第十話 共犯者
秘密を共有してしまったバーベキューは、なんとも言えない奇妙な連帯感と、一抹の不安を残してお開きとなった。
俺は、買ったばかりのジムニーで、すっかり意気投合してしまった二人の女性を、駅まで送っていく。
後部座席からは、ひそひそと、しかし熱のこもった会話が聞こえてきていた。
「ねぇ、澄田ちゃん。あの星空、絶対やばいよね!」
「はい、茜さん。歳差運動を考慮しても、現代の空とは明らかに違うはずです。あのデータが本物なら、ですけど」
「信じるわよ、あんな松茸が出てくるんだもの! ねえ、嶺くん!」
バックミラー越しに、茜さんがキラキラした目で話しかけてくる。
やれやれ、すっかりその気のようだ。
駅のロータリーに車を停め、二人が降りる。その間際だった。
「嶺くん」
「……嶺さん」
二人が、同時に俺を振り返った。
そして、まるで示し合わせたかのように、にやり、と笑う。
「「絶対に、連れて行ってもらいますからね(くださいね)」」
その声には、有無を言わさぬ圧力がこもっていた。
それと同時に、今まで俺に抱いていた不信感?というのか、そんな腑に落ちなかった思いが一挙に解決したかのようにスッキリとしているように見えた。
ああ、俺の異常なまでの買い物の数々も、これで合点がいった、というわけか。
クマ撃退スプレーに大量の爆竹、そして保存食の山。全ては、この秘密のためだったのだと。
俺は、力なく頷くことしかできなかった。
一人、山道を引き返し、庭の片付けを始める。
炭を処理し、網を洗いながら、俺はこれからのことを考えていた。
一人で始めた、孤独な時空ジャーニー。
それが、まさか、こんな形で共犯者を、それも二人の女性を、得ることになるとは……。
これは、クエストの難易度が上がったのか?
それとも、頼もしい仲間を得て、イージーモードになったのか?
……たぶん、前者だな、うん。
それから次の新月までは、束の間の日常が戻ってきた。
庭の整備がひと段落した俺は、家の裏手に広がる、かつて畑だったであろう土地の整備に取り掛かった。
トラクターで土を耕し、石を取り除く。これもまた、なかなかの重労働だ。
そんなある日の昼下がり、俺のスマホが軽快な着信音を鳴らした。
画面には、『大峰 茜』の文字。
「もしもし、嶺くん? 今、大丈夫?」
「あ、茜さん。大丈夫ですよ」
「よかった。あのね、ちょっと聞きたいんだけど、この前の松茸、あれで全部だった?」
松茸……。あの、波乱のバーベキューの発端となった、禁断の果実。
「いえ、まだ二キロくらいは、冷蔵庫で保存してますけど……」
「ほんと!? あのね、もしよかったらなんだけど、それ、農協に卸してみない?」
「え、卸すって……売るってことですか?」
「そう! あの後、組合長に写真見せたら、もう大騒ぎになっちゃってね。『何としてでも、うちで扱わせてもらえ!』って。もちろん、相場より高く買い取らせてもらうわよ!」
なんだか、話がとんでもない方向に進んでいる。 だが、正直、金はいくらあっても困らない。
俺は、茜さんの提案に乗ることにした。
すぐにジムニーを走らせて農協へ向かい、残りの松茸を茜さんに託す。その姿は、まるで怪しいブツの取引のようだった。
翌日、再び茜さんから電話があった。
「嶺くん、やったわよ! 全部売れた! しかも、すごい高値で!」
「ま、まじですか!」
「うん! お金は、嶺くんの口座に振り込んでおいたから、時間がある時にでも確認してみて。本当にありがとうね! 組合長も、すごく喜んでたわ!」
電話を切った後、俺は半信半疑でネットバンキングにアクセスした。
そして、表示された預金残高を見て、思わず自分の目を疑った。
ゼロの数が、一つ、多い……?
永禄尾張の恵みが、令和の日本で、とんでもない価値を生み出してしまった。
俺は、その臨時収入を元手に、本格的な家庭菜園の準備を始めることにした。
農協で、大根や玉ねぎ、蕪といった、育てやすそうな野菜の種と、大量の肥料を買い込む。
「あら、嶺くん。今度は、本格的に農業を始めるの?」
「ええ、まあ。庭で、ちょっとだけ」
茜さんににこやかに見送られ、俺は庭の畑に種を蒔いていく。
だが、買ってきた種や肥料は、思いのほか量が多かった。
……ふと、俺の頭に、ある考えが浮かんだ。
向こうの世界で、スローライフ……いいかもしれない。
あの廃集落の畑を再生させて、自給自足の生活。なんだか、ワクワクするじゃないか。
俺は、余った種と肥料を、次回の転移に持っていく荷物リストに、こっそりと追加した。
そんな穏やかな日々を過ごしているうちに、カレンダーは、次の新月が目前に迫っていることを示していた。
すると、案の定、俺のスマホにメッセージが届く。
送り主は、澄田さんだった。
『次の新月、茜さんと一緒にお邪魔します。泊まる準備もできてますので、安心してください』
……安心してください、と言われても。
何をどう安心すればいいのか、俺にはさっぱり分からない。
だが、もはや、俺に拒否権はないのだろう。
俺は、『了解』とだけ返信し、天を仰いだ。
そして、新月の前日。
一往復だけが可能な、特別な夜。
夕暮れ時、一台の軽自動車が、俺の家へと続く、自作の土のう道を登ってきた。
運転席には茜さん、助手席には澄田さん。
俺が整備した道を、茜さんの車は難なく通り抜け、庭の駐車スペースに収まった。
なんだか、ちょっと誇らしい気分だ。
「おじゃましまーす!」
「……おじゃまします」
対照的な挨拶と共に、二人が家に上がってくる。
その手には、それぞれ、一泊分の荷物が入ったボストンバッグが握られていた。
本気だ、この人たち。
「寝袋、二人分用意しておきましたから」
「わー、ありがとう、嶺くん! さすが、準備がいいわね!」
「……どうも」
俺は、この日のために用意しておいた、真新しい寝袋を二人に手渡す。
さて、問題は、どうやって二人を連れて行くか、だ。
手を繋ぐ?
