5.この手にはできないことがある(わりとたくさん)
「見えてきました、あれがわたしの家です」
ポッティリアの案内で、私は彼女の家へと向かっていた。
ちなみに、あの綺麗な小鳥の姿をしたウナ・ルガちゃんはもういない。神様たるもの、そうホイホイと人間の前に姿を現してはよろしくない、ということらしい。
でも、精神のラインはつながってますから必要ならいつでも呼びかけて下さいね! と去り際に念押しされたので、困ったときには遠慮なく頼らせてもらおうと思う。なにせ私、この世界での知り合いってまだウナ・ルガちゃんとポッティリアしかいないんだもん。いくら身分が違えど、貴重な知人のひとりを呆気なく失いたくはない。
さて、ポッティリアの家は予想通りザ・牧場、という雰囲気だった。木の柵の中で牛や羊がのんびりと草を食んでいるのが見えて、なんだかほっこりする。いいなぁ、この身体じゃなかったら牛の乳搾りとか羊の毛刈りとか体験させてもらいたかったなぁ。
遠くの方にはあんまり見慣れない形の生き物もいたけれど、あれはおそらくこの世界特有の生き物なのだろう。でも、牧場で飼われてるくらいだからきっと温厚なんだろうね。
「……大丈夫、そうですね」
『ん? なにがです?』
少しばかり不安そうに私を見ていたポッティリアが露骨にほっとした顔をするから、一体何だろうと首を傾げればすみませんと謝られてしまった。いやいやいや。謝って欲しいわけじゃないのよ。ただね、理由を知りたいだけなの。
「シオンさんは……その、狼の外見なので。うちの子たちが、怖がるんじゃないかと思っていたんです」
『あ……ごめんなさい。すっかり忘れてた』
「いえ、大丈夫です。見たところ、怯えている気配もないですし」
道すがら、私が《天狼》であることは改めてポッティリアに話してあった。でも意外なことに、彼女は《天狼》が何なのかを知らなかったのだ。だから、狼っぽいけどあんまり世の中にいない、ちょっと上位の狼、みたいな説明をさせてもらった。よく考えてみれば、私だって地球上の珍しい生き物の名前とか全部言えたりはしないし、こんなのどかな村で暮らしているポッティリアが世界的に見て希少種らしい《天狼》について知らないのも無理はないのだろう。
果たして説明がそれで良かったのかどうかはよくわからないが、説明してる私自身が《天狼》について詳しくないもんだからもうどうしようもない。一瞬、ウナ・ルガちゃんに頼ろうかとも思ったが、すんでの所で思い直した。だってウナ・ルガちゃんの説明じゃ、多分《天狼》めっちゃすごいマジすごいってことになって逆に引かれそうじゃない。それはめっちゃよろしくないマジよろしくない。私は別に、ポッティリアに敬われたいわけじゃないのだ。
できるのなら、そう。
敬語とかなしに、対等にお話がしたいなぁ、なんて、思っているのだけど。
「何もない家ですが、ひとまずベコルの乳くらいはお出しできますから」
なんて謎の生き物の名前を出して謙遜するポッティリアと一緒にドアの前に立つと、何やら中が騒がしいのに気がついた。どたんばたんという物音に、男女の声が入り交じる。ポッティリアに何の反応もないということは、私の耳にだけ聞こえる程度の音なんだろうけど、それにしても尋常じゃないだろう。
この中で一体何が起きてるのだ。おうちの方、大喧嘩とかしてないでしょうね?
『……あのぅ、ポッティリアちゃん。おうちの中から、何かドタンバタン音がするんですけど……』
「えっ!? あっ……」
驚いたように目を見開いたポッティリアは、それから少しだけ目を伏せた。
それを見て、私はハッとする。
そうだ、ポッティリアのいるいないに関わらず、もう自宅に婚約破棄の書状は届いてるはずなんだ。
……ってあああもうバカバカ!! なんでわざわざ気にさせるようなこと言っちゃったのかなぁ私は!! バーカバーカ!! お前の尻尾もっさもさー!!
