第二十一話 揺れる心のサスペンション
永禄尾張に戻ってきた俺の顔は自分でも分かるくらい真っ赤だったに違いない。
祠の前で待っていた大森が、俺の顔を見るなり、ニヤア、と意地の悪い笑みを浮かべた。
「おやあ? 先輩、随分と、いいお顔で。 何か、進展でも、ありましたかな?」
「…… な、何もない!」
「へえー? その顔で、よく言いますぜ。 もう、じれったいなあ、このヘタレ主人公は!」
くそっ、大森の奴、言いたい放題言いやがって……。
俺は今、完全にラブロマンスの主人公みたいな状況にいるはずなのだ。
二人のヒロイン(? )に積極的にアプローチされてドキマギするっていう、あの、王道展開の、真っ只中に……!
だが、どうやら周りから見れば、俺はただのじれったいヘタレにしか見えていないらしい。
やれやれ。
信長に接触するクエストよりも、このラブコメクエストの方がよっぽど攻略難易度が高いんじゃないだろうか。
俺は熱を持ったままの自分の頬にそっと手を当てながら、大きくため息をつくのだった。
村に戻ると澄田さんが出迎えてくれた。
彼女は俺と大森、そして護衛の山窩たちの顔を順に見回すと、最後に俺の顔で視線をぴたりと止めた。
その理知的な瞳がまるでスキャナーのように俺の表情を解析している気がして居心地が悪い。
「嶺さん。お疲れ様でした。 …… 些か、通常よりも顔面の毛細血管が拡張しているように見受けられますが、何かおありですか?」
「え、あ、いや、なんでもない! ちょっと、祠の周りが暑かったっていうか、な?」
我ながら苦しい言い訳だ。
大森が隣で「ぷっ」と噴き出すのを肘で思い切り小突いて黙らせる。
澄田さんは、ふむ、と小さく顎に手を当てた。
「そうですか。大峰さんを無事にお送りできたのであれば、何よりです。 ただ、あなたのバイタルサインには看過できない乱れが観測されます。 過度の精神的負荷は、この時代でのサバイバルにおいて致命的な判断ミスを誘発しかねません。 必要であれば、カウンセリングも行いますが」
「だ、大丈夫だから!」
カウンセリングなんてされた日には茜さんとのキスの一件を理詰めで吐かされそうだ。
それだけは絶対に避けなければならない。
俺は、この気まずい雰囲気から逃れるように、パンパンと手を叩き、全員の注意を引いた。
「さて、と! 感傷に浸っている暇はないぞ! 村の周りの囲いや空堀もあらかた完成したことだし、次の計画に移る!」
俺がそう宣言すると、山窩の男たちの顔に緊張が走った。
彼らの視線が俺の一挙手一投足に注がれる。
いつの間にか俺は、この小さな共同体のリーダーとしての役割を自然と受け入れるようになっていた。
「俺たちの村は山の中腹にある。これは防御には有利だが、商いをするには不便だ。 そこで、まずは麓までの道を整備する!」
農閑期に入り男たちの手は空いている。
山窩たちだけでなくこの土地に古くから住まう木地たちにも協力を仰ぐことにした。
彼らは山のことを知り尽くした頼れるプロフェッショナル集団だ。
幸い、木地たちのまとめ役である爺様は俺たちの活動に協力的だった。
実は偶然に大森が、近くに住まう木地たちの集落を見つけてしまい、芋など食料を援助したことでかなり仲良くなっている。
まあ芋だけでなく、その後に色々と俺達が持ち込んできたものを融通していたので、それもあるのかもしれない。
援助として渡してきた米や塩、そして近代的な工具の数々が彼らの生活を少しずつ豊かにしていることを実感してくれているらしい。
「道、でございますか。そりゃあ、ねえよりは、あった方がありがてえが……」
「大丈夫。俺に考えがある」
俺はシャベルやツルハシといった土木作業の必需品に加え、とっておきの道具を彼らの前に披露した。
転圧ローラー、通称「ハンドローラー」だ。
もちろん手動式のやつだが、地面を均して固める能力はこの時代の技術では考えられないほど高い。
「これを使って、ただの獣道じゃない、荷車が通れる『道』を造るんだ」
