「自立」(2)
そのカラオケ専門店は、事件の現場からやや離れている。
シヅルとルリエが、密談の場に選んだのはそこだった。ひとたび扉を閉じてしまいさえすれば、防音構造のおかげで会話の内容が外部に漏れる心配はまずないだろう。おまけにシヅルが首をかしげるほど病的に用心深く、ルリエはそこかしこで盗聴器等の有無を確認した。けっきょくは問題なかったらしい。
とりあえず注文したジャンクフードとジュースを配膳し終え、制服姿の店員は部屋をあとにした。従業員にとっては二人は他愛もない友達どうしの歌合戦にしか過ぎず、まさか彼女らが高戦闘力の魔人たちだなどとは知るよしもない。
つかのま開いて閉じた扉の隙間から、へたくそな流行歌が忍び込んではすぐに遮断される。輝度を落とした室内をちかちか照らすのは、モニターに流れる無難な宣伝だけだ。
条件反射でマイクを手にし、シヅルは聞いた。
「どっちから歌う?」
「歌ってる場合じゃないでしょ。べつに嫌いじゃないけど、それはまた次の機会にするわ」
最初にルリエから発されたある単語に、シヅルは瞳をぱちくりさせた。
「欠片?」
「そう、シャードよ」
じぶんの携帯電話を、ルリエはテーブルに置いた。画面に映し出されたのは、砕けて壊れたなんらかの装飾品に見える。写真にある破損物の表面にうっすら残るのは、呪力で描かれたとおぼしき五芒星の痕跡だ。
「まずこれがシャード。死魚鬼を生み出した諸悪の根源ね。それから次に、シヅル、グロ画像に免疫はある?」
「え。ちょっと待……」
シヅルにみなまで言わせず、ルリエの細指は画面をスライドさせている。
あんのじょう、シヅルは胃液の逆流をこらえるハメになった。つづく写真がありありと捉えるのは、あの死魚鬼の〝遺体〟と思われるおぞましい一枚ではないか。
半魚人が倒れ伏す場所は、いずこか見当もつかない。鋭利な牙の並ぶ口腔から、だらしなく伸びるのは色味の悪い長舌だ。死骸が満身創痍で血まみれなのは、いったいどんな強烈な攻撃を浴びたためか。思いきり飛び出した大きな目玉は、当時の驚愕や断末魔を雄弁に物語っている。
ジュースをあおって胃酸を押し戻しながら、シヅルは不機嫌げに問うた。
「なにがどうなっとるんや、その写真?」
「暴走した死魚鬼を、ハンターが仕留めた。ハンターは、特殊なシャードの力を借りた〝擬似〟の魔法少女よ」
「擬似? ニセモノっちゅうことけ?」
「ええ」
飲み物に差したストローで上品に喉をうるおしつつ、ルリエは続けた。
「シャードとは、魔法少女の模造品を作り出す呪われた装置のことよ。あるていどの適性さえあれば、老若男女を問わず魔法少女になることができる。肉体への負担も考えず、着用した人間の生命に宿る呪力を強制的に引き出してね」
「模造品……うちやホシカとは違うんか?」
「それはもう、ひどい粗悪品なの。シャードを闇市場に流出させたダムナトスが、買い手にあらかじめその危険性をしっかり説明してるかは疑わしい。第一、そんな怪しいものを買い求める人間に正常な倫理観を期待するのも無理がある」
ルリエがポテチを噛む音は、わずかに強まった。肉食魚の毒牙から救えなかった人々の顔が、悔恨の念が脳裏をよぎったせいかもしれない。
「片方では、よくできたシステムとも言えるわ。ただの補助器具にしかすぎないシャードは、本来の魔法少女が振るうような強い呪力の顕現にとても耐えられない。そんなことをすれば、あっという間に壊れる。でも着けた本人は夢の道具に浮かれて、手に入れた異能を使いたい放題よ。呪力を使い果たし、すぐに被害者は死魚鬼に変態するの。さっきの中嶋豊和は〝爆発〟に特化した呪力に覚醒し、残念だけどその手遅れである〝時間切れ〟の一例でもあるわね」
「そんなどす黒い代物をバラまいとるんか、あのダムナトスっちゅうやつは。世のため人のため、さっさと止めなあかんな。それはそうと」
つまみのフライドポテトをくわえたまま、シヅルはたずねた。
「時間切れっちゅうのはなんなんや?」
「呆れた。信じられない。真正の魔法少女が、なにをいまさら?」
表情を曇らせて、ルリエは首を振った。
「そっか。知らないのも仕方ない。見たところ、シヅルには担当の安全装置もいないみたいだから。結論から言うわ。時間切れに陥った魔法少女は死ぬ。例外なく」
