第三話 転移先は いったいどこか?
「……なんだ、これは」
俺は自分の部屋に戻り、PCの電源を入れた。
ネットを立ち上げ、先ほどスマホで撮影した満天の星空の画像を、PCの大きな画面に表示させる。
息をのむほどの美しさだ。
天の川が、まるで白い絵の具をぶちまけたかのように夜空を横切っている。
「こんな星空、プラネタリウムでしか見たことないぞ……」
画像を拡大し、隅々まで食い入るように眺める。
落ち着かず、胸騒ぎがして、俺は一度家から出て同じように夜空の写真を撮ってみることにした。
カシャッと軽いシャッター音が響く。
PCに取り込んで、さっきの画像と並べて表示させてみた。
「……全然、違うな」
今撮ったばかりの、令和の夜空。
そこに移っているのは、せいぜい4~5等星までだ。
光害の影響を考えると、たぶんギリギリで4等星くらいしか映っていないのだろう。
これでも山の中だからここまで見えるのであって、ふもとの街まで下りれば3等星が見えれば良い方だろう。
それに比べて、あの『祠』の外で撮った写真は、明らかに別次元だった。
星の数が、密度が、輝きが、まるで違う。
「一体、どうなっているんだ……?」
二つの写真を見比べながら頭を抱えた。
夢や幻覚で済ませるには、この証拠はあまりにも鮮明すぎる。
その時、ふと、本当に偶然の思いつきが浮かんだ。
『この写真、AIに解析させたらどうなるんだろう?』
最近のAIは画像認識の精度がすごいと聞く。星の位置から、撮影場所や日時を特定することくらいできるのではないか。
俺は早速、無料の画像解析AIに二枚の写真をアップロードしてみた。
まず、先ほど自宅前で撮影した令和の夜空。
『解析結果:撮影日時 2025年8月7日 午後11時14分。撮影場所の推定座標、北緯35度XX分、東経136度YY分……』
「お、すごいな」
表示された緯度経度を地図検索AIに入力すると、ピンポイントで俺のいる犬山市の山中が示された。
日付も場所も間違いない。AIの精度に素直に感心する。
問題はもう一枚の方、あの満天の星空だ。
ドキドキしながら解析ボタンをクリックする。
『解析結果:……』
AIが少し考え込んでいるように見える。
プログレスバーがなかなか進まない。
やがて、ポンと結果が表示された。
『撮影場所の推定座標、北緯35度XX分、東経136度YY分……。撮影日時の推定……エラー。年代が古すぎます。再計算を実行します』
「は? 年代が古い?」
どういうことだ。エラーメッセージに首を傾げていると、AIが再計算を終え、新たな結果を表示した。
『再計算結果:撮影場所は現行のデータとほぼ一致。やや北にずれたポイントと推定。撮影年代の推定……西暦1560年。元号:永禄三年』
「…………え?」
俺はPCの画面を三度見した。
目をゴシゴシとこすり、もう一度見る。何度見ても、そこに表示されている文字は変わらない。
『永禄三年』
永禄……?
あの、信長の野望とかで出てくる、あの?
「いやいやいや、待て待て待て! AIがボケたか? ハッキングでもされたか?」
ありとあらゆる可能性を考えたが、どうにも現実味がない。
俺は震える手で『永禄三年』というキーワードを検索する。
『1560年、桶狭間の戦い』
……なんか、とんでもない年に迷い込んだらしい。
異世界転移の話は嫌いではないので相当数の作品を読んだことはあるが、過去の日本にさかのぼる話は正直あまり見たことがない。
いや、転移も転生も漫画やネット小説にはいくつかあるのは知っている。
だが、それにしたって行ったり来たりできる話は知らない。
大抵は行ったきりの一方通行だ。
そして、とんでもないチート能力を授かったり、現代からネット通販で物資を取り寄せたりして無双するのがお決まりのパターンだった気がする。
「行ったり来たり……できるのか?」
俺はスマホを握りしめた。少なくとも、このスマホを持ってあちらの世界に行った。
ということは、現代から『永禄』に物を持ち込めるということだ。
……ひょっとして、貿易ができるんじゃないか?
