第22話
「殺したのは俺じゃねえ」
節くれだった青白い手が喉にきつく食い込んでいた。声を殺して泣くときとよく似た苦しさだった。
滲む視界に、歪んだ男の顔が映った。
「俺じゃねえんだよ。聞いてんのか、なあ」
耳障りだった。剥がそうと力を込めていた手を外し、両耳を塞いだ。
ああ、最悪だ。最期に聞くのがこの声だなんて。
✻
事件の発端は数時間前のことだった。
ランがどこかから電話を受け、いつになく深刻な表情で話していた。
透は内容について聞いてみたい気持ちもあったが、こちらから声を掛けるのは負けたようで嫌だった。それに、聞いたところできちんとした答えが返ってくる気がしなかった。
だが、透の意地などお構いなしに、ランはごく自然に「玻璃」と声を掛けてきた。
数時間の我慢比べは何だったんだ。もしかして、我慢比べをしているつもりになっていたのは、自分だけだったのか。冷静になると、どっと汗が噴き出した。
「これからまた移動する。ちょうどいい場所で車を止めるから、適当に近くの店に入れ。できるだけ長居をしても構わない店だぞ。そうしたら、私が戻ってくるまでそこにいろ。わかったな」
透はそっぽをむき、斜め下へ頭を動かした。頷いているともいないともいえない反応だったが、ランは気にする様子もなく、車を発進させた。
窓の外から見える建物は、だんだんと背が高くなっているようだった。人の数も心なしか増えている。案内標識に目をやると見慣れた文字があった。
――帰ってきたのか。
透はそこで数日ぶりに、大学の友人たちのことを思い出した。連絡を返せずにいるが、元気にやっているだろうか。
愛華あたりが騒ぎ立てて、透の実家に連絡を入れていないといいのだが。亮太も意外と心配性だ。雪が必死に落ち着かせている絵が浮かび、笑みが漏れた。
あと何日したら、皆に無事を伝えられるだろう。
そう考えつつ、透は事態が佳境に入っているような気がしていた。その予感は、不思議なほど確信めいていた。
同じ県内だし、どこかでばったり会えるかもしれない。そんな淡い期待を裏切って、車は見たこともない駐車場で停まった。
日本中の景色の最大公約数のような、これといった特徴のない景色だ。
「できるだけ早く戻るつもりだ。そのショルダーバッグの中に財布やスマホが入っている。電源は入れておいたほうがいい。緊急時には躊躇わずに使え」
物騒な言葉が聞こえたが、ランはいたって平常通りだった。何を考えているかわかりにくい、子どもが見たら泣いて逃げ出しそうな顔。
「行ってくる」
あたたかい手のひらが形を確かめるように透の頭をなぞった。寝癖を整えるように何度か髪に指を通し、離れていく。
意地を張ったまま黙っていると、やがてドアが閉まる音がした。
顔を上げると、足早に遠ざかる大きな背中が見えた。見送りながら、透はふと思った。
なぜ車で待っていろと、いつものように言わなかったのだろう。
車の中の非常食を食べれば腹は満たせる。まさかエアコンをつけすぎて、バッテリーが上がることを気にしているのか?
今日は涼しいし、おそらくエアコンを止めても平気だ。透はとりあえず、エアコンを切った。
そこで、また別の考えが浮かび上がる。まさか、まだ機嫌を損ねていると思われているのか?
今日の朝食にわざわざカフェを選んだのも、おそらく透のためだった。
透は情けなくなり、助手席の上でダンゴムシのように丸まった。これのどこが19なんだ。
しばらく丸まったままでいたが、さすがに体勢がキツくなり、手足をぐっと伸ばした。凝りをほぐすために、軽くぶらぶらさせる。
コンコン。
音のする方に顔を向けると、若い男が「ちょっといいかな」と身振り手振りで話しかけてきていた。
……さては今のタコみたいな体操、見られたか。
「見られたからには生かしちゃおけねえ」とまでは言わないが、一応確認はしておきたい。もしかしたら見られていない可能性だってある。
透が「見ましたか?」と尋ねると、男は「ん?」と顔を傾けた。左目の泣きぼくろが印象的だ。
ジェスチャーゲームのようにさっきの動きをしてみるものの、男には楽しそうに手を叩いて笑うだけだ。透は別にピエロごっこがしたいわけではない。
諦めた透は、疲れたので明後日の方向を向いた。お前とはもうコミュニケーションを取る気はないぞ、のサインだ。
横柄な態度だが相手は知らない大人、透からすれば不審者だ。親しくする義理などない。
男は窓を軽くノックして、今度は「開けて」と口の形で言った。透は黙って首を横に振る。
男は困ったように笑い、後ろを振り向いて何かを言った。すると今度は、別の男が背後から出てきて透を睨み「開けろ」と凄んだ。
窓越しではっきりと聞こえなかったものの、その迫力に気圧された透はとうとう窓を開けた。
「ごめんね。この人目つきは悪いけど、別に怒っているわけじゃないんだ」
「すぐに開けないこのガキのせいだろ」
2人目の男は舌打ちをし、冷たく見下ろしてきた。しかしよく見れば、こちらは透とそう歳が変わらないようだった。
透は少し余裕が出てきて、男に口答えをした。
「俺は19です。ガキじゃないです」
「へえ、見えないね。せいぜい中学生ってとこじゃない? ねえ?」
「知らねえ。それよりこっちの質問に答えろ」
「そうそう。僕ら君に聞きたいことがあるんだけど」
「何ですか」
目つきが悪くないほうの男は、透に顔を近づけて言った。
「隣に乗っていた人、どこに行ったか知ってる?」




