私を、あなたが守ってくれたから。同じ村の人さえ怯えるほどの厄介な力を持て余していた私のそばに、いつもあなたがいてくれたから。私のちからが暴走したのに巻き込まれたときも、傷だらけになりながら『お前を受け止められるぐらい、強くなってやる』って言ったから……」






「――だから私は、強いあなたの、強くなったあなたの子を産みたいと思ったの」





 優しげに微笑みながらそう言ったマリから顔をそむけながら、タタラはこぼす。


「………………ふん。そのころに比べたら、ずいぶんとかわいげがなくなったもんだな」

「その分きれいになったでしょ?」

「……言ってろ」


 吐き捨てるようにそう言ったタタラは、立ち上がると近くにあったローブを身にまとい、歩き出す。


「――行くぞ、マリ。とっとと依頼を片付けないと、いつまでたっても報酬(おまえ)が手に入らない」

「……そうね」


 タタラの言葉に促され、マリも立ち上がる。

 ローブの汚れた部分を叩いてほこりを落とすと、フードをかぶり直してタタラの斜め後ろに並び、歩幅をあわせて進んで行く。


「……次は、西の山に生息する邪龍の角と牙を取りに行かなきゃね」

「そうだな。……ったく、親父も無茶言いやがる。『お、なんだ。おめえら旅に出るのか? だったらちょっとこれ取ってきてくれや』って軽いノリでいくつもいくつも武器の材料提示しやがって。おかげでこれも任務になっちまったじゃねえか……!」

「まあ、集める過程である程度お金も稼げるし、ちょうどいいと思いなさいよ」


 苛立ち交じりの声を上げるタタラに、珍しく慰めるような声をかけるマリは、ポンと前にいるタタラの肩に手を置くと、


「ちゃんと私を護ってね? 私だけの『守護堅士』さん?」

「……ああ、わかってるよ。だから俺から離れるなよ、愛しの『歌姫』さま」


 そう軽口を叩きあい、二人は進んで行く。

 互いを手に入れるために。




   ●




 二人が村に帰り、祝言を上げるまで、後三年と半年。


 マリが、初恋の人の面影を受け継ぐ子どもを産むのは、その一年半後。


 その誕生があまりにも嬉しすぎて暴走したマリの祖父と父を、マリとその母がぶちのめして静かにさせるのは、その十数分後。



 その後も、物語は続いていく。

 人間がいる限り、つながりが絶えない限り、永遠に。


 そして舞台は、百年後のある場所へ――

とまあそう言う訳で、読了お疲れ様です。

ここまで来るのは大変だったと思います。

途中で投げ出さずにここまで来ていただき、本当にありがとうございます。


拙作は、以前私が書いた作品の後日譚、とでもいうべき構成となっておりますが、実際にはそれぞれが独立しており、『両方読めばクスリと笑える部分がある』という程度の物です。

ですので、前のお話を読んでいないからといって、お話が分からなくなるということは有りませんので、ご安心くださいませ。


また、この作品に関しての御意見・ご感想・誤字脱字報告・筋の通った批判等々御座いましたら、何でも遠慮なく感想欄やメッセージ等でお知らせくだされば幸いです。


また、最後になりますが、

ここまで読んでくださったあなたに、最大限の感謝を。


またいずれどこかでお会いしましょう。

では、失礼いたします。



↓同じ企画に参加された、他の作者様の作品です。ぜひ読んでみてくださいませ。↓



第三回小説祭り参加作品一覧(敬称略)

作者:靉靆

作品:僕のお気に入り(http://ncode.syosetu.com/n6217bt/)


作者:月華 翆月

作品:ある鍛冶師と少女の約束(http://ncode.syosetu.com/n5987br/)


作者:栢野すばる

作品:喉元に剣(http://ncode.syosetu.com/n6024bt/)


作者:はのれ

作品:現代勇者の決別と旅立ち(http://ncode.syosetu.com/n6098bt/)


作者:唄種詩人(立花詩歌)

作品:姫の王剣と氷眼の魔女(http://ncode.syosetu.com/n6240br/)


作者:一葉楓

作品:自己犠牲ナイフ(http://ncode.syosetu.com/n1173bt/)


作者:朝霧 影乃

作品:封印の剣と異界の勇者(http://ncode.syosetu.com/n8726br/)


作者:てとてと

作品:ナインナイツナイト(http://ncode.syosetu.com/n3488bt/)


作者:葉二

作品:凶刃にかかる(http://ncode.syosetu.com/n5693bt/)


作者:辺 鋭一

作品:歌姫の守り手 ~剣と魔法の物語~(http://ncode.syosetu.com/n5392bt/)


作者:ダオ

作品:ガリ勉君が聖剣を抜いちゃってどうしよう!(http://ncode.syosetu.com/n5390bt/)


作者:電式

作品:傀儡鬼傀儡(http://ncode.syosetu.com/n5602bt/)


作者:舂无 舂春

作品:ライマレードの狂器(http://ncode.syosetu.com/n5743bt/)


作者:小衣稀シイタ

作品:剣と争いと弾幕とそれから(http://ncode.syosetu.com/n5813bt/)


作者:ルパソ酸性

作品:我が心は護りの剣〜怨嗟の少女は幸福を知る〜(http://ncode.syosetu.com/n6048bt/)


作者:三河 悟

作品:復讐スルハ誰ニアリ(http://ncode.syosetu.com/n6105bt/)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 王道のファンタジーでありながら、物語がしっかりと組みあがっており大変面白く思いました。 他の方々がなかなか変化球を投げてくる中で、直球が中心にずしっと来たので凄くよかったと思います。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