第二十二話 不器用な陶芸クエスト
澄田さん肝いりのサスペンション付き荷車はまさに革命的な発明だった。
今まで山道をリヤカーで下るのに悪戦苦闘していたのが嘘のようだ。
竹製の板バネは見事に路面からの衝撃を吸収し、荷崩れの心配も格段に減った。
何より引き手が感じる負担が驚くほど軽減されたのだ。
これにより俺たちの商いの中心は、本格的に清州の城下町へとシフトしていくことになった。
「いやあ、毎度あり! 近江屋の旦那! また、極上の炭、持ってきやしたぜ!」
清州の町の一角にある大きな構えの商家「近江屋」の店先で、大森が朗らかな声を張り上げている。
何度も炭を運び込むうちに大森は、その天性の人たらし能力を遺憾なく発揮し、この近江屋の主人とすっかり懇意になっていた。
俺なんかには到底真似のできない芸当だ。
こういう時彼のコミュニケーション能力の高さは本当に頼りになる。
「おお、大森殿。いつもながら、見事な炭じゃ。 おぬしのところの炭は火持ちも良いし煙も少ないと評判でな。 いくらあっても足りんくらいじゃ」
恰幅のいい主人が満足げに頷く。
俺と澄田さんは少し離れた場所で、そのやり取りを眺めていた。
俺たちの役割は市場の動向調査と新たな商材のリサーチだ。
「大森さん、本当に見事な交渉術ですね。相手の懐にごく自然に入り込んでいく。 現代でもトップセールスマンになれたでしょう」
澄田さんが感心したように呟く。 彼女の分析はいつも的確だ。
「まったくだな。 俺には絶対無理だな」
「そんなことはありません。嶺さんには嶺さんにしかできない役割があります。 あのチェーンソーや荷車の設計図のように、誰も思いつかないような発想で道を切り拓く力……。 私には、それがとても眩しく見えます」
「え……?」
不意に真剣な眼差しでそんなことを言われ、俺はどきりとして言葉に詰まった。 澄田さんははっと我に返ると慌てて視線を逸らした。
「…… いえ。 あくまで、客観的な分析、です」
まただ。
また彼女の耳がほんのりと赤く染まっている。
その小さな変化が俺の心臓をぎゅっと掴む。
茜さんとのあの濃厚なキスがまだ脳裏に焼き付いているというのに。
俺の心は澄田さんのふとした瞬間に見せる表情に、こうも簡単に揺さぶられてしまう。
やれやれ、俺の心は竹の板バネみたいに都合よく衝撃を吸収してはくれないらしい。
炭の商売は順調だった。 だが、それだけではいずれ頭打ちになる。
俺たちは、村の新たな特産品を開発する必要に迫られていた。
「次の商品は、焼き物だ」
村に戻った俺は皆を集めてそう宣言した。
幸いこの辺りの土は陶器作りに適しているらしい。 問題は技術だ。
そこで白羽の矢が立ったのが、またしても澄田さんだった。
「焼き物、ですか。専門ではありませんが、歴史民俗学の観点からこの時代の製法についてはある程度の知識があります。 それに……」
彼女は令和の自宅から持ってきた分厚い専門書を何冊か取り出した。
『図説・日本の陶磁史』『誰でもできる! 週末陶芸入門』……。
ガチのやつと、初心者向けのやつが混在しているあたりが、彼女らしい。
「これらの知識を応用すれば、あるいは」
「さすが澄田さん! 頼りにしてる!」
俺がそう言うと、彼女は少し照れたように「お任せください」と小さく頷いた。
その姿に俺の胸がまたちくりと痛む。
陶器作りのプロジェクトは、澄田さんの、的確かつ情熱的な指導の下で、着々と進んでいった。
特に彼女がこだわったのは釉薬だった。
「ただの素焼きでは商品価値は低いままです。付加価値を高めるためには釉薬が不可欠です。 この時代で最も手に入りやすい材料は草木灰ですね」
彼女の指導で木地たちが様々な木の灰を集め、それを水で溶いて上澄みを取るという地道な作業が始まった。
そして、いよいよろくろを使った成形作業に取り掛かることになった。
手先の器用な母栖さん、いや今は大森の嫁である詩織さんがその役目を担う。
だが、見様見真似でやってみても粘土はぐにゃりと形を崩すばかりで、なかなか上手くいかない。
