第二十六話 在地豪族を目指して
4月。
俺たちの月一度の転移の日がやってきた。
婆ちゃんの家のリビングは、さながら永禄尾張への物資集積所の様相を呈していた。
俺が向こうの皆から頼まれていた化学肥料の袋の横で、茜さんがまるで通販番組の司会者のように熱弁をふるっている。
「いい、嶺さん! これが今回の目玉商品、『備中鍬』よ! 普通の鍬と違って先が三本に分かれてるから、固い土地でも少ない力でざっくざく耕せるの! まさに農業革命よ!」
「さらにこちらの『ねじり鎌』ですが、刃にわずかな角度がついているため、従来の鎌と比較して約1.2倍の効率で雑草を刈り取ることが可能です。 人間工学に基づいた優れた設計ですから、もうこれをもっていかないなんてありえないでしょう」
茜さんの熱弁を澄田さんが冷静なデータで補足する。
もはやこの二人の連携は芸術の域に達していた。
俺は彼女たちがホームセンターで吟味に吟味を重ねて選んできた、数々の「転生転移チート定番グッズ」を、言われるがままに段ボールに詰めていく。
「というか、この量、一人で運べるか……?」
「あら、大丈夫よ。 私たちが手伝うから」
「ええ。合理的な人員配置です」
にこやかにそう言ってのける二人の女神。 もはや俺に拒否権など存在しなかった。
俺たちは大量の物資とともに令和日本から永禄尾張に転移した。
「う…… さむっ!」
光の中から一歩足を踏み出した瞬間、俺は思わず身を震わせた。 4月だというのに山の空気はひんやりと肌寒い。
令和の感覚で薄手のシャツ一枚で来てしまったのは失敗だったかな。
「…… だから、言ったでしょう?」
「…… 危機管理能力が、ほんとうにないのだからね~」
茜さんと澄田さんから同時に冷ややかな視線とため息が突き刺さる。
「ほら、見てみなさいよ、こちらはまだまだ寒いと草木までもが言ってますよ」
「この時代の医療水準を侮ってはいけません。 肺炎は死に直結しまますよ、油断はできませんからね」
次の瞬間、俺はまたしても二人に両腕を掴まれ、有無を言わさず時空のトンネルへと逆戻りさせられた。
「ちょ、ま、待ってくれ!」
「問答無用!」
「再発防止策の徹底が急務です!」
令和の仏間に戻された俺はそのままリビングに連行され、あれよあれよという間に茜さんの父親のお古だというダウンジャケットを着せられ、澄田さんからは化学繊維でできた高機能インナーを手渡された。
「これでよし! ちょっとダサいけど、我慢しなさい!」
「熱伝導率の低い空気の層を確保することが重要です。 覚えておいて損はありませんよ」
二人に甲斐甲斐しく世話を焼かれ、俺は恥ずかしさと、それとは別の温かい何かが胸にこみ上げてくるのを感じていた。
なんだ、この母親が二人もできたみたいな感覚は……。
いや、それもちょっと違うか。
俺が一人で赤面していると、二人は満足げに頷き合った。
「よし、これで完璧ね!」
「ミッション、コンプリートです」
そして俺は再び永禄の地へと送り出されたのだった。
俺の意思などそこには一切介在しない。
……あれ??
