3.どこの世界にもこういうのはいる
【2019/11/11追記】誤字報告、ありがとうございました! 修正しました!
ウナ・ルガちゃんを頭に乗せて、木々の間を抜け、奥へ奥へと進んでいく。
風が吹くたびさわやかな緑の匂いがして、木漏れ日がゆらゆらと地面に落ち、時々小鳥のさえずりが聞こえた。
間違っても突然怪物とかは出てこなさそうな、明るい森で安心する。なんだかピクニックに来たみたいで、ちょっと楽しい。まあ、社会人になってこのかた、ピクニックなんてしたことないんだけど。
『やー、素晴らしく平和だねぇ』
『……、……すみません……』
『えっなんで謝ってるのウナ・ルガちゃん!?』
『あの……その……折角の戦闘スキルが持ち腐れという意味かなと……』
うわっ違った低姿勢どころじゃない!
この神様結構マイナス思考だ!!
『ちちち、違う違う! 平和でいいなーって思ったの! 戦闘なんて、出来ればしたくないよ!』
『そう……ですか? でも、今のシオンさんならドラゴンの一匹や二匹くらいは軽く……』
『いやいやいや少し前まで私しがない会社員だからね!? そんな気軽にドラゴンとか言われても困るからね!? 出てきても逃げる一択だからね!?』
この世界のことはまだよく知らないけれど、中世ファンタジーでドラゴンと言えば強いと相場は決まっているのだ。それを一匹や二匹軽くだなんて、どんだけ強いのよ《天狼》。普通に怖いよ。
『……それはそれで、少しもったいない気もしますが……』
『いいんですー。私はウナ・ルガちゃんの世界の平和さに惹かれたんだから、戦闘なんてしたくないんですー』
この世界に狼として降り立つ前、ウナ・ルガちゃんに聞いたところに寄れば、この平和さもウナ・ルガちゃんの世界が転生者にウケない理由のひとつなのだという。
世界の平和を脅かす魔王なんてものはいないし、必然的に勇者なんてものもいない。国と国との関係もまあ悪くはなくて戦争が起きる気配もない。
だから、英雄願望を持って転生しようとする人にとってみれば、この世界には活躍できる場所があまりにも少ないのだ。
ましてや、ウナ・ルガちゃんの転生は獣型限定。希望者が少ないのもまあ、ちょっと、わからなくはないかも。
あ、私? 私は英雄願望なんて逆さにして振ったって落ちてこないし、なるべくなら穏便に波風立てず生きていきたい派閥だから、平和な世の中ばっちこいですとも。
さて、ウナ・ルガちゃんととりとめもない話をしながら歩いていると、わりとすぐ湖に到着した。
地方への旅番組で時々見かける、半端なく綺麗な川の水を集めてたっぷり溜めたような湖は、結構な大きさがあるみたいだった。学校のプールなら、二つか三つ分くらい、だろうか。微かな風に揺れる水面が、お日様を反射してキラキラと光っている。近づいて覗き込んだら、魚が見えるかな。
「……お前との婚約は破棄させてもらうからな、ポッティリア」
そんな綺麗な湖に目を奪われていた私の意識を引き戻したのは、ため息交じりの、吐き捨てるような男の人の声だった。
首を巡らせて声の主を探す。すると遠くの方に、二つの人影が見えた。
『この近くの住民でしょうか? 近づいてみます?』
ウナ・ルガちゃんの問いかけに、うん、と応えれば、では、と嬉しそうな声が返ってきた。
『このまま近づくと気づかれちゃうかもしれませんので、【気配遮断】のスキルを使いましょう。さあシオンさん、スキルの使い方、覚えてます?』
『ええっと……こ、こう? かな?』
最初に受けたレクチャーを思い出しながら、恐る恐る、スキルパネルを開いてスキルを使う。これで私と、私に接触しているウナ・ルガちゃんの存在は相手から気づかれなくなる、らしい。勿論使っている当人の私には、ウナ・ルガちゃんのことも自分のことも見えているから、果たして他の人からどう見えているかはわからないんだけど。
『はい、できてます、大丈夫ですよ。あとは音にだけ、気をつけて下さいね』
『うん、わかった』
この世界でのスキルの使い方は、意識を集中しスキルパネルを開いて使いたいスキルを選択する、というものだ。いわゆるゲーム的にはごくありふれたやり方だけれど、いざ自分が頭でそれをやろうと思うとなんというか、なかなか上手くいかない。
ただ、これはもう慣れなんだろう。私は危ないことをするつもりはないけど、いつか緊急でスキルを使わなきゃならないことがあるかも知れないから、自然に使えるように練習しなくちゃ。
念のため、同じようにして開くことができる自分のステータスパネルを開いて見てみれば、状態の項目にはちゃんと「隠密+++」と書かれていた。「隠密」という表示があるときは、基本的に忍べているそうだ。
「え……? ……なに、急に……?」
さて、《天狼》である私の聴覚は人間よりもずっと優れているから、声が聞こえたとはいえ人影との距離はまだ十分にあった。
隠密状態ではあるけれど、音までが消えるわけじゃない。なので念のため、狩りに向かう猫のように体勢を低くして、静かに声のした方へと近づいていく。
ある程度近づいたところで、おあつらえ向きにこんもりと茂った低木があったから、ウナ・ルガちゃんと一緒にその影へと身を潜めた。