俺の言葉に、最初は半信半疑だった木地たちも、山窩たちがシャベルを巧みに操り俺が持ち込んだ道具が面白いように地形を変えていくのを見て次第にその目つきが変わっていった。
澄田さんも地形の勾配を計算したり排水のための側溝の設計を提案したりと、その知識を遺憾なく発揮してくれる。
彼女が、手製の測量器具を使い、てきぱきと指示を出す姿は、実に頼もしく、そして、どこか輝いて見えた。
「嶺さん、この地点の傾斜角ですと、雨水による侵食を考慮し、もう少しカーブを緩やかにした方が道の寿命は格段に上がります」
「なるほど……。さすが澄田さんだな」
俺が素直に感心すると、彼女はふいっと顔を背けた。
その耳が少しだけ赤くなっているように見えたのは西日のせいだろうか。
俺たちの近代土木技術と木地師たちの山に関する知恵、そして山窩たちの労働力が合わさった結果、麓までの道は驚くべき速さで形になっていった。
踏み固められた道はまるで最初からそこにあったかのように、自然な形で森の風景に溶け込んでいた。
「ふう……。これで、第一段階はクリア、だな」
完成した道を麓から見上げながら、俺は満足のため息をついた。
「いやあ、大したもんですよ、先輩。これなら、荷を運ぶのも、ずいぶん楽になりますぜ」
大森が誇らしげに胸を張る。
だが、問題は、その「荷を運ぶ」ための肝心な道具が、この村にはないことだった。
「道ができても肝心の荷車がないんじゃ意味がない。今、村で使っているのは俺が持ち込んだアルミ製のリヤカー一台だけだ。 さすがに、あれで清州まで行くのは無謀すぎる」
そのリヤカーはあくまで村の中での小規模な運搬用だ。
長距離をそれなりの量の荷物を積んで移動するには、もっと頑丈で本格的な荷車が必要になる。
「となると、まずは、この時代で、どんな荷車が使われているか、調査するところから始めないとな」
「へい。 それなら楽田の市場か、いっそ清州まで足を伸ばしてみるのが一番ですぜ。 色んな荷車が見ら
「よし、決まりだ。 大森、準備を頼む」
「合点承知!」
俺と大森がそんな話をしていると、いつの間にか隣にいた澄田さんがすっと手を上げた。
「その調査、私も同行させていただきます」
「え?」
「この時代の物流インフラ、特に輸送機器の実態を把握することは、今後の村の経済活動を計画する上で、極めて重要なデータとなります。フィールドワーカーとして、記録しないわけにはいきません」
理路整然とした完璧な理由だ。
断る隙がない。
というか彼女がいてくれれば俺が見落とすような専門的な視点から、色々と分析してくれるに違いない。
戦力としては、むしろ大歓迎だ。
……ただ、な。
俺の脳裏に茜さんの顔がちらつく。
あの唇の感触がまだ生々しく残っている。
そんな状態で澄田さんと二人きりになる時間が増えるのは、どうにもこうにも気まずい。
俺が返答に詰まっていると、大森がまたしても、ニヤニヤしながら助け舟(という名の火に油)を出してきた。
「いいじゃないっすか、先輩。澄田さんがいてくれりゃあ、百人力だ。それに、たまには、俺抜きで、二人でゆっくり……」
「大森!」
俺は慌てて大森の口を塞いだ。
こいつは本当にデリカシーというものをどこかに置き忘れてきたんじゃないか
澄田さんは、そんな俺たちのやり取りを、特に気にする風でもなく、静かに俺の答えを待っていた。
「…… 分かった。 澄田さんも、一緒に行こう。 頼りにしてる」
「はい。お任せください」
彼女はこくりと頷くと、少しだけ、本当に少しだけ口元を綻ばせたように見えた。
数日後、俺と大森、澄田さん、そして護衛の山窩数名という一行は、清州の城下町にいた。
前回訪れた時よりも町の活気は増しているように感じる。
道を行き交う人々の顔にもどこか明るさがあった。
信長による尾張統一が着実に進んでいる証拠なのかもしれない。
俺たちの目的は荷車だ。
市場や街道筋に目を光らせ、様々な種類の荷車を観察して回った。
牛に引かせる大きな牛車から人が引く簡単な大八車まで、その種類は様々だ。
「なるほどな……。車輪は、厚い板を何枚か組み合わせて、鉄の輪で締めているのか」
