第十九話 ラブコメ時々、陶芸クエスト!
やれやれ、またこの季節がやってきたか。
二月の冷たい夜気の中、俺はいつものように婆ちゃんの家の仏間から、永禄尾張へと足を踏み入れた。
新月の前後三日間だけ許された、時空を超えたナイトトリップだ。
令和の側では茜さんとの同棲(仮)がスタートするという、俺のキャパシティを遥かに超える事態が進行中だが……今は、目の前のことに集中しなくてはならない。
「さて、みんな、どうしてるかな」
俺がいない一ヶ月の間にあの村がどうなっているのか。
期待と不安を胸に、俺は慣れた山道を歩いて屋敷へとむかう。
屋敷に近づくと、何やら香ばしいような土臭いような不思議な匂いが鼻をかすめる。
そして、ひときわ明るい光が漏れている一角があった。
なんだ? と思いながら近づいてみると、そこには母栖さんと澄田さん、そして彩と茂助の兄妹が、神妙な顔つきで何かを囲んでいる。
「…… 嶺さん!」
俺に気づいた澄田さんが静かに声を上げた。
その声に母栖さんがはっと顔を上げる。
その手にはなんとも無骨な素焼きの椀が握られていた。
「あ…… 嶺さん、お帰りなさい」
母栖さんの声はなぜか少ししょんぼりしている。
「ただいま、母栖さん。…… なんだ、これは?」
俺がその素焼きの椀を指さして尋ねると、母栖さんはそれを恥ずかしそうに差し出してきた。
「あの、本当は…… もっと、こう、綺麗な焼き物をお見せしたかったんですけど…… 間に合わなくて……」
「焼き物? これを、母栖さんたちが?」
「はい……。 澄田さんに教えていただきながら、皆で作ったんです」
俺が驚いて澄田さんの方を見ると、彼女はいつも通りのクールな表情で小さく頷いた。
どういうこと?
俺がいない間に、一体、どんなクエストが発生していたっていうんだ?
俺の疑問を察したように、母栖さんがこの一ヶ月の出来事をぽつりぽつりと話し始めてくれた。
話は、俺が令和に帰った、すぐ後のことらしい。
大森は相変わらずの行動力で、村の男衆を束ねてまずは炭焼き窯の増設に取り掛かったそうだ。
「いいか、お前ら! この村の未来は、この炭にかかってるんだ! 気合入れて、ガンガン窯をでかくするぞ!」
ドッカンドッカンと威勢のいい槌音が山に響く。
大森の号令一下、男たちはまるで祭りでも始まったかのように楽しげに作業を進めていく。
やれやれ、あいつ、すっかり親方気取りだな。
その甲斐あって炭の生産量は飛躍的に増大した。
大森は露助たち山窩の民に護衛を頼み、楽田だけでなく尾張の中心地である清洲の城下町まで販路を広げていったという。
「清洲の活気は、すごかったっすよ、先輩! 楽田なんて、目じゃありませんぜ!」
後から合流した大森が興奮気味にそう語る。
信長の本拠地でもある清洲は、この時代の経済の中心地の一つだ。
俺たちの作る上質な炭はそこで飛ぶように売れたらしい。
稼いだ銭で村の食料や武具はさらに潤沢になっていく。
まさに順風満帆の成長期に入ったわけだ。
一方、男たちが炭焼きと行商で忙しくしている間、屋敷を守る母栖さんたち女性陣もただ遊んでいたわけではなかった。
彼女たちの新たな挑戦、それが『陶器作り』だった。
発端は澄田さんが令和から持ち込んだ一冊の本。
『退職後の趣味に、陶器作り入門』……。
なんともこの戦国時代にはミスマッチなタイトルだ。
「詩織さん。この本によれば、良質な粘土さえあれば、器を作ることが可能なようです」
澄田さんが冷静に本の内容を解説する。
母栖さんは、その本を、まるで聖典でも読むかのように、真剣な眼差しで見つめていたという。
「私、やってみたいです! いつも、拓也くんに頼ってばかりじゃなくて、私も、みんなの役に立ちたいんです!」
健気な決意だな。 俺は話を聞きながら、思わず頬が緩むのを感じた。
こうして、澄田さんをプロジェクトリーダーに、母栖さんと子供たちによる、「第一次・陶器開発クエスト」が、秘密裏にスタートしたのだ。
しかし、その道は平坦ではなかったらしい。
