第二十話 じれったい恋のクエスト
俺たちの村も随分と様になってきたものだ。
村の周りにはシャベルという近代兵器によって掘られた見事な空堀が完成しつつある。
山窩の男たちは今やシャベルを体の一部のように操り、土木作業だけでなく大森が考案した「シャベル術」なる謎の武術の訓練にも励んでいた。
「チェストーッ! シャベルは、こう、腰を入れて振るんだよ!」
大森が指導教官よろしく大きな声で檄を飛ばしている。
その手にはもちろん愛用のシャベルが握られている。
…… もうあいつの本体はシャベルなんじゃないだろうか。
俺が買い与えた小刀を腰に差し、シャベルを構える山窩の男たち。
その中には元服を済ませたばかりの少年たちの姿も混じっている。
総勢十人。
これが俺たちの村が有する最初の「兵力」となるわけだ。
なんとも頼りないというか、珍妙な部隊だがな。
「先輩! この調子なら、いよいよ次のステップに進めますぜ!」
訓練を終えた大森が汗を拭いながら得意げに話しかけてきた。
「次のステップ、か……」
俺と大森が以前から話し合っていた計画。
それはこの乱世を生き抜くための大きな賭けだった。
「ああ。この村だけで、独立を保ち続けるのは、いずれ限界が来る。どこか、有力な武将の庇護下に入り、『地侍』としての地位を確立するんだ」
「となると、狙いは、やはり……」
「織田信長、だな」
永禄四年、現在。
尾張をほぼ統一した信長は、未だ抵抗を続ける犬山の織田信清と小競り合いを続けているらしい。
歴史の教科書ではもう尾張統一を果たしているようなイメージだったが、現実はもっとごちゃごちゃしているわけだ。
こういう、生の情報は、清洲まで炭を売りに行っている、大森たちの行商部隊がもたらしてくれる。
「信長様は、身分に関係なく、実力のある奴は、どんどん取り立てるって話ですぜ。俺たちみたいな、ぽっと出の山猿でも、ワンチャンあるんじゃないっすか?」
「だと、いいんだがな……」
いずれ信長に接触し、俺たちの村の価値を売り込む。
それが俺たちに課せられた新たなクエストだ。
とんでもなく難易度の高いクエストに挑むことになったもんだ。
そんな、壮大な計画が動き出す一方で、俺個人のクエストは、相変わらず、ちっとも進展していなかった。
今回の永禄トリップには澄田さんも同行している。
大学生である彼女は、ちょうど春休みに入ったらしく、「フィールドワークの絶好の機会ですから」と、当然のように、一ヶ月の長期滞在を決め込んでいた。
問題は、それを聞いた、茜さんの反応だ。
「えーっ! 澄田さんだけ、一ヶ月も!? ずるい! 私も、もっと長くいたい!」
令和の家で出発の準備をしている俺に向かって、茜さんが子供のようにぷうっと頬を膨らませてぐずり始めたのだ。
やれやれ、あんたは農協の仕事があるだろ……。
「仕方ないだろ。澄田さんは学生で、茜さんは社会人なんだから」
「むーっ! 理屈では、分かってるけど! 気分的に、納得いかないんですーっ!」
ソファの上で足をばたつかせて抗議する二十七歳、バツイチ。
…… なんだこの可愛い生き物は。
そんな、一悶着がありながらも、俺たちの、二泊三日の永禄尾張での活動は、あっという間に過ぎていった。
そして茜さんを令和に戻すため、俺は再びあの祠へと向かうことになった。
「嶺さん。前回の、大峰さんを送って行った時のご様子、少し、おかしかったように見受けられましたが」
出発しようとすると、澄田さんが俺の顔をじっと見つめながら、静かに、しかし有無を言わさぬ圧力で問いかけてきた。
「気のせいじゃないか?」
「いえ。私の観察眼を、侮らないでいただきたい。 何らかの、通常とは異なるインタラクションがあったものと推察されます。 念のため、今回の帰還にも私が同行し、状況を記録する必要が……」
「だーめ!」
澄田さんの言葉を茜さんがピシャリと遮った。
「これは、私と嶺さんの問題なんだから! 澄田さんは、お留守番!」
そう言うと茜さんは俺の手をぐいっと掴むと、いそいそと祠の方へ歩き出してしまった。
…… おいおい、さっきまでぐずってた人間の変わり身の早さじゃないだろ、これ。
後ろでは澄田さんが何か言いたげな顔でこちらを見ている。
やれやれ、女の戦いってやつはよく分からんな。
結局、祠までついてきたのは大森と護衛役の山窩の男が二人だった。
道すがら、大森が、ニヤニヤしながら、俺の肩を肘で突いてくる。
「先輩。いい加減、すっきりさせておいた方がいいですよ」
「…… 何をだ?」
俺がとぼけてみせると、大森は盛大にため息をついて見せた。
「やれやれ……。先輩って、『鈍感系』の主人公でもやる気ですかね? 周りは、みんな、気づいてますぜ。 茜さんの、あの分かりやすい態度に」
「…… うるさい」
「まあ、澄田さんも、なーんか、意味ありげな視線を、先輩に送ってますけどね。いやあ、モテ期じゃないっすか、先輩!」
「からかうな」
俺が顔に集まってくる熱を感じながら、そう返すのが精一杯だった。
俺の手を引く茜さんは、そんな俺たちの会話が聞こえているのかいないのか、ただ黙々と前を歩いている。
その横顔はなんだか決意を固めたように見えた。
なんだ? 一体、どうなっているんだ?