「急でもなんでもない、前から考えてたことだ。お前がいつまでも守護獣を持たないなら、婚約を破棄しようってな」
「なんでっ……そんなの、今更でしょう!? わたしは、家の仕事をきちんと手伝いたいからって、何度も」
「別に守護獣と契約したからって家畜の世話ができないわけじゃないだろうが!」
声の主は、一組の男女だった。
男性の方は酷く苛立っているみたいだ。栗色のツンツン跳ねた髪に、同じ色の瞳。目つきが悪いことを除けば、なかなかのイケメンだろう。だけど腕を組み、舌打ちをして、目の前の女性を睨み付けているのはちょっといただけない。小綺麗な服を着ているから、もしかしたらちょっといいお宅のご子息とかなのかな。
一方、彼に向かい合う女性は困惑しきりといった表情だ。金色の髪に、菫の瞳。こちらはいかにも農作業とかしそうなエプロンドレスで、所々泥で汚れたりしている。ほら、あの、有名な絵画にあるじゃない? 落ちた穂を拾うアレの、あの服に似ているのだ。
さっきの声から察するに、彼女がポッティリアだよね。ふふ、なんか可愛い名前だなあ。
なんてほんの一瞬の現実逃避から、私はすぐに引き戻される。
「現にお前の両親だってきちんと守護獣がいるんだろう? なんでお前だけが契約しないんだよ、おかしいじゃないか」
「あのねロレウス、何度も言うけどわたしの守護は狼なのよ? 確かに面倒をまったく見られなくなるわけじゃないけれど、わたしに懐いてくれてるみんなが――」
「いや、そもそもさ。本当にお前の守護、狼なのか?」
「……え?」
ロレウス、と呼ばれた男性が、じろりとポッティリアを見る。
その目になんだか嫌な記憶が呼び起こされそうになって、私は唸りたくなるのをなんとかこらえた。
いけないいけない。折角隠密状態でいるのに、私が声を出したら全部無駄になってしまう。
「狼の守護を得るのは、大抵冒険者やその子供だっていうじゃないか。お前の両親も、そのまた両親も、ずっと牛や鶏の世話ばっかりしてたんだろ? そんな中で、急に狼の加護を持つ娘なんて生まれるか?」
「わ……わたしが、加護を偽ってるって言いたいの!?」
「守護獣を持たない限り、加護は他者には明らかにならない。今、お前が嘘を言っていたって、誰もわからないだろ? 狼の加護なんて、この村じゃ珍しいし……牛や馬なんかの加護よりは、名乗ってみたくなる気持ちも、わからなくないけどな」
「貴方――、貴方は、……そこまで……」
紫の瞳をこぼれ落ちそうなほど大きく見開いて、ポッティリアが震える声をかろうじて吐き出した。
けれど、その先に何も続けられないのか、はく、と唇が動くものの音は出てこない。
待って待って。耐えて耐えて。頑張って私の自制心。
「まあ、どっちだっていいさ。どっちにしても、お前とはもう終わりなんだから」
「ねーぇ、ロレウスぅ、お話終わったぁ?」
突然割り込んできた声に見つかったのかと慌てたけど、どうやらその心配は杞憂だったようだ。
ロレウスの背後から現れて彼にピタリと寄り添ったのは、ドレス……ではないけれど、綺麗な赤いワンピースを着た女の人だった。濃い紫色の長い髪が、大きく開いた胸元の白さをより際立たせている。飛び抜けて美人、というほどではないけれど、妖艶な気配のあるなかなかの美女だろう。
爪の先が紅く色づいているのが遠目に見てもわかって、農作業みたいなことは一切しないタイプなんだろうと思った。
というか、これは、アレよ。
典型的な、男に取り入って手玉に取るタイプの女。
その気配がもう、これ以上ないってくらい漂ってる。
「メイリーナ、待たせてごめんよ。今終わるところだから」
「うふふ、ごめんなさぁい。メイ、アナタに会いたくて、待ちきれなかったのぉ」
しなだれかかるメイリーナに、ロレウスはニヤニヤと笑っている。
「ロレウス、貴方……」
「ポッティリア。お前との婚約は今をもって破棄する。僕は明日にはこの街を発って、彼女と王都へ行くことにしたからさ。王都で彼女の実家と、共同で商売をすることになったから」
「ぽ……なんとかさぁん? ごめんなさぁい。ロレウスがぁ、どうしてもぉ、メイと一緒がいいってぇ、言うからぁ」
「彼女のお父上はドラゴンの加護を持っているんだ。その話をしたら、うちの父も快諾してくれたよ。牛や馬の加護なんかよりずっといいってね。お前の家には今頃、正式な書状がいってるはずさ」
「お父様はぁ、ちゃんとぉ、ドラゴンを守護獣にぃ、してるのぉ。アナタと違ってぇ、クチだけじゃないからぁ、心配しないでねぇ?」
「元々幼馴染みだってだけの不釣り合いな婚約だったんだ、いつ破棄しようかと思ってたけどちょうど良かった。それじゃあな、ポッティリア」
ポッティリアは何も応えなかった。
「ああそうだ、お前の所の牛の乳。まあまあ悪くないから、僕らの店で扱ってやってもいいぞ。落ち着いたら手紙を出すから、準備しておけよ」
ロレウスが、去って行く。
メイリーナと一緒に。
けれどポッティリアは動かなかった。
私も動かなかった。
いや、動けなかったのだ。
あまりにも。
あまりにも、……腹が立って。