第十七話 永禄お試し生活と珍妙なる旅支度
約束の日、十二月十九日。
新月期間の始まりを告げる、まさにその前日。
ぐにゃり、と時空が歪む感覚と共に、俺と茜さん、そして澄田さんの三人は、再び永禄の地に降り立った。
ピリリと肌を刺す寒気は一ヶ月前よりもさらに鋭さを増している。
本格的な冬の到来というわけか。
「さっっっむ! やっぱり、こっちの冬はレベルが違うわね!」
茜さんがダウンジャケットの襟を立てながら悲鳴を上げる。
まあ、毎度おなじみの光景だな。
「…… 気温、氷点下に近いかもしれませんね。 事前のシミュレーション通りですが、身体が慣れるまでは注意が必要です」
澄田さんは吐く息の白さを確認しながら、冷静にタブレット(もちろんオフラインモードだ)に何かを打ち込んでいる。
相変わらずのクールビューティーっぷりだ。
やれやれ、と俺が息をついた、その時だった。
俺たちが転移してきた祠の暗がりから、ひょっこりと二つの人影が現れた。
「先輩! お待ちしておりました!」
「嶺さん! 茜さん、澄田さんも! お久しぶりです!」
大森と母栖さんだ。 一ヶ月ぶりの再会。
その顔は心なしか少しだけ精悍になったように見える。
この厳しい環境でそれなりに揉まれたってことか。
俺が安堵の息をつこうとした、その瞬間。
二人の背後から、さらに小さな二つの影が、おずおずと顔を覗かせた。
…… ん? なんだ? 子供…… だと?
「「…………」」
俺と茜さんと澄田さんは顔を見合わせた。 なんだこれは……。
俺の内心の動揺を察したのか、大森が少し照れくさそうに頭を掻いた。
「えーっと、まあ、色々とありまして……。俺たち、家族が増えまして!」
「ええええええっ!?」
茜さんの素っ頓狂な声が冷え切った祠に木霊する。
「ちょ、ちょっと大森くん! 家族が増えたって、どういうことよ!? この一ヶ月で、何があったの!?」
「あはは……。まあ、その辺は、俺たちの城で、ゆっくりと」
母栖さんが優しく子供たちの頭を撫でながら微笑んでいる。
その表情はなんだかすっかり「母親」のそれだった。
やれやれ、とんでもないサプライズだ。
俺たちは、ひとまず大森たちの案内で、彼らが拠点としている廃村の屋敷へと向かうことにした。
夜の山道は本当に寒い。
最新の防寒具で身を固めているというのに、体の芯からじわじわと冷気が染み込んでくるようだ。
「うおお……。先輩たちが整備してくれた屋敷も、最初は寒くて凍えるかと思いましたよ」
「でも、拓也くんが、お部屋を改造してくれたんです! すっごく暖かいんですよ!」
道中、母栖さんがまるで自分のことのように嬉しそうに報告してくる。
やがて、たどり着いた長の屋敷。
中に入ると、確かに一ヶ月前とは比べ物にならないほど人の生活の温もりが満ちていた。
囲炉裏にはパチパチと音を立てて火が燃えている。
そして奥の部屋から、ロケットストーブによる強力な暖気がじんわりとこちらまで流れてきていた。
「ほう、これは大したものだな。奥の部屋を完全に密閉したのか」
「はい! 俺と詩織の、愛の巣です!」
大森が胸を張る。
その隣で、詩織が「もう、拓也くんったら」と頬を染めて彼を小突いている。
…… だめだこいつら。 相変わらず甘々な空気を振りまきやがる。
そんな二人を、二人の子供たちが、不思議そうな顔で見つめていた。
「さて、と」
囲炉裏を囲んで暖かいお茶を啜りながら、俺は本題を切り出した。
「で、そこのチビちゃんたちは、どういうわけなんだ? まさか、お前ら、この一ヶ月で……」
「違いますよ! さすがに、そこまでスピーディーじゃありません!」
大森が慌てて否定する。
そこから、彼らの口から語られたのは、この一ヶ月の間に起こった、俺たちの想像を超える出来事だった。
近くで戦があり、敗れた村が乱取りに遭ったこと。
そして親を失い山中を彷徨っていた茂助と彩という兄妹を、保護したこと。
「…… そうか。 大変だったな、お前たち」
