第二十七話 運命の謁見
文月、七月十三日。蝉の声が令和の空に本格的な夏の到来を告げていた。
俺はもはや恒例行事となった「持ち込みアイテム大会」の準備に追われていた。
今回の目玉商品は、茜さんが丹精込めて準備した「砂糖精製キット」だ。
「いい、嶺さん! この大鍋と七輪、そして練炭があれば理論上無限に砂糖を作り出せるわ! まさに甘味の錬金術よ!」
「練炭は密閉された空間で使用すると一酸化炭素中毒のリスクがあります。換気にはくれぐれも注意してください。あなたの危機管理能力の低さは観測済みです」
茜さんの熱いエールと澄田さんの冷静すぎる注意喚起を同時に浴びながら、俺は大量の荷物と共に時空のトンネルをくぐった。
永禄の村は夏の熱気に包まれていた。
畑では青々とした甜菜の葉が太陽の光をいっぱいに浴びて風にそよいでいる。
その日の夜、俺たちは早速詩織さんたちと合流し、記念すべき第一回砂糖精製大会を開催した。
収穫した甜菜を細かく刻み、大鍋でぐつぐつと煮詰めていく。甘い香りが夜の村にふわりと漂った。
「うわあ……! 本当に甘い匂いがする!」
詩織さんが子供のように目を輝かせている。
煮詰めた液体を布で濾し、さらに七輪の安定した火力でじっくりと煮詰めていく。
やがて鍋の底に白くざらりとした結晶が現れた。
砂糖だ。紛れもない砂糖ができたのだ。
「やった……! やったぞ!」
俺は思わずガッツポーズをした。
舐めてみると少し土臭さは残っているが、確かに甘い。
この甘さがこの時代においてどれほどの価値を持つか。
俺は、その意味を痛いほど理解していた。
翌日、俺は夕庵の屋敷を訪ねた。
「おお、平田殿。息災であったか」
夕庵は穏やかな笑みで俺を出迎えてくれた。
「はっ。本日は武井様にご報告があり参上いたしました。実は我らが村に古くより伝わる秘術の再現がかないまして。つきましてはこれをお納めしたく」
俺は恭しく砂糖の入った壺を差し出した。
夕庵は怪訝そうにそれを手に取ったが、次の瞬間、その目が大きく見開かれた。
「こ、これは……! なんという甘さだ! 南蛮渡来の品にも勝るとも劣らぬ……! これをお主たちが作ったと申すか!?」
「はっ。未だ少量しか精製できませぬが、確かに我らの手によるものにございます」
「素晴らしい……! 平田殿、お主はまことわしを驚かせる天才よ!」
夕庵は手放しで俺を絶賛した。
俺はここぞとばかりに次の手を打った。
「また武井様のお力添えのおかげで、津島での陶器の商いも順調にございます。これはそのほんのお礼のしるしに……」
俺が差し出したのは麻の袋に入ったずっしりと重い銭だった。
令和で鋳造した「新品同様の古銭」である。
夕庵が袋の中を覗き込み、息を呑むのが分かった。
袋の中にはぴかぴかの良銭だけがぎっしりと詰まっている。
「……見事な銭よ。これほどの良銭、近頃はとんとお目にかかれぬ。これも商いで得たものか?」
「はっ。才ある者の助けを借りて手に入れました」
俺はしれっと嘘をついた。
まあ材料も形も本物と同じなのだから、これは勝手に作られた本物の銭だ。
入手方法があれなだけで。
澄田さんの受け売りだが、この時代の日本経済が抱える最大の問題は慢性的な銭不足だったという。
特に信長のような銭の力で軍を動かす武将にとっては死活問題だ。
俺たちがやっていることは経済を活性化させるという意味では決して悪いことではないはずだ。……多分。
「平田殿。お主の才覚、見込んだ。お主にもう一人会わせておきたい人物がおる」
彼はそう言うと俺を伴って屋敷を出た。
向かった先は熱田の市にほど近い邸宅だった。
夕庵に紹介されたのは千秋刑部大輔と名乗る壮年の武将。
熱田神宮を取り仕切る宮司でありながら、この一帯を治める地侍でもある有力者だ。
「この者は平田嶺。犬山の近くに村を構え、物作りに長けた面白い男でしてな」
俺はここでも砂糖を献上し、さらに「神宮への寄進に」と言ってぴかぴかの銭を差し出した。
いきなりの厚遇に驚きつつも、俺は膝を正して頭を下げた。
……まあインチキで作った銭を神様に捧げるというのは、さすがに少し心が痛んだが。
砂糖も一緒に寄進したから許して欲しい。
千秋は豪快に笑うと、俺の肩をばんと叩いた。
「気に入ったぞ、平田殿! 見事な心意気じゃ! これはわしからの礼だ。取っておけ!」
彼が俺に差し出したのは見事な拵えの刀二振りだった。
「……!」
あまりの出来に思わず言葉を失った俺に、千秋はさらに大声で笑った。
