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アナザポリス・リビルド-怪力乱神の未来都市-  作者: 浦切三語
第二幕 闇の中の人形たち/ホムンクルス
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2-1 殺戮遊戯は舞台で踊る①

人間は自由の刑に処せられている。

  ジャン・ポール・サルトル(哲学者・フランス)

 死体安置所(モルグ)として利用されていた経歴を持つその施設は、今では大がかりな機械装置と有り余るほどのバイオプラントを抱える謎めいた研究所として、息を殺しながら静かに稼働していた。

 それと同時に、法に背いた実験すらも厭わぬ、残酷な科学技術者(マッド・サイエンティスト)らの巣窟でもあった。


 いまだに、冷凍化された屍肉を納めていた時代の名残が腐臭や血痕となって残るものの、施設に従事する研究者らにとって、これほど居心地が良い場所もなかった。

 まさか、死体安置所(モルグ)を研究施設として運用しているとは、さすがの蒼天機関(ガーデン)も思わないであろう。

 野望と禁断の力を蓄えるには、ここはまさにうってつけの根城であった。


 その研究施設は、地上部に一階、地下に三階という構造をしていた。

 とりわけ地下三階部は、他の階と比べても、倍はあろうかというほどの容積を占めている。

 吹き抜け構造の訓練フィールドというだけあって、体感的には巨大なホールといった具合だ。


 コの字型をした吹き抜けの廊下。ペイントの剥げた手摺(てすり)越しに眼下を見やると、障害物としての役割を背負わされた幾つもの鉄骨が、フィールドのあちこちから規則的に生え茂っているのが分かる。

 壁や床の至るところには斬痕や弾痕が幾重にも穿たれ、長年に渡る実技訓練の凄まじさを物語っていた。

 天井には等間隔で照明が設置されており、そのせいでフィールドは、奇抜なオブジェで彩られたステージに見えなくもない。わざと輝度を落として薄暗さを演出しているのは、これから行われる訓練にリアリティを持たせるためだ。


「まだか」


 黒いレザーグローブに包まれた指先で、手摺を苛立たし気にコツコツと叩きながら、一人の男がそんな呟きを漏らした。

 長身の男だった。鮮やかにして淡い紅色の長髪だけを切り取れば、女性と見間違えそうになる。

 だがしかし、貌の左半分に刻まれた禍々しい竜の刺青と、鼠色の上着と青々しいジーンズに隠された、細身ながらも鍛え上げられた肉体がそうはさせない。


「予定の開始時刻をもう一時間も過ぎてるぞ」


 少しばかり、怒気を孕んだ声。娯楽にありつけない事に不満を抱いているからではなく、早くこんなふざけた空間から抜け出したくてそんな言葉を口にしたのだと、男の右隣に立つ少女は確信していた。

 だから、ゴシック様式の黒い衣装に身を包んだ、その黒髪ロング・ヘアの少女は、まだ幼さを覗かせる声で(なだ)めるように告げた。

 

「いつものことじゃない、マヤ兄さん。あの几帳面なドクターのことよ。また調整に入れ揚げてるんだよ。大人しく待っていよ? ね?」


「そうは言ってもな、チャミア」


 頭一つは低い位置から金色の瞳で見上げてくる愛妹を、琥珀色の瞳で軽く見下ろしながら、男――マヤ・デイブレイク・ブラッドフォレストは、苦々しさを隠そうともせず言った。


「いくら俺達が奴の子飼いたる人造生命体(ホムンクルス)だとは言え、個人の時間までこうも勝手に使われては、腹が立ってくるのは当然の話だ」


「兄さん――」


「いまさら言う事でもないが、拠点が死体安置所(モルグ)とは、笑わせてくれるじゃないか。俺達は、なにか? ドクターにとってみれば、死体も同然の、単なるモノという訳か。ふざけるなというんだ」