話を聞き終えた俺が茂助と彩に声をかけると、二人はこくりと頷くだけで俺の目をじっと見つめ返してきた。
その瞳は幼いながらも、全てを諦めたような、それでいて必死に何かを確かめようとするような複雑な色をしていた。
両親は奴隷にされたか、あるいはもうこの世にはいないか。
どちらにせよ、この子たちにとってはもう帰る場所はないのだろう
「…… 嶺くん。 この子たち、私たちが、なんとかしてあげられないかな……」
茜さんが目に涙を浮かべている。
俺はちらりと大森と母栖さんの方を見た。
二人は覚悟を決めた顔で、まっすぐに俺を見つめ返してくる。
「先輩。俺たちに、この子たちの面倒を見させてください。 もう、俺たちにとっては、家族同然なんです」
「そうです! 私が、この子たちのお母さんになります!」
母栖さんがきっぱりと言い切った。
やれやれ、ここまで言われて反対できるわけがないだろう。
それに、この二人ならきっと大丈夫だろうという奇妙な確信もあった。
「…… 分かった。 お前たちがそこまで言うならな。 好きにしろ。 ただし、責任はきっちり取るんだぞ」
「「はいっ!」」
二人の力強い返事が部屋に響いた。
話が一段落したところで、今度は、こちらからの報告だ。
「実はな。今回、俺と澄田さんは、ここに一ヶ月ほど滞在することにした」
「「え、本当ですか!?」」
大森と母栖さんの顔がパアッと輝く。
「はい。十二月は学祭などで大学の方が立て込んでいまして。 その振替というわけではありませんが、教授に無理を言って一ヶ月ほどフィールドワークの許可をいただきました」
澄田さんが淡々と説明する。
どうやら来月と一月は大学の授業が詰まっていて身動きが取れなくなるらしい。
それで今回、無理をしてでも俺に付き合うことにした、というわけだ。
義理堅いというか、なんというか……。
「というわけで、一ヶ月間、よろしくな。今回は、色々と、やることもある」
俺は今回の滞在計画を皆に説明した。
最大の目標は、以前偶然発見した大縣神社をもう一度訪ねること。 そして麓の楽田の市で、商いに関する情報収集を行うことだ。
塩や胡椒といった俺たちが持ち込んだ物資を、どうやってこの時代の金に換えるか。
それが今後の俺たちの活動の生命線になる。
「…… そこでだ、大森。 お前にも、ついてきてもらう」
「俺が、ですか!? ぜひ、行かせてください!」
大森が目を輝かせる。 だが、ここで一つ重大な問題が持ち上がった。
「問題は、衣装だな……」
俺がそう呟くと、全員がきょとんとした顔で俺を見た。
「衣装、ですか?」
「ああ。俺はこの修験者の格好で、まあ、なんとかなるだろう。 怪しまれるかもしれないが旅の者として言い訳は立つ。 だが、大森、お前はどうする?」
そうだ。 服装の問題だ。
令和のカジュアルな服装で戦国時代の市をうろつけるわけがない。
一発でよそ者だとバレて、最悪スパイか何かと間違われて首が飛ぶ可能性だってある。
かといって俺と同じ修験者の格好をさせるのもなんだかおかしい。
「だって、そうでしょ!海図くんと嶺くんが二人揃って修験者の格好してたら、詩織ちゃんがまるで出家した男たちと暮らしてるみたいじゃない! 愛の巣が、尼寺みたいになっちゃうわよ!」
茜さんが的確なのかよく分からないツッコミを入れる。
まあ、確かに母栖さんとの関係を考えると、大森が俗世を捨てたような格好をするのは不自然極まりない。
「じゃあ、いっそのこと、地侍の領主様、みたいな格好はどうです? 偉そうに見えて、誰も文句言わないんじゃ?」
大森が無邪気な提案をする。
「馬鹿野郎。そんな格好してたら逆に『どこの者だ』って絶対に絡まれるに決まってるだろ。 後ろ盾のない地侍なんてカモにされるのがオチだ」
うーん、と全員で頭を悩ませる。
この時代の、それなりに身分があって、かつよそ者でも不自然じゃなく、さらにこの極寒の中、防寒対策もバッチリできる服装……。
そんな都合のいいものがあるだろうか。 …… 無理じゃないか?
