「棺桶」(1)
「おい、シヅル、シヅル……」
だれだろう。押し殺した声で、だれかが彼女の名前を呼んでいた。それはとても懐かしい響きに聞こえる。
「……?」
ぼんやりと、シヅルは目を覚ました。
さいきんなにかと勝手に眠ってしまうことが多い。現にいまもシヅルは、キングサイズのベッドに大の字で寝かされていた。
この豪勢な内装は、どこの高級ホテルのスイートルームだろうか。だが、部屋と通路を区切るのは分厚いガラスの障壁だ。見渡すかぎり、どこにも外へ通じる道はない。窓ひとつないことを考えると、どうやら当場所は地下室と思われる。
ここが一風変わった牢屋であることを、シヅルは寝ぼけた頭ながらに悟った。
そして壁を挟んで、真横にも監獄はあるらしい。となりの空間で、姿の見えないだれかは安堵に胸を撫で下ろしたようだ。
「よかった……無事だったか、シヅル」
「その声は……?」
ヤモリのようにガラスにへばりつき、シヅルは気配の正体を口にした。
「ホシカ!? ホシカなんけ!?」
「よう。久しぶりだな」
顔を拝めないことは残念だったが、答えた声はたしかに伊捨星歌に間違いない。興奮と歓喜にガラスを叩きながら、シヅルは叫んだ。
「探したで、ホシカ! かわいそうに、こんな場所に閉じ込められて!」
「ああ、気に入らねえ。気に入らねえ立場じゃねえか、お互い。ところでなんだ、その訛った喋り方は?」
「うちの故郷の方言や。いい加減、いい子ちゃんぶった標準語を使うのも飽きてな。おかげでなんでか、いまはうちまで不良扱いされとる」
「やさぐれたんだなァ、ちょっと見ない間に」
「あんたに言われとうないわ」
独房どうしで、ふたりはかすかに笑いあった。
「ホシカ、そっちはケガはあらへんけ?」
「おかげさまでな。シャードどもから食らった傷はとっくに治ってる」
あちらとこちらを隔てる壁に背中合わせになりつつ、シヅルは問うた。
「ここは?」
「ダムナトスお手製の地下牢さ」
「なんで生かされとるんや、うちは?」
「あたしを説得するための人質、だそうだ。ま、ダムナトスの言いなりになるつもりなんてサラサラないけどよ。心配なのは、おまえが妙な拷問でもされないかだ」
「それは大丈夫や。うちはいったい何時間寝てた?」
「半日ぐらいかな」
「ほなら」
手近な鏡にじぶんの顔を映し、シヅルは呪力を解き放った。片目の五芒星は、きちんと五角ぶん回復している。壁越しに、となりの魔法少女も呪力の流れを感知したらしい。
「これは、呪力……おまえも魔法少女になったのか? いつ、どこで?」
「紆余曲折あっての」
拳を鳴らし、シヅルはホシカに告げた。
「ちょっと隅まで離れとき。これからうちの能力で邪魔な壁を〝殺す〟」
「だめなんだ」
ホシカの制止に、シヅルは止まった。
「この部屋に攻撃は効かねえ。シャードの呪力でできた強い結界なんだとよ。あたしも何度も試したが、無理だった。五芒星の無駄遣いはやめとけ」
「八方塞がりか……」
くやしげに顔をしかめ、シヅルは座り込んだ。八つ当たり気味にシヅルの腰を受け止めたベッドが、ふんわりと反発する。
こちらも不満そうに、ホシカはつぶやいた。
「ひとまず今は、おたがいの無事が確認できただけでも良しとしよう。じっくり考えようぜ、この豚箱を抜ける手段を」
「それが、ゆっくりもしとれんのや……赤務市はいま、大変なことになっとるらしい。メネス・アタールに聞いた」
「メネスに? 教えてくれよ、あたしにも?」
ここまでの斯々然々を、シヅルは端的にホシカへ説明した。
危機感もあらわに、うなったのはホシカだ。
「ついに再開したのか、ホーリーの戦争が。あたしらも急いで合流しないとな。で、また暴れてるのは久灯瑠璃絵か?」
「それは安心して。ルリエはうちらの味方や」
「なんだって?」
ホシカは目をしばたいた。
「あのルリエが? いったいどういう風の吹き回しだ? なんか裏があるんじゃ?」
「異世界でひと悶着あったっちゅうのは知っとる。でもホシカに辿り着くまで、ルリエは間違いなく身を張ってうちを守ってくれた。なんでも、大事な彼氏をメネスに救ってもらった恩があるそうや」
「それらしいことは、前にメネスから聞かされてたが……まじにチームの一員になったんだな」
「いまのところルリエは、ダムナトスに捕まっとらんらしい」
期待と不安をないまぜにした眼差しで、シヅルは地下室の天井を見つめた。
「ルリエだけやで、うちらを救い出す力を持っとるんは……早よしてや」




