2-2 殺戮遊戯は舞台で踊る②
人は自分があろうとする姿以外にはありえない。
ジャン・ポール・サルトル(哲学者・フランス)
舞台開演の幕が切られた途端、軍鬼兵らは敵意を剥き出しにして、怪鳥の如き叫びを発してスメルトへ迫った。
四方から、蜜を求めて貪欲に進行する蟲の一団のように、跳躍を繰り返して接近する。
一呼吸する暇もなく、あっという間に間合いが詰められていった。
それでも、スメルトは冷静だった。
怪物の爪牙が届くより速く、彼は信じられぬ跳躍力で鉄骨の一つへ飛び移ってみせたのだ。
丸太じみた両腕で鉄骨をがっしりと掴んだまま、その重量感たっぷりの頭部が――灰色の平たい巻き貝が左右にスライド。
格納されていた電磁制御式重機関銃の、ごつい銃身が顔を覗かせた。
安全装置が自動解除。弾丸があるべき場所へ正しく装填された直後だった。
正確に狙い澄まされた冷徹な銃砲が、眩い閃光と共に勢い良くわなないて、荷電粒子を着飾った弾丸が一斉に掃射された。
猛獣の雄叫びめいた乱射劇。電撃弾薬の嵐が、軍鬼兵の肉体をずたずたに引き千切っていく。
迸る奇声の数々と共に、灰色に染まった粘菌の塊が、鉄骨やフィールドのあちこちに散らばった。
時間にして、およそ十秒間の銃撃。
たったそれだけの間に、十二体の軍鬼兵が肉塊と化した。
荷電粒子が発する電撃で空気が分解され、訓練フィールドはオゾンの臭いで一杯になった。
硝煙がフィールドに充満し、恐ろしいほどの静けさが到来した。
これにて、早くも訓練は終了したかに見えた。
だが、スメルトの鋭敏なる感覚器官は確かな異変を感じ取り、ぎょっとしたように、腕と腕の隙間から伸びるクジラの髭じみた触手が、くるりと円弧を描いた。
「おいおいマジかよ……」
様子を見守っていたキリキックが、呆れとも驚愕ともつかぬ声を漏らすのも無理はない。
飛び散った幾つもの粘菌の残滓が沈黙の号令に従い、大気を噛むように表面を震わせながら、迅速に集合を開始したからだ。
粘菌同士が惹かれ合うように再結合し、ものの見事に生体回路を構築していく。
脚部と胴体部、続いて腕に頭と順に再生されていき、元の恐るべき軍鬼兵へと戻った。
最後に仕上げとばかりに、額の辺りが菱形に盛り上がると、血が滲むようにして紅色の宝玉を象った。
十二体全ての再生が完了するまでに、一分と掛からなかった。
【超高再生技術や】
スピーカーから声がした。ドクターが小部屋の中で、胸を張っている姿がまざまざと想像された。
【致死レベルの負傷を受けると自動的に粘菌が活性化し、肉体の再結合と神経回路の再構築が始まる。疑似不死の怪物や。せやけれども、シュレディンガーの猫のように、答えの出ない問題やない】
つまりは殺す方法があるという意味だった。
だがドクターは、その答えを明示しなかった。ヒントすらも与えなかった。
自分で考えろというのだ。
困難を打ち破る策を自らの頭で捻り出してこそ、生きる意味があるのだと告げているようだった。
【ワシを失望させるなや。スメルトだけやないぞ。お前ら全員の価値を、今ここで示せ】
ドクターの尊大な物言いを前に、血と暴力に彩られた舞台に立つメイン・アクターの髭がピンと伸びた。控室の演者たちも、何かを納得したように無言で頷く。
その中で一人だけ、異端児がいた。
龍の刺青をした優男。人造生命体の長兄――マヤ・デイブレイク・ブラッドフォレスト。
この男だけが、鋭い視線を小部屋の向こう側へ静かに投げかけていた。
戦闘が再開された。
自らの超常性を見せつけた軍鬼兵たちが、鋸を擦り合わせたような怪奇音を喉奥から発して、鉄骨という鉄骨へ飛び移った。
そうして、何匹かの軍鬼兵が分厚い針を思わせる爪の先端を勢いよく虚空へ突き出し、そこから滲み出た無色透明の液体をスメルトに目掛けて放出した。
重機関銃を殻内部に格納する暇もなかった。
仕方なく銃身を露出させたまま、スメルトは別の鉄骨へ飛び移り、次々と襲い来る液体の襲撃をやりすごした。
しかしながら、とある一本の鉄骨へ飛び移った時だった。
死角を潜り、ついに液矢の一本が飛来してきた。
咄嗟に避けようとしたが、間に合わない。
液体が盛大に飛沫を上げつつ、銃口へ止めどなく降りかかった。