「マヤ兄さん、やめて」


 チャミアが怖じ気を孕んだ唇を震わせながら、フィールドのすぐ隣に設置されたマジックミラー仕掛けの小部屋に視線を一瞬だけ投げ、そうしてまたマヤへと向き直り、小声で言った。


「ドクターの耳に入ったらどうするの……今度こそ、廃棄処分にされちゃうかもしれないよ?」


「いくら言っても無駄だぜ、チャミア」


 二人から少し離れた場所で、手摺を両手で掴みながら屈伸運動をしていた禿げ頭の大男が、突如として会話に割り込んできた。

 軍用パンツに身を包み、見事な褐色肌の上半身にねっとりとした汗を浮かばせながら、大男は、冗談でも口にするかのような調子で続けた。


「マヤの兄貴はよ、ドクターに噛み付かなきゃいられねぇ性分なんだよ。昔からそうだったろ? 癇癪持ちってのとは少し違うが、まぁ、病気みたいなもんさ」


「ちょっと、キリキック兄さん」


 チャミアの幼声が、その時ばかりは僅かに凄みを見せた。右手の裾に隠し持っていた黄金色の指揮棒(タクト)を、素早く取り出す。

 一見して、よくある普通の指揮棒だが、なぜだろうか。その短く、およそ武器とは言い難い代物に、なぜだか(おぞ)ましい力の波動を感じてしまうのは。


「私たちのマヤ兄さんを病気持ち呼ばわりなんて、どういうつもり?」


 険しい眼差しになるチャミア。今にも暴発しかねないデリンジャーという印象。

 だが、キリキック・キリング・ブラスターは挑発を止めない。

 屈伸運動を中断すると、厚い唇を卑しそうに歪めて、


「おいおい隠すなよ。私たちのマヤ兄さん、じゃなくて、本音は『私のマヤ兄さん』ってところなんじゃねぇのか?」


 キリキックが、莫迦みたいな大声で笑った。相手をコケにしたその態度が、決定的な流れを生んだ。

 ぷちん、と音を立てて、チャミアの中で何かが切れた。憤然と頬を染め、衝動的に指揮棒を握る右手を振り上げる。

 だが、振り下ろすことは叶わなかった。それをやろうとした瞬間、後ろに立つマヤに右手首を掴まれてしまったからだ。


「やめろ、チャミア」


 優し気な眼差し。だが口調は厳しい。


「俺の事で、熱くなるな」


「……ごめんなさい」と、チャミアはばつが悪そうに項垂れ、いそいそと指揮棒を裾の中に隠した。


「キリキックもだぞ。妹をからかう兄がどこにいる」


「なんだよマヤの兄貴。止めるなよぉ」


 大好きなテレビ番組を途中で切り上げられた子供の様に、キリキックは悪びれもせずに、そして実に満足いかないという風に顔をゆがめた。


「一度よ、一戦交えてみてぇなと思ってたんだよ。チャミアお気に入りの『死霊軍団』の奴らとよ。いいウォーミングアップになると思ったんだけどよぉ」


「不満なら、フィールドで晴らせ」


 マヤは、自分のことを侮辱したキリキックを、とりわけ責めるような態度は見せなかった。

 キリキックが、いまだ開始予定時間を大きく過ぎても一向に始まらない訓練に業を煮やしており、それが苛立ちの原因であると理解していたからだ。


 ドクターの手で生み出された人造生命体(ホムンクルス)の群れ――殺戮遊戯(グロテスク)

 その魔性の戦闘集団を率いるリーダーにして、長兄の立場にあるマヤにしてみれば、弟や妹たちの仲を取り持つことはもはや習慣としてあり、それが生み出すちょっとした騒々しさに、どこか心地良さを覚えていた。


