「到着」(1)
高度な人工知能の判断で航海する高速船は、三時間もあれば来楽島に着くという。
甲板の手すりに突っ伏して、シヅルはぼうっと船外の景色を眺めていた。
どこまでも果てしなく広がる青い海に、船体のまわりを白く躍るさざ波。澄み渡った潮風の香りと、くっきりそそぐ陽光をときおり掠める優美な海鳥の影。邪魔な人工物は見当たらない。こうして大自然に身を置くと、現代社会の汚染があらためて実感できる。
シヅルとは反対に安全柵に背中をもたせかけ、小首をかしげたのはルリエだった。
「さっそく郷愁にひたってるみたいね?」
「なんかアホらしなっての、下らんことでクヨクヨ悩んでる自分が」
「このあたりの海は比較的、人間による環境破壊はマシだわ。思わず見とれるのも無理はない。そういえばシヅル、家族のことでモメてるって言ってたけど?」
「両親とはケンカ別れして、もう長いこと口も聞いとらん。こういうとき、どうやってヨリを戻せばええんや? 教えてや、経験豊富な海の神様?」
つやも美しい髪をなびかせ、ルリエは青空をあおいだ。かすかに微笑んで応じる。
「もう答えは出てるようなものね。ヨリを戻したい気持ちがあるのは、あなたが自身が仲直りしたがってるっていう証拠じゃないかしら?」
「!」
「母なる海は、行き先に迷った心に解答を与える。あなたはただ、ご両親に向かって一歩を踏み出すのが照れ臭いだけでしょ。違う?」
「せや。そのとおり。人の心が読めるんか、あんた?」
「読むもなにも、あたしにも経験があるからよ。あたしにだって当然両親がいて、大喧嘩したことはある。ちょっとした神々の戦いね。あたりの惑星にもずいぶん迷惑をかけた」
「えらいこっちゃな。どうやって仲直りしたんや?」
「たっぷり悩んだけど、あんがい答えは簡単だった」
軽く腕組みして、ルリエはつぶやいた。
「会話よ」
「会話?」
「そ、日常会話。こっちも話を切り出したいし、そんなときには決まって、相手もこっちと話をしたがってる。あちらもこちらも、べつに相手が嫌いなわけじゃない。だって親子なんだもの。どっちかが妥協して歩み寄るのが適切よ、こういう場合は」
「妥協……やっぱり、すなおにゴメンナサイするしかないんか?」
「むりに謝る必要なんてないわ。いやいや頭を下げなんかしたら、むしろ相手にそれが伝わって不快にさせるかもしれない」
「ほなら、最初にどう声をかければ?」
「きっかけはなんでもいいの。きょうの天気予報、ニュースの話題、学校や道端であった出来事とか、なんでもいい。いったん話が軌道に乗りさえすれば、あとはもう、それを切り口に関係の修復は始まるわ。つぎは相手を傷つけないように、ちょっと言葉を選んで意見を擦り合わせていけばいいだけ。そこまでくれば、すでにお互いともに気づいてる。ケンカは終わったんだって。これからこの友好を続けていくべきなんだって」
船に並走するトビウオの群れを背景に、ルリエは伏し目になった。
「喜怒哀楽があってこその人間関係よ。生きていれば体と同じで、つねに感情も循環して新陳代謝する。いまが怒って哀しいのなら、つぎは楽しみと喜びの番だわ。とまあ、クトゥルフの人生相談室はこんなところ。納得しづらければ、続きはいくらでもあるけど?」
「いや……」
じぶんの腕枕に置かれたシヅルの顔は、諦めたような苦笑をこしらえた。
「帰ったらさっそく、お父んとお母んに話してみるわ。すごい頼りがいのある友達が増えたことを。はんまにわかりやすいで、ルリエの道案内。おおきに」
「魔法少女のサポートになれて何よりよ。魔法少女といえば、シヅル」
穏やかな船のエンジン音を縫って、ルリエはたずねた。
「あなたはいわば、野良の魔法少女。美須賀大付属の内部にも、組織のスパイはたくさん潜んでる。妙な勧誘はこなかった?」
「きたで」
「えェ?」
「そりゃもう仰山」
喉を裏返らせたルリエを前に、シヅルは考え込んだ。
「発端はアレやな。ある日、美樽山で見慣れん道に迷ったとき、けったいな怪物とそれに苦戦させられとるエリーに鉢合わせしたんや。あの緑色の全身鎧の怪物、会うなりいきなり襲いかかってきおった」
「緑の、鎧……それってもしかして、カレイドが率いる宝石の四騎士のことじゃ? 間違いじゃなければ、そうとう強力な〝吸血鬼〟だわ。正面衝突したら、このあたしでも危ない。で、そんなものを相手取って、あなたは無事だったの?」
「相性がよかったんか、死の点が見え見えやった。つい、ふだんの訓練どおりにやっつけてもうたわ。それからや」
抜けるような蒼穹を上目遣いにして、シヅルは数を数えて指を折った。
「連日のように入れ代わり立ち代わり、うちを組織とやらへの勧誘に来るわ来るわ。エリーはもちろんのこと、なんでか黒野の姐ちゃん、褪奈の兄ちゃんや倉糸先生とかまで」
「逆吸血鬼のエリザベート・クタートに、人型自律兵器の黒野美湖、逆召喚士の〝黒の手〟褪奈英人に、結果使いの〝竜巻の断層〟倉糸壮馬……」
未知の単語を多彩に羅列し、ルリエは顔色を悪くして告げた。
「全員、組織の捜査官よ」
「はァ? ほんまけ?」
