第十一話 二人を連れて初訪問
ぐにゃりとした時空の歪みが収まり、俺の足が硬い土間の上に着地する。
見慣れた、というにはまだ日が浅いが、すっかり馴染んだ我が家の仏間だ。
俺のすぐ隣では、まだ時空転移の奇妙な感覚に慣れないのか、茜さんと澄田さんが、ふらつきながらも互いを支え合っていた。
「……戻って、きた」
「ほんとだ。嶺くんちの仏間……。夢じゃ、なかったんだね」
茜さんが、どこか恍惚とした表情で呟く。
その手は、まだ興奮でわずかに震えているようだった。
一方の澄田さんは、冷静さを取り戻そうとしているのか、深呼吸を繰り返しながら、ぐるりと仏間を見回している。
「さて、と。お二人は、ここで一晩休んで、明日の朝に帰宅、ということで大丈夫ですかね」
俺がそう切り出すと、二人はハッとしたように俺の顔を見た。
「え、嶺くんは?」
「俺は、これから一ヶ月ほど、向こうで本格的な調査をしてこようと思ってます。さすがに、あの祠の周辺だけじゃ、何も分かりませんからね」
俺の言葉に、二人の顔がサッと曇るのが分かった。
「一ヶ月も!? 一人で!?」
「だ、ダメです! 危険すぎます!」
茜さんの素っ頓狂な声と、澄田さんの鋭い声が、綺麗にハモる。
やれやれ、こうなることは分かっていたが、想像以上の食いつきようだ。
「心配してくれるのは嬉しいですけどね。でも、このままじゃ何も進まないでしょう? そもそも、あの場所が本当に永禄時代の尾張なのかどうかも、まだ確定したわけじゃない」
「それは、そうですけど……。でも、もし何かあったら……」
なおも食い下がる茜さん。
その目は、本気で俺を心配してくれているのが伝わってきて、少しだけ、胸がチクリと痛んだ。
その時だった。
今まで黙って俺たちのやり取りを見ていた澄田さんが、俺の服装を上から下までじろじろと眺め、ふと、何かを思いついたような顔で口を開いた。
「……嶺さん、その格好」
「え? ああ、これですか。例の、修験者の……」
「その格好なら、あるいは……」
澄田さんは、何かをブツブツと呟きながら、顎に手を当てて考え込んでいる。
そして、やおら顔を上げると、茜さんに向かって言った。
「茜さん。大丈夫かもしれません」
「え、澄田ちゃん? 何が?」
「明治時代より前、特に戦国時代のような乱世では、宗教関係者の地位は、私たちが想像するよりもずっと高かったんです。お坊さんや、嶺さんのような修験者は、どの勢力からも手を出されにくい、いわば中立的な存在として扱われることが多かった。知識人であり、薬師であり、時には情報屋でもあった彼らは、領主にとっても無視できない存在だったはずです」
ほうほう、と俺は内心で感心していた。
さすが、歴史を学んでいる大学生は言うことが違う。
「つまり、嶺くんがこの格好をしていれば、そうそう無茶なことはされないってこと?」
「はい。もちろん、絶対とは言えませんが……。少なくとも、ただの農民や素性の知れない流れ者として扱われるよりは、格段に安全なはずです。むしろ、丁重に扱われる可能性すらあります」
澄田さんの理路整然とした説明に、茜さんも、ようやく納得したように頷いた。
「そっか……。それなら、少しは安心、かな……」
……って、俺が一番安心してるんですけど!