「じゃあ、行ってくる。すぐに戻るから」
祠の前で大森たちにそう言い残し、俺は茜さんに手を引かれるまま時空のトンネルへと足を踏み入れた。
眩い光が収まり、慣れ親しんだ婆ちゃんの家の仏間に到着する。
「さて、じゃあ、俺はすぐに……」
戻らないと、な。
そう言いかけた俺の言葉は、しかし続かなかった。
ぐいっ、と、強い力で腕を引かれたのだ。
振り返った瞬間、俺の視界は茜さんの顔でいっぱいになった。
そして――。
「ん…… っ」
唇に柔らかい感触。
前回のような触れるだけの可愛らしいものではない。
もっと、こう、確かめるような、想いを全部ぶつけてくるような、そんなキスだった。
時間が止まったように感じる。
茜さんの腕が俺の首に回され、引き寄せられる。
俺の頭は完全に真っ白になっていた。
な、な、な…… なんだ、これは……!?
これが、キス…… なのか?
俺が今まで本や映画でしか知らなかった、あの……。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
ゆっくりと、唇が離れる。
目の前の茜さんは顔を真っ赤にして、潤んだ瞳で俺をじっと見つめていた。
「…… へたれ」
ぽつり、とそんな言葉が彼女の口から漏れた。
「え……?」
「…… 嶺さんの、へたれ。 こっちが、こんなに勇気出してるのに……。 なんで、何もしてくれないのよ……」
うっ……。 その言葉は俺の胸にぐさりと突き刺さった。
確かにそうだ。
年齢イコール彼女いない歴の恋愛経験値ゼロのヘタレじゃなければ、今頃は彼女を力強く抱きしめてそのまま押し倒して…… なんていうラノベみたいな展開もあったのかもしれない。
だが、悲しいかな俺のステータスは「ヘタレ」に極振りなのだ。
どうすればいい?
何を言えばいい?
俺の貧弱な脳みそは、完全に、フリーズしていた。
俺がただ呆然と立ち尽くしていると、茜さんはふうと一つため息をついた。
その表情は少し別れを惜しむように寂しげに見えた。
「…… もう、いい。 早く、戻ってあげなよ。 みんな、待ってるでしょ」
「あ、あかねさ……」
何かを言おうとする俺の唇を、彼女の指がそっと塞ぐ。
そして、今度は、彼女の方から、もう一度、軽く、チュッ、と音を立てて、俺の唇にキスをした。
「……行ってらっしゃい」
そう言って悪戯っぽく笑う彼女に、俺はもう何も言えなかった。
ただ、こくこくと頷き、逃げるように、再び、祠の光の中へと飛び込んだのだった。
永禄尾張に戻ってきた俺の顔は、自分でも分かるくらい真っ赤だったに違いない。
祠の前で待っていた大森が、俺の顔を見るなり、ニヤア、と意地の悪い笑みを浮かべた。
「おやあ? 先輩、随分と、いいお顔で。 何か、進展でも、ありましたかな?」
「…… な、何もない!」
「へえー? その顔で、よく言いますぜ。 もう、じれったいなあ、このヘタレ主人公は!」
くそっ、大森の奴、言いたい放題言いやがって……。
俺は今、完全にラブロマンスの主人公みたいな状況にいるはずなのだ。
二人のヒロイン(? )に積極的にアプローチされてドキマギするっていう、あの王道展開の真っ只中に……!
だが、どうやら周りから見れば、俺はただのじれったいヘタレにしか見えていないらしい。
やれやれだぜ。
信長に会うクエストよりも、このラブコメクエストの方がよっぽど攻略難易度が高いんじゃないだろうか。
俺は、熱を持ったままの自分の頬に、そっと手を当てながら、大きく、ため息をつくのだった。