「軸受けの構造は極めてシンプルですね。木と木の摩擦を油で軽減させているだけ。 これでは積載量が増えれば相当な抵抗になるはずです」
澄田さんが持参した手帳にスケッチをしながら専門的な分析を加えていく。
彼女の横顔は真剣そのものだ。
知的好奇心を満たしている時の彼女は本当に生き生きしている。
「買うとなると、結構な値段がしそうだな」
大森が近くの商人にそれとなく値段を聞いてくれたが、やはり新品の荷車となると米俵何俵分という俺たちにはまだ手の出ない価格だった。
「……よし。決めた。荷車は、俺たちで作る」
「作るって……先輩、正気ですかい? 車輪一つ作るのだって、大変な技術がいるって話ですよ」
「ああ。だが、俺たちの村には、最高の職人がいるじゃないか」
俺の脳裏には木地師たちの顔が浮かんでいた。
彼らならきっと見事な車輪を作ってくれるはずだ。
そして俺たちには彼らの技術をさらに進化させるための「知識」がある。
村に戻った俺は、早速、木地師たちを集めて、荷車作りの計画を打ち明けた。
清州で描いてきたスケッチを見せながら説明すると、木地師たちは興味深そうにそれを覗き込んだ。
「ほう、荷車、ねえ。確かに、これがあれば、炭や材木を運ぶのが、うんと楽になるだろう」
「車輪を作るくれえは、お手の物だ。だが、こいつを組み上げるのは、ちいとばかし、骨が折れるぞ」
「そのために、俺がいる」
俺はそう言うと、納屋の奥からとっておきの秘密兵器を持ち出した。
「こ、こいつは……!?」
俺が地面に置いたオレンジ色の奇妙な機械を見て、木地たちがざわめく。
エンジン式の、チェーンソーだ。
本当は電気式の丸ノコが使えればもっと精密な加工ができるのだが、永禄の世にコンセントも発電機もない。
太陽光パネルという手も一瞬考えたが、さすがにこの時代の人間たちの前でいきなり電気を生み出して見せるのは刺激が強すぎるだろう。
実はすでに小さいものなら持ち込んでは来ているが、それはあくまで俺達の拠点の中で使うためのものだから、ここで皆には明かせない。
その点エンジンなら、まだ「からくり」で誤魔化しが効くかもしれない。
「よく見ててくれ」
俺はスターターロープを思い切り引いた。
けたたましいエンジン音と共に、チェーンが高速で回転を始める。木地たちも、周りで見物していた山窩たちも、びくっとして後ずさった。
「な、なんちゅう音だ!」
「化け物か!?」
俺は彼らの驚きをよそに足元に転がっていた丸太に回転する刃を押し当てた。
ギュイイイイイイン!
甲高い音と共に木屑が滝のように舞い上がる。
あれほど硬い丸太がまるで豆腐のよう、あっという間に切断されていく。
俺はそのまま次々と丸太を板状に加工していった。
ほんの数分で、屈強な男が、一日がかりで、斧やノコギリを使って加工するのと、同じくらいの量の材木が、切り出されていく。
やがて俺がエンジンのスイッチを切ると、辺りは不気味なほどの静寂に包まれた。
木地たちも山窩たちも誰一人言葉を発しない。
ただ目の前で起きた信じがたい光景と、切り出された材木の山を呆然と見つめているだけだった。
「……どうだ? これなら、やれると思わないか?」
俺の言葉に、最初に我に返ったのは木地の爺様だった。
彼はわなわなと震える指で俺が切り出した板の滑らかな断面を撫でた。
「…… 神の、仕業か……」
やれやれ。 まあ、そう思うのも無理はないか。
この一件で、俺は、村の人間たちから、半ば、神か、あるいは、何か得体のしれない妖術使いのように、見られることになってしまった。
荷車作りはそこから一気に加速した。
俺がチェーンソーで次々と材料を切り出し、木地たちがそれを寸分の狂いもなく組み上げていく。
彼らの職人技は本物だ。
特に車輪作りの技術は目を見張るものがあった。
あっという間に、頑丈で、真円に近い、見事な車輪が、いくつも完成した。
そして、このプロジェクトでもう一人異様なほどの熱意を燃やしている人物がいた。
言うまでもなく澄田さんだ。
「嶺さん! 車軸の固定方法ですが、ただ荷台に直付けするのではなく、ここに緩衝機構を導入することを提案します!」
