第九話 庭のバーベキューと、バレてしまった秘密
祖母の家を相続してから早数ヶ月。
俺の懸命な土木作業と草刈りの甲斐あって、荒れ放題だった屋敷の周りはなんとか人様をお招きできるレベルまでには整っていた。
そうなると、日頃何かとお世話になっている(あるいは、監視されている)あの二人に、感謝の気持ちを示すべきだろう。
そう、これは感謝の気持ちだ。
断じて、下心などない。
たぶん。
「…… というわけで、今度の休みにでも、うちでバーベキューでもどうかなって」
まずは農協の茜さんに声をかけた。
「ほんと!? 行く行く! 絶対行く! 嶺くんの手料理、また食べられるのね!」
茜さんはまるで子犬のように目を輝かせて即答してくれた。
実に誘いやすい。
問題は、次だ。
俺は覚悟を決めて麓のコンビニの自動ドアをくぐった。
「…… いらっしゃいませ」
「あ、あの、澄田さん。今度の休みに、うちでバーベキューをしようと思うんだけど…… よかったら、どうかなって。 いつも、荷物の受け取りとか、お世話になってるし」
俺がおずおずと切り出すと、澄田さんはピクリと眉を動かし、無表情のまま俺を三秒ほど見つめた。
「…… はぁ。 なんで、私が」
「い、いや、迷惑ならいいんだけど……」
「…… 別に、迷惑だとは言ってません」
ぷい、とそっぽを向く彼女。
「…… 他に誰か、来るんですか」
「え? あ、うん。 農協の茜さんも来るけど」
その瞬間、澄田さんの周りの空気が、絶対零度からさらに数度下がったような気がした。
「…… そうですか。 まあ、暇なら、行ってあげなくもないです」
ツンとしながらも、了承はしてくれた。
やれやれ、このクエスト、開始前から難易度が高すぎるだろ……。
そして運命の休日。
俺はピカピカに磨いた愛車のジムニーを走らせ、待ち合わせ場所の駅前ロータリーへと向かった。
先に着いていたのは、白いワンピース姿の茜さんだった。
普段の作業着やラフな格好とは違う、大人の女性の魅力が全開だ。
「おっまたせ、嶺くん! 今日はありがとうね!」
「い、いえ、こちらこそ!」
俺がドギマギしていると、そこにもう一人の人物がゆっくりと姿を現した。
黒を基調とした、少しゴシックな雰囲気の私服。
バイトの制服姿しか知らなかった俺には新鮮に映る。
澄田さんだ。
「…… どうも」
茜さんがにこやかに「初めまして、大峰です」と挨拶するのに対し、澄田さんはぺこりと小さく頭を下げるだけ。
初対面となる二人の女性の間には、明らかに、見えない火花が散っている。
なんだこの空気……。
胃がキリキリする……!
「さあ、二人とも乗って! すぐに着くから!」
俺はこの気まずい空気から逃げるように、二人を車に促した。
後部座席に並んで座る二人。
バックミラー越しに見えるその光景は、なんとも言えない緊張感に満ちていた。
幸い、駅と俺の家は車ならそれほど時間もかからない。
俺は無言のプレッシャーを感じながら、安全運転で山道を進んだ。
「わー、すごい! 綺麗になったじゃない!」
家の庭に到着するなり、茜さんが感嘆の声を上げた。
俺はこの日のために用意したテーブルと椅子に二人を案内し、早速バーベキューの準備を始める。
「茜さんは、ビールでいいですよね? プレミアムなやつ、冷えてますよ」
「きゃー、嬉しい! 嶺くん、気が利く!」
俺が送迎役なので、茜さんには心置きなく飲んでもらう算段だ。
一方、澄田さんはまだ高校生のはず。
もちろん、アルコールは厳禁だ。
後で聞いた話だが、このときの澄田さんは未成年ではあるが……あ、18歳は成人??
でも高校生ではなく、大学生だったがアルコールは駄目だったので、このときの俺を褒めてあげたい。
「澄田さんは、ジュースでいいかな?」
「…… はい」
俺は自分用のノンアルコールビールと一緒に、オレンジジュースを彼女の前に置いた。
すると、澄田さんはジュースには目もくれず、俺のノンアルの缶をじっと見つめている。
「…… それ、なんですか」
「え? ああ、ノンアルだよ。 アルコール分ゼロのビールテイスト飲料」
「…… それ、ください」
「え、いいけど……」
なんだろう、この子。
俺は戸惑いながらも新しいノンアルの缶を渡す。
彼女はそれをプシュリと開け、こくこくと飲み始めた。
その姿はなんだか少しだけ大人びて見えた。
俺は奮発した少し良い肉を網の上に乗せていく。
ジュージューという音と香ばしい匂いが立ち上り、さっきまでの緊張感が少しだけ和らいだような気がした。
…… 気がしただけだった。
「ところで、嶺くんって、澄田さんとはどういう関係なの?」
ビールで少し頬を赤らめた茜さんが、にこやかに、しかし目の奥が笑っていない表情で核心を突いてきた。
「えっ!? いや、関係って…… 麓のコンビニの店員さんと、常連客っていうか……」
「ふーん。よく、あのコンビニに行くのね?」
「は、はい。一番近いですし……」
「…… 別に、ただのバイトです」
澄田さんがボソリと呟く。
やめてくれ!
俺を挟んで牽制し合うのは!
