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そして僕らは。【オリジナル楽曲付小説】  作者: さかなぎ諒
第二章 僕は君の傍にいて
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第18話 海と水族館⑤(春人の事情)

※今回ちょっと長いです。

 土曜日の昼下がり。


 涼太郎たちが水族館を出てバスに乗っている頃、春人は、優夏の部屋を訪れていた。


 優夏は、高校に入学した時から親元を離れて、姉たちとマンションで三人暮らしをしている。優夏の姉たちは出かけているのか、今日はいないようだ。


 優夏の部屋は、何も知らない人から見れば、女子の部屋と間違われるかも知れない。机や棚の上には可愛らしい小物が沢山飾られていて、カーテンや寝具などは優しいパステルカラーの色合いだ。ベッドの上には優夏の愛猫ウメハルが、気持ちよさそうに寝ている。


 そんな中、今日も派手なシャツを着た優夏が、にっこりと微笑みながら、コップに入った冷たい烏龍茶を差し出してくれた。



「一昨日、涼太郎に会ったんですって?」



 春人は「ありがとう」と言ってコップを受け取って頷く。



「涼太郎くんと偶然会えて良かった。この間のお詫びのつもりで水族館のチケットを渡したんだけど、今頃二人とも楽しんでくれているかな」



 優夏が「ふーん、偶然?」と視線を送る。その視線を受けて、春人は微笑みながら答える。



「一昨日は、しばらく雨が続いて、ようやく止んだ朝だからね。散歩にくるかな、と思って」



 土砂降りの雨の後だ。散歩するなら、増水した川沿いの土手より、下の住宅街の道を行く方が安全だろう。春人の家の裏手がちょうどその道に面している。庭先でコジローを離して遊んでいるときに、もし涼太郎がそこを通るなら、コジローがムサシの気配に気づいてくれるかも知れない。通らなければ別にそれはそれで構わない。それぐらい期待していない望みではあったが。



「本当に偶然だよ?」


「そういうことにしといてあげるけど」


「ふふ。勘が当たっただけだから」



 そう言って苦笑いする春人が、どこまで物事や人の心を読んでいるのかは分からない。

 ただ春人は昔から、勘の鋭いところが確かにあった。

 あの日もそうだ。駅前のカラオケ店で練習しようと春人が優夏を誘った。そこで、偶然あの二人に会ったのだ。


 今回も何かの勘が働いたのか。

 だがそれ以上に、優夏は先日から春人の焦りのようなものを感じている。

 少し強引に見える春人の行動に、優夏は直球で突っ込んでみた。



「もしかして、あなたも何か言われた? 誰かさんに」



 そう言われて、春人はほんの僅かに視線を揺らしてから、ふふっと笑った。



「……鋭いね。ユウ、相変わらず」


「あなたと何年一緒だと思ってるのよ」


「そうだね、もう十五年以上になるか」



 春人と優夏は、昔からの幼なじみだ。母親同士が仲が良く、それこそ乳幼児の頃からの付き合いになる。幼稚園から高校の今に至るまで、ずっと同じ園、同じ学校だった。



「あなたのお祖父さんね」



 優夏がそう言うと、春人は苦笑いして肯定する。



「俺の自由ももう残り少ない。だからこそ悔いのないようにしたいと思ってね」


「春人……」


「俺が君と音楽が出来るのも、文化祭までだから」



 春人はそう言って、どこか寂しげに微笑む。

 春人がもうすぐ音楽をやめなければならないことは、優夏も以前から春人から聞いていた。春人の家の事情を、小さい頃からよく知っているから、その理由も分かっている。


 春人の家は、この地域では古くからの家柄で、手広く事業を手がけていることで有名な、所謂いわゆる名士の家系だ。

 佐原家といえば、本家当主にして県議員でもある春人の祖父・佐原行哉さわらゆきなり、市議である父・蒼悟そうごを始め、親戚も自治体や地元企業の要職などに多く名を連ねている。そして春人自身は、佐原家の直系。行哉の長男・蒼悟の一人息子だった。


 ある意味将来が既に決定づけられている、と言ってもいいかも知れない。実際行哉は、春人に対して大きな期待を抱いている。

 春人は、祖父に『文化祭までは好きにやれ』と言われていた。

 だがそれ以降は、勉学に励み、祖父、父の後継として学ぶこと。その約束のもとで、音楽をやる事を許されている。


 長年父の背中を見てきたから、祖父からの重圧、佐原家の長男という肩書きの重さは知っている。だから、春人は、自分の夢が文化祭までで終わってしまうことは、仕方のないことだと、半ば諦めの様な形で受け入れてはいた。


 だが、リミットが迫ってきた夏休み前日。

 終業式の日の夜に、祖父に言われたのだ。


『お前の学校の文化祭に、来賓として行くことになった』と。



「今度の文化祭、あの人が来賓として来る」


「何ですって?」



 春人が告げた言葉に、優夏は驚いて思わず声を上げた。


 春人の祖父・行哉には、優夏も何度も会ったことがあるが、居るだけで圧倒されるほど威圧感がある人物だ。いつも眼光鋭く、笑ったところを一度も見たことがない。優夏が小さい頃は、彼に一瞥されただけで、怖くて体が硬直して、動けなくなってしまった事もある。



(あの人がわざわざ来るというの)