なんで二度目なのに行けたのだろうか……まあいいか。
なんだか気にしたら負けのような気がしてきたから、これ以上は考えない。
永禄の村では、俺たちが持ち込んだ新たな農具が熱狂的に歓迎された。
特に備中鍬の威力は絶大で、山窩の男たちは面白いように固い地面をどんどん耕していく。
「すげえ! なんだ、この鍬は!」
「いつもの半分の力で倍は掘れるぞ!」
芋や蕪といった比較的栽培が容易で融通の利く新たな作物のための畑が、みるみるうちに広がっていった。
茜さんと澄田さんは今回も短い滞在時間の中で精力的に動き回った。
茜さんは詩織さんに新たな作物の栽培方法を徹底的に叩き込み、澄田さんは村のあらゆる生産活動のデータを更新していく。
やがて二人が令和に戻る時が来た。
「じゃあ、嶺さん。 私たち、帰るわね」
「くれぐれも、無茶はしないように」
祠の前で二人が俺に向き直る。
「今回、俺はこっちに残る。 前に、話したけど、一度信長勢力の確認をしておきたいので」
「…… そう。 分かったわ。 あの武井様って人に会うのはいいけど……、変な約束とかしちゃだめよ? 危ないことには絶対に首を突っ込まないでね!」
茜さんが心配そうに俺の袖をきゅっと掴んだ。
「分かってるって。 ただの商人として接触するだけだから??」
「…… 嶺さん。 あなたのその根拠のない自信が最も危険なフラグです。 常に最悪の事態を想定し、複数の撤退プランを用意しておくこと。 いいですね?」
澄田さんも厳しい口調で釘を刺してくる。
二人の真剣な眼差しに俺はただ頷くことしかできなかった。
なんだかんだ言ってこの二人は俺のことを本気で心配してくれている。
それがくすぐったくもあり嬉しくもあった。
「ああ、大丈夫だ。 任せておけ、大丈夫だ!」
俺がそう言って笑いかけると、二人は少しだけ顔を赤らめ、ふいっと視線を逸らした。
光の中に消えていった。
…… いかん、いかん。 感傷に浸っている場合じゃない。
俺には俺のやるべきことがあるんだ。
俺は頬を赤らめている場合じゃないな。
数日後、俺は大森を伴って清州の城下町にいた。
荷車には手土産として渾身の作としての焼き物も用意してある。
「しかし、先輩。本当に武井様にまた会ってくださるんですかね?」
「分からん。 だが、行くしかないだろう」
幸いなことに、俺たちはさほど待たされることもなく武井夕庵の屋敷へと通された。
「おお、平田殿。 息災で。して今日は……」
夕庵は穏やかな笑みで俺たちを出迎えてくれた。
どうやら俺の顔は覚えていてもらえたらしい。
「はっ。 本日は、我らの村で採れました、些少なれど初物の芋と、新作の器を献上いたしたく、お持ちしました」
俺は手土産を差し出しながら、当たり障りのない雑談を始めた。
村の様子、炭の売れ行き、陶器の評判。
そして俺は武井様にあるお願いを申し出た。
「おかげさまで今年は芋のほかにも様々な作物が豊かに実りそうです。山の幸も多く生産できそうでして。 つきましては、この清州の町以外にも我らの品を扱ってくださる売り先をご紹介願えませんでしょうか?」
夕庵はほう、と興味深そうに俺の顔を見た。
「欲深きことよ。 だが、その良く深さが良い」
彼は少し考える素振りを見せた後、ぽつりと言った。
「…… 明日、わしは津島の港へ視察に参る。 もしお主がよければついてまいられるか?」
「よろしいのでございましょうか!?」
俺は思わず身を乗り出した。
津島! 澄田さんのレクチャーによればこの時代の尾張において清州と並ぶ、いやそれ以上に重要な商業都市だ。
信長の莫大な財力の源泉でもある。
「うむ。ただし、わしがお主を連れて行くのではない。 お主たちがわしの後ろから勝手についてくるという体でならば、構わぬ」
「はは、ありがとうございます」
俺は深々と頭を下げた。
これ以上ない千載一遇のチャンスだった。
翌日、俺と大森は武井夕庵の指示に従い、少し離れて武井様の後ろを大森と一緒についていく。
初めて見る津島の港は、俺の想像を遥かに超える活気に満ち溢れていた。
清州が政治と軍事の中心地ならば津島は間違いなく経済の中心地だ。
大小様々な船が港にひしめき合い、屈強な男たちが威勢のいい掛け声と共に荷を降ろしている。
道行く商人たちの顔つきもどこか精悍で自信に満ち溢れているように見えた。
「す、すげえ……。 清州の町とはまた活気がありますね、先輩」
大森が呆然と呟く。