 ただ一点……ドクターという、目障りな『親』の存在さえなければ。

 つけたくもない首輪をつけられ、飼い慣らされているという屈辱を克服できさえすれば、後には何もいらないと、本気でそう思っていた。


「……それにしても、芸術家気質なのも程々にしてくれねぇと困るよなぁ」


 マジックミラー式の小部屋に一瞥をくれながら、キリキックが毒素を吐き出すように愚痴を漏らした。


「呼び出されてから、もう一時間だもんなぁ。信じられねぇな。ったく。こんなんだったら、外に出て軽く人狩り(マン・ハント)でもしてくりゃよかった……って、おい」


 キリキックはふと、右隣に立つ長身の女の手元を、怪訝そうに覗き込んで言った。


「ちょっとキリキック。その禿げ頭邪魔。画面が見えないじゃない」


「ルビィ、お前何してんだ」


「映画観てるのよ」


「映画?」


「そ。チャミアがね、サルベージしてくれたの」と言って、ルビィと呼ばれたその艶女(アデージョ)は、火炎色の長髪を優美にかき上げながら、整った耳からイヤホンを外すと、チャミアの方へ向き直り、素晴らしい贈り物をくれた妹に、賛辞の言葉を送った。


「チャミア、これすごくいいわ。面白い。ありがとうね」


「いいよ。あそこのセキュリティはちょろいから。あたしなんかでもすぐ潜入できるし。また何かあったら言ってよ」


「じゃあ、今度はもうちょっと、ハードでグロテスクなサスペンスをお願いしようかしらね」


 蠱惑的な笑みを浮かべながら、ルビィは再びイヤホンを挿し、タブレットに真剣な視線を落とした。

 

 ルビィは、性別こそチャミアと同じであったが、纏っている雰囲気は実に対照的だ。

 赤一色の、ぴっちりとした防刃防弾性のインナースーツに豊かな肢体を包み、熱情を具象化させたような赤い瞳は鋭利な棘めいて鋭く、妖しげな輝きに満ちている。

 薔薇が人の姿を模したと思わせるだけの、美麗さと容赦のなさが、女の体内に同居していた。


 危うい情熱に身を任せるのも悪くないと、男達を暴走へ至らせる、魔を孕んだ艶やかな笑みは、こういった手合いの女がよく使う武器の一つである。

 だが、そんなものよりもずっと危険な力を、女は獲得していた。

 そして彼女自身、恵まれた姿態を武器にするより、その分かりやすい力を振るうのを好む傾向にあった。


「ルビィ。映画もいいけどよ、暇つぶしついでに賭け事でもやらねぇか?」


 実に暇を持て余して堪らないのだという風に、キリキックがルビィの耳元でそんな提案を寄こした。

 ルビィは僅かに表情を曇らせると、面倒くさそうにイヤホンを外して映画の再生を止めてから、


「キリキック、ここじゃポーカーもバカラも出来ないけど?」


「賭け事なんてのは、些細な道具を使ってでもできるだろ?」


 キリキックが吹き抜け廊下からフィールド全体を見下ろして、獲物を前にした肉食獣のように目を爛々と輝かせた。


「事前通達によると、今日の訓練相手はあの棺の中にいるっていうじゃねぇか。それも初物(・・)らしいぜ」


 フィールドをぐるりと囲む灰色の壁際には、幾つもの黒めいた直方体型の大箱が置かれていた。

 キリキックの言葉通り、それは正しく『棺』と形容して良い形状をしていた。


 内部に蓄積された濃密な殺戮の臭気を決して外に漏らさぬよう、棺の蓋はしっかりと閉じられている。

 見た目から察するに、どうやら遠隔操作で電子ロックが解除されるタイプのようだった。


「あの中から何が出てくるか、予想しよう。ドクターの話によれば、屍鬼人(ゾンビィ)とか単眼巨人(サイクロプス)とか、今まで駆逐してきた有害獣(ダスタニア)とは違うって話だ」


「貴方はなんだと思うの?」


「そうだなぁ」


 唇を歪ませ、キリキックの浅黒い顔面皮膚に深い皺が刻まれる。

 彼は頭髪だけでなく、眉毛も髭も、産毛すら全く生えていなかった。

 まるで、ズル剥けの煮卵のようだった。

 そういう風貌で生まれてくるように、彼はデザインされたのだ。

 この、恐るべき闇の施設に君臨する支配者の一人によって。

 

