第三章:冷やしチョコ王と、パーシャル室の謁見
シナモン砂漠の泥濘を抜け、北へと進むにつれて、湿った風は次第に鋭く、冷たいものへと変わっていった。 カロンとソルが辿り着いたのは、霧の中にぼんやりと浮かび上がる巨大な白い氷砂糖の城――「アイスシュガーシェルター」だ。
「わぁ……大きい……!ねぇソル、あそこならきっと、みんなふにゃふにゃにならずに済んでるんだね」
カロンは寒さに身を震わせながらも、希望に目を輝かせた。だが、ソルの表情は険しい。彼は無言で自分の分厚いマントを脱ぐと、カロンの頭からすっぽりと被せた。
「浮かれるな。あそこにいるのは、湿気を嫌って閉じこもった臆病者共だ。……お前のような『温かい』存在が歓迎されるとは限らん」
ソルの予想は的中した。シェルターの巨大な門は、湿気で劣化したゴムパッキンが癒着し、固く閉ざされている。門の隙間から、冷たいミントキャンディの門番が冷淡な声を響かせた。
「帰れ、旅人よ。ここは選ばれた『冷たいお菓子』だけの楽園だ。特にその……キャラメルなどという、温まればベタつき、冷えれば固まる不安定な者は、秩序を乱す。立ち去れ」
「ひどい! 私、おじいちゃんの友達のチュロじいに、王様に会えって言われて来たんだよ!」
カロンが門を叩くが、門番は鼻で笑うだけだ。
「……おい」
ソルの声が、周囲の空気をピリつかせた。
「今、誰をベタつくと言った? ――溶けろ」
ソルが指先を鳴らした瞬間、門の継ぎ目に極低温の青い炎が走り、癒着したパッキンを一瞬で焼き切った。さらにカロンが、隙間に熱々のキャラメルを流し込み、外の冷気で一気に硬化させる。キャラメルが固まる際の強力な収縮力が、巨大な鉄の門を「パキン!」と内側から引き剥がした。
「開いた! 行こう、ソル!」
呆然とする門番を尻目に、二人は城の最深部、温度が常に一定に保たれた「パーシャル室」へと突き進んだ。
そこに鎮座していたのは、カカオ含有率90%を誇る、真っ黒でツヤツヤした板チョコの体を持つ「冷やしチョコの王様」だった。彼は氷の椅子に深く腰掛け、眉間を険しく寄せている。
「……何奴だ。私の聖域に、このような『熱』を持ち込む者は」
王の声は、氷の粒がこぼれ落ちるような硬い響きだった。しかし、よく見ると王様の自慢の黒い体には、白い粉を吹いたような斑点が浮かび上がっている。湿気の侵入によって、チョコの中の脂肪分が浮き出る「ブルーミング」という現象だ。
「王様、大変! お顔が真っ白だよ。これじゃ、せっかくの知識が台無しになっちゃう!」
カロンが駆け寄ろうとすると、王様は怯えたように身を引いた。
「寄るな!娘よ、お前の体温が、私の組成を壊してしまう……。私は、私が溶けることが何よりも恐ろしいのだ。このまま白く濁り、風味が失われ、虚無へと帰るのを待つしかないのだ……」
「大丈夫、私が直してあげる! ソル、協力して!」
カロンは、カバンから一枚のアーモンドスライスを取り出した。彼女はそれを魔法で鏡のように磨き上げると、ソルの青い火の熱を、そのアーモンドの鏡で反射させた。直接触れるのではなく、光の熱を絶妙な角度でチョコの表面に当てる。それは、温度を一度だけ上げ、再び最適な速度で冷やす――「テンパリング」の高等技術だった。
「固まれ、おいしくなーれ……ピカピカになーれ!」
カロンの集中力に合わせて、ソルの火が繊細に揺れる。王様の体に浮き出ていた白い斑点が、魔法のように消え去り、漆黒の輝きが戻っていく。
数分後、そこには鏡のように自分の顔が映るほど、美しく磨き上げられたチョコの王様が立っていた。
「……おお。この口溶け、この艶。失われていた私の威厳が、戻ったというのか……」
王様は自分の腕をなで、感嘆の息をついた。そして、カロンの手をそっと取ろうと身を乗り出した。 「素晴らしい。カロンと言ったか。お前を私の『専属修復師』として迎えよう。この冷たい城で、永遠に私を磨き続けるのだ。お前のその熱、私のためにだけ使いなさい」
「え……? ずっとここに?」
カロンが戸惑った瞬間。
――ドォォォォン!!
王様とカロンの間に、巨大な火柱が上がった。
「……おい、板チョコ」
ソルの瞳は、王様の冷気を凌駕するほどの怒りで凍りついていた。彼はカロンの腰を引き寄せ、自分の背中に隠すようにして王を睨み据える。
「その汚い手で、カロンに触れるな。こいつが考えていいのは、今日のフロランタンの焼き加減と、俺の機嫌のことだけだ。……お前のそのツヤ、今すぐドロドロの泥水に変えてやろうか?」
「ひ、ひぃっ! 冗談だ、ただの冗談だ!」
王様は椅子の後ろに隠れ、ガタガタと震え上がった。
「もー、ソル!王様をいじめちゃダメだよ。……王様、お礼はいらないから、レシピの続きを教えてほしいの」
カロンに嗜められ、ソルは忌々しげに舌打ちをして火を消した。王様は震える手で、古い書物を取り出した。
「……わかった。お前たちが探しているのは、伝説のレシピの『最後の欠片』だな。それはここにはない。さらに北、永久凍土の果てにある『クリスタル・フリーズ神殿』……。そこに住まう『氷菓の巫女』が、レシピを凍らせて守っている。だが、そこはあまりに冷たく、並大抵の絆では、魂まで凍りついてしまうだろう……」
「巫女様……。ソル、行こう! 二人なら、きっと寒くないよ」
カロンが笑顔でソルの手を握ると、ソルの怒りは一瞬で霧散した。彼はカロンの手をぎゅっと握り返し、ぶっきらぼうにマントの襟を立ててやった。
「……行くぞ。板チョコの言うことなど気にするな。お前が凍る前に、俺が世界ごと焼き尽くしてやるからな」
二人は、冷たい城を後にした。 目指すは、すべての音が凍りつく死の世界。そこで二人は、自分たちの絆の「真の味」を試されることになる。