俺は澄田さんから教わった知識を反芻していた。
信長の力の源泉は銭。 その銭を生み出す巨大なエンジンの一つがこの津島なのだ。
だが、俺はあくまで初めてこの港町に来た田舎の商人という体を崩さない。
「いやあ、これは驚きました。 このような賑やかさならば期待できそうだな」
俺がそう感嘆の声を漏らすと、前を歩いていた夕庵がふっと笑った。
「ここは伊勢湾の交易の要。あらゆる品が集まり、そして散っていく。 商いを志す者ならば一度は見るべき場所よ」
彼は俺を一軒の大きな商家へと案内した。
船問屋も兼ねているというその店はひときわ大きな構えだった。
「ここの主人とは懇意にしておる。 平田殿の器、一度見せてもらい、興味を持っておりましたので、本日直接お話ができたこと、まさに僥倖と言わずして何と言いましょうか」
かなり大げさな誉め言葉を頂いたからと言って、舞い上がるような……おい、大森、なんでそんなに嬉しそうな顔をしているんだ。
簡単に心のうちを見せては、足元をすくわれるぞ。
俺は、大森のことは放っておいて、話を続ける。
「はっ! ありがたきお言葉!」
夕庵の紹介で俺は、その大店の主人と話す機会を得ることができた。
俺が持参していた陶器を見せると、主人は目利きらしくじっくりとそれを吟味した後、深く頷いた。
「…… ほう。 面白い。 素朴だが味わい深い。 これならば十分に商いになりましょう」
こうして俺たちは、津島における新たな販路を確保することに成功したのだ。
夕庵と別れて、もう少しこの街の様子を見て回ることにした。
「武井様。この御恩は決して忘れませぬ。 これより毎月一度はご挨拶に参上つかまつります」
「うむ。達者でな」
夕庵はそれだけ言うと、静かに去っていった。
俺と大森は簡単に街の様子を確認してから、ここで少し商売をしてみようかと考えた。
俺たちはその足で一度村に戻ると、荷車にありったけの陶器を積み込み、再び津島へととんぼ返りした。
武井夕庵の紹介という強力なお墨付きもあって商談は驚くほどスムーズに進んだ。
俺たちが持ち込んだ陶器は全てその日のうちに銭へと変わった。
店の主人は勘定をしながら、少し申し訳なさそうに俺に言った。
「平田殿。勘定の半分をこの鐚銭で支払わせてはもらえぬだろうか。 もちろんその分は色をつけさせていただくが……」
鐚銭。
質の悪い私鋳銭のことだ。
この時代流通している銭の多くがこの鐚銭だったという。
俺は澄田さんとの勉強会でその知識を得ていた。
そして同時にあるアイデアを思いついた。
「なるほど。 …… では、試しにお尋ねしますが、この良銭一枚に対し鐚銭五枚という比率で交換してはいかがですか?」
俺の突拍子もない提案に店の主人は一瞬目を丸くしたが、すぐににやりと笑った。
「面白いことをおっしゃる! よろしい。 その比率で構いませぬ!」
話はすぐにまとまった。
主人はできるだけ状態のマシな鐚銭を選んで俺に渡してくれた。
俺は代金の半分をずっしりと重い鐚銭で受け取った。
村への帰り道、大森が俺に聞いてきた。
「先輩。 どうしてあんな価値の低い銭をわざわざ受け取ったんですかい? 良銭だけでもらった方がよかったのに」
「まあ、見てろって」
俺はニヤリと笑った。
「この鐚銭を一度令和に持ち帰る。 そしてこれを溶かして俺たちの手で、もっと質の良い銭に作り直すんだ」
「…… へ? 先輩、それって、もしかして……、貨幣の偽造ってやつじゃないですかい……?」
大森が顔を青くする。
俺はそんな彼に悪戯っぽく笑いかけた。
「馬鹿だな、大森。これは偽造じゃない。『 鋳造』だ。 そしてな、これは転移転生ものの、お約束……、定番チートってやつなんだよ」
俺はそう軽く受け流しながら頭の中では別のことを考えていた。
この計画は前から考えていたことの一つだった。
澄田さんはきっと眉をひそめて、「法的なリスクと経済的なリターンを定量的に比較分析し、実行の可否を判断すべきです」なんて難しいことを言うんだろうな。
茜さんは、漫画で同じような場面を見たことがあったのか偉く乗り気だろうな。
あの人しっかりしているようで、結構細かなこと気にしない性格だからね。
二人の顔を思い浮かべると、自然と口元が緩んだ。
やれやれ。
俺もずいぶんとあの二人に毒されてしまったらしい。
ずっしりと重い銭袋を荷車に揺らしながら、俺は新たな野望と、そして令和にいる二人の女神への尽きせぬ想いを胸に抱きしめるのだった。