「なんだって構わねぇよ。俺は、俺の戦闘意欲を食ってくれる相手がいれば、それでいい」


「呆れた。自分で言っておきながらそれはないわ。賭けにならないじゃない」


「本気になるなよ。軽いジョークさ。まぁ大方、俺らと同じ人造生命体(ホムンクルス)ってところが妥当じゃないかね」


「安直よ。あのドクターが二番煎じをやるとは思えないわ」


「じゃあ、何だと思う?」


「そうね」


 ルビィは、その真紅に輝く瞳に情熱的な色を込めて、じっと睨むように棺を眺めてから、呟くようにして言った。


「形状記憶式液状多脚戦車」


「なんだって?」


「百万通りのプログラムを実行し、自由自在に武器を換装できる多脚戦車。本質は液状であるため、あらゆる衝撃を吸収拡散。ほぼ完璧に近い無人思考を有する次世代の戦術兵器よ」


 ルビィの流れるようなジョークを耳にして、珍しくキリキックがぽかんと口を開けた。

 が、直ぐにその顔が愉悦に歪み、下品な笑い声をがなりたてた。

 少し離れたところで話を耳にしていたマヤが、思わず苦笑をこぼし、チャミアはわざとらしく眉根を(ひそ)めた。

 一方で、ルビィはジョークがウケたことが嬉しいのか、ほんの少しばかり相好を崩した。


「そいつぁたまらねぇ! 傑作だ! まさに素晴らしい戦闘相手(ユニーク・ウェポン)じゃないか! 俺の最愛の両腕(ユニーク・ウェポン)も、そういう奴が相手なら振るい甲斐があるってもんだ!」


 キリキックは狂気に満ちた視線を居並ぶ棺へ向けたまま、今度はルビィの右隣で静かに佇んでいるソレ(・・)へ声を掛けた。


「なぁスメルト、お前はどう思う? あの棺の中身について。賭けようぜ」


「別に、何が飛び出してこようが私は構わん」


 渋みのある声で応答したスメルトの出で立ちは、しかし驚くべきことに人間の姿からは遠くかけ離れていた。


 アンモナイトを彷彿とさせる、灰色がかった巨大で平らな巻き貝状の殻。

 それが彼の頭であり、同時に肉体そのものだった。

 渦巻の奥部には大脳や心臓などの重要器官がいっぺんにぶち込まれていた。

 殻からは、丸太のように逞しい筋肉質な腕が突き出ている。

 スメルト・シェル・ハンドレットという()にとって、それは足としての機能も果たしていた。


 スメルトは、自慢の怪腕で床を掴むようにして直立していた。

 十本ある指の一つ一つはどれも硬質さを備えていて太く長く、分厚い爪は鋭く丁寧に研がれていた。


「目の前に現れた障害を排除して、生き延びる。それが私の、都市社会への関わり方だ。そういう意味ではお前と同じさ、キリキック」


 腕と巻き貝の口の隙間から、クジラの髭のような細長い器官がにゅるにゅると伸びて、キリキックの方を向いた。

 スメルトが有する感覚器官。熱と空気の流れを精密に感知して、ほとんど目の役割を果たしている。


「つまり、お前も俺と同じ意見で、人造生命体(おなかま)があの棺の中にいると?」


「そう捉えてもらって結構だ」


「スメルト、話に乗っちゃだめよ。どうせ、いつものおふざけなんだから。あんたの聡明な頭脳を賭け事なんかに使っちゃダメ……あ、そういえばだけど、アハルはどうしたの?」


「いつもと同じ調子だよ」


 チャミアが両手で手摺を掴みながら、後ろに体重を預けるような恰好で応えた。


超現実仮想空間(ネオ・ヴァーチャルスペース)で平常運転。もう三十五時間も没入(ダイヴ)しっぱなし。もう少しで相手の防壁を破れるみたい。やっぱり思った以上に手強い相手みたいだね」


