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怪しいバイト、行ってみた  作者: 濃霧
誰か敵で、誰が味方か
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最終話

 


「そんな前から気づいていたんですか。声を掛けてくれればよかったのに」


「合わせる顔がないと思ったんだ」


「スマホもないし、どこに住んでいるのかも知らないから、無事かどうかずっと心配していたんですよ」


「すまなかった。心配されているとは思っていなかった。スマホも後で返す」


「もう新しいの買っちゃいましたよ」


「……捨てるのか」


「捨てません。結構気に入ってたし」


「そうか」


「そうですよ」


 透は安心させるように小さく微笑み、「それと」と言葉を続けた。


「俺はあの後、たまたま近くにいた友達に助けてもらって、家まで送ってもらいました」


「そうだったのか。……待て、店には入らなかったのか?」


「入る前にいきなり警察の人が来て、ランさんの行方を聞かれて、パニックになったんですよ。今だから言えますけど、ランさんは警察から逃げているんだと思っていたから、つい逃げなきゃと思って」


「そんな誤解をしていたのか」


「初めから、紛らわしい言動が多かったんですよ!」


 人相も悪いし、と心の中で付け足す。


「でも結局、江波天を追っていた側なんですよね」


「名前を知っているのか」


「いや、まあ。ニュースで」


 透は無意識に首を擦った。痕は消えたが、あの感覚は2度と忘れないだろう。


「そういえば前まで包帯をしていたが、怪我でもしたのか?」


 透の仕草に気づいたランが、怪訝そうに尋ねてくる。


「あれは、その……」


 言い淀んだ透を見て、ランは今までに見たことのない顔をした。


「まさか、会ったのか?」 


「……はい」


 ドンッと鈍い音がした。透よりもずっと大きな拳が床に叩きつけられ、赤くなっているのが見えた。


 ランは気を落ち着けるように何回も深く息を吐いた。固く握りしめられた拳は時間をかけて開かれたかと思うと、首元に遠慮がちに近づいてくる。


 こうして見ると、ピアノを弾いている人の手だと思いながら、透はじっとしていた。


 大きな手は首に触れるぎりぎりのところでぴたりと止まった。


「触れてもいいか」


 透は黙って斜め上を向いた。


 今はもう大丈夫だということと、ランをまったく警戒していないことが伝わればいいと思いながら、そっと目を閉じた。


 その澄ました子猫のような仕草に、ランのまとう空気が、ほんのりあたたかさを取り戻した。


 人差し指の先でちょんと突かれ、中指、薬指、小指、親指の順に指先の感覚が増えた。

 されるがまま大人しくしていると、今度は躊躇ためらいがちに指の付け根までが這わせられる。


 怖くない。でも、ちょっとくすぐったい。


 僅かに身をよじると、ランが焦ったように問いかけてきた。


「すまない、怖かったか?」


 透は首を横に振った。再び目を閉じると、さっきよりも時間をかけずに指全体が触れ、やがてカサついた手のひらの感触をおぼえた。


 労わるようにやさしく撫でられる。指の腹や手のひらが、まるで首を絞められた記憶を消したいかのように、何度も何度も透の首に触れた。


 薄目を開けると、思っていたよりも近くで目が合った。窓の光を受けて、闇のように黒かった虹彩が不思議な色合いへ変化している。


 その中心で瞳孔が大きく開いていて、ドキリとした。


「透」


 名前を呼ばれたことに、数秒遅れで気づいた。


 首に触れていた手が、頬と耳を覆った。ランは透よりも体温が高いはずだが、今はなぜだかひんやりとして感じられた。

 それにしても心臓が苦しい。何かの病気かもしれない。


「命が尽きるまで一緒にいたい」


 それは透だって同じだ。ランの隣は心地良い。さっきは逃げようとしたが、正直に言えば少しも離れたくなかった。


 胸がつまってうまく話せない代わりにこくこくと頷くと、ランの目が蕩けそうなほど甘くなった。透はさっきよりも苦しくなってしまった。


「好きだ」


「…………?!?!?!」


 驚きのあまり固まる透に、ランがゆっくりと距離を縮めてくる。

 透は心の中は大パニックだった。


 ――この流れ……もしかして俺、キスされる?