まず、第一の関門は、「土作り」だ。
例の入門書にはこう書かれていた。
『まず、粘土をよくこね、不純物を取り除きます。その後、一度完全に乾燥させてから細かく砕き、ふるいにかけてきめ細やかな土を作りましょう』
…… やれやれ、言うのは簡単だが途方もない作業だぞ、これは。
「ようし、やるぞー!」
「おー!」
母栖さんの号令に、茂助と彩が元気よく応える。
仕事から帰ってきた大森がその光景を見て目を丸くしたという。
「お、おい、詩織!? お前ら、何やってんだ!?」
「あ、拓也くん! お帰りなさい! これはね、その……」
もじもじと事情を説明する母栖さん。
それを聞いた大森は、最初こそ呆れていたが、やがて、ニヤリと笑うと、おもむろに自分の着物の袖をまくり上げた。
「へっ、面白そうじゃねえか。 俺にも、やらせろよ!」
「え、でも、拓也くんは、お仕事で疲れてるんじゃ……」
「馬鹿野郎。愛する女が、泥んこになって頑張ってんのに、見てるだけの男がいるかよ」
……なんだ、その少女漫画みたいなセリフは。
大森は、そう言うと、母栖さんの隣に座り、一緒に粘土をこね始めた。
「うわっ、なんだこれ、気持ちいいな!」
「でしょ? なんだか、無心になれるんだ」
二人は顔を見合わせてくすくすと笑い合う。
そのうちふざけ始めた大森が、母栖さんの鼻先にちょんと泥をつけた。
「きゃっ! もう、拓也くん!」
「ははは! 可愛い、泥んこ地蔵さんだな!」
「むーっ! 仕返しなんだから!」
母栖さんも大森の頬にぺたりと泥の手形をつける。
…… やめろ、お前ら。 俺にそんな甘々なラブコメ劇場を実況させるんじゃない。
そんな二人を茂助と彩が、「また始まったよ」とでも言いたげなやれやれ顔で眺めていたらしい。
…… うちの村、本当にまともな奴はいないのか?
そんなドタバタ劇を繰り広げながらも、土作りは着々と進んでいった。
乾燥させカチカチになった土を、今度は皆で木槌でトントンと叩いて砕いていく。 そして目の粗い布で何度も何度もふるいにかける。
気の遠くなるような作業の末に、ようやくサラサラの極上の陶芸用粘土が完成した。
「「「わーっ!」」」
完成した土の山を前に、母栖さんたちは思わず歓声を上げたという。
次のステップは、成形だ。
ろくろなんて便利なものはない。
皆で手びねりで一つ一つ丁寧にお椀の形を作っていく。
「うーん、難しい……。なんだか、歪んじゃう」
彩がべそをかきそうになる。
「大丈夫だよ、彩ちゃん。初めてなんだから当たり前だよ。 ほら、こうやって少しずつ、ゆっくりと形を整えていくんだ」
母栖さんが優しく手を取って教えてやる。 その姿はまるで本当の姉妹のようだ。
大森も不器用ながら、見よう見まねで粘土をいじっている。
「くそっ、なんで俺が作ると全部ぐにゃぐにゃになるんだ!」
「ふふっ、拓也くん、力が入りすぎてるんだよ」
「うっせ! これは、あれだ。 俺の覇気が強すぎるんだ。 そうに違いない」
意味不明の言い訳をしながらも、その目は真剣そのものだ。
そして、いよいよ、最後の工程、「素焼き」である。
炭焼き窯のノウハウを活かし、大森たちが、見よう見まねで小さな登り窯もどきを制作した。
戦国時代にも美濃などでは優れた陶器が作られていたが、素人がいきなり真似できるものではない。
自分たちで作った、歪な形のお椀を、そっと窯の中に並べていく。
「頼む……! うまく、焼けてくれ……!」
母栖さんは祈るような気持ちで窯の火を見つめていたという。
メラメラと燃え盛る炎。 それは村の新たな希望の炎のようにも見えた。
そして数日後。 十分に冷ました窯からおそるおそる焼き上がった器を取り出す。
そこには紛れもなく、土くれではない「陶器」と呼べるものが存在していた。
カチンと指で弾くと、乾いた心地よい音がする。
「…… できた……!」
母栖さんの目にじわりと涙が浮かぶ。
「やったな、詩織!」
大森が母栖さんの肩を力強く抱き寄せた。
「うん…… うん!」
