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怪しいバイト、行ってみた  作者: 濃霧
謎の男と不思議な縁があるようで
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第4話

 男はぼそりと呟くと、また黙り込んだ。


 なんだって、なんだ。透は少しムッとしたが、声には出さなかった。顔には少し出した。


 男は目に見えてくたびれていた。無精ひげが伸び、髪が縦横無尽に跳ねている。目の下はくっきりと黒く、青ざめていた。


 透はまるで鏡を見ているような、変な気分になった。この人も、眠れていないのだ。

 もしかして、いわゆる社畜ってやつか。


 数年後の自分が働いているところなど、透にはまったく想像がつかない。就活なんて面倒だし、社会人なんて向いてない。


 仮に80歳まで生きるとして、あと約60年。そんな途方もない時間を、今のようにやり過ごせるだろうか。


 歳を1つとるたびに、親知らずが伸びるときのような痛みを感じる。


 高校1年生から襲うようになったこの痛みは、兄の年齢に追いつき、追い越していく痛みだ。


 ふとしたときに、透はこの痛みを取り除きたい衝動に駆られる。


 今後の60年間、何度もやってくるだろうこの衝動を、抑えることができるだろうか。


 透はだしぬけに、目の前にいるこの人に洗いざらい話し、「どう思いますか」と聞いてみたくなった。

 どんな答えが返ってくるだろうか。変な奴だと思われるだろうか。


 尋ねる勇気もないのにそんなことを考えるのが、透の癖だった。

 もしここで大声を出したら。もしこれを落として割ったら。


 透の思考の大部分は「たられば」に費やされているといっても過言ではない。


 透の無邪気な視線に気づいた男が、顔をしかめた。男の目に若干の苛立ちと拒絶が滲んでいるように感じて、透は身を固くした。


 時刻表を横目で確認すると、バスが来るのは五分後だった。このバスを逃すと、次が来るまでかなり待つ羽目になる。


 透はタクシーの中で口を開けて居眠りをする運転手や、やたらと飛び跳ねる鳥に意識を向け、ここから離れたい気持ちをぐっとこらえた。


「そんなにひどいか」


 男がまたぼそりと呟いた。かすかな声量だったが、神経を尖らせていた耳には明瞭に届いた。


「何も言ってないですよ」


 情けない声になっている自覚があった。兄だったらもっと堂々と接するだろう。それどころか打ち解けて、友達になってしまうかもしれない。


「君の目がひどい顔だと言っている。君も相当だが」


 男は声を荒げることなく、淡々と喋った。それがむしろ不気味だった。


「ですよね」


 透はなるべく自然なトーンを意識して返した。


「さっきも大丈夫かって言われました」


 しかも初対面の相手に、だ。愛華は彼女のことをよく思っていないようだが、彼女が透を気遣う様子に嘘は見えなかった。


「悪夢を見るか?」


 脈絡のない問いかけに、透はぎょっとした。悪夢かどうかは甚だ微妙だが、夢のせいであることには間違いなかった。

 眠れないわけではない。むしろ、眠りにつくのは早いのだが、夢のせいですぐに飛び起きる。


 睡眠不足を訴える人は、大抵、就寝時間の遅さや寝つけないことが原因ではないのか。なぜそうでないとわかったのだろう。尋ねる間もなく、男が話し出す。


「私も同じだ。毎晩決まって、悪夢にうなされる。いっそ、起きて続けていた方が楽だ」


「わかります」


 透は思わず頷いた。


「一目で似たものを感じた。毎晩、苦しいだろう」


「苦しいですね」


 それは不意打ちのことだった。

 何気なくおうむ返しした言葉に、胸を突かれた。戸惑い、声も出なかった。


 苦しい。

 その3文字は、透の胸に長いこと居座っていた感情にふさわしい名だった。


 俺は苦しいんだ。

 でも俺は一体、何が苦しいのか? 


 単に夢を見て飛び起きることや、1度起きてしまうとなかなか眠れないことが、苦しいわけではない気がした。もっと根本的な原因があるはずだった。


 透はわからないまま、気持ちだけが急速に膨れ上がっていくのを感じた。


 同時に、無性に心が浮き立った。

 パズルのピースが1つ足りず、諦めて崩し、押し入れの奥に放置していたら、ある日ソファの下からピースが出てきたときのような感覚だった。


 静かに興奮する透の横で、男はぼそぼそと話し続けている。


「悪夢を見るようになって、何か月も経つ。毎晩、決まって同じ夢だ。ようやく、というときに、私は迂闊にも、取り返しのつかない失敗を犯して……命を落とす。あたりが赤く染まり、生臭い匂いが広がる。死ぬというのに、なぜか笑っていた。助けを求めるでもなく、ひたすら笑っているんだ」


「最悪じゃないですか」


 真っ赤な血だまりの中で笑っている男の姿を思い浮かべ、興奮が嘘のように冷めた。むしろ寒気がした。


 夢の中の自分の行動は、時として制御が効かない。しかも死にながら笑い続ける夢など、あまりにも狂気に満ちた夢だ。眠るどころではない。


「あの高笑いが耳に残っている。ひどく生々しい夢だった。いつか本当に、同じことが起こりそうな気がする」


「いやあ、普通に生活してたら、起こらないと思いますけどね」


「だといいが」


 男の口調から感じられるのは、心配ではなく諦観だった。まるで、正夢になることが決まりきっているかのような。



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