第21話
「あの女のせいで家族がバラバラになった」
一言こぼしてしまえば、二言も三言も変わらない。透は躊躇う気持ちを捨てて続けた。
「あることないこと騒ぎ立てて、俺たち家族はここにいられなくなったんです。家にマスコミまでやってきて、逃げるように引っ越しました」
「最低だな」
「最低です」
引っ越す直前、透は1人で隣の家を訪ね、当時持ち合わせていたかぎりの言葉を尽くして、女を罵った。
両親が離婚する原因を作ったことはもちろんだが、何よりも根も葉もない兄の悪評を流されたことが許せなかった。
暴力は良くないと兄に教えられていたので、手だけは出さなかったが。
ただ、どんな感情を露わにして罵詈雑言を浴びせても、少しもすっきりしなかった。
「何を言っても、もう戻ってこないからなのかな」
独り言のように呟いた言葉には、不思議なほど芯がなかった。
腑に落ちないものを胸の奥に感じながら、透は衝動的にランに話した。兄の死と、その後のことを。
「いきなりごめんなさい。重い話で……」
話し終わった透が我に返ってそう言うと、ランは首を大きく横に振った。
「ただ私が聞いてよかったのかと、そう思っただけだ」
「むしろ聞いてくれて助かりました。誰かに話したい気分だったから」
「そうか」
車は朝の町をゆっくり走っていた。
幾分晴れやかな気持ちで空を見上げていると、ランが珍しく歯切れ悪く「なあ」と言った。
「お兄さんが亡くなった川は、ここか?」
窓を見ると、綺麗とも汚いともいえない微妙な色合いの水が流れている。川だ、と当たり前のことを思った。
「玻璃?」
言葉を発さずひたすら窓の外を見る透に、ランは気づかわしげに声を掛けた。
「降りてみるか?」
透は小さく、しかし素早く頷いた。
車を路肩に停め、2人は黙って川を見下ろした。自転車に乗った中学生が何組か背後を通り過ぎ、やがて遠くで始業のチャイムが鳴った。
日差しが本格的になってきた頃になって、透はようやく口を開いた。
「たぶんこの川だ……でもわからない、子どもを助けたことしか……どこから川に入って、どこで発見されたのか、どんな状態だったのか、何も……」
強張った透の肩に、ランの手が宥めるように乗せられた。
「中学1年生だったら、知らないことがあっても仕方ないだろう」
「いやちがう。俺、思い出したんです」
透は震えを押し殺した声で言った。
「母に言われたんです。何も聞かないでくれ、何も知ろうとしないでくれって。
しまいには、兄の死を馬鹿にしているのか、子どもが好奇心で聞いていい話じゃない、いい加減にしろって怒鳴られました。
好奇心なんかじゃなくて、俺は俺なりに兄の死を受け入れたくて聞いたんですけど、わかってもらえなかったんです。
こっちを見る目が血走ってて、肩を掴む手が震えてて、もう俺、わかったって言うことしかできなくて。
当時はスマホも持っていなかったし、家にテレビもなくて、その上情報を得ること自体に罪悪感を感じてしまって、今まで思考に蓋をしてずっと考えないようにしていたんです」
だから川を見下ろした時、何の感慨も覚えなかった。この川を写生してくださいと言われたときぐらい、感情が無色透明だった。
「家の近くの川はここしかないから、たぶんこの川だとは思うんです。ああでも、兄ちゃんの高校の近くにも川、あったかな……」
血の気の引いた顔で考え込んでいると、「帰ろう」と手を引かれた。その力の強さにぎょっとした。
車はエンジン音を立てて町から出た。マネキンのように脱力した透を乗せて、まっすぐ走り続けた。
✻
珍しくカフェで朝食をとった。テラス席で風に吹かれながら、きつね色の分厚いバタートーストに齧りついていると、自然と活力が湧いてくる。
「そういえば、外で食べてもいいんですか?」
食べ終わった頃になって気づき、声を潜めて尋ねたが、ランは涼しい顔でコーヒーを啜りながら「構わない」と呟いた。
じゃあ今までの車内での食事は何だったんだ。透は眉根を寄せた。
「危険を冒してでも、動かなければならないときがあるだろう。今がそのときだ」
「え、危険なんですか。この状況」
「どうだろうな」
透は持ち上げかけたカップをそっとテーブルに戻した。
「あの……俺って、死ぬ可能性あります? このバイトで」
軽い調子で言ったつもりの言葉だったが、思いのほか張り詰めた響きを持っていて、口にした透自身が1番ぎょっとした。
店内を窺うと店員の1人と目が合い、透は弾かれたように席から立ちあがった。
「車に戻りましょう」
今度は透が先導して、車へ戻った。もたもたと歩くランに、透は苛立ちを覚えた。
「呑気すぎますよ、何考えているんですか」
シートベルトを締めながら悪態をつく隣で、ランは「うまいコーヒーだったな」などと呟いている。
「さっきの話ですけど、俺たち、危険を冒したんですよね」
「ああ」
「カフェに入ることは、危険だったんですよね」
「かもな」
「繰り返しになりますけど、俺、死にます?」
ランは答えなかった。透はむやみに問いを重ねた。
「ランさんは死なないですよね?」
表情のない横顔を、透は息を詰めて見つめた。
「俺たちは一体、どこへ向かっているんですか?」
エンジンがかかる。車は再び動き出した。
透は窓の外に視線を固定した。築年数の古そうな民家やどこにでもあるコンビニを、魅入られたかのように凝視した。
車内に満たされた沈黙は、1秒ごとに重さを増していくようだった。
透はこれ以降、とうとう最後まで、ランに言葉を掛けなかった。