俺はこの流れを断ち切るべく、とっておきの食材を取り出した。
先日、永禄尾張で収穫した、あの最高級の松茸だ。
「ささ、これも焼きましょう!」
俺が威勢よく松茸を網の上に乗せた、その瞬間。 二人の女性の動きがピタリと止まった。
「…… 嶺くん」
茜さんの、にこやかな声のトーンが一段低くなる。
「それ、何……。どう見ても、松茸にしか見えないんだけど」
「ええ、そのつもりで、裏山から採ってきましたけど」
「え?」
今度は澄田さんが鋭い視線を俺に向けてくる。
「時期が、おかしくないですか。まだ九月ですよ。 こんな、夏みたいな陽気が続いてるのに」
…… しまった!
完全に墓穴を掘った!
確かに今年の九月は異常なほどの残暑が続いていた。
世間ではキノコの不作がニュースになっているくらいだ。
そんな中でこんな見事な天然物の松茸が出てくるなんて、不自然極まりない。
「い、いやー、たまたまじゃないかな! 日当たりの悪い、涼しい場所に生えてたとか…… あはは」
俺が苦し紛れの言い訳を並べると、茜さんはじーっと俺の顔を見つめ、そしてにっこりと微笑んだ。
アルコールが入っているせいか、その追及はいつもより遥かに鋭利だった。
「ねぇ、嶺くん。正直に教えて? この松茸、本当にこの山のもの? 農協職員として、この時期のこの品質の松茸は、どうしても看過できないのよ。 万が一、不正なルートで…… なんてことになったら、嶺くんのためにならないわ」
その優しい口調はもはや逃げ場のない尋問だった。
澄田さんも無言で俺にプレッシャーをかけてくる。
…… だめだ。 これは、もう、ごまかせない。
俺は観念して天を仰いだ。
「…… 分かりました。 話します。 でも、その前に、見てもらいたい場所があるんです」
俺は神妙な面持ちで二人を促し、家の奥、あの仏間へと連れて行った。
突然の展開に二人は戸惑いながらも、俺の後をついてくる。
薄暗い仏間の荘厳な仏像の前に立ち、俺は深呼吸を一つした。
「信じてもらえないかもしれないですけど…… 俺、この場所から、別の世界に行けるんです」
「…… は?」
「別の、世界……?」
俺の言葉に二人はポカンとしている。
そりゃそうだ。
俺だって自分が何を言っているのか分からなくなる時がある。
だが、俺の次の言葉に二人の表情は一変した。
「ひょっとして…… それって、異世界転移、ってことですか!?」
声を上げたのは、意外にも澄田さんだった。
彼女の目は今までに見たことがないくらいキラキラと輝いている。
「え、澄田さん、なんで……」
「私、ラノベ、大好きなんです! 異世界転移モノとか、もう、ほとんど全部読んでます!」
…… なんだって!?
あの絶対零度の毒舌バイト嬢が、ラノベ好きのオタク女子だったとは!
「え、そうなの!? 私も、その手の話、好きよ! 漫画版だけど、色々読んでるわ!」
今度は茜さんまでが目を輝かせて会話に加わってきた。
俺の予想では、ドン引きされるか頭がおかしくなったと心配されるかの二択だったんだが……。
なんだこの展開。
俺は唖然としながらも、スマホを取り出し、これまでに撮影した永禄尾張の写真を見せた。
満天の星空、廃集落、そして俺の『時空ジャーニー研究ノート』まで。
「すごい……! 本当に、ファンタジーの世界じゃないですか!」
「この星空、AIの解析結果が『永禄三年』って…… ガチのタイムスリップでもあるのね!」
さっきまでの気まずい空気が嘘のように、二人は俺の転移話にすごい勢いで食いついてきた。
特に澄田さんの食いつきは尋常じゃなかった。
「あの! あの! ひょっとして、私も行けますか!?」
澄田さんが身を乗り出して聞いてくる。
「えっ、私も行きたい! 連れてってよ、嶺くん!」
茜さんまでが懇願するように言ってくる。
やれやれ、どうしてこうなった。
「い、いや、行けるとは思うけど…… 俺の検証だと、今のところ新月の夜しか安定して転移はできないみたいで……」
「新月の夜……」
「次だと、十月になってからかな」
俺がそう答えると、二人は同時に声を上げた。
「「それなら、次に連れて行ってください(ちょうだい)!」」
「い、いや、でも、夜しか行けないんだよ!?」
俺は慌てて付け加える。
茜さんは大人の女性だから自己責任でまだいいかもしれない。
だが澄田さんはまだ未成年だ。
そんな彼女を夜中にこんな山奥まで連れてくるのは、色々とまずいだろう。
倫理的にも、法律的にも。
「大丈夫です! 親には、友達の家に泊まるって言いますから!」
「そうよ、嶺くん! 私が、ちゃんと保護者として監督するから、問題ないわ!」
…… だめだ、この二人、聞く耳を持たない。
さっきまで初対面でバチバチやっていたのが嘘のように、二人は「チーム永禄、結成ね!」「はい、茜さん!」などと勝手に盛り上がり、連絡先まで交換している。
俺は完全に置いてけぼりだった。
結局、その日のバーベキューの後半は俺が撮った写真を見ながら、転移先のことで三人で大いに盛り上がった。
夕方になり、名残惜しそうにする二人を俺はジムニーで駅まで送る。
秘密を共有したことで、俺たちの関係はなんだか奇妙な共犯関係へと変化してしまったようだ。
やれやれ、俺の戦国サバイバル生活は、これから一体どうなってしまうのだろうか。
ただ一つ確かなのは、次の新月がとんでもなく波乱に満ちたものになる、ということだけだった。




