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琴、薩摩おごじょ  作者: ひみつの物書き
1/5

 「理由が言えんのなら、外に出て飯も食うな」


 下加治屋町に響き渡る怒声だった。

 滅多なことで怒る父ではない。ましてや、琴は女の子である。

 普段、素直でよく母を手伝う琴は、叱られたことがほぼなかった。


 野良仕事から帰ったばかりの父は、汚れた足元のまま、怒声を放った。

 土間に正座した琴は、ぐっと唇を噛んで下を向いている。母が琴の肩を抱いた。お詫びするのですよ、と諭してくれるが、琴は頑として無言を貫いた。

 

 (こげん意地を張っなんて、どげんわけか)

 父と母は目配せをし合っている。

 うつむいたまま動かない琴を見て、父は眉をハの字にした。肩が凝っているのだろう、こきこきと首を鳴らしてため息をついている。

 どうしたもんか、と、呟いた。


 「男子を、しかも自分より年上の者をひっぱたくとは」

 

 琴は唇を噛んだままだ。

 母が、およしなさい、血が出ますよと囁いた。


 「なんとか父がお詫びし、お相手の家に許してもらったから良いものの」

 わい、嫁に行けんくなっど。

 父は嘆かわしそうに言い、額に手を当てた。


 野良仕事の最中に、知らせを受けたのである。

 お宅の子が、他の郷中の男子をひっぱたいた、お相手は相当怒っている。

 それを聞いて、父はすぐに相手の家まで詫びに走った。取り乱すことのない父である。まずは謝罪を優先し、叱るのは後回しとした。

 それにしても、自分の子供は三人ある。

 

 長男の小吉は、郷中でも評判の息子だ。いずれ二才頭となると言われている。体は目立って大きく、腕の力も強い。

 ただ、惜しむらくは剣ができないことだ。小吉は昨年、子供同士の諍いごとに巻き込まれて右腕を負傷した。鞘のついた刀で殴られたが、腕に当たった瞬間、鞘が砕けたのである。

 深く切り込まれた腕は筋が断たれ、伸びなくなった。

 それまで武芸にのめりこみ、薩摩隼人として剣を極めようとしていた小吉だったが、これで剣士生命を断たれたことになる。

 そうなってもなお、小吉の出来の良さは変わらなかった。

 剣ができないなら、なおさら学問に没頭すると宣言し、その通りになっている。人柄も温厚で、恨みつらみとは縁のない息子だ。


 小吉ではなかろう、と、思っていた。

 やんちゃになってきた次男の吉次郎だろう、と、父は思っていた。たった七歳の子供なのだから、誠心誠意お詫びすれば許してもらえるだろう。

 そう考えて激怒しているらしい相手宅に行ったのだが。


 「娘ん教育がなっちょらんのじゃらせんか」


 開口一番、そう言われて父は唖然とした。

 (琴かよ)


 もともと聡明で優しい子だ。さぞ良いおごじょになるだろうと思われる。

 その琴が、道すがら、男の子を殴った。ちょうど、造士館からの帰り道だったそうだが。


 「造士館では小吉君に世話になっこともあっらしいから、こん件は、大事にへたしもはん」

 琴にひっぱたかれた彼は、小吉と同じ造士館に通う二才である。違う郷中ではあるが、造士館で学んでいる間は学友同士だ。小吉には世話になっている、と、相手の親御は言い、やっと穏やかになった。

 「琴ちゅうとな。良か兄を持ったもんじゃ。兄に免じて許すと伝えたもんせ」

 小吉の妹であることが分かった瞬間、怒り心頭だった相手は落ち着いた。

 どうやら大事にならずに済んだらしい。安堵して帰宅したものの、殴打事件の張本人である琴を問い詰めなくてはならない。


 本当にやったのか、と聞いたら「やりました」と琴は言った。

 しかし、いくら問い詰めても理由を語らなかった。

 素直な子と思っていたのに、これほど頑固だったとは。

 父は、「喋る気になるまで外に出ておれ」と言い、母はため息をつきながら、琴を立たせた。

 幸い温かな日だったが、夜になれば野犬も出る。ましてや琴は女の子だ。万一のことがあってはならぬと、母は、軒下に琴を座らせた。

 

 やがて家の中から食事の匂いが流れてきて、家族たちが語る声も聞こえてきた。

 琴は唇を噛み締め、一番星が出た空を眺めていた。

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