『あっでもっ、その、怒鳴ったりしてるわけじゃないと思うしっ、ポッティリアちゃんのこととは関係ないかも知れないしっ』
「……ふふ、ありがとうございます。何か言われるかも知れませんが、もう、……大丈夫です」
やわく笑ったポッティリアは、私の頭に手を置いた。
「わたしには、シオンさんが、ついていてくれますものね?」
『……うんっ』
ああ。
ああもう。
泣かせないでよポッティリア。狼が鼻すすったりしたらかっこ悪いでしょ。もう。
もしもご家族が婚約破棄の件で彼女を責めるなら、私だけは味方になろうと心に決めて、私はエプロンドレス越しに彼女の足へとすり寄った。
そのまま一度深呼吸してから、開けますね、と腹を括るように言ったポッティリアの手が、扉を引き開けて。
「ただい――」
「ポチ!!」
「ああポチ、良かった無事で!! 頼む、じーさんを止めてくれ!!」
「ポッティリア!! お帰りなさい!! ちょっと手伝って!!」
「えええい離せ貴様ら!! あのボンクラめただじゃ置かんぞ!! 脳天かち割ってくれるわ!!」
「――ま、……えぇと……?」
見れば、中はとんでもないことになっていた。
木の椅子がふたつもひっくり返ってるし、床にお茶が零れてシミになってるし、誰かの帽子が転がってるし。
でもそんなことより最大の問題は、片手に斧を持ったお爺さんを、女の人ひとり、男の人二人が三人がかりで押しとどめていることだった。
お爺さんは鼻息も荒く、顔を真っ赤にして足をドタバタさせている。男の人は一人がお爺さんを羽交い締めにし、もう一人と女の人が前からお爺さんを押さえ込んでいた。
どういう……ことなの……。
「……えっと、ええっ!? ま、待って、落ち着いてお爺ちゃん! どうして斧なんか振り回してるの!? 怪我しちゃうよ!」
一足早く現実に復帰したらしいポッティリアが慌てたように言って、団子状態の四人に駆け寄る。私はその間に何か役に立つスキルはないかと調べていた。えーっとえーっと、興奮してる人を落ち着かせるようなの……なにか……ううん……あー。
うわーダメだ! 団子五兄弟が気になって気になってスキルの効果なんか調べられない! こうなったらもうこれ! これしかない! てぇい!
『――しずまれぇぇええぇい!!』
私は再び吠えた。
今度はちゃんと、【ハウリング】の使用を意識する。
すると前回と同じくビタッ、ともだもだしていた五人の動きが止まった。ポッティリアには申し訳ないけど、このスキルは対象を選べないから一緒に止まってもらうしかない。そうして動きの止まったお爺さんの手から、私はそっと斧を回収した。もちろん、手は使えないから口でだけど。
少し離れた場所に斧を置き、五人の前に忠犬よろしくぺたんと座って、効果時間が切れるのを待つ。
ややあって、五人はゆっくりと瞬きを繰り返し始めた。
「い……今のは……?」
「この犬……いや、狼? 一体どこから……」
「し、シオンさん、すみません。ありがとうございますっ」
『いえいえ、お気になさらず』
何もお礼を言われるようなことじゃない。……本当ならもっとスマートな場の収め方があったはずなんだもん。
ポッティリアはそれでも私にぺこりと頭を下げると、お爺さんに向かい合った。
暴走を強制的に止められたせいか、お爺さんはただ立ち尽くして、ポッティリアの言葉を待っている。
「お爺ちゃん。……ごめんなさい。聞いていると思うけど、ロレウスからは婚約を破棄されちゃったの」
「ポッティリア、おお、ポッティリアよ。何故謝るのだ、お前は何も悪くないのだろう? あのトンチキが、何を考えてそんなことをしたのかわからんが、儂が今すぐ行って、あんな書状など無効だと――」
「いいのよ」
ポッティリアは、笑って見せた。
少しだけ菫の瞳が潤んだけれど、涙は零れなかった。
「いいの。……婚約は、破棄されたの。それで、いいの」
「……ポッティリア」
「わたしは、大丈夫だから。ごめんね、お爺ちゃん。お爺ちゃんのお友達との、約束だったのに」
「そんなことは……そんなことは! 気にしなくてもいいんだ、ポッティリア……! 儂はただ、ただ、お前が、あんまりに……!!」
そのままお爺さんは顔を覆って泣き崩れてしまった。お爺さんを羽交い締めにしていた男の人が、その肩をそっとさすっている。ほっとしたように息を吐いた女の人が、ポッティリア、と彼女に呼びかけてそっと抱きしめた。
「……お帰りなさい。大丈夫よ。貴女が悪くないことは、私たちみんなわかっているわ」
「おかあ、さん」
「大丈夫。大丈夫よ。……泣いて、構わないのよ」
「……うん」
そのままポッティリアはお母さんらしい人の胸でしばし泣きじゃくっていた。
見れば、いつの間にか他の三人――お爺さんと、お爺さんを止めていた若い男の人二人だ――も泣いている。
ポッティリアは心配していたようだったけど、この光景を見ただけでも、彼女と彼女の家族がとても良好な関係を築いていたことがわかって、私はほっとした。
だいじょうぶ。彼女の味方はここにも、きちんといる。
それなら、今は泣いていたって、きっと大丈夫だ。
(良かったね、ポッティリア)
彼らに背を向けて、部屋の隅へ移動する。
何故って?
だって、狼の手じゃ涙が拭けないどころか、鼻もかめないじゃない。
狼になったって、心は人間。一応女子。
見ず知らずの人に涙はともかく、鼻水垂らしてるとこなんか見られたくないでしょーが!