彼女は興奮した面持ちで一枚の設計図を俺の前に広げた。
そこに描かれていたのは竹を束ねて作った弓なりのパーツだった。
「嶺さん! 車軸の固定方法ですが、ただ荷台に直付けするのではなく、ここに、緩衝機構を導入することを提案します!」
彼女は、興奮した面持ちで、一枚の設計図を俺の前に広げた。そこに描かれていたのは、竹を束ねて作った、弓なりのパーツだった。
「これは……、もしかして、板バネか?」
「ご明察です! 竹の持つ弾力性と靭性を利用した簡易的なサスペンションです。 これにより路面からの衝撃を大幅に吸収し、荷崩れを防ぐだけでなく乗り心地も飛躍的に向上するはずです!」
目をキラキラさせながら熱弁を振るう澄田さん。
その姿はまるで新しいおもちゃを与えられた子供のようだ。
異世界転生ものの定番チート。
彼女は今まさにそれを実践している感覚なのだろう。
楽しそうで、何よりだ。
「よし、それ、採用! 早速、作ってみよう」
俺たちは早速質の良い竹を切り出し、板バネの製作に取り掛かった。
竹を束ね油で煮て強度と柔軟性を高める。
その工程を澄田さんは実に嬉々として指揮していた。
俺たちは、早速、質の良い竹を切り出し、板バネの製作に取り掛かった。
竹を束ね、油で煮て、強度と柔軟性を高める。
その工程を、澄田さんは、実に嬉々として、指揮していた。
俺が、彼女の指示に従って、竹を縄で縛り上げていると、不意に、彼女の手と、俺の手が、触れ合った。
「あ……」
「わっ、す、すまない……」
俺は慌てて手を引っ込めた。
心臓がどきりと跳ねる。
澄田さんも顔を赤らめて俯いてしまった。
普段のクールで知的な彼女からは想像もつかない反応だ。
「…… いえ。 こちらこそ、すみません。 少し、夢中になりすぎていました」
彼女はそう言うと乱れた髪を耳にかけた。
その仕草がなんだか妙に色っぽく見えて、俺はさらに心臓がうるさくなるのを感じた。
くそっ、俺は、一体、何を意識しているんだ……。
茜さんのキスといい、今の澄田さんの反応といい、俺の貧弱な恋愛経験値ではもう処理できるキャパシティをとっくに超えている。
遠くで作業の様子を眺めていた大森が、またあのニヤニヤした顔でこちらを見ているのが視界の端に入った。
…… 後で覚えてろよ。
数日後、俺たちの知識と技術の結晶ともいえる新型荷車第一号がついに完成した。
木地たちの手による頑丈な車輪と荷台。 そして澄田さん肝いりの竹製板バネサスペンション。
見た目はこの時代の荷車とさほど変わらないが、その性能は全くの別物のはずだ。
「よし、試運転だ!」
山窩の若い男が試しに荷台に乗って、別の男がそれを引いてみる。
「おおっ!?」
荷車を引いた男が驚きの声を上げた。
「軽い!」
「それに、乗り心地が全然違う! 道がでこぼこしてるのに、全然尻が痛くならねえ!」
荷台に乗った男も興奮して叫んでいる。
実験は大成功だった。
板バネの効果は絶大だった。
車輪が路面の凹凸をしなやかに吸収し、荷台の揺れを最小限に抑えている。
「やりましたね、嶺さん!」
澄田さんが満面の笑みで俺の腕を掴んだ。
「ああ。澄田さんのおかげだ。 ありがとう」
俺がそう言って微笑み返すと、彼女ははっとしたように掴んでいた腕を離し、再び顔を赤らめた。
その時、俺の心は、確かに、揺れていた。
茜さんの情熱的なアプローチ。
そして澄田さんが時折見せる、普段の彼女からは想像もつかない可愛らしい一面。
俺の心の荷台は二人のヒロインという重くて、そしてかけがえのない荷物を乗せてぎしぎしと音を立てている。
この揺れる心を制御してくれる都合のいいサスペンションはどこにもない。
完成した荷車を囲んで歓声を上げる村人たちを眺めながら、俺は一人天を仰いだ。
村の未来は、この荷車のように少しずつ前へ進み始めた。
だが、俺個人のこのラブコメクエストは、一体どこへ向かって進んでいくのだろうか。
前途多難とは、まさにこのことだな、と。
俺は熱くなり始めた頬をごしごしと擦りながら、また大きなため息をつくのだった。




