「自立」(3)
来楽島……
自然豊かなこの楽園には、手つかずの動植物がいまだひっそりと暮らしている。
原生林では多くの鳥獣類のささやきが絶えず、色鮮やかな果実にしたたる湿気もみずみずしい。満天の蒼穹に浮かぶ白雲をのんびり運ぶのは、透き通った珊瑚礁から流れてくる爽やかな潮風だ。
車や人はいない。邪魔な建物もない。耳障りな騒音もない。雑多な悪臭もない。この貴重な南国の繁茂に満たされた環境であれば、汚染されきった現代社会のストレスなどちょっと深呼吸するだけで霧散してしまうだろう。
夢のような孤島は〝鳥栖〟という資産家が丸ごと買い取った私有地だった。もちろん鳥栖なる人物の名前は偽名だったが、きちんと諸費用を支払って法律家の力を借りればどうとでもなる。正当な権利に守られているおかげで、ここを部外者が金儲けの観光場所として乱暴に開発することはない。
見晴らしのよい海ぞいに唯一、その風光明媚な豪邸はたたずんでいた。
百坪を超える敷地をふんだんに飾るのは、熱帯の樹木と刈り揃えられた天然芝だ。三階建ての屋敷が備える部屋数は、ゆうに三十室を上回る。建物の内外に二箇所も設置された深くて大きなプールは、よく手入れが行き渡って底まで澄んでいた。海に面した広大な駐車場には個人用の飛行機やヘリ、ドライブ用の高級外車や旅客船まで停まっているではないか。
超一流のホテルを凌ぐしつらえの邸宅、その地下室……
薄暗い廊下をずっと進んだ先に、そのおかしな部屋はあった。
高級な内装は広く清潔で、そなわった調度品はどれも豪奢きわまりない。ジェット式のバスルームに化粧室等、快適にくつろげる設備は過保護なまでに取り揃っている。
だが部屋と通路をへだてる部分に、無言で立ちはだかる透明な壁はなんだ。よく目を凝らせば、室内のそこかしこに専用の呪符が描かれていることにも気づく。まんべんなく張り巡らされた呪力の意図は〝防護と封印〟だった。
まるで猛獣の檻……
通路側から、ガラス張りの拘置所をノックする者がいた。
「起きているか、戦闘機の魔法少女?」
「ダムナトス!」
怒鳴るやいなや、少女は豪華なキングサイズのベッドから跳ね起きた。
ガラスに飛びついた彼女の名前は、伊捨星歌。まだ美須賀大付属の制服を着たままだ。
轟音とともに、地下牢は震えた。棒立ちのダムナトスめがけ、ホシカが容赦ない右ストレートを叩き込んだのだ。しかし耐爆・耐呪力等のあらゆる加工がほどこされたガラス面にさえぎられ、拳はむなしく宙へ跳ね返っている。
能面じみた無表情のまま、ダムナトスはさとした。
「よせ、無駄だ。ケガをするだけだぞ」
「うるせえ!」
赤くなって痛む手に息を吹きかけつつ、ホシカは低い声で問うた。
「なにしにきやがった?」
「食器の下げ膳にだ」
「偽魔法少女どもを使うでもなく、てめえじきじきにか?」
「彼らには別の仕事をしてもらっている。来客の対応だ」
「来客?」
「間もなく到着、というよりは襲来する予定だよ」
牢屋の一部にもうけられた狭い出し入れ口から、ダムナトスは盆に乗った食器を回収した。きれいに食器が空になっているのを確認し、ホシカへたずねる。
「口に合ったようだな、食事の味つけは?」
「美味い。いや、じゃなくて……」
「ほかになにか欲しいものはないか?」
「自由だ。自由をよこせ」
ある異世界の戦いに終止符を打ち、ホシカが晴れて現実へ舞い戻ったときのことだ。
強力無比な特殊チームを離れて、のんきに単独行動を開始した直後に悲劇は襲った。
疲れきって家路につくホシカを突如、ダムナトスとそれの率いる謎めいた四名の男女が不意打ちしたではないか。想定外の呪力を繰り出す刺客たちが〝欠片〟と呼ばれる特殊装置の性能を借りた擬似的な魔法少女だったのは、後で知らされることになる。
激闘だった。ホシカも抵抗するにはしたが、総計五名の連携はきわめて精巧だ。ホシカの手足はひとりでに動いた樹の根に絡まり、奇怪な幻で視界はくらみ、攻撃は不自然に反射され、仕留めたはずの敵はなぜか甦り、刃のごとく硬質化した辞書のページに我が身は切り刻まれる。油断が生んだ後手を、ホシカはなかなか挽回することができない。
さしもの本物の魔法少女であるホシカも、結果的にはついに昏倒。意識を取り戻したときには、ここ来楽島の根城に監禁されていた。ごていねいに、傷ついた体に治療までほどこされて。
「出せよ、出せ! あたしを、ここから!」
両手でガラスの格子を殴るホシカへ、ダムナトスは落ち着くよう身振りで懇願した。
