第二十四話 運命のコンタクト
永禄尾張に舞い戻った俺を待っていたのは、山窩や木地たちの期待に満ちた眼差しだった。
俺が令和から持ち込んだサツマイモの苗は、彼らにとって未来の食糧を約束する、まさに宝の山に見えたのだろう。
「これが、さつま、いも……」
「南蛮渡来の、珍しい作物だと聞きましたぜ、先輩!」
俺は苗の植え付け方を令和の知識を総動員して説明しながら、清州での次なる一手について頭を巡らせていた。
今や俺たちの活動の拠点は、この山村だけではない。
清州の城下町こそが俺たちの未来を左右する主戦場なのだ。
「よし、決めた。俺も、少し、格好を変える」
いつまでも山伏のような格好では、商人たちとの本格的な取引において侮られる可能性がある。
「還俗した…… ということにする。 これからは、商人として清州の町に溶け込むんだ」
俺の宣言に一番乗り気になったのは、詩織さんだった。
「まあ、素敵! それなら、私に、お衣装の仕立てを、お任せくださいな!」
彼女は目をキラキラさせながら、どこからか反物や採寸道具を取り出してきた。
その手際の良さはまるで現代のスタイリストのようだ。
「嶺さんは、背も高いし、すらっとしているから、きっと良いお着物が似合いますわ。下手な伊達男みたいにならないように、それでいて貧相に見えないように……。 うふふ、腕が鳴るわ」
「お、おい、詩織……。あんまり、旦那以外の男に、夢中になるんじゃねえよ……」
隣では大森が分かりやすくやきもちを焼いている。
「あら、やだ。あなたったら。
嶺さんは私たちにとって命の恩人であり、大切な仲間でしょう? その嶺さんがより良く見えるように、お世話するのは当たり前じゃないの」
「そ、それは、そうだが……」
詩織さんににっこりと微笑まれ、大森はぐうの音も出ないらしい。
やれやれ、この夫婦は相変わらずだな。
俺は、彼らのやり取りを、微笑ましく眺めながら、ふと、令和の二人のことを、思い出していた。
これがもし澄田さんだったら、「TPOを考慮し、最も費用対効果の高い戦略的服装を提案します」なんて理路整然とコーディネートを組んでくれただろうか。
茜さんだったら、えーっ! 嶺さん、かっこいい! 写真撮って、農協の皆に、自慢しちゃお!」なんて、無邪気に、はしゃいでくれただろうか。
二人の顔を思い浮かべると、胸の奥がきゅっと甘酸っぱい痛みを感じた。
数日後、詩織さんプロデュースによる俺の新しい衣装が完成した。
落ち着いた濃紺の麻の着物に、品の良い茶色の羽織。
決して、派手ではないが、質の良さが、一目で分かる。
「…… どうだろうか?」
俺がおずおずと皆の前に姿を現すと、詩織さんは満足げに何度も頷いた。
「完璧ですわ! これなら、完全に、裕福な、やり手の商人風情に、見えます!」
「へ、へえ……」
手放しの絶賛にどう反応していいか分からない。
俺は、商売のほとんどを、今や、大番頭の風格すら漂わせるようになった、大森に任せ、時間のある限り、清州の街を、一人で歩き回ることにした。
どこで何がいくらで売られているのか。
人々は何を欲し、何に困っているのか。
この時代の生の経済を肌で感じる必要があった。
活気に満ちた清州の街並み。
行き交う人々の力強い息遣い。
俺は自分が確かにこの時代を生きているのだと実感していた。
そんな日々がしばらく続いたある日のことだった。
いつものように、市場の様子を、ぼんやりと眺めながら、路地を歩いていると、不意に、背後から、鋭い声が、飛んできた。
「そこのお主、しばし、待たれよ」
振り返ると、そこに立っていたのは腰に刀を差し、いかにも武家仕えといった風体のいかつい男だった。 足軽、というやつだろうか。
「…… 何か、御用でしょうか?」
俺はできるだけ平静を装って尋ねた。
内心では心臓が早鐘のように鳴り響いている。
怪しい者とでも思われたのだろうか。
この格好は、逆に、目立ちすぎたのか?