途端、スメルトの髭が反り返って殻を見つめ、異常を前にして震えを見せた。
鋼鉄の外装に包まれているはずの銃が、ほとんど溶解しかけていた。
最初に液体が付着した銃口部は既に蒸発して跡形もなくなっており、銃の制御機構を司る電磁石アクチュエーターが、固体と液体の中間状態に変貌していた。
謎めいた液体の浸食はなおも止まらず、汚染箇所が拡大していくのが、スメルトの体内で恐れと共に感覚された。
フルオロスルホン酸をはるかに超える、超酸性と即効の腐食性を併せ持つ溶解液。
それが、軍鬼兵の体内で生成され、放出された液体の正体だった。
スメルトは声を上げる代わりに、殻の内部で重々しい音を立てた。
溶解液の汚染が体内へ広がる前に、砲台から重機関銃を取り外したのだ。
支えを失って、うじゃじゃけた鋼鉄の塊がフィールド上へ落下する。
地獄の亡者のようにスメルトを見上げていた残りの軍鬼兵らは器用にそれを避けて四方へ散った。
彼らの立っていた場所に、鋼と溶解液のスープがばら撒かれた。
主要装備を喪った事で、スメルトが窮地に立たされたのは明らかだ。
未知の怪物たちは、今やそのほとんどが鉄骨という鉄骨にしがみ付き、ギイギイ、ガガガと、興奮冷めやらぬ威嚇の声を発して、機が訪れるのを待っている。
まるで、一本の木に実った果実が熟すのをひたすらに待つ、飢えた猿の軍勢のように。
しかし、事態の推移を見守っていた他の人造生命体たちから、焦りの色は感じられなかった。
血を分け合った兄弟。その絆が脆いわけでは決してない。
彼らは知っていて、同時に確信もあった。
スメルトの異様な肉体に隠されたもう一つの武装。その威力の実態を。
じりじりと軍鬼兵の包囲網が狭まる中、スメルトは殻を閉じた。
そうして今度は、腕という名の太い足で鉄骨を掴んだまま、そこに精一杯の力を込めた。
体毛が一本もない、程よく日に焼けた肌が筋肉で盛り上がる。
幾筋もの静脈が浮かび、かさぶためいた瘤が腕のあちらこちらに生まれた。
瘤の表皮が捲れて、その下に隠されていた眼球の群れが、薄闇の下で次々に開眼した。
眼漿も水晶体も、おまけに瞼まで備わっている。
それは、まごうことなき人間の眼であった。
まさに目を疑う光景であり、目にもの見せてやろうというスメルトの意気を、そこに感じ取ることができた。
「くるぞ。ティア・ライザーが」
口角を上げたキリキックの期待に応えるように、スメルトの腕に埋め込まれたいくつもの眼球が、あるまじき変化を見せた。
表面に熱い雫が溜まり、驚いたように大きく見開かれたのだ。
その瞬間、猛烈な速度で、眼球という眼球から夥しい数の液状弾丸が全方位に発射された。
まさしく落涙銃撃の名に相応しい、それは熱と回転を伴う涙の銃撃だった。
予想外の反撃にさしもの怪物も怯んだか。動きをわずかに鈍らせた軍鬼兵たちの腰を、背中を、頭部を、涙の一斉射撃が容赦なく貫いていった。
涙の弾丸。その一発一発の大きさはパチンコ大ほどしかないが、恐るべきは、射撃の精密性だった。
途方もないくらいに正確で、鉄骨という鉄骨に跳弾しながらも、一発もミス・ショットが存在しなかった。
加えて、液体でありながら鉄骨に当たっても弾けることはなかった。
ある一定の摩擦熱を与えると固形化するという不可思議な特徴が、備わっているせいだった。
つまり空気との摩擦により、スメルトの涙は敵を穿つ凶弾と化すのである。
最初の掃射を終えた直後、自らを鼓舞するように獰猛に吼えた軍鬼兵らが、再び溶解液を迸らせようと凶爪を突き出した。
しかしそれより早く、スメルトが二回目の掃射を開始した。再び、無数の眼から無数の涙が吹き上がり、機関砲を彷彿とさせる発射音を奏でる。
先ほどのそれと唯一違う点と言えば、弾丸の指向性が更に向上しているという点だった。
つまりは、跳弾を繰り返して複雑怪奇な弾道を描きながらも、弾丸の目指す先はただ一つだけであった。
軍鬼兵の額。
そこに嵌め込まれた紅色の宝玉に向けて、立て続けに涙が衝突した。
一発ではない。何発も執拗に。重圧をかけるようにして。
怪物が、阿鼻叫喚めいて狂乱する。