いやいや、両手を塞がれたら、俺が祈れない。
それに、どっちの手をどっちが握るんだ?
考えただけで、胃が痛くなりそうだ。
そこで、俺は別の方法を考えていた。
「二人とも、お酒は……茜さんは飲みますよね。澄田さんは?」
「私は、まだ二十歳前なので」
「だよな。じゃあ、これ、飲めますか?」
俺が取り出したのは、あの日、俺の転移のきっかけとなった、あのお神酒だ。 小さな盃に三つ分、なみなみと注ぐ。
「今日は、茜さんも運転しないし、大丈夫ですよね? これを、一斉に飲み干してみてください」
俺の突拍子もない提案に、二人は顔を見合わせたが、すぐに覚悟を決めたような表情になった。
俺たち三人は、仏間の中、仏像の前で、それぞれの盃を構える。
「せーのっ!」
茜さんの掛け声で、俺たちは、くいっと一息に、お神酒を飲み干した。
ごくり。
結論から言うと、作戦は、大成功だった。
ぐにゃり、と馴染み深い感覚が俺たちを包み込み、次に目を開けた時、俺たち三人は、ひんやりとした祠の中に、揃って立っていた。
「「きゃあああああ!」」
俺の隣で、茜さんが歓声を上げる。
「すごい……! 本当に、来ちゃった……!」
澄田さんも、さすがに興奮を隠せない様子で、目を丸くして周囲を見回している。
やれやれ、本当に連れてきちまったぞ……。
俺は、安堵と、新たな面倒事の予感で、複雑なため息をついた。
その夜は、案の定、二人ともほとんど眠らなかったんじゃないだろうか。
晴れていたのは幸いだったが、二人は、夜が更けるのも忘れて、祠の外に出て、満天の星空を眺めていた。
「すごい、すごいわ、嶺くん! 天の川が、こんなにはっきり見えるなんて!」
「……プラネタリウムなんかじゃ、比べ物になりませんね。光害が、全くない」
はしゃぐ茜さんの隣で、澄田さんは、持参した自分のスマホを、夜空にかざしている。
だが、すぐに、不満げな声を上げた。
「……あれ? 動かない」
「ん? どうしたの?」
「いえ、星座アプリで、今の星座の位置を調べようと思ったんですけど……」
そりゃそうだろ。
電波が一本も立っていない、この戦国の地で、ネットに繋がるアプリが動くわけがない。
彼女の頭の中から、その基本的な事実が、すっかり抜け落ちていたらしい。
その、少しだけ間抜けな姿が、なんだか、年相応で可愛らしく見えた。
翌朝。
俺が運び込んでおいた非常食のアルファ米と味噌汁で簡単な朝食を済ませ、俺たちは、あたりを散歩することにした。
もちろん、目的地は、あの廃集落だ。
「うわー……」
「……本当に、時が止まったみたいですね」
俺が、草刈り機で整備した道を通り、廃村へと案内すると、二人は、その光景に息を飲んでいた。 前回、俺が一人で来た時と、ほとんど変化は見られない。
だが、仲間がいる、というだけで、この寂しい風景も、なんだか違って見えた。
「家の作りが、すごく古いですね。土壁に、茅葺き屋根……」
澄田さんが、一軒の家を、専門家のような目つきで観察しながら、分析を始める。
「ここは、間違いなく日本です。それも、少なくとも、江戸時代よりは前の……。この様式なら、室町か、それ以前の可能性もあります」
「へぇー、澄田ちゃん、詳しいのね!」
「私、今年から大学生で……。大学では、日本の歴史とか文学を学んでるんです。将来は、学校の先生になりたくて」
初めて聞く、彼女の夢。
いつもコンビニで見せる、無気力で冷めた表情とは、全く違う、生き生きとした横顔。
俺は、少しだけ、彼女のことを見直していた。
その夜。
俺は、名残惜しそうにする二人を連れて、再び祠に戻った。
新月前日の転移は、一往復のみ。彼女たちを、令和に帰さなければならない。
三人は、再び盃を交わし、見慣れた仏間へと帰還した。
俺たちの、初めての共同での冒険は、こうして、幕を閉じたのだった。