「うーん、難しい……」
詩織さんが、困ったように眉をひそめる。
見かねた澄田さんが、隣に座り、手本を見せることになった。
「詩織さん。 腰を入れて体全体の軸を意識してください。 そして粘土の中心を指先で感じ取るんです。こう……」
澄田さんの手が詩織さんの手にそっと重ねられる。
回転する粘土の塊が、まるで魔法のようにすうっと中心を捉え、みるみるうちに美しい椀の形になっていく。
「すごい……! 澄田さん、なんでもできるんですね!」
詩織さんが尊敬の眼差しを送る。
「いえ。本で読んだ知識を、実践しているだけです」
澄田さんは謙遜するが、その横顔は自信と喜びに満ち溢れていた。
俺も、見ているだけではつまらなくなり、挑戦してみることにした。
「俺も、やらせてくれ」
「嶺さんが? ですが、意外と難しいですよ」
「いいから、いいから」
俺は詩織さんと交代し、ろくろの前に座った。
だが結果は惨憺たるものだった。
粘土はあっちへこっちへと暴れまわり、しまいには遠心力で俺の顔にべちゃりと張り付いた。
「ぶっ……!」
「あはははは! 先輩、ひどい顔になってますぜ!」
大森が腹を抱えて大笑いしている。
「もう、嶺さんったら、子供みたい」
詩織さんが呆れたように笑いながら布で俺の顔を拭いてくれた。
その時だった。
「…… 貸してください」
澄田さんが俺の後ろにすっと回り込み、座ったのだ。
「え、ちょ、澄田さん!?」
彼女の体が俺の背中にぴったりと密着する。
柔らかい感触とシャンプーのようないい香りが俺の鼻腔をくすぐり、思考が一瞬でフリーズした。
「力を抜いてください。私が、ガイドします」
澄田さんの手が俺の手に優しく重ねられた。
そしてそのまま、ゆっくりと回転する粘土へと導かれる。
な、な、な…… なんだ、この、ラノベで百万回は見たことのある、超王道展開は!?
背中には澄田さんの体温と柔らかな膨らみ。
耳元では彼女の落ち着いた、それでいて少しだけ上ずったような声が囁くように指示を出す。
「そう…… 指先に意識を集中して……。 粘土の、声を聞くんです……」
俺の心臓はもう爆発寸前だった。 粘土の声どころか、自分のバクバクとうるさい心臓の音しか聞こえない。
だが、不思議なことに、彼女に導かれるままに動かした俺の手の下で、あれほど言うことを聞かなかった粘土が、少しずつ、形を成していくのが分かった。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。 やがて不格好ながらも一つの湯呑みが完成した。
「…… できましたね」
澄田さんの安堵したような声で俺ははっと我に返った。
彼女は名残惜しむようにゆっくりと俺から体を離した。
俺は振り返ることができなかった。
今自分がどんな顔をしているのか、自分でも分からなかったからだ。
遠くで、大森が「ちくしょう、先輩だけ、ずるい……!」と、ハンカチを噛むような仕草をしているのが、見えた気がした。
試行錯誤の末、草木灰を使った淡い緑色の釉薬をかけた記念すべき陶器第一号がいくつも焼き上がった。
素人の作品としては上出来と言っていいだろう。
形は少し歪だがそれがかえって素朴な味わいを醸し出している。
「よし、合格だ。これなら、清州で、値段さえ間違えなければ、十分に売れるぞ。炭に続く、新たな商品の誕生だ!」
俺がそう言って完成品の一つを掲げると、ワッと歓声が上がった。
その中でも、一際、興奮していたのが、大森だった。
「すげえ! すげえよ、詩織! お前は天才だ! 日本一の陶芸家だ!」
彼は妻である詩織さんの肩を掴んでぶんぶんと揺さぶっている。
「すげえ! すげえよ、詩織! お前は、天才だ! 日本一の陶芸家だ!これは家宝として絶対に売れないな」
「おいおい、大森、落ち着け」
俺はあまりの暴走ぶりに呆れて釘を刺した。
「売れないと困るんだよ。俺たち全員が、な。 これは芸術品じゃない。 俺たちがこの時代で生きていくための『商品』なんだ」