「見慣れぬ顔だが、何者だ。近頃この辺りをうろついていると報告を受けておる」
「はあ。私は、しがない、商人でして……」
「問答は無用。我が主がお主に会ってみたいと仰せだ。 否とは言わせぬ。 ついて参れ」
男は有無を言わさぬ口調でそう告げた。
やばい。 これは完全に面倒なことに巻き込まれた。
俺は観念して男の後に、ついていくしかなかった。
連れてこられたのは清州城にもほど近い立派な武家屋敷だった。
通された座敷で正座して待っていると、やがて奥の襖が静かに開いた。
現れたのは四十代半ばほどの、穏やかだが眼光の鋭い一人の男だった。
その目つきは相手の心の奥底まで見透かすかのようだ。
「お初にお目にかかる。わしは、武井夕庵と申す者」
たけい、ゆうあん……。
知っている。
澄田さんの歴史レクチャーで何度もその名前を聞いた。
織田信長の側近中の側近。
外交や内政を一手に担った切れ者中の切れ者だ。
なぜそんな大物が俺なんかに……?
俺の頭は完全にパニックに陥っていた。
だが、ここで挙動不審な態度を取ればそれこそ命がない。
しっかりしろ、俺!
こういう時こそ澄田さんのように冷静に状況を分析するんだ!
茜さんのように度胸を据えるんだ!
俺は、心の中で、令和の女神たちに、祈りを捧げた。
「…… して、お主は、何者かな? 名と、出自を、聞かせてはもらえぬか」
夕庵の静かだが有無を言わさぬ問いに、俺は覚悟を決めた。
「は。 私は、平田嶺と申します。
生まれは美濃の片田舎ですが、故あって流れ着き、今は犬山のほど近く……、山の村にて長をしております」
嘘と本当を巧みに混ぜ合わせる。
転移関連のこと以外は、できるだけ正直に話すしかない。
俺は、最近、村に流れ着いた、木地や山窩の者たちを、まとめ上げ、炭を焼き、ささやかながらも、村を、立て直していることを、説明した。
「ほう。犬山、とな」
夕庵の目がぴくりと動いた。
「お主も、知っておろう。犬山城主、織田信清様は、未だ、上総介様(信長のこと)に、恭順の意を、示されてはおらぬ」
「……噂には、聞き及んでおります」
「そのようなきな臭い土地のすぐそばで、村の長、とな。面白い。 お主の村には戦働きのできる者は何人おる?」
来た。
核心の質問だ。
「恥ずかしながら、元より戦に心得のある者はおりませぬ。ですが皆、故郷を守りたいという気概だけは持ち合わせております。 もし上総介様が犬山をご平定なされるというのであれば、我ら村の民、微力ながら喜んでご協力いたしましょう。 兵糧の一端を担うことも、地の利を活かした道案内も、お役に立てることがあるやもしれませぬ」
俺は一世一代の大博打を打った。
夕庵は何も言わず、ただじっと俺の目を見つめている。
その沈黙が恐ろしかった。
やがて彼はふっと口元を緩めた。
「…… 面白い男よ。 気に入った。 平田殿、とお呼びしよう」
「は……」
「今日はもう、下がってよい。…… ああ、そうだ。 今後、お主に何か伝えたいことができた場合、どうすればよいかな?」
「はっ。清州の町に、『近江屋』という懇意にしている大きな商店がございます。 そこの主人に伝言を頼んでいただければ、私は頻繁に出入りしておりますゆえ、すぐに届きます」
「近江屋、か。承知した」
俺は深々と頭を下げ、冷や汗でぐっしょりと濡れた背中を感じながら、その屋敷を後にしたのだった。
村に戻った俺は、すぐに、大森と詩織さんを呼び、事の次第を、洗いざらい、話した。
「ぶ、武井夕庵様、ですと!?」
大森は驚きのあまり目を丸くしている。
「「先輩、とんでもねえ、大物と、接触しちまったんじゃ、ないですかい!」
「ああ。だが、これは好機だ。 俺たちが信長勢に食い込むための大きな一歩になる」
俺は改めて澄田さんから聞いた未来の情報を二人に伝えた。
「来年、永禄五年には犬山城との本格的な戦が始まる。その際に俺たちは信長方として協力する。 そのための布石を、俺は今、打ってきたんだ」
「なるほど……。さすがは、先輩だ」
