第5話 夏祭り⑤(二人の覚悟)
春人は今日、ここで諦めるつもりでいた。
涼太郎と晶矢の事情を、知っているからこそ、自分の最後の我が儘に付き合わせて、彼らに無理強いをしたくない。
このまま音楽をやめてしまう自分とは違い、まだこの二人には可能性がある。
だから今日、叔父である朱理に頼んで、この場を少しの間借りさせてもらった。最後にここで、四人で演奏して、朱理に見届けて貰えれば、もうそれで充分だと思っていた。
この二人の答えが、是であろうと非であろうと、文化祭に一緒に出るのは諦めようと、決めていた。
しかし、今、涼太郎と晶矢が、自分たちに告げた言葉は。願い出たことは。
春人が一番望んでいた言葉だった。
「俺たちと……やってくれるの? 音楽を」
春人は思わず声が震えてしまう。
優夏はそんな春人の様子を見て、切なさが込み上げる。
(春人、あなた迷っているのね……)
優夏が、春人から二人と文化祭に出ることを、やはり諦めるつもりだと聞いたのは、一週間前。
涼太郎と晶矢の二人の未来を、自分の我が儘で潰したくない。春人はそう言った。
しかし、二人と今再び演奏して、四人で自由に音楽をやる楽しさ、幸福感を心の底から思い知った上で、二人から『一緒にやろう』と言われたら……。
「春人……」
春人の葛藤が痛いほど分かって、泣きそうな顔で優夏は春人の背にそっと手を添える。
そんな二人の前で、涼太郎がわずかに緊張した様子で、口を開いた。
「僕たち、色々まだまだ未熟、ですけど……覚悟は決めました」
「……覚悟?」
涼太郎の言葉に、春人は首を傾げる。
「……僕は、臆病で……人の視線が怖くて、たまらないです。人前で歌うなんて、とてもじゃないけど……って本当は今も、思ってます。でも……」
涼太郎が瞼を震わせながら、それでも春人の目をしっかりと見つめる。
「それでも、僕は、歌いたい。四人で音楽をやりたい。そう思ったから……歌う覚悟を決めました」
「涼太郎くん……」
春人は涼太郎の変化に驚いていた。
二週間前出会った時は、晶矢の後ろに隠れて、人と目を合わせるのも緊張して、俯いていた。それがこんなに変わるものだろうか。震えながらも、強い意志を持って、ちゃんと相手の目を見て、自分の気持ちを話せるようになったのは、隣にいる晶矢のお陰なのか。
隣にいるその晶矢も、軽音部の入部見学の時、かつては固かった表情が、今はずいぶん柔らかくなったように思う。誰にも頼らないで一人でどうにかしようと抱えてきた苦悩を、涼太郎に吐き出せたからなのか。
「文化祭に出て、親にバレて、もし今音楽が出来なくなったとしても、それでもいい。その先の未来で、自分が自立できた時やるから」
晶矢が決意に満ちた目をして、春人と優夏を見つめる。
「四人で一緒に、今しかできない音楽をやりたい。その覚悟をしてきました」
「晶矢くん……」
なんという真っ直ぐな目をするのだろう。
自分はもうすぐ音楽をやめてしまう。だからせめて最後に、この子達と一度だけでもステージに立って、一緒に音楽をやりたい。
春人はそんな自分の我が儘な理由で、文化祭に一緒に出て欲しいと言ってしまった。それなのに、この二人は、これほどの覚悟を持って、それに応えてくれようとしている。
(こんなに、嬉しいことはないのに……俺はこの子達に何も返せない……)
春人は後悔した。
この二人の、この覚悟に自分が応えられないのだ。もうすぐ音楽をやめてしまう自分は、この二人の覚悟に見合うものを、今何も持ちあわせていない。
(俺がこの二人の手を取ったとしても、その先の二人の未来を、壊してしまうようなことになっては……)
その時だった。
二人の覚悟の前に、どうすることも出来ずただ立ちすくんでいた春人の手を、誰かがするりと掴んだ。
「⁈」
「「えっ?」」
そしてそのまま、涼太郎と晶矢の差し出していた手と繋ぎ合わせる。
「はい。これで良し、と」
「えっ? だ、誰……?」
突然見知らぬ人物が横から出てきて、春人と手を繋がされて、涼太郎と晶矢は驚いた。
「おっと、ユウちゃんもおいで」
「えっ」
そう言ってその誰かは、優夏の手を引っ張ってきて、四人の手を繋ぐと、うんうんと満足そうに頷いて、拍手しながら言った。
「はい。バンド結成、おめでとう!」
「さと兄……」
春人にそう呼ばれた人物は、嬉しそうににっこりと笑う。
「いやーお前たちのバンド結成の場に立ち会えるなんて、すごい奇跡」
後ろで髪を結えた、どこか中性的な雰囲気の綺麗な顔のその人は、涼太郎と晶矢に視線を向けた。
「初めまして。君たちのことは、春人たちから聞いてる」
にこやかに挨拶をするその人に見つめられて、二人は硬直した。
その目が、美しい夕闇のように、あまりにも魅惑的な輝きを放っていたからだ。
その視線に捉えられたら、魅入られて動けなくなってしまうような感覚がする。
そんな不思議な目をした人だった。
「俺は佐原朱理。春人の叔父です」
(春人先輩の、叔父さん⁈)
驚いている二人に、朱理はにっこりと微笑んだ。