「例の、特殊な自走地雷を扱うとかいう電脳ユーザーのことでしょ? まったく、いつになったら決着をつける気なのかしらね」


「アハルが言うには電脳ユーザーじゃなくって、量子的幽霊(クォンタム・ゴースト)なんだってさ。まぁ、眉唾ものだろうけど。自分と同格の実力を持っている奴を相手するのはアハルも初めてだから、それでそんな言い訳をしてるんだと思うよ」


「別に相手がどんな奴だろうといいじゃあねぇか」


 全てを打ち消すような大声で、キリキックが快哉を叫んだ。

 狂犬病に罹った野犬のように、歯をむき出しにして。

 フィールドに立ち、未知の獲物を前にした己の姿を想像しているせいだった。


「強けりゃ強いで問題ねぇ! 弱い奴をいくら殺したって、毒にも薬にもなりゃしねぇんだからよ!」


【キリキックの言う通りや。そして今夜、お前さん方にはとびっきりの『毒』と『薬』をお見舞いしてやるから、覚悟せぇよ】


 怪奇ながらも和気藹々(わきあいあい)とした空気を破る様に、それは突然として響いた。

 手すりの端に設置されたスピーカーからの、傲岸とした調子の若い男の声。

 マヤ、チャミア、キリキック、ルビィ、スメルト――五体の戦闘生命体の表情に、緊張に満ちた波紋が広がった。


 一向はスピーカーではなく、フィールドのすぐ隣に設置された小部屋へ視線を投げた。

 前面がマジックミラー式になっている為、フィールド側から小部屋の様子を伺うのは不可能だ。

 しかし、声の主がそこにいることは明らかだった。


【アハルを除いて、全員そろっとるようやな】


「遅いですよ、ドクター・サンセット。待ちくたびれました」


 ルビィがさっきとは打って変わって、どこか媚びを売るような調子でスピーカーへ声を掛けた。

 そういう態度で(なだ)める分にはドクターの機嫌が悪くならないことを、彼女だけではなく皆が知っていた。


 声の主はドクター・サンセット。

 通称・黄昏時(サンセット)の魔術師。

 死体安置所(モルグ)を実験用の地下施設として蘇らせた最初の奇特者。

 そして、マヤたち六人の人造生命体(ホムンクルス)を造り出した科学者でもあった。


 ここでは、ドクターの発言一つで全てが決まる。

 日常生活を送る上でのルールから購入する機材、闘争心と肉体の成長を促すための訓練メニューに至るまでの全てが。

 地下施設にはもう一人、ドクターと肩を並べる支配者がいるが、そちらはいわば象徴のようなものだ。

 キリキックたちの前に姿を見せることは、ほとんど無い。


【時間も時間やし、さっそく始めようか。まずはスメルト、お前からや】


「承知しました」


 スメルトは二本の腕を器用に操り、馬鹿でかい殻を左右に揺らしながら階段を降りて、フィールドに立った。

 その様子を他の仲間たちが二階から見下ろす中、キリキックだけは明らかに不服な顔つきでいた。

 自分が最初に初物を相手にできないことが、気に食わないのだろう。

 しかし呼ばれる順番は毎回(・・)ランダムであったし、ドクターの決定事項に逆らうことが何を意味するかは重々承知していたから、キリキックが不平不満を口にすることはなかった。


【事前通達していたように、今日の相手はワシが創り出した逸品や。いつもの如く、制限時間内に指定された数を倒せば、訓練クリアや。倒した数はこちらでカウントし、訓練終了後に掲示板へ反映させる】