「はァ!?」
「憑依した星々のものに心身の支配権を奪われて、ね」
「ほんまけ!?」
「そもそもにして召喚の儀式を受けた段階で、資格のない人間は屍食鬼と化して理性を見失う。無我夢中で獲物を狩って貪るだけの醜い怪物に成り下がる点は、死魚鬼と同じよ」
あらためてルリエは説明した。
「さっきみたいに呪力を使うとき、シヅル。じぶんの片目に、このシャードの写真と似た〝五芒星〟が現れることは知ってるわね?」
「頭がズキッとするアレな。鏡で見たこともあるで。呪力を使うと、星は一角ずつ消えてなくなる。最後まで使いきったことはあらへんけど」
「使いきってたら今ごろ、あなたは内側から星々のものに食い破られてるわ」
「美樽山で聞いた〝蜘蛛の騎士〟の言葉は夢や幻やあらへんかったんか……」
「その一端が、こっちの写真の死魚鬼よ。シャードの時間切れに襲われた被害者は、これに変身する」
いまだ可憐なうなじから消えやらぬ痛々しい手形をさすり、ルリエはささやいた。
「街でも見たとおり、死魚鬼の力は想像を絶するわ。その強化された肉体は鋼鉄以上に頑丈で、同じ星々のものに類するはずのあたしの攻撃もろくに通じない。また死魚鬼に時間切れの概念はないようだから、命が尽き果てるまで呪力を乱発してくるわよ」
「な、なんちゅう恐ろしい怪物や」
「そういう意味では、シヅル。他のだれにも見えない〝死〟に直接干渉するあなたの有能さは、死魚鬼にとっては天敵中の天敵ね。どちらかといえば、広範囲に分散する傾向のあたしの属性と違って」
「有能なんてそんな、へ。照れるやないけ」
「ただし」
形のよい唇に注文品のピザの先端をつけ、ルリエは念押しした。
「あなたもいたずらに呪力を乱用してはダメよ、シヅル。あたしたち常在型の呪力使いとは異なり、魔法少女はリボルバー式に標的を一点突破する弾丸のような存在。その超高威力と引き換えに、弾倉は少なく限られてるわ。なので当然、魔法少女も弾切れを起こす」
「もし間違って時間切れになんかなってもうた日には……ゾッとするな」
「その恐怖が肝心よ。恐怖心は人の限界を封じ、命の暴走に歯止めをかける大切な機能だわ」
ハンバーガーの包みをほどき、ルリエはほほ笑んだ。
「シヅルには助けてもらった恩がある。当面の間は、あたしがあなたの安全装置の代わりになるわ。呪力の方面でもプライベートの方面でも、困ったことがあれば聞いて。幾億年か蓄積したクトゥルフの経験でよければ、恋愛の悩みでもなんでも相談事に乗るわよ」
「懐が深いんやな。ほなさっそく、うちの家庭事情について……と、その前に」
ホットドッグをしばきながら、シヅルは話題を戻した。
「ルリエはなんでまた、あんな場所で死魚鬼なんかの相手してたんや?」
「一角足りないの」
「一角?」
「あたしはとあるチームの指揮者……メネス・アタールという異世界の召喚士に依頼されて、シャード事件とホシカのゆくえを追ってる。同じように秘密裏に調査にあたってる政府の組織もあるけど、いわば〝ファイア〟は不都合な真実を闇に葬るのが専門よ。でもメネスは違う。事実に堂々と真正面から立ち向かい、世論といっしょになって平和を目指す方針なの。あ、唐揚げはレモンをかける派?」
「かける派やで。ありがとさん」
ていねいに手で防いだレモンを、ルリエはできたての唐揚げにしぼった。
「あたしも今日まで、何件ものシャードに巡り会ったわ。だから、どの事件にも共通することがあるのに気づいた」
「?」
「いずれのケースでも、シャードからは五芒星の一角が欠けてるの。説明がつかない。通常なら五角あるはずの星が、どれも必ず最初から四角しかないのよ」
「でもシャードには、星が五つ揃ってた形跡がある、と。残りの一角は?」
「どうやらダムナトスは、ただの資金集めやテロの目的とかだけで粗悪な呪具を売りさばいてるわけじゃないみたい。買い手の呪力から五芒星の一角ぶんを、まるで仲介料かなにかのように徴収してるらしいわ」
「呪力の上前をピンはねしとるんやな。でも、なんのためにや?」
「多くの異世界筋の情報屋をあたって、ついでに組織の攻撃監視衛星〝ハイドラ〟にハッキングして呪力のレンズを拝借してみたの。すると、ある事実が発覚したわ。シャードから奪われた呪力の経路は、太平洋のとある島に集まってる」
