第十二話 まさかの地元と、恵みの大地
山を下りるという行為が、これほどまでに神経をすり減らすミッションになるとは、一体誰が予想しただろうか。
俺は、クマ撃退スプレーを握りしめ、コンパスと睨めっこしながら、ひたすらに険しい森の中を進んでいた。
「……やっぱ、道なき道はキツいな」
まるで高難易度のステルスゲームだ。
敵(この時代の住人)の索敵範囲に入らないよう、慎重にかつ大胆にルートを開拓していく。
セーブポイントである廃村と祠の安全は、絶対に確保しなければならない最優先事項だ。
そんな、緊張感マシマシの探索行の最中、俺は偶然にも、倒木にびっしりと生えた見事な椎茸の群生を発見した。
「お、これは……!」
思わぬボーナスアイテムのゲットに、俺は思わず声を上げる。
しかも、その近くの地面をよく見れば、土から顔を覗かせている独特なフォルムのキノコまであるじゃないか。
「……松茸!? マジかよ!」
令和の日本では国産ともなれば庶民の口にはそうそう入らない高級食材だ。
それが、そこらへんに無造作に生えている。
これぞファンタジー世界のお約束、レアアイテムのフィールドドロップというやつか。
「よし、これはいい手土産になるぞ」
俺は懐からビニール袋を取り出し、ありがたく頂戴することにした。
ふと、脳裏にあの二人の顔が浮かぶ。
「……茜さんなら、これ見て『すき焼きにしよう!』とか大喜びしそうだな。澄田さんは冷静に『これは土瓶蒸しですね』とか言い出すに違いない」
想像して、思わず口元が緩む。次に会う時のお土産話がまた一つ増えた。
いや、お土産そのものができたというべきか。
この椎茸と松茸を武器に、どこか人のいる集落……できれば、お寺か神社のような話が通じやすそうな場所を探してみるのが得策だろう。
クエストのキーアイテムは現地調達が基本だな。
そんなことを考えながら、さらに数日、俺は山中を彷徨い続けた。
そして、ついにその日はやってきた。木々の切れ間から、山の麓に明らかに人工物と思われる巨大な鳥居が見えたのだ。
「……あった! 神社だ!」
展望台から見えた砦とは別の方向だが、まずは情報収集が最優先だ。
宗教施設なら俺のこの修験者コスプレも効果を発揮するはず。
俺は、逸る心を抑え、慎重に山を下り、その神社の正面へと回り込んだ。
そこには古びてはいるが、実に堂々とした構えの鳥居がそびえ立っていた。
そして、その扁額には俺のよく知る名前が大きく、はっきりと刻まれていたのである。
――大懸神社。
「……は?」
俺は自分の目を疑った。
ガシガシと何度も目を擦るが、何度見てもそこに書かれている文字は変わらない。
「おおかけ、じんじゃ……って、えええええ!?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
なんだこれは。
なんでこの名前がここにあるんだ?
大懸神社。
それは、俺が住んでいる町の隣町にある、由緒正しいと評判の神社の名前だ。
澄田さんがバイトをしているコンビニの目と鼻の先にある、あの神社じゃないか。
「……ってことは、だ。俺がさんざん求めていた転移先は……俺の、地元だったってことか!?」
衝撃の事実に頭が固まる。
灯台下暗しとはまさにこのことだ。
異世界転移だと思っていたら、まさかの超ローカルなタイムスリップだったとは。
やれやれだ。壮大な冒険のつもりがご近所探索だったなんて、どんなギャグだ。
まあ、予想はしていたさ。
祠の周りは、見覚えのあるような地形だったし、何よりあのAIはボケてはいなかったという訳のようだ。
AIが解析してくれた場所が、だいたい同じ場所だったこともあったし、その兆候はあったけど……
俺は、しばらくその場で呆然としていたが、やがて、ふつふつと笑いが込み上げてきた。
「は、はは……。なるほどな。そういうことかよ」
謎が一気に解けたような、それでいてさらに大きな謎に放り込まれたような奇妙な感覚だった。
だが、これで目標は定まった。
俺は、気を取り直して鳥居をくぐり、まっすぐ社務所へと向かった。
「ごめんください。旅の修験者ですが、少々お話を伺えませぬか」