 優夏は想像しただけで、緊張して肌が粟立ってしまった。



「だからそんなに焦っていたのね」



 春人が焦っていた理由が分かり、優夏は得心がいく。



「あの人のことだ。俺の最後の悪あがきを見届けるために、根回ししたのかも知れない」



 お前の夢はここで終わるのだと、分からせるために。

 しかし、自分にだって意地はある。

 これまでずっと、優夏と夢中でやってきた夢なのだ。

 春人は、いつも浮かべている笑みを消して、挑むような目をして空を仰いだ。



「どうせ最後になるなら、見せつけてやりたいと思った」



 自分たちが今までやってきた全てを、優夏と一緒に培った夢を、全力であの人の眼前にぶつけてやりたい。

 それが、春人の、祖父に対する意地でもあり、もうすぐ終わってしまう自分の夢に対する、せめてもの餞だと思った。



「そんな矢先に、あの子たちの音楽に出会って、余計焦ってしまって……」



 行哉に最後通牒を突きつけられてから数日後。

 あの日、涼太郎と晶矢に出会って、二人が奏でる音楽に魅せられてしまった。

 あの二人の音楽が見せてくれる景色を、もっと見たいと思ってしまった。一緒に音楽をやりたいと思ってしまった。

 だからつい、「文化祭に一緒に出てほしい」と口に出してしまった。

 四人で一緒に演奏したあの時の一体感、幸福感。

 思い知ってしまったのだ。この音楽こそが、自分がやりたかった音楽だったと。


 もう自分には時間がないのに。



「四人で一緒にやりたい」



 春人が切なげな表情をして、苦しそうに言った。

 その言葉は、普段はなかなか見せない春人の心からの本音だと、優夏はすぐに分かってハッとする。



「でもそれは、俺の我が儘だ」



 春人はその本心をすぐに隠す様に、自虐的な笑みを浮かべた。



「あの時はついあと先も考えず、一緒に文化祭に出てほしいと、二人に言ってしまったけれど……」



 そこまで言って春人は、ひとつ息をついて目を伏せる。



「諦めようと思っている」


「!」



 苦く呟くような春人の言葉に、優夏は驚いて息を呑んだ。



「え……どうして……」


(これほどまでに一緒にやりたいのに?)



 優夏の問う声が思わず掠れる。



「俺と違って、あの子たちにはまだ未来があるから」



 春人はそう言って、また寂しげな笑みを浮かべた。



「俺の個人的な都合に巻き込んで、壊したくない」



 人前に立つことを恐れている涼太郎と、親からの抑圧で音楽をやめさせられるかもしれない晶矢。

 そんな二人が出会って、一つの音楽が生まれたことは奇跡なのだ。今ようやく始まったばかりで、これから二人が紡いでいく音楽が沢山あるはずだ。それなのに、自分の最後の夢のために、彼らを危険に晒して、彼らの未来を壊したくない。



「二人の未来を、見てみたいと思ったんだよ」



 春人の言葉に、優夏は切なげな表情で首を振る。



「あなたの家の事情は、十分過ぎるほど分かってる。でも、春人。あなたはそれで後悔しないの?」


(あなたにだって、未来はあるのに)



 優夏は問いかける。

 涼太郎と晶矢の音楽には、優夏も惹かれている。春人と同じように、彼らと一緒にやりたいと思っている。

 だから、春人がどれだけ、身を切る思いで今諦めようとしているか、痛いほど分かる。


 でも春人自身の夢は、気持ちは、どうなるのか。



「……しない、と言えば嘘になるけど」



 春人は静かに、でもはっきりと諦めの言葉を口にした。



「もういいんだ」



 優夏はそう言った春人を見つめて、深く息をついた。



(ばかね、春人。あなた今どんな顔して、その言葉を言ったか分かってる?)



 長年一緒にいるからこそ、優夏は分かってしまう。どれだけ隠そうとしても、春人の本心が本当は「諦めたくない」と叫んでいることを。

 そんな泣きそうな顔で、言われたら尚更だ。



「二人が出ると言ったら、どうするの?」


「別な舞台を用意するつもりだ」



 春人はそう言って、また本心を紛らわせるように微笑んだ。

 あの二人が危険を犯してまで、わざわざ学校の先生や生徒たちの面前でやる必要はない。



「あの人に、お願いしてみようと思う」



 春人の言う「あの人」が誰のことか分かって、優夏は「そう」と頷いた。



「ねえ、春人」



 優夏は真剣な表情で、春人の目をしっかり見つめる。

 優夏の星を散りばめたような瞳が、春人の澄み渡る夜のような瞳を捉えた。

 そして優夏は、春人が音楽をやめなければならないと知った時から、ずっと心に決めていたことを口にした。



「あなたの夢が終わる時は、私の夢も終わる時よ」


「ユウ! 君はやめなくても……」



 驚いて声を上げようとした春人の唇に、優夏は人差し指を当てて、首を振る。



「今までずっと傍にいたのよ。あなたの音がないのなら、私には意味がないの」



 二人で奏でるのが当たり前だった。それが、春人と優夏の音楽だからだ。



「この先の未来がどう転んだとしても、あなたの夢は、私が最後まで見届ける」


「ユウ……」



 優夏の告げる言葉に驚いた表情のまま、春人は優夏から目を離せなかった。



「だから、後悔しないで。あなたの思うがままに、やり遂げてみせて」



 そう言って、優夏は泣きそうな顔で、春人に微笑んだ。

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