スメルトの執念深い一撃を受けていた軍鬼兵の一匹が、つんざきめいた絶叫を上げた途端、肉体を構築していた粘菌の活動が停止した。
瞬く間に、強風に煽られた砂上の楼閣のように、怪物の肉体は粒状に朽ち果てていった。
再生する気配は、微塵も残らなかった。
「ははぁ、なるほどな」と、スメルトの立ち回りをつぶさに観察していたキリキックが声を上げ、「そういうことか。わかったわ」と、ルビィも納得のいく表情になって頷いた。
マヤは渋い表情を浮かべて立ち尽くし、チャミアに至っては事態を上手く飲み込めていないのか、薄く細い眉を悩まし気に歪めるしかなかった。
スメルトが軍鬼兵の弱点に気が付いたのは、何も偶然ではなかった。
彼が備える感覚器官の鋭敏さに含め、経験に裏打ちされた状況判断能力のお陰だった。
これまで、このフィールド上で幾度となく経験してきた、自分達に勝るとも劣らない怪奇性を備えた怪物達との殺し合いが、スメルトの発想力を後押しした結果だった。
そこから先は、スメルトの独壇場だった。
水を得た魚のように、喜々として落涙銃撃を浴びせ、軍鬼兵を機能停止に追い込んでいく。
終了の合図を告げるブザーが鳴り響いた時には、『0:00』と表示された電光掲示板の隣に、成果を告げる『19』の数字が刻まれていた。
「こんなに悲しいことはない」
訓練を終えて二階に上がってきたスメルトが、別れを惜しむような声を漏らした。
「お気に入りの銃だったんだ。後で、墓を作ってやらなきゃならん」
「闇市場に行けば普通に売っているでしょう? また買えばいいじゃない」
呆れたような調子で告げるルビィに対し、スメルトが僅かに苛立ちを込めて言った。
「あれはオンリーワンの逸品だったんだ。寝る時もいつも一緒で、私の体そのものだったんだ。くそう。喪失感が酷い」
《分かったから、さっさと供養してやれ。あぁ、あと、花束を供えるのを忘れずにな》
からかい口調のキリキックに、スメルトの髭がぴんと伸びた。
▲
スメルトに続いて訓練を受けたのはルビィだった。
成果は三十二体。
次に、マヤがフィールドに立った。
成果は二十九体。
四番目に闘ったのはチャミアだった。
成果は、僅か九体だった。
最後に選出されたのは、キリキックだった。彼はフィールドに立つやいなや、三年に渡って増設と改良を続けてきた愛しの両腕を解放した。
キリキックの黒めいた両腕がたちまちのうちに変貌し、照明の下で鈍い輝きを放つ兵器となった。
特注の機械製義肢。バッテリー搭載型ではなく、基礎代謝を電力に変換して稼働する、この世に二つとてない彼の武器。
開始を告げるブザー音が鳴った直後、キリキックは猛然と軍鬼兵の群れに突進した。
右腕の<ジェイソンGV>――高周波震動発生装置を内蔵させた、腕部一体型のチェーン・ソ―が牙を剥く。
幾重にも備え付けられた、サメの歯じみた特殊合金製の微小刃が高速回転。空気を激しく掻き混ぜながら、キリキックは自慢の武装を滅茶苦茶に振り薙ぎ払い続けた。
斬撃の嵐が額の宝玉を砕く。軍鬼兵の群れが肉の残骸と果てていく。
距離が離れた相手に向かっては、左腕の<キングクラブ>を――文字通り巨大蟹のハサミそっくりの武装型機械製義肢を突き出す。
そうして、クラブの中心部に据えられたメイサー砲から熱線を爆裂させた。施設の地面や壁に衝撃吸収材が用いられていなければ、たちどころに被害は甚大になっていたはずだ。
キリキックは、享楽の極みに達していた。
犬歯を剥き出しにして涎を垂らし、喜色を浮かべては、獰猛に挑みかかった。
肉がチェーン・ソ―で断ち潰される奇音で耳を癒し、地面に穿たれた熱痕から立ち昇る鉄の香りに酔いしれた。
湯気のように拡散する粉塵の中で、キリキックは武器として振る舞い、武器はキリキックそのものであった。
フィールドという名の舞台で、彼は吼えた。これが力だ、これが俺だ、これが支配だと。
襲い来る怪物らに向かって自身の生存権を声高に主張し、舞台の幕が引くまでただひたすらに武器であり続けた。
爆音と光の演出が終わった頃、電光掲示板には『59』の数字が表れていた。
兄弟の中で最も派手なパフォーマンスであったのと同時、それは本日の訓練において、最高の個人記録を叩き出したことを意味していた。