「その連中のひとりひとりが、最新鋭の戦闘機に匹敵する異能を有するハンターだわ。それでシヅルは、たびかさなるスカウトにどう対応したのよ?」
「考えさせろ、言ってぜんぶ保留にしてある」
眉をひそめて、シヅルは困惑顔をした。
「さすがは政府の公務員、しめされた給料や福利厚生とかの待遇はめっちゃええ。けどそこに入るのはイコール、得体の知れん組織の戦闘員になるっちゅうことやろ。うちは魔法少女かもしれんけど、まだ高校生や。進路に関してはちゃんと考えたい」
「賢明よ。ところで世界にはもう一チーム、正義の反抗勢力があるんだけど。いかがかしら? そこにはホシカも所属していて、チーム名は〝カラミティ」
「そう、ホシカ。うちの当面の目的は、ホシカに再会することや」
これも誘惑をはぐらかされ、ルリエはさびしげな様子で問うた。
「シヅルとホシカは、いったいどんな経緯で知り合ったの? とても深い信頼関係で結ばれてるようだけど?」
「せやな、あれは……」
シヅルの紐解くあらすじには、ところどころ組織のメンバーから仕入れた情報も含まれていた。
巨大隕石〝ハーバート〟が地球へ最接近し、各国の防空網を阿鼻叫喚におとしいれたことはいまなお残る政府の闇の汚点だという。なにせそれは組織に所属する魔法少女〝角度の猟犬〟が首輪を外れて暴走し、その狂った空間転移の呪力で大気圏内へ招き寄せたものだったからだ。あやうく赤務市を中心に世界地図を書き換えかけた彗星は、ホシカが命をかけて木っ端微塵に粉砕した。
いい子ちゃんぶっていたころの江藤詩鶴から、金銭もろもろを恐喝していた苛野藍薇のことも記憶に新しい。ホシカたちと敵対関係にあった彼女は、いつの間にか忽然と姿を消した。うわさによればアイラもまた、魔法少女のひとりだったという話だ。なんらかの事情で〝処分〟されたとまでは聞いたが、それ以上の詳細に関しては機密とのことで教えてもらえない。
赤い死神の魔法少女、雨堂谷寧の悪夢のような高笑いはまだシヅルの鼓膜に色濃く焼きついている。邪悪な彼女とホシカの決戦の一部始終を、あのときのシヅルはただ震えて見守ることしかできなかった。
「そのあと結局、うちも星々のものに取り憑かれて魔法少女になったんやけどな」
「あたし自身が星々のものだからよく分からないんだけど、どんな気分だった?」
「最初は正直、吐き気しかせんかったで。まわりの死点っちゅう死点が視えまくるのが気持ち悪くってな。なんべん、じぶんの目を潰してまいたい発作に襲われたか」
そして高層ビルの屋上から投身したかと思いきや、魔法少女〝翼ある貴婦人〟に変身して夜空を飛んだ伊捨星歌のこと。
「ぜんぶ終わらせたあと、ホシカは異世界に飲まれて消えた……と思ってたんや」
「彼女の無事は、この目と拳で確認したわ。現実とは違う異世界の〝幻夢境〟で」
巨大ロボットに殴られでもしたのか、ルリエは痛みのぶり返した頬をさすった。
「いちどは呪力の時間切れに見舞われて自我を見失ったものの、ホシカは幻夢境の召喚士たちの手によって間一髪で救出された。あたしの侵略を阻止したあと、チームといっしょにそのまま現実に帰ったと聞かされてたけど……」
「じきに拉致されたんやな、ダムナトスに。ちなみに、ルリエ。聞いてもいいけ、ずっと気になってたことを?」
「うん?」
ルリエを正面から見据え、シヅルは疑問を投げかけた。
「ルリエ、あんた、幻夢境とやらでなにを仕出かしたんや?」
「ああ……ええ」
口ごもって、ルリエはあえいだ。
「そうね、そうよね。シヅルにここまで詳しく喋ってもらったんだから、つぎはあたしが打ち明ける番だわ。じつはあたし、悪の手先として世界を……」
「!」
ずずん、と船体が震えたのはそのときだった。
同時に、船内に流れ始めたのは甲高い警報の電子音だ。
とっさに防護柵にしがみついておらねば、シヅルたちは大きくバランスを崩した甲板から真っ逆さまに海へ転落していたろう。右へ左へ揺れる悪い足場を進み、ルリエはなんとか船室の制御卓に飛びついた。そなえつけのPCのモニターが嵐のように連発する警告をにらみ、総毛立ってうめく。
「エンジンが止まってる……そんな、浸水警報まで?」
「なんやなんや?」
危機感に同調したのは、追いついてきたシヅルだ。ぼうぜんとルリエは答えた。
「船底に穴が開けられた。間もなく船は沈む」
「うそやろ!?」
「聞きたいのはこっちよ!」
手早く操縦席のあちこちを操作して復旧を試みつつ、ルリエは言い返した。
「スクタイ号は異世界の技術で強化されてる。この付近に岩礁はないし、そもそも、そんじょそこらのクジラや魚雷がぶつかった程度じゃ、この船はビクともしないはずだわ」
「強い呪力ならどうや?」
シヅルを一瞥し、ルリエは二度見した。
おお。すでにシヅルの片目には、自動的に呪力の五芒星が浮かび上がっているではないか。一オクターブ低めた声で、ルリエはささやいた。
「らしいわね……敵よ」
重い音をたてて、船尾になにかの降り立つ響きがあった。弾かれたように、シヅルとルリエはそちらへ振り返っている。
威風堂々と身を起こしたのは、片手に指輪状のシャードを輝かせる男……
自然牙だった。