現代のありふれた品物でも、戦国時代に持っていけばとんでもない価値を持つかもしれない。
塩とか、砂糖とか、鉄の針とか……。
逆に、あちらの時代の骨董品なんかをこっちに持ってくれば……。
「……いやいや、落ち着け、俺」
妄想が暴走しそうになるのを必死で抑える。
まあ、もう少し検証は必要だろう。
それに、今日は少し疲れた。
頭がうまく働かない。検証の残りは明日にでもしようか。
俺はPCの電源を落とし、ベッドに倒れ込んだ。
しかし、興奮と不安でなかなか寝付けそうになかった。
翌日、昼過ぎに目が覚めた。
頭がガンガンする。昨夜の出来事がまだ夢のように感じられる。
俺はふらふらと仏間に向かった。
神棚の隣に祀られた小さな石仏は、昨日と変わらず穏やかな顔でそこに鎮座している。
俺は昨日の残りで、お供えしていたお神酒を手に取った。
これを飲めば、また行けるのか?
ごくりと一気に呷る。
「……」
しーん。何も起こらない。ただアルコールが喉を焼くだけだ。
「あれ?」
結局、残っていたお神酒を全部飲んでしまったが、と言っても盃一杯分の大した量ではなかったが、向こうに行く気配は一向になかった。
ただ昼間から酒を飲んだせいで、少し酔いが回って気持ち悪くなっただけだった。
「だめか……。何か、条件があるのか?」
いろいろと考えて、もう一度お神酒をお供えし直し、さてこれからどうやって検証しようかと考えていた矢先だった。
ブブブブッ!
ポケットに入れていたスマホがけたたましく鳴り響いた。
『澄田です。ご注文の品、届いてますよー』
麓のコンビニのバイトの女の子、澄田さんからのメッセージだった。
そうだ、通販で新しいトレッキングシューズを注文していたんだった。
俺は検証を一時中断し、重い腰を上げてコンビニへと向かうことにした。
それにしても、この澄田さん、なんで俺のスマホの番号を知っているんだ?
……ああ、前に俺が教えたんだったか。完全に忘れていた。
結局、往復で4時間近くかかってしまった。
酒を飲んでいたこともあり、家に着く頃にはすでに辺りは薄暗くなっている。
コンビニでは、案の定、澄田さんが俺を待っていた。
「平田さん、また変なもの買ったんですか?」
「いや、普通の靴だよ」
「ふーん……。その格好で山の中歩き回ってるって、本当なんですね。近所で噂になってますよ、『白装束のコスプレーヤーが出る』って」
「……善処します」
これ以上、変な噂が広まるのは勘弁だ。
通販で買ったインスタントの食事をとり、俺は色々と考えていた。
昨夜転移できたのは新月の夜だった。
そして酒を飲んでいた。
今日は昼間に酒を飲んでもダメだった。
もしかして……。
「夜、じゃないとダメなのか?」
俺はもう一度仏間に突撃し、再挑戦することにした。
あたりが完全に暗くなるのを待って、お供えしたばかりの真新しいお神酒をくいっと飲む。
……きた!
昨日と同じ、ぐらりと世界が歪む感覚。
気づけば俺は再びあの『祠』の中に立っていた。
「やった……! やっぱり、夜限定のクエストだったか!」
俺は興奮しながら、一度『令和』に戻ることにした。
祠の中の仏像に再び手を合わせる。
すぐに、見慣れた家の仏間に戻ってきた。
「よし、これで条件が一つわかったぞ。転移できるのは夜だけだ」
ならば、もう一度行けるはずだ。
俺は意気揚々と、もう一度お神酒を飲んだ。
「……あれ?」
しーん。何も起こらない。
「もう一回!」
ごくり。
「……だめだ」
何度やっても転移はできなかった。
結局その日は、検証のために用意していたお神酒を全部つまみなしで飲み干してしまい、盛大に酔っぱらって仏間で雑魚寝する羽目になった。
頭の片隅で、「これじゃただのアル中じゃないか」という冷静なツッコミが聞こえた気がした。