マジか、このコスプレ、そんなに効果あるのか。
ただの山伏ルックが、まさかSランクの防具だったとは。
これは、クエストの難易度が一気に下がったんじゃないだろうか。
俺は、内心でガッツポーズをしながら、安堵の息を漏らした。
これで心置きなく、長期滞在に臨めるというものだ。
「じゃあ、そういうわけで。行ってきますよ」
俺は、改めて二人に向き直る。
「……うん。気をつけてね、嶺くん。絶対、無事に帰ってきてよ」
「……何かあったら、すぐに戻ってきてください。無理は、絶対に禁物です」
二人の声は、まだ心配の色を濃く滲ませていたが、先ほどのような必死さは消えていた。
俺は、こくりと頷くと、再び盃に神酒を注ぎ、一気に呷る。
ぐにゃり、と視界が歪む。最後に見たのは、不安と、そしてほんの少しの期待が入り混じったような、二人の複雑な表情だった。
◇ 再び、永禄尾張(仮)の祠へ。
さっきまで聞こえていた二人の声が嘘のように、しん、と静まり返った祠の中に、俺は一人、立っていた。
……さて。
ここからが、俺のソロプレイの本番だ。
その日は、移動の疲れもあったので、祠の中で寝袋にくるまって早々に眠りについた。
翌朝。
俺は、夜明けと共に活動を開始した。
まずは、生活基盤の確立だ。
何をするにしても、安心して活動できるベースキャンプがなければ始まらない。
俺がまず取り掛かったのは、祠と、あの廃村とを繋ぐ道の整備だった。
先日、二人を案内する際に、草刈り機である程度の道は切り開いてある。
だが、人が一人通るのがやっとの獣道では、今後の物資輸送に支障をきたすだろう。
そこで、俺は、婆さんの家で試した、あの土のう袋を使った簡易舗装を、ここでも実行することにした。
「よっ、と。ほっ、と」
ザッ、ザッ、とスコップで地面を均し、ドスン、ドスン、と土を詰めた袋を並べていく。
別に、ジムニーを走らせるわけじゃない。
俺が、アルミ製のリアカーを引いて楽に通れるくらいの道幅があれば十分だ。
道幅も限定的だったし、何より二度目の作業で要領を得ていたこともあって、作業は驚くほどスムーズに進んだ。
太陽が真上に来る頃には、祠から廃村の入り口まで、見事な「ズタ袋ロード」が完成していた。
「ふぅ……。我ながら、なかなかの出来栄えだな」
これぞ、経験値によるスキルアップというやつか。
現実でも、レベルアップは実感できるものらしい。
翌日、俺は生活の拠点を、廃村の中の一軒家に移すことにした。
村の中を改めて見て回り、一番傷みが少なく、規模の大きい家を選ぶ。
おそらく、この集落の長か、それに近い人物が住んでいた家なのだろう。
まずは、大掃除だ。
キィィ……と、軋む音を立てる扉という扉を、全て開け放つ。
何十年、いや、何百年も淀んでいたであろう空気が、ブワッと外に流れ出していく。
「うわっ、ほこりすげぇ……」
積もったホコリは、まるで絨毯のようだ。
俺は、持ち込んだ箒で、それらを容赦なく外へと掃き出していく。
そして、ここからが文明の利器の独壇場だ。
俺が取り出したのは、現代日本ならどこの家庭にもあるであろう、ウェットタイプの使い捨てペーパータオルと、専用のフロアモップ。
シュッ、シュッと、軽快な音を立ててモップを滑らせていけば、長年の汚れが、面白いように拭き取られていく。
「はっはっは! 見たか、戦国時代! これが四百年後のテクノロジーだ!」
あまりの効率の良さに、俺は思わず勝利の雄叫びを上げていた。
ここまでくれば、掃除は本当にあっという間だ。
半日もかからずに、家の中は見違えるように綺麗になった。
最後に、リアカーを何度も往復させて、祠から当面の生活に必要な水と食料を運び込む。
この家には、幸いなことに、しっかりとした囲炉裏が残っていた。
これでお湯も沸かせるし、何より、夜の暖が取れる。
この時代、標高の高い山でなくとも、令和時代と比べると、それこそ高い山にいるのかというくらいに10月とはいえ夜になると息が白くなるほど冷え込むのだ。
家の中から運び出した、もう使えそうにない壊れた家具類は、持ち込んだノコギリや斧で手際よく解体し、薪へと変えていく。
これも、立派なサバイバルスキルだろう。
その夜、俺は、パチパチと音を立てて燃える囲炉裏の火を眺めながら、アルファ米の五目御飯を食べていた。
一人だけの、静かな夕食。
だが、不思議と孤独は感じなかった。
むしろ、これから始まる冒険への期待感で、胸が高鳴っている。