 ――あと何センチだろう。もうだいぶ近い。近すぎてピントが合わない。


 ――どうしよう。こんな展開、考えても見なかった。一体いつから俺のこと。


 ――というかランさん、俺のことを好きなのか。変な感じ。でもちょっと、かなり嬉しい。


 ――ならできるんじゃないか? だって想像してみても、全然嫌じゃない。


 ――よし。決めた。


 透はぎゅっと目を瞑り、息を止めた。脳内でイマジナリー愛華が何やら喚いていたが無視した。


 短いような長いような時間のあと、唇にふにっと湿った柔らかいものが触れた。思っていたよりもすぐに離れていって、肩の力が抜けた。顔が熱い。


 不思議な気持ちに包まれていると、たくましい腕に抱き寄せられた。あぐらの上に乗る形になる。


 子どものようで恥ずかしいと思いつつ、ランの膝の上は安心感があった。


 おずおずと首に腕を回し、胸に寄りかかると心音がする。思いのほか速くて笑ってしまった。


「俺も好き、です」


 答えは自然にこぼれた。口に出してからそうだったんだと自覚した。


「…………」


 反応が返ってこないので不安になって見上げると、顔を赤く染めて固まっている。


「ランさん?」


「……本当か?」


「冗談なわけないでしょ!」


 冗談でキスなんてするわけない。そんなこと、死んでもしたくない。


「そうか……」


 ランはまるで美しいオーロラがあるかのように天を仰いだあと(実際は白い天井があるだけだ)、透を強く抱きしめた。


 顔中に飽きることなく口づけを降らし、キャパオーバーになった透の耳に囁く。


「何があろうと守るよ」


 ついでに耳にも口づけをされ、耳のふちを食まれ、とうとう透が膝の上から逃げ出したのは言うまでもない。



  *



 後日、2人は車に乗って再びあの川を訪れていた。比較的日差しが穏やかで、僅かだが風もある。絶好の外出日和だった。


 透は車から降りると橋を渡った。ちょうど真ん中のあたりで足を止め、手すりをきつく掴み、下を覗き見た。


 視界いっぱいに川を映して、透は黙った。


 時間が止まっていると錯覚しそうになるほど、静謐せいひつな昼下がりだった。


 ここから落ちる少年の幻影が見える。それから、助けに入る少年の幻影も。もがきながら流され、沈んでいく。


 唇が震えた。やわらかく波打つ川面に、ふわふわと波紋が広がった。1つ、2つと重なり合って、大きな波紋が描かれる。


 すると、傍らに人の気配がした。鼻を啜り、隣を見上げる。


ランさん」


 綺麗な名前だ。漢字を知ると、途端に、名前にその人らしさが現れる。


「無理をして、ここに居続けなくてもいいんだ」


 気遣わしげに言われ、透は目元を擦りつつ、否定した。


「大丈夫です。こんな面してますけど、無理をしているわけじゃないです」


 そう応えてから、ふと同じ問いを返したくなった。


「無理してますか」


「いいや。実は帰省するたびにここを訪れているんだ。私にとっては、命を救ってもらった場所だからな」


 藍は静かに呟き、川を見下ろした。その目はきっと、透と同じ幻影を見ていた。

 瞬きをすると、長いまつげからキラキラした粒が散った。光の加減によるものなのか、或いは別のものなのか。いや、どちらかなんて流暢に考えている場合じゃない。


 透は藍の腕をとり、できるだけ力強く無邪気な声で言った。


「戻りましょう! お腹空いた」


 藍は透を見つめ、眩しそうに目を細めた。


「ああ」


 橋を渡り、停めてある車を目指す。


 透は前を向き、固い地面を踏みしめて歩いた。


 ――もう絶対にふらついたりしないよ。兄ちゃん。








  * * *







 俺は殺してねえ。俺はアイを突き落としただけだ。――――あ? アイはアイだ。女みてえな名前だろ。ははは。――ラン? んなこと知ってるわバーカ。お前バカだな。警察ってバカでもなれんだ。はは。じゃあ俺も警察になりゃよかったわ。――ッチ、うっせえな。んだから、アイって呼ぶとあいつがヤな顔するからに決まってんだろ。ははは……クソ、あいつが死ねばよかったんだ。なのに助けやがって――そうだ。めちゃくちゃムカついた。しかも鞄まで拾いやがって。馬鹿だろ。大馬鹿。あんな馬鹿、死んで当然だった。邪魔するやつは死ねばいい。――何もしてねえっつってんだろ。あ? 拾ったって言ったって? 言葉のアヤだろ。上がってきたのを押し返してやっただけだ。だって2回も入ったんだ、よっぽど川が好きなんだろ。ははは、ははははは。







以上で本編は完結となります!拙作に最後までお付き合いくださりありがとうございました。評価や感想、ブクマなどしていただけたらとても嬉しいです!!


今後はムーンライトノベルズにて番外編(R18)を随時公開する予定です。興味がありましたらそちらもぜひ…!


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