6-4 敵の敵は味方
相手を重要人物として扱い、誠意を持って協力を要請すれば、敵対者もまた友人にすることができる。
デール・ブレッケンリッジ・カーネギー(実業家 アメリカ)
崩れかけたビルの物陰に隠れながら、村雨は恐怖に昂る心臓を落ち着かせようと、静かに深呼吸を繰り返した。
強化衣鎧の体内診断プログラムを実行。
内臓のどこにも致命的な損傷がないのを確認したところで、ようやく周囲を観察できるだけの余裕を取り戻した。
とはいっても、壁に背を預けているこの位置から、戦況の詳細を窺い知ることは叶わなかった。
それでも、途切れることなく耳を穿つ爆音が、ルビィとチャミアの熾烈な同族対決の様子をたっぷりと物語っている。
できればチャミアを援護してやるべきだと、村雨は思った。
だがこちらの位置が相手に知れている以上、迂闊に行動するのもためらわれる。
顔を覗かせた途端に、ルビィに睨まれたらおしまいだ。魔女の炎に焼き殺される。
それが考えずとも分かるから、動けない。
爆音と爆炎のパレードは、なおも凄まじく繰り広げられている。
時折、箸休めのようにルビィの哄笑が響き渡り、それがチャミアの劣勢ぶりを伝えていた。
村雨としては、チャミアを死なせるような事態だけは避けたかった。
貴重な情報源だからだ。この一連の惨劇を引き起こしているテロ組織の一人であり、武装を解いて投降してきた以上、彼女をこのままにしてはおけなかった。
また村雨は、この危機的状況を脱するのに、チャミアの協力が必要不可欠であるとも考えていた。
人間を相手にした戦闘において、ジェネレーターの優位性は無視できない。
電脳化されていることを除けば、七鞍は半サイボーグ。村雨は生身の肉体。
今のままでは戦力に乏しい。チャミアも巻き込んでの三位一体の連携が望ましかった。
《七鞍、聞こえるか?》
道を挟んで反対側にある、半壊した雑居ビルの方へ視線を向けながら、村雨は電脳回線で語りかけた。
《聞こえてますよ。無事ですか? パイセン》
声に、普段は決して見られない心配するような色が混じっていた。
《なんとかな。それより作戦だ、七鞍。このままじゃ埒が空かない。チャミアを保護するぞ。それから一旦ここを離れて、彼女を俺たちの指揮下に置いて再度攻める。この戦い、あの子の力が鍵になるのは間違いない》
《緊急配員法を適用するんですか?》
《そうだ。異論はないな?》
沈黙が電脳回線に乗った。村雨が再度尋ねようとしたところで、
《了解です。村雨隊長》
どこか吹っ切れた調子で、七鞍が快活な返事を寄越した。
彼女の口ぶりには、生命の危機が間近に迫っていながら、あえてそれを無視するような意気込みがあった。
余計な雑念を振り払おうというのだ。それは、命を賭けた戦いに飛び込む上で、何より大事な心構えだった。
《よし、それなら早速行動開始だ。背部と脚部のスラスターを起動させろ。俺がタイミングを指示するから、同時に――》
説明しながら立ち上がる。
とその時、分厚い強化衣鎧越しでも無視できないほどの膨大な熱の存在を咄嗟に感じ取り、村雨は即座に後ろを振り向いた。
「そのまま圧し潰されて死ぬがいいわ!」
離れたところから響くルビィの声に従順に従う『それ』は、さながら魔女の使役する巨大な眷属のように、ちっぽけな村雨の頭上に真っ黒な影を描き出していた。
半壊した雑居ビル。今の今まで村雨の身を隠してくれていたその五階建ての障害物が、まるで巨大なバーナーに炙られたかのように赤熱し、秒速で融解し、熱と炎の驟雨となって降り注いできた。鉄筋という鉄筋がひしゃげる崩落音と共に。
闇夜の下に生まれた紅い瀑布――怒濤の勢いで粉塵と火の粉が辺りを飲み込み、どろどろに溶解した金属の流れが道路を犯していった。
ルビィは、もはや原型が何だったのかすら判別不能な、その金属と炎と砂塵の混合物に近づき、魔眼を『五分咲きレベル』で解放し続けた。
赤い閃光が瞳の奥で控えめに輝いて、その度に彼女の視界で小さな爆裂が沸き起こった。
空間に突如として発生する爆風に煽られて、むりやり押し広げられていく赤白い粉塵。
そのうちに、うすぼんやりとではあるが視界が開けていく。
おもちゃ箱をひっくり返し、ブルドーザーで乱暴にならしたかのような光景が広がっていた。
