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スウィートカース(Ⅷ):魔法少女・江藤詩鶴の死点必殺  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第四話「棺桶」
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「棺桶」(5)

 大量の白泡をまとい、シヅルは水中へ沈んだ。


 息ができない、苦しい。もがくシヅルの気道に肺に、塩素混じりの水がなだれ込む。あわてて浮上を試みるシヅルだが、その足首を掴んで止めるのは万力めいた掌だ。


 呪力を介してシヅルの耳朶を震わせたのは、ダムナトスの声だった。


〈逃がさん〉


(……!)


 暗い水底で、シヅルは目撃した。あぶくひとつ漏らさずシヅルを捕らえる敵手、ダムナトスの水死人のごとき無表情を。


 あちらで抵抗する包帯人間のような姿は、体中をびっしり辞書のページで封じられたルリエではないか。破れ知らずの頑丈な紙片は、異世界の防水性能を有している。プール内での戦いは、どうやらダムナトスに軍配が上がったらしい。


 たったひとりでルリエを制し、おまけにシヅルまで赤子のようにあしらう。かろうじて人間の形こそ保ってはいるものの、ダムナトスからは海神の一柱にふさわしい凄絶な水の呪力が読み取れた。


〈ようこそ我が庭へ。さあ、行こうか〉


 優雅に揺らめく手足で呪力の水流を切りつつ、ダムナトスは酸素不足のシヅルをさらなる深みへと引き込んでいった。強力な魔法少女とはいえ、シヅルもしょせんは呼吸のいる人間だ。そんな獲物を、得意とする水の世界で溺れさせる。やや気品には欠けるが、これほど効率的な戦法もない。


 気泡を噴いて苦悶しながら、シヅルは必死に足元へ腕を打ち込んだ。


(〝蜘蛛の騎士(メーディン)〟……!)


〈無駄だ〉


 ダムナトスの忠告に従うように、シヅルの反撃は空振りした。


 完全な呪力切れだ。これいじょう魔法少女を乱用したら、死ぬ。


 酸欠で暗転しかかる意識の片隅、シヅルは悔しげに歯噛みした。


しまいか……)


 呪力さえ、呪力さえ使えれば……


 水中の静寂に、重い打撃音が響き渡ったのは次の瞬間だった。


(!?)


 衝撃とともに、シヅルに絡まったダムナトスの握力は緩んだ。


 おお。ようやく辞典の拘束を脱出した何者かが、ダムナトスの横面を思いきり殴り飛ばしたのだ。


 それはもう、ルリエであってルリエではない。その美麗だった四肢は不気味な体色の外皮にまんべんなく覆われ、何倍にも巨大化した手足には鋭い鉤爪が生え揃っている。さらにはその背中で大きく水を泳ぐ翼に、醜い顔を無数に覆うのは卑猥な触腕だ。


 呪力を全開にし、ルリエはクトゥルフの怪物へと変身した。


(る、ルリエ!? ほんまにあんたか……!?)


〈一発、なんとか一発だけ通った。でもこんな外見、ダムナトスの前ではただのこけ威しにしかすぎないわ〉


 答えた魔獣の声は、たしかにルリエのそれだった。


〈あいつをいま倒せるのはシヅル、やっぱりあなたの〝蜘蛛の騎士(メーディン)〟だけ〉


(でも、うちに呪力はもう……)


〈ラストチャンスよ〉


 だしぬけに花開いたクリーチャーの頭部から、もとのルリエは上半身をのぞかせた。水底に浮かんだまま、美しい繊手はシヅルの頬をそっと包み込む。


 そして……


〈最後の息継ぎと、呪力よ〉


 気づいたときには、ルリエはシヅルと深く口づけしていた。


 シヅルの肺を満たしたのは、新鮮なぬくもりを含んだ酸素だ。同時に、その片目の五芒星も一角だけ、ふたたび点滅を取り戻す。さきの水中戦で消耗した生命をさらに削り、どちらもルリエがシヅルに分け与えたものだった。


〈邪魔を、するな!〉


 ダムナトスの怒号とともに、ルリエは水面へ吹き飛ばされた。手もとの奇書から斉射された紙刃が、肉食の魚群のごとく大挙してルリエを襲ったのだ。


 しかし、ダムナトスは見た。すぐ真下、水底を足場にして身構えるシヅルを。


 その振り抜かれた指先に現れた魔針は、ひときわ鮮烈に輝いた。


(感謝するで、ルリエ……〝蜘蛛の騎士(メーディン)第四関門(ステージ4)


〈おのれ!〉


 交錯は一瞬だった。


 すれ違って停止したシヅルとダムナトスに、沈黙のとばりは降り……


 全身を本に切り裂かれたシヅルから、墨汁のごとき血煙は多く水に広がった。


 遅れて背後のダムナトスを、光の軌跡が縦横無尽に刺す。


 刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す。


 盾にした辞典もろとも体中に死を刻まれ、ダムナトスは力なく水流に身を任せた。シヅルの呪いが、ダムナトスのそれに押し勝ったのだ。


(〝死界デッドワールド〟……なめたらあかんで、魔法少女を)


 かろうじて時間切れ(トラペゾヘドロン)は避けたが、シヅルに宿った呪力の残量は限りなくゼロに近い。


 その脳裏に響いたのは、なにかがわずかにひび割れる音だった。燃料計を示す瞳の五芒星が、でたらめに振り切りすぎて少し壊れたようだ。


 朽ち果てたはずのダムナトスが、顔をあげるのは突如のことだった。


〈かかったな、江藤詩鶴えとうしづる。ようやく見つけたぞ、おまえへの入り口を〉


 高笑いとともに、ダムナトスはばらけた。文字どおりその肉体が、元来の紙片の姿に戻って破裂したのだ。そして、なんということだろう。意志ある紙たちは、いっせいにシヅルの瞳の傷口へ吸い込まれたではないか。


 ダムナトスの呪力の化身は、あっという間にシヅルへ侵入して消え失せた。全部がだ。


(~~~ッッ!?!?)


 不気味に鼓動した片目をおさえ、シヅルはパニックになった。


 体が、意識が、別のなにかに乗っ取られる……

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