「よい、よい! 今後もこの熱田での商い、わしが許す! 励むがよい!」
こうして俺と大森は、図らずも立派な刀を腰に差すことになった。
村へ戻る道すがら、大森がぽつりと呟いた。
「……先輩。俺たち、一体どこに向かってるんでしょうかね……?」
自分の腰に差された刀を不思議そうに眺めながら。
「さあな。だが、前に進むしかないだろ」
俺も刀の柄に手をやりながら答えた。
俺たちの商材は炭、陶器、砂糖の三本柱となった。さらに俺は贈答用としてタケノコの水煮を開発し、武井夕庵や千秋刑部に定期的に届けるようになった。
地道な根回しと令和の知識という強力な武器。
俺たちの村の名前は、少しずつ尾張の有力者たちの間で知られるようになっていった。
そして運命の日は突然やってきた。
俺が炭焼き小屋の確認をしていると、武井夕庵から使者がやってきたのだ。
「信長公がいよいよ犬山城を落とす覚悟を決められた。戦を前に周辺の地侍や国衆を吟味するため、謁見の機会が設けられるとのこと」
ついに来た。
この旅の当初からの最大の目的――織田信長との謁見。
俺の心臓はこれまで経験したことのないほど激しく高鳴っていた。
隣にいる大森が顔を青ざめさせて言う。
「先輩……、俺、なんだか腹が……」
「馬鹿野郎! しっかりしろ! ここでしくじったら全てが水の泡だぞ!」
俺は彼を叱咤しながら、自分自身にも言い聞かせていた。
清州城の一室で待つ時間は、永遠のように長く感じられた。
やがて襖が静かに開く。
派手な着物を着崩し、鋭い眼光を放つ痩身の男。
間違いない。織田信長、その人だった。
教科書で見た肖像画よりも遥かに若く、そして全身から剃刀のような鋭い覇気が溢れ出ている。
俺と大森は慌てて床に額をこすりつけた。
「……面を上げよ」
低くよく通る声だった。
俺が顔を上げると、信長の鋭い目がこちらを射抜いた。
「……貴様が平田か。夕庵と千秋が面白い男よと褒めておったわ」
「は、ははっ!」
「貴様の村は犬山の近くにあると聞いた。して、戦働きのできる者は何人おる」
きた。武井夕庵にも聞かれた質問だ。
「恥ずかしながら我らは物作りの民。戦の心得はございませぬ。ですが……」
俺は覚悟を決めて続けた。
「ですが、上納の品として砂糖と銭をお納めできまする」
そう言いながら、俺は献上品と共に用意していた銭の袋を前へと押し出した。
「……面白い。気に入ったぞ、平田。銭か。良い響きよ」
信長は砂糖を指先につけて舐めると、満足げに頷いた。
「この甘い粉も気に入った。これ、できる限りわしに納めよ。代金はきちんと払わす」
「ははっ!」
「……来年早々、犬山を攻める。貴様らもその戦に備えよ。兵糧の調達、地の利を活かした案内、任せるぞ」
「御意!」
ついに言質を取った。
もちろんそれと引き換えに、俺たちも責任を果たさなければならない。
半農半武、いや半商半武として信長軍の一翼を担うのだ。
「それから……貴様らの領内での商い、このわしが許す。自由に励むがよい」
信長はそう言うと、傍らに控えていた武井夕庵に目配せした。
夕庵がすらすらと筆を走らせ、一枚の書状を書き上げる。
そこに信長が朱の花押を据えた。
「これを持って行け。わしの許しの証じゃ」
俺は震える手でその書状を受け取った。
織田信長直々の許可証。これさえあれば、俺たちはもう誰にも文句を言わせない。
謁見は終わった。
「……先輩。俺たち、やりましたぜ……!」
大森が涙声で言った。
「ああ……。やったな」
俺は空を仰いだ。
ここまで長かった。だが俺たちはついに当初の目的を達成したのだ。
八月十二日、俺は信長から賜った書状を懐に令和へと帰還した。
「すごいじゃない、嶺さん! やったわね!」
茜さんが満面の笑みで俺の肩を叩く。
「……信じられません。歴史の教科書に載っている人物と直接交渉し言質を取るなんて……。あなたの行動力は私の予測を遥かに超えています」
澄田さんが興奮気味に早口で言った。
俺は二人の笑顔に囲まれながら、ようやく実感が湧いてきた。
――俺、頑張ったんだな、と。
俺は信長からの本物の許可証を大切に額に飾り、さらにカラーコピーで精巧な複製を作り、それを次回大森に持たせることにした。
これで一つの大きなクエストをクリアした。
だが、物語はまだ始まったばかりだ。
俺は壁の額縁を眺めながら思った。
――この二人と一緒なら、きっとどんな困難なクエストだって乗り越えていける。