「おまえがもっと平和主義なら、なにもわざわざこんな特製の独房に閉じ込めたりはしない。島からは出せんが、優雅な南国リゾートを満喫することぐらいはできたはずだ。現に差し入れの料理の出来に関しては、かなり自信がある。美味かったろう?」
「美味い! 違う! くそ! 〝翼ある貴婦人〟!」
呼び声と同時に、ホシカの片目に現れたのは呪力の五芒星だった。振り上げられたホシカの手刀が、先端からまばゆい輝きを放つ。超高熱の光の刃だ。
「第四関門!」
薙ぎ払われた光刃の軌跡にそって、猛スピードで火花が散った。
なぞられたガラス面には、かすかな擦過傷と白煙が残っている。それだけだ。亀裂ひとつ入る気配はない。片手に限定した部分的な呪力の発揮とはいえ、ホシカの最大出力でもこのざまだ。ひきかえに当然、ホシカの瞳からは五芒星の一角が失われた。
「その部屋は隙間なく防御されている。シャードの持ち主から徴収した呪力でな」
双眸に底知れぬ意思をたたえ、ダムナトスは言い聞かせた。
「たとえ戦闘機に変形しようが、決して破ることはできんよ」
「くっそ……」
灼熱する手刀とガラスの監獄を見比べながら、ホシカはいまいましげに吐き捨てた。
「いったいなにが目当てだ? あたしとてめえは、なんの利害関係もないだろ?」
あごをさすり、ダムナトスは小さく首をかしげた。
「それがな。そうでもないんだよ、未来では」
「未来? 占いでもできるってのか?」
「まあそんなところだ。さまざまな情報をもとに分析し、事前に予測はできる。これから俺の力が〝封印〟することになる相手の今後ぐらいは」
「なんで閉じ込める? 閉じ込めてなんの特がある?」
「おまえは人質だ。ホーリーに対する、な」
「ホーリー?」
聞き覚えのある固有名詞がはらむ壮絶さに、ホシカは顔をしかめた。
「あの〝ジュズ〟を操って世界を滅ぼそうとしてるあいつか。あいつに対して、あたしがなんの交渉材料になるってんだ。ホーリーはあたしらの敵だぜ。あたしが消えて、むしろあいつは喜ぶ」
「そう思うかね、ほんとうに?」
不可解な返事を挟んで、ダムナトスは告げた。
「我々にとっても、ホーリーは天敵だ。そう。ふつうに考えて、世界を滅ぼそうとする相手が味方なわけはない。ということは、だ。おまえと俺の共通の敵ではないのかね、ホーリーは。そこをなんとか汲み取って協力してはもらえないかな、伊捨星歌?」
「やなこった」
鼻息も荒く、ホシカはガラスの壁を蹴った。
「便利な小道具だな、シャードってのは。安物の偽魔法少女と凶暴な死魚鬼をゴキブリみたいにホイホイ生み落とす」
「安物の、しかもゴキブリとは心外だ。これでも研究に研究を重ね、苦労して作ったんだぞ?」
「まえに自分自身で自慢してたじゃねえか。てめえのやり口はよ~く知ってる。関係のない人間から呪力を巻き上げてなにがしたい? 死魚鬼であふれ返った地獄の生け簀でも作る気か?」
「死魚鬼の発生は、ただの作業工程の副産物にしかすぎない。本来の目的は、ホーリーに勝つための大量の強い呪力の蓄積だ」
「溜め込んで、どうするよ?」
「構築してみせる。絶対に壊れないシャードを。完璧な呪力使いを。時間切れのない完全な魔法少女を」
「!」
目を瞠ったホシカをよそに、ダムナトスは語った。
「俺の計画は、おまえたちと同じ。未来の侵略から現在を守ることだ。ホーリーの魔手から救う。空を、大地を、海を、そしてすべての生命を。だからおまえに、そこまで忌み嫌われる筋合いもないんだがね?」
斜に構えて、ホシカは舌打ちした。
「ドス黒すぎるぜ、そのやりかた。いつかの命を守るために、どこかの命を犠牲にする……ホーリーとなんにも変わんねえ。そのまま血まみれの独裁者にでもなって、世界をてっぺんから牛耳るつもりか?」
「俺は英雄になどなりたいわけじゃない。戦争の火種を消し、ただ穏やかに暮らしたいだけだ。この島を包む自然のように。おまえさえ俺に力を貸してくれれば、死魚鬼の発生もゆるむ。そのガラスの牢獄を維持する呪力が必要なくなるからな。どうだ、悪い話ではなかろう?」
「ゆるむ、だって? ふざけんなよ」
威嚇的に両拳を鳴らし、ホシカは要求した。
「まずは売っ払ったシャードをぜんぶ回収して、あたしの前に耳をそろえて出しな。話はそれからだ。べつにあたしがいなくたって、悪党はナコトやミコが倒す」
思わせぶりなダムナトスの沈黙に、時間は止まった。
「それでいいのかね?」
「あン?」
「だっておまえは、ホーリーを……」
重い地響きとともに、天井から破片がこぼれたのはそのときだった。
虚空を嗅ぎ、ダムナトスは納得げにうなずいている。
「うわさをすれば、だ」
「おい、待てよ。待て!」
ガラスにへばりつくホシカを残して、ダムナトスの背中は廊下をあとにした。