 ドクターのその言葉の後で、フィールドの壁際に設置されていた棺の扉が一斉に横へスライドした。

 鋼鉄の箱の中に充満していた暗黒を引き擦るようにして、ゆっくりと標的が姿を見せた。


「なんだぁ?」


 二階から様子を伺っていたキリキックが目を皿にして、棺から現れた人型の何かを見やった。

 やがて、その正体が薄暗い照明の下で露わになった途端、キリキック達をはじめとする人造の怪人らは、静かに息を呑んだ。

 フィールドに立つスメルトも、二本の髭をぴくりと揺らめかせ、じっと相手を観察していた。


 棺という棺から現れたのは、それこそ地獄絵巻に登場する餓鬼そのものだった。

 身長は十歳にも満たない子供程度だが、発散される気はひどく禍々しい。

 全身の皮膚が緑と黒と青の斑模様を帯びて、それがどういうわけか自在に模様を変えてゆっくりと流動していた。

 下腹部は異様に膨らんで、手や足の爪は長く太く、何より酷く鋭かった。

 首は鉄パイプのように細かったが、それが支える頭部は腹部と同等なくらいに大きく、落ち窪んだ眼窩の奥で爛々と虹色に輝く瞳が極めて不気味であった。

 誰がどう見ても正真正銘の怪物だった。


「ちょっと、あれ……」


 ルビィが驚きを飲み込むように右手で口元を覆いつつ、左手で怪物の方を指差した。

「なんだ、どうした?」と、マヤが後ろから声をかける。が、彼もルビィが何を言いたいのか機敏に悟ったのだろう。不気味さと嫌悪感で思わず顔をしかめた。


 怪物の額には、深紅に輝く菱形の宝玉が嵌め込まれていた。それが何を意味するのか。幻幽都市に住む者なら、誰しも知るところだった。


「まさかベヒイモスとは……都市の西部地域(デッド・フロンティア)から拾ってきたのか?」


【マヤ、それは半分当たりで、半分はずれや】と、スピーカーからドクターの声がした。


【そいつの設計はベヒイモスの細胞が基本となっとるが、肉体を構成しとるのはワシが生み出したオリジナルの粘菌類や。そいつが寄り集まって、ああいう形をとり、活動しとる。見た目によらず、頭はええで。集合知を獲得しとるようなもんやからな。因みに、コード・ネームは軍鬼兵(テスカトル)や】


 マジックミラーの向こうでドクターが何かの機械を操作した。

 天井の一部が開いて、そこから電光掲示板がゆっくりと降りてきた。掲示板は二階と同じ高さまで下ったところで、ピタリと止まった。


 電光掲示板には、オレンジがかった色で『3:00』と表示されていた。

 三分間。血生臭い訓練の始まりから終わりを意味する時間。

 その限られた時の中で自らの成長具合を発表するのが、ここに居並ぶ人造生命体(ホムンクルス)たちの義務であり、宿命だった。


【さて、始めようか】


 殺戮遊戯の舞台開演を告げるブザー音が、スピーカーから鳴り響いた。

《幻幽都市一般常識ファイル(一部抜粋)》

死体安置所モルグ【名詞・建造物】

ホルマリンに聖水を加えた特殊プールや、防臭防火シャッターが完備。

余談であるが、幻幽都市で最も儲かる職業は葬儀屋であると言われている。


量子的幽霊(クォンタム・ゴースト)【名詞・現象】

都市の仮想世界では通常、肉体が死を迎えれば魂も死を迎える。

しかし稀に、「ガフの部屋」と呼ばれる未踏の仮想空間に誘われた際、死んだはずの魂が復活するという噂がまことしやかに囁かれている。その復活した魂は、俗に量子的幽霊(クォンタム・ゴースト)と呼ばれ、仮想世界を限定的に「改変」する力を持つとされる。


㉘デッド・フロンティア【名詞・地名】

都民の住む東部地域とは異なり、西部地域(かつての奥多摩地方など)は魔獣の住処と化している。デッド・フロンティアは蒼天機関(ガーデン)の最重要監視区域に指定されており、度々調査団を派遣しているが、成果よりも被害の方が大きい。

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