「で、ですが、先輩! この、詩織の、血と汗と涙の結晶を……!」
「もう、あなたったら、大げさなんだから」
そこで詩織さんがにっこりと微笑んで大森の手を握った。
「これからもっともっとたくさん作るから。だからあなたがこれをしっかり売ってきてちょうだいね。 頼りにしてるわよ、私の旦那様」
「し、詩織……!」
詩織さんの完璧な一言で、大森は完全に陥落した。
彼は感激に打ち震えながら力強く頷いた。
「分かった! 俺に任せろ! この大森、命に代えても、詩織の作った器を、清州で、一番の評判にしてみせるぜ!」
やれやれ。
どうにかこの場は収まったが、大森のあの異常なテンションは完全に恋する男のそれだった。
まあ見ていて微笑ましい限りだがな。
そんな、賑やかで、どこか、のんびりとした日々が、冬の尾張で過ぎていった。
幸いなことに今年は雪が積もるほどの日は少なく、比較的穏やかな冬だった。
炭作りや荷車の追加生産、そして陶器作りと、村の男たちも木地たちも農閑期だというのに忙しく、そして楽しそうに働いている。
いつの間にか木地の人々のほとんどは山奥にある自分たちの集落には戻らず、俺たちの村にある空き家を自分たちで修理して住み着くようになっていた。
もちろんその辺りは大森がきちんと許可を出しているらしい。
事実上彼らは大森の配下と言っても差し支えない状態になっていた。
村は確実に一つの力を持った共同体として成長しつつあった。
だからこそ、俺は、次の手を打つ必要性を感じていた。
ある晩、俺は大森を自分の小屋にこっそりと呼び出した。
「大森。今後の、俺たちの進む道について、もう一度、確認しておきたい」
囲炉裏の火が俺たちの顔を赤く照らし出す。
「方針は変わらない。地侍として半農半武の暮らしを確立し、織田信長の配下のどこかの武将の下につく。 これで間違いないな?」
「はい、先輩。ですが…… どうやって信長様のお目に留まるか……」
「ああ、そう簡単にはいかないだろうな。だが、焦る必要はない。 大丈夫だ。 時期を待て」
俺は澄田さんから得た歴史の知識を彼に伝えることにした。
「澄田さんからの情報なんだが……、歴史通りに進むなら、来年永禄五年には信長は犬山城の織田信清と本格的な戦を始める…… らしい」
「来年、ですか……」
「ああ。そしてこの時代のこういう侵攻作戦の場合、まずは敵方の地侍や国衆の調略から始まるのが定石…… だそうだ」
俺の少し歯切れの悪い言い方に、大森が苦笑した。
「先輩。 貴重な情報をありがとうございます。 …… が、できれば断定形で伝えてもらえると助かりますぜ。 疑問形で言われるとこっちも不安になりますからね。 まあ、出所は澄田さんなんでしょう。 彼女の言うことなら間違いはねえでしょうが」
「…… すまん」
確かにその通りだ。
「初陣は、その犬山城攻めということになるかもしれんな。だが、大森。 お前は決して戦に積極的に参加するんじゃないぞ。 槍働きで手柄を立てようなんて考えるな。 この時代、ちょっとした怪我一つが命取りになるんだからな」
「分かっております。俺の役目は頭脳働き。 腕っぷしは山窩の若い奴らに任せて、俺は武将としてどっしり構えてみせますよ」
大森はそう言って不敵に笑った。 こいつなら本当にやり遂げるだろう。
俺たちはそれからも夜が更けるまで話し合った。 そして当面の目標を改めて確認した。
「まずは、清州で、銭を稼ぐだけ稼ぐ。炭と、新商品の陶器で、近江屋のような大店との取引を、さらに太くするんだ。そして、ゆくゆくは、清州城に、直接、品物を納める『出入り商人』の身分を手に入れる。そうなれば、武将たちと、直接、繋がりを持つ機会も生まれるはずだ」
俺たちは、それからも、夜が更けるまで、話し合った。
「へい! やってやりましょうぜ、先輩!」
大森の目に力強い光が宿る。
そうだ。
この乱世でただ生き残るんじゃない。 俺たちの手で未来を掴みに行くんだ。
俺たちの野望は囲炉裏の火のように、静かに、しかし熱く燃え上がっていた。