きれいに拭いた指で、ルリエは携帯電話の世界地図を開いた。なんども拡大された海図に明確に見えてきた孤島の名称は……
息を飲んで、シヅルはその地名を口にした。
「来楽島……!」
「一致するわね、さっきダムナトス自身が口にした場所と」
「そこにシャードの秘密とホシカの身柄が……ダムナトスとは何者や?」
組み合わせた繊手の上に細い顎をのせ、ルリエはしばし黙考した。
「ひとことで言えば〝海の辞書〟かしら。太古の昔から今にいたるまで、海はありとあらゆる現象を記憶してる。その膨大な歴史に特殊なアクセスをして利用できるのが、ダムナトス。その真の姿は、本よ」
「本?」
「そう、本。歴史を圧縮して密閉し、記録して封印する能力を有した異世界の大辞典だわ」
「人間とは違うな?」
「あたしと同じ、ダムナトスも星々のものよ。宇宙や海とかのつながりで、あいつとはちょっとした昔なじみなの。腐れ縁ってやつね」
「いったいなんや、ダムナトスの目的は?」
一瞬、ルリエは言葉に詰まった。なにやら、過去のトラウマでも甦ったらしい。勇気を振りしぼり、喉を震わせて告げる。
「ホーリーと戦うため、って言ってたわ」
「ホーリー?」
「現在ではない未来の超存在よ。あたしたちや組織も、それを食い止めるために躍起になってる」
「み、未来……?」
「じかに接触したからこそわかるけど、その存在はおそろしく強大で邪悪よ。今現在で判明してるホーリーの目的はひとつ。それはすなわち、呪力使いの絶滅よ」
「絶滅、って……うちらもターゲットけ?」
「まず間違いなく」
「世の中に何人ぐらいおるんや、呪力使いは?」
「数えきれないわ。外付けのシャードに触れただけでも、この量の魔法少女が発生してるのよ。潜在的に呪力を眠らせてる人間まで足し合わせると、人類のおよそ半分以上がホーリーの駆除の対象ということになる。ホーリーは呪力の気配にひどく敏感で、ただ素質があるだけでも許さないし逃がさない。とくに異世界の幻夢境なんかは、呪力が呼吸レベルにまで浸透してるから目も当てられないわね」
「それを倒そうとするダムナトス……おかしなことやけど、うちらやダムナトスの目指すゴール地点はちょびっとだけ似てへんか?」
「だとしても、ダムナトスのやりかたは強引すぎるわ。このまま放っておけば、ホーリーよりも先に死魚鬼の軍隊が世界を滅ぼしかねない。これいじょう一般社会にシャードが出回って犠牲者を増やさないためにも、まずは早急にダムナトスの企みを阻止しなきゃ」
「ようわかった」
気づけばシヅルは、ルリエの手になかば無理やり握手していた。
「幸運にもあしたから連休や。水着を買いに行こ、ルリエ」
「は?」
目を点にするルリエをよそに、シヅルは言い放った。
「うちもいっしょに行く、来楽島へ。シャードの件もそうやし、なによりホシカを助けんとあかんからな」
「だめよ」
にわかにルリエの眼差しは険しくなった。
「島にはあたしひとりで乗り込む。悪いけど、あなたみたいな未熟な魔法少女の面倒まで見てる暇はないわ」
「うちの相談役兼、安全装置になってくれるて言うたやんか。それにタフな死魚鬼に効くことは証明済みやろ、うちの〝蜘蛛の騎士〟は?」
「そりゃ、そうだけど……」
「目には目を、魔法少女には魔法少女を、や」
苦悩するルリエを、なおもシヅルは機関銃のようにまくし立てている。
ひとしきりシヅルの扇動を聞いたのち、ルリエは参ったとばかりに肩を落とした。
「やれやれ、しかたない。いいわよ、ついてきても」
「よっしゃ♪」
「ついてくる代わりに、いくつか条件があるわ」
「はいはい」
「ひとつ、あたしの指示にはきちっと従うこと。ふたつ、あたしのそばを絶対に離れないこと。みっつ、あたしの許可なく魔法少女の力は使わないこと。よっつ……」
長々と並び立てられる約束事のすべてに、シヅルはおとなしく同意した。まさか一個も守る気がないことを、ルリエはこのときまだ知らない。
「そうと決まれば善は急げや。行こ、水着屋に」
「遊びじゃないって言ってるでしょ。仕事よ仕事」
すでに心ここにあらずな調子のシヅルを叱り、ルリエは切り捨てた。
「島にはあたしたちの正装……制服で行くわ」