茂助と彩も手を取り合ってぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んでいる。
澄田さんだけは相変わらず冷静に、「熱伝導による化学変化は概ね想定通りですね。次は釉薬の調合データが必要です」と次のステップについて思考を巡らせていたらしいが。
やれやれ、本当に、ぶれない奴だ。
…… と、そこまでが母栖さんから聞いた、この一ヶ月の顛末のようだ。
「すごいじゃないか、母栖さん! 大したもんだよ!」
俺が心からそう言うと、母栖さんはようやくはにかんだように笑ってくれた。
「でも、本当は、嶺さんに、釉薬を使った、つやつやの器を見てもらいたかったんです。これじゃあ、ただの土器みたいで……」
「いや、とんでもない! これはすごい第一歩だ。 ここからいくらでも可能性があるじゃないか」
俺は素焼きの椀を手に取り、その素朴な手触りを確かめる。
ざらりとした感触がなんだかとても温かく感じられた。
この村は、俺がいない間にも、着実に成長し、新しいスキルを習得していたのだ。
「よし! 決めた!」
俺はパンと手を叩いた。
「次のクエストは、本格的な焼き物作りだ! 俺が、令和から、もっといい資料と、秘密兵器を持ち込んでやる!」
「本当ですか!?」
母栖さんの顔がぱあっと輝く。
「ああ、任せとけ!」
俺は意気揚々と令和から持ってきた荷物を広げた。 今回の目玉商品はこれだ。
「じゃーん! どうだ、これ!」
俺が取り出したのはぴかぴかの金属製のシャベル十本。
「なぜここでシャベル…… ですか?」
大森が不思議そうに首をかしげる。
ふふん、ただシャベルじゃないぞ。これは最終兵器だ」
俺はニヤリと笑うと一本のシャベルを手に取り、軽く振り回してみせた。
「使い方次第では、強力な武器にもなる!」
俺がスマホに保存してきた動画を見せる。
そこには、軍隊が、シャベルを武器や防具として使う、いわゆる「シャベル術」の訓練映像が映っていた。
「うおおおおお! かっけえ! 先輩、これ、最高じゃないっすか!」
案の定、大森が目をキラキラさせて食いついてきた。 こういう中二病心をくすぐるネタに、こいつは本当に弱い。
「だろ? というわけで、大森。 このシャベルを、露助たち山窩の連中に渡して訓練させろ」
「了解でさあ、隊長!」
「ついでに、だ」と俺は続けた。
「その訓練がてら、村の周りに、空堀を掘らせるんだ。シャベルを使えば、今までの何倍も、効率よく掘れるはずだ」
防御力のアップグレードと新兵器の習熟訓練を兼ねた、一石二鳥の作戦だ。
早速、露助たちを呼び集めシャベルを渡す。
彼らは最初は、その奇妙な道具に戸惑っていたが、実際に使ってみてその威力に驚愕していた。
「こ、こりゃ、すげえ……! 今までの、十倍は楽に掘れるぞ!」
「土が、面白いように、ザクザクと……!」
山での生活が長く体力には自信のある山窩の男たちは、あっという間にシャベルの扱いに習熟し、ものすごい勢いで村の周りに深い堀を掘り進めていくのだった。
これで、村の防御ステータスも、かなり上がったことだろう。
その夜。
新しくできた素焼きの椀でささやかな食事を囲む。
大森と母栖さんは隣に座り、何やらひそひそと楽しげに話している。
時折、母栖さんが大森の肩をぽかりと叩いたりしている。
まったく、どこまでいっても、甘々な二人だ。
俺はそんな二人を横目にため息をつく。
あの頼りなかった後輩はいつの間にか、一つの家族を支えるたくましい「長」になっていた。
少しの寂しさはあるが、それ以上に、頼もしさが勝る。
それに引き換え俺のラブコメクエストの進行状況はどうなっているんだか。
茜さんとの同棲(仮)は、果たして俺のメンタルにどんな影響を与えるのだろうか。
「やれやれ、前途多難だな……」
俺の呟きは賑やかな笑い声の中に、かき消されていった。
さて、と。
次はどうやって、この愛すべき村をレベルアップさせてやろうか。 俺は一人次のクエストに思いを馳せるのだった。