俺がそう声をかけると、中から壮年のいかにも真面目そうな神職の男性が顔を出した。
禰宜さん、といったところだろうか。
俺の格好を見て少しだけ目を見開いたが、怪しむ様子はない。
むしろ丁寧な態度で俺を中に招き入れてくれた。
やはりこのコスプレはSランク装備で間違いないらしい。
俺はまず手土産として持ってきた椎茸と、とっておきの松茸を差し出した。
「これは、山での修行中に見つけたものでござる。ささやかですが、神前にお供えいただければと」
「おお! これは見事な……! なんと、椎茸まで! これはかたじけない。して、修験者殿、いかがなされましたか?」
差し出した松茸よりも先に渡した椎茸の方が嬉しいらしく、椎茸ばかりを気にしている様子だ。
まあ、このあたりについては澄田さんに聞けば簡単に教えてもらえそうなので、心のメモにしっかりと記録しておく。
作戦は大成功だったようだ。禰宜さんの表情が一気に喜色に染まる。
チョロい、と言ったら罰が当たるだろうか。
「は。実は、長く山に籠っておりまして、世の情勢に疎いのでござる。今、この国は、いかなる世となっておりますかな?」
俺の問いに、禰宜さんはふむと頷くと、親切に語り始めた。
「なるほど。今は、『永禄』の三年でございますな」
「……えいろく、さんねん」
ゴクリと喉が鳴った。永禄三年。西暦で言えば1560年。まさしく戦国時代のど真ん中。
というか、織田信長が今川義元を討ち取った「桶狭間の戦い」があった、まさにその年じゃないか!
年代でもAIの解析は間違いではなかった。
しかし、とんでもない時代に来てしまったという実感が、今更ながらに背筋を凍らせる。
俺の動揺を知ってか知らずか、禰宜さんの説明は続く。
「この尾張の地は、長らく清洲の織田殿と岩倉の織田殿とで争いが続いておりましたが、昨年の戦でようやく清洲殿が尾張をほぼ手中に収められました。……が、しかして戦の火種は未だ尽きず。今は目と鼻の先にある、あの犬山城の織田信清殿が清洲殿に反旗を翻し、にらみ合いが続いている状況にございます」
禰宜さんはそう言って、やれやれと首を振った。
「故に、この周辺は清洲と犬山のいわば最前線。旅をされるのであれば、くれぐれもお気をつけなされよ」
「……な、なるほど。ご丁寧に、痛み入りまする」
俺は平静を装って相槌を打つのが精一杯だった。
マジかよ。最前線って一番ヤバいところじゃないか。下手なクエストよりよっぽど死亡フラグがビンビンに立っている。
この神社の近くには楽田という砦があり、そこが犬山方の拠点になっているらしい。
そこでは物資を補給するために頻繁に市が立つのだという。
……市。それは情報収集のためのまたとないチャンスかもしれない。
俺は、ひとまず、これ以上ボロが出ないうちに、この場を辞することにした。
「私は、もう少しこの山の中で自分を見つめたく、このあたりに留まるつもりです。また何か山からの恵みを見つけましたら、お持ちいたします。本当はもっと価値のあるものや銭などのほうが寄進するには良いのでしょうが」
俺が申し訳なさそうに言うと、禰宜さんはにこやかに首を横に振った。
「いえいえ、寄進されるお気持ちが何よりありがたいのです。未だこの地におられるのであれば、何か困ったことがあれば遠慮なくお尋ねください」
なんとありがたいお言葉。
どうやら俺は、この世界で初めての、そして極めて強力な「知り合い」というコネクションを手に入れたらしい。
俺は、深々と頭を下げ、大懸神社を後にした。
その足で俺は、禰宜さんの話に出てきた楽田の集落へと向かった。
もちろん真正面から乗り込むような真似はしない。
遠くの丘から例のスマホ望遠鏡で、こっそりと様子を窺うだけだ。
そこには確かに活気のある市場が形成されていた。
様々な品物を並べた露店が立ち並び、多くの人々が行き交っている。
だが、その中には明らかに武装した兵士たちの姿も多く見受けられた。
腰に刀を差し、槍を携えている。
その目つきは平時のそれではない。ピリピリとした緊張感が遠目にも伝わってくるようだった。
「……リアル戦国時代のマーケット、か」