「……茜さんも澄田さんも、今頃どうしてるかな」
ふと、あの二人の顔が脳裏に浮かぶ。
心配性の茜さんと、クールだけど実は情に厚い澄田さん。
次に会う時には、何か、胸を張って報告できるような成果を上げていたいものだ。
それから10日ほど、俺は地道な作業に明け暮れた。
廃村の中や、その周辺の雑草を草刈り機で刈り払い、活動範囲を広げていく。いわば、安全地帯の確保というやつだ。
時には、その作業に飽きて、地図を作るために廃村の周りを歩き回ったりもした。
そんな、代わり映えのしない、しかし着実な日々を過ごしていたある日のこと。
俺は、村の裏手にある小高い丘の上で、木々の切れ間から、遠くの景色が見渡せる場所を発見した。
「お……見えるぞ」
そこは、まるで天然の展望台のようだった。
眼下には、どこまでも続く広大な森。
そして、その森を縫うように、一本の大きな川が銀色に光っているのが見えた。
俺は、すぐさま懐からスマホを取り出す。
カメラを起動し、ズーム機能を最大にして、遠くの景色を写真に収める。
そして、撮った写真を指でさらに拡大していく。
これぞ、現代の望遠鏡だ。電波がなくても、この機能は健在なのだ。
「……あった!」
肉眼では、ただの点にしか見えなかったが、拡大した写真には、はっきりと写っていた。
川に沿って、ぽつり、ぽつりと、集落らしきものが見える。藁葺き屋根の、小さな家々の集まりだ。
さらに視点をずらしていくと、川沿いの少し小高い丘の上に、他とは明らかに違う、大きな建物があるのが分かった。
砦、と呼ぶのがふさわしいだろうか。
周囲を厳重な木の柵で囲まれた、屋敷のような建物。そこからは、うっすらと煙が上がっているのが見える。人が、いるのだ。
「……いよいよ、だな」
俺は、ごくりと喉を鳴らした。
いよいよ、この世界の住人と接触する時が来た、ということか。
あそこへ行けば、ここがどこで、今は何という時代なのか、正確な情報を得られるかもしれない。
それは、俺たちの今後の活動方針を決める上で、絶対に不可欠な情報だ。
クエストログに、『第一村人を発見せよ』という新たな目標が追加されたような気分だった。
だが、ここで、俺は二つの重大な問題に直面することになる。
まず一つ目。
俺が拠点としているこの廃村は、絶対に、この時代の人間に見つかってはならない。
特に、令和の世界と繋がる、あの祠。
あそこは、俺たちの生命線であり、絶対に守り抜かなければならない最重要拠点だ。
万が一、ここの存在が知られれば、どんな面倒なことになるか、想像もつかない。
そして、もう一つ。
だからといって、俺が山を下りられなければ、何の情報も得られず、物語はここで詰んでしまう。
つまり、俺は、「誰にも見つからずに、かつ、自分だけが安全に行き来できるルート」を確保しなければならないのだ。
「……まるで、リアルなステルスゲームだな、これ」
セーブポイントである祠の安全を確保しつつ、敵に見つからないようにマップを探索し、次のイベントポイントへ向かう。
考えれば考えるほど、ゲームのセオリーそのものじゃないか。
そこから、俺の慎重なルート探索が始まった。
展望台から見えた集落の方角を目指し、コンパスを頼りに、少しずつ山を下っていく。
人の踏み跡など、もちろんない。
獣道すらないような、険しい斜面だ。
木の根や岩に足を取られながら、一歩一歩、慎重に進んでいく。
少し進んでは、周囲の地形をメモし、目印となる岩や木を写真に撮る。
そして、また少し進む。その、地道な作業の繰り返し。
まるで、地雷原を、手探りで進んでいくような気分だった。
そんな探索だけで、気づけば、さらに10日もの月日が流れていた。
今回の滞在期間として設定した一ヶ月も、残すところ、あと10日を切っている。
「……やばいな。タイムリミット付きのクエストだったか、これは」
さすがに、焦りが出てくる。
このまま、山の中をうろついているだけで、一ヶ月を終えるわけにはいかない。
俺は、ある程度、安全そうなルートの目星がついた時点で、思い切って行動に移すことに決めた。
「ええい、ままよ!」
その日の朝、俺は、いつもより念入りに修験者の格好を整え、食料と水、そして護身用のクマ撃退スプレーをリュックに詰め込んだ。
「よし、行くか」
期待と、それ以上の不安を胸に、俺は、まだ薄暗い森の中へと、その第一歩を踏み出したのだった。