大森が感心したように頷く。
俺はそんな彼と心配そうに寄り添う詩織さんの姿を見て、またちくりと胸が痛んだ。
俺がこうして命がけで未来を切り拓いている間、俺のラブコメクエストは完全に停滞したままだ。
…… やれやれ。
その後も俺たちの清州通いは続いた。
武井夕庵との接触という大きな出来事があったが、俺たちの日常は変わらない。
炭を売り、そして新たな商品である陶器を売り込む。
その陶器が思わぬ評判を呼んだ。
特に、草木灰の釉薬を使った、淡い緑色の器は、その、素朴で、温かみのある風合いが、受けたらしい。
「平田殿のところの器は、良い。飽きが、こない」
近江屋の主人だけでなく他の商人たちからも声がかかるようになった。
そして、ついに俺たちは清州で、一番、大きいと、言われる、大店「清須屋」との、取引を、開始することになったのだ。
「まさか、あの清須屋様と取引ができるなんて……」
大森が興奮気味に報告してくる。
「これも、詩織たちが、心を込めて、良い器を、作ってくれている、おかげだな」
「まあ、嶺さん……」
詩織さんが嬉しそうに頬を染める。
俺はここぞとばかりに村で一番出来の良い器をいくつか彼に贈呈した。
「これは、我らの村の者たちが、心を込めて、作り上げたもの。戦働きは、からっきしですが、このような、物作りでならば、上総介様の、お役に、立てるやもしれませぬ」
俺は自分たちがただの山猿の集団ではないこと、文化的な生産力を持った有用な民であることを必死にアピールした。
夕庵は器を手に取りじっと眺めると、一言だけこう言った。
「…… 見事なものだ」
その言葉だけで俺は報われた気がした。
信長勢との、か細いながらも確かな伝ができた。
俺はしばらく外交的な動きは控え、村の拠点整備……、内政に全力を注ぐことに決めた。
炭の生産量をさらに増やし安定させる。 器もただ作るだけでなく品質をさらに上げていく。
「いずれは、磁器を作りたいな。白い、焼き物だ。 そうなればもっと高く売れるはずだ」
俺は澄田さんの残してくれた専門書を穴が開くほど読み返した。
そこに書かれている知識の一つ一つが宝の山だった。
彼女の理知的な横顔を思い出すと、無性に会いたくなった。
そして春。
俺たちは新たな農業にも挑戦した。
令和から持ち込んだサツマイモとジャガイモ。
そして砂糖の原料になる甜菜。
それから痩せた土地でも育つそば。
茶の木の、栽培も始めた。
今はまだ実験的な意味合いが強い。
だが、これらが将来俺たちの村を支える大きな柱になるはずだ。
「茜さんなら、もっと上手な育て方を、知ってるだろうな……」
土にまみれながらふとそんなことを考える。
農協で働く彼女の専門知識が今喉から手が出るほど欲しかった。
店舗を持たない、俺たちのような、生産者にとって、取引先の開拓と、商品の開発は、生命線だ。
清州だけでなく、いずれは熱田や津島の大きな港町にも俺たちの商品を売り込んでいく。
夢は広がるばかりだった。
農繁期が本格的に近づいてきた三月の新月。
俺は再び令和に帰る時が来たことを悟った。
村の皆にしばしの別れを告げると、大森がニヤニヤしながら俺の肩を叩いた。
「先輩! 今度こそ、ちゃんと進展させてくるんですよ! 男を、見せてください!」
「う、うるさい!」
俺は顔を赤くしながら彼を軽く小突いた。
永禄での生活は充実していた。
信長勢とのパイプもできた。
村は豊かになりつつある。
だが、俺の個人のクエストはどうだ?
一抹の不安と、それを遥かに上回る期待感。
令和に帰れば、あの二人とまた会える。
「あの二人、仲良く、やってるだろうか……」
俺はそんな呑気なことを考えながら、一人祠へと向かっていた。
まさかその二人ががっちりとスクラムを組み、「対ヘタレ主人公共同戦線」なる恐るべき同盟を結んでいるとは露とも知らずに。
俺は二人の笑顔を思い浮かべ、少しだけ胸を高鳴らせながら決意を固めた。
「よし、帰るか!」
時空を繋ぐ眩い光の中へ、俺は再びその身を投じたのだった。