全員が諦めかけた、その時だった。
「…… ふふふ。 こういう時のために、私がいるんじゃない」
それまで黙って話を聞いていた茜さんが、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
ゴソゴソと、彼女は自分のリュックから、防水ケースに厳重に保管されたスマホを取り出す。
「私の、コスプレ知識と、この膨大な資料があれば、どんな時代のどんな衣装だって再現可能よ!」
おお、と大森と母栖さんが目を輝かせる。
茜さんは、慣れた手つきでスマホを操作し、事前にダウンロードしてきたであろう、大量の画像データを、俺たちに見せ始めた。
そこには様々な映画やテレビドラマの、時代劇の登場人物たちの姿がずらりと並んでいた。
「うーん、農民じゃみすぼらしいし……。侍はさっき言った通りリスクが高い。 商人もいいけど、なんかこう、ピシッと決めたいわよねぇ……」
ぶつぶつと何やら呟きながら茜さんが画像をスクロールしていく。 そして、ある一枚の画像でピタッと指を止めた。
「…… これよ! これしかないわ!」
彼女が自信満々に見せてきた画面に映っていたのは……。
黒っぽい着流しに羽織をまとい、首には特徴的な襟巻を巻いた一人の男の姿だった。
「これって……。もしかして、『必殺』の……」
俺の呟きに茜さんが大きく頷いた。
そう! ご存知、中村主水よ! 見て、この襟巻! オシャレだし、何より、あったかそうじゃない!? これなら、下に防寒着を仕込んでも、バレないわ!」
「おおお! 確かに、かっこいいっすね!」
大森がすっかりその気になっている。
だが俺の頭の中は疑問符でいっぱいだった。
…… いや、待て待て待て。
中村主水って江戸時代の南町奉行所の同心だろ!?
時代が二百年くらいズレてないか!?
それに仕事人って、言ってみれば金で人を殺す闇の稼業だぞ。
これから商売を始めようって時に縁起が悪すぎるんじゃないだろうか……。
俺が、内心で激しいツッコミを入れていると、隣で、澄田さんが、冷静に分析を始めた。
「…… なるほど。 時代考証の正確性はさておき、構造的には合理的かもしれません。 重ね着を前提としたデザインは、防寒性能の確保という点で我々の要求を満たしています。 また特定の身分に固定されない、いわゆる『浪人』風の出で立ちは、素性を隠す上ではかえって好都合とも言えますね」
「でしょー!?」
澄田さんのまさかのお墨付きに、茜さんがますます勢いづく。
「海津くんなら、きっと、何を着ても似合うよ……! かっこいい……!」
母栖さんがうっとりとした表情で大森を見つめている。
…… だめだ。 もうこの流れは止められない。
「刀は、どうするんだ? 持ってないぞ、俺たち」
俺が最後の抵抗を試みると、大森があっけらかんと言った。
「大丈夫ですよ、先輩! 『自分、しがない商人でして』って言えば、刀がなくても、怪しまれないでしょ!」
そのセリフ、どっちかって言うと商人じゃなくて悪代官に言い訳してる時の主水のセリフじゃないか……?
結局、俺の懸念は、完全に無視され、大森の衣装は「なんちゃって仕事人スタイル」に決定したのだった。
そこからの衣装作りは、まさにドタバタ喜劇そのものだった。
茜さんの指揮のもと、持ち込んだ布や、この時代で手に入れた古着などを組み合わせ、ああでもない、こうでもないと、試行錯誤を繰り返していく。
令和の最新技術の粋を集めた薄くて暖かい防寒下着の上に、手作り感満載の主水風の着物を重ねていく。
母栖さんが「私の旦那様、素敵……!」と甲斐甲斐しく大森の着付けを手伝っている。
その様子を茂助と彩が、少し離れた場所から「…… へんなの」とでも言いたげな不思議そうな顔でじっと見つめていた。
そして出発の日の朝。
全ての準備を終えた大森が俺たちの前にその姿を現した。
見ようによっては堺の裕福な商人の若旦那にも見えなくはない…… か?
いや、やっぱりどう見ても時代劇のコスプレにしか見えない。
やれやれ、本当に大丈夫なんだろうか、これ。
「海図くん、気をつけてね! 絶対に、無茶しちゃダメだからね!」
「浮気したら、許さないからねー!」
「…… 大森さん。 先輩のこと、よろしくお願いします。 死なないでくださいね」
母栖さん、茜さん、そして澄田さんという三者三様の愛のこもった(? )見送りを受け、俺と大森は屋敷の戸口に立った。
「行ってくるぜ、俺のハニー! 愛してるよ!」
大森が母栖さんに向かって大げさな投げキッスを贈る。
「先輩! 俺たちの、俺たちのスローライフを守るため! いざ、出陣であります!」
そして俺に向き直り、ビシッと敬礼してみせた。
…… こいつ、一ヶ月でなんだか妙にたくましくなったな。
俺は呆れとほんの少しの感心が入り混じった複雑なため息をついた。
こうして、厳格な修験者姿の俺と、なんちゃって仕事人スタイルの後輩という、戦国時代においておそらく最も珍妙で怪しい二人組の情報収集の旅が、その幕を開けたのだった。