売られているものも米や野菜、布地といった生活必需品から、矢や武具の一部らしきものまで様々だ。
ふと、装飾品を売る店が目に入った。簡素だが綺麗な色の組紐や木彫りの櫛が並んでいる。
「……ああいうの、茜さんなら喜びそうだな。澄田さんは……案外ああいう素朴な簪とか、好みだったりするんだろうか」
いかんいかん、と俺は頭を振る。二人の顔を思い浮かべている場合じゃない。
今は情報収集と安全確保が最優先だ。
俺は、集落の様子を写真に収めると、再び、誰にも見つからないように、山中の拠点へと帰っていった。
それから令和に帰るまでの残り1週間ほどは、俺はなるべく山を下りることはせず、ひたすら廃村の周辺整備に時間を費やした。
草を刈り、道をさらに広げ、壊れた家の廃材で薪を作る。
地味だが着実に、俺のソロキャンプ生活は快適になっていく。
これもまた一種のスキルアップと言えるだろう。
そんな代わり映えのしない日々が続いていたある日の午後。
俺は拠点のさらに奥地を探索している最中に、崖の中腹から白い湯気が立ち上っているのを発見した。
「……ん? なんだ、あれは。火事か?」
いや、煙の匂いはしない。
ただもくもくと水蒸気のようなものが湧き出している。
俺は好奇心に駆られてその崖を慎重に登っていった。
そして、その湯気の発生源にたどり着いた時、俺は自分の目を疑った。
ごつごつした岩の隙間から、こんこんと透明な液体が湧き出している。
そして、その液体からは紛れもなく湯気が立ち上っていたのだ。
俺は、おそるおそる、その湧き水に指を浸してみる。
「……あったけぇ!」
熱すぎず、ぬるすぎず絶妙な温度だ。
硫黄のような独特の匂いもない。これは……まさか。
「お、お、温泉だあああああああっ!!」
俺の歓喜の雄叫びが、人気のない山中にこだました。
キターーーー!
まさかの温泉イベント発生!
マジかよ、この廃村、ポテンシャル高すぎだろ。
水も食料も確保できて、安全な家屋もあって、その上天然温泉まで完備されているとは。
これぞ神に与えられた拠点。まさに俺のための聖域じゃないか。
「はっはっは! これで、もう川で冷たい水浴びをしなくて済む!」
生活の質、いわゆるQOLがこれで爆発的に向上することは間違いない。
俺は早速その場で服を脱ぎ捨て、生まれたままの姿になった。
そして、湧き出るお湯で即席の行水を楽しむ。
「はぁ〜……。極楽、極楽……」
じんわりと体の芯まで温まっていく……まではいかないな。
ゆっくりと湯船につかりたいものだ。
だが行水だけでも探索で溜まった疲れが溶けていくようだ。
ふと、また、あの二人のことが頭をよぎる。
「……茜さんと澄田さんがここにいたら、大はしゃぎするだろうなぁ。……いや待て、二人と一緒に入るのは、さすがにマズいだろ。色々と。うん、非常にマズい」
一人で何を考えているんだか。
俺は真っ赤になった顔を温泉の湯でパシャパシャと冷やした。
見つけた廃村は本当になんでもあった。
拠点として生活するには、もはや申し分ない環境だ。
「よし、決めた!」
俺は湯の中で固く拳を握りしめる。
「この地に、最高の露天風呂を、この手で造り上げてやる!」
新たな目標が俺の胸に燃え上がった。
それから数日後。
夜空の月がすっかりその姿を隠した頃。
新月の3日間がやってきた。
俺の記念すべき第一回長期滞在のタイムリミットだ。
俺は身の回りのものを片付け、リアカーに荷物をまとめると、名残惜しさを感じつつも拠点とした家を後にした。
この一ヶ月、実に多くのことがあった。
そして信じられないほどの成果を上げることができた。
転移先の特定、時代の判明、禰宜さんとのコネクション作り、そして何よりも温泉の発見。これは胸を張って報告できる。
「さて、と。あの二人を、どうやって驚かせてやろうかな」
ニヤリと口の端が吊り上がるのを感じながら、俺は時空の歪みの入り口である祠へと向かった。
そして、神酒を注いだ盃を、一気に呷る。
ぐにゃり、と視界が歪む。
次に見えるのは、見慣れた我が家の仏間のはずだ。
期待と、ほんの少しの悪戯心を胸に、俺はしばしの帰還を果たすのだった。