村雨だけでなく、七鞍が隠れていたビルまでもが魔眼の餌食になっていた。
ルビィは険しい表情のまま、首のチョーカーに干渉した。カウントは増えていない。
あれだけの物量攻撃を受けてなお無事でいるとは。ルビィは多少の感心を覚えた。
こちらが有利な状況であるには変わらないという自負心からくる、それは余裕の現れでもあった。
そしてまた、標的を殺し損なったと考えるよりも先に、獲物がどこに向かったのかをルビィは考えた。
「(まさか、逃げた?)」
一瞬浮かんだその考えに、思わず失笑して内心で否定する。
チャミアの、あの瞳の奥で輝いていた意志を思い出せば、このままとんずらをかくとはルビィには思えなかった。彼女の覚悟というものを、戦いの最中に見せつけられたせいだ。
人造魔眼が放つ容赦なき発火能力を前に、チャミアは常に後手に回され続けていたが、瞳に諦めの色は無かった。
身代わりとして骸骨たちを黄泉の国より誘いながらも、彼女の精神性は死の淵に立っていなかった。それを、先ほどの戦闘の中でルビィは確かに感じ取っていた。
さすがは、ドクターが造り出した人造生命体の事だけはある――だが、自分もまた、その人造生命体の一人なのだと思うと、ルビィの全身に熱情が飛沫を散らして迸った。
ドクターの期待に応えたいという気持ちが、溢れんばかりに滲み出て、止まらなかった。
標的を取り逃がしたというのに、ルビィはその場を一歩も動こうとしなかった。
敵を追うという行為そのものが、『ドクターから授かった力への侮辱になる』と思えたからだ。
それに、チャミアの瞳を思い出せば、分かる。
あの愚かな妹は、姉である自分を殺しに、再び舞い戻ってくるだろう。
ならば迎え撃つまでだ。
仕留めそこなった獲物を追うという行為は、その裏に『焦り』が隠されていることの証拠だ。
焦る必要などないと、ルビィは自身に言い聞かせた。
この素晴らしい魔眼の力があれば、何を不安に思う事があるかという気分だった。
ドクターが授けてくれたこの力を、今の自分は完璧に使いこなせている。
その自信ゆえに、ルビィは待った。待ち続けた。
ほかの機関員たちに見つかり、奴らが銃撃や斬撃を浴びせてこようとも関係ない。
障害の全てを灰に還すことなど、彼女にとっては造作もないことだった。
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自分が、硬い地面に倒れているという自覚はあった。
それでてっきり、死んだものと一瞬錯覚した。
あの凄まじい爆炎と衝撃に、全身を粉微塵にされたものと痛感した。
しかし、そんな思い込みに反して、確かに鼓動を打つ心臓の動きを意識したとき、チャミア・ネクロ・コンダクターは、まだ自らが黄泉の世界に旅立っていないことに気づき、次いで『なぜだろうか?』という疑問を抱いた。
「怪我、ないかい?」
頭上から声がした。
目覚めて上半身だけを起こして振り仰ぐと、そこに蒼一色の戦闘鎧――強化衣鎧を纏った村雨と七鞍がいた。
二人ともクローズド・ヘルメットを外していて、今初めて、チャミアは二人の素顔と対面する形になった。
チャミアは驚きながらも辺りを見回してみた。ルビィの姿はどこにもなかった。
破壊され、蹂躙された練馬区の居住地帯の只中に三人はいた。
念のために、そこら辺にあった瓦礫を積み上げて、簡単なバリケード状にはしてある。
しょせんは気休めだ。しかしルビィの眼から身を隠すには、これしか方法がなかった。
「あたし、まだ生きてる……?」
いまさらのように自らの体をひたとまさぐるチャミアを見て、七鞍が面白くもなさそうに告げた。
「あんまし舐めてもらっちゃ困るんですよねー。この装備に備わっているスラスターと環境迷彩機能を駆使すれば、一時的ですが目をくらませることは可能ですからねー」
「助けてくれて、ありがとうございます」
「お礼はこの窮地を切り抜けてからにしてくれ。とりあえずは逃れることが出来たが、まだ安心には程遠い。作戦を練って、あのルビィとかいう魔女を倒さなくちゃならん。そうだろう?」
村雨の問いかけに、黙ってチャミアは頷いた。
七鞍もまた一言も口にはせず、上官の指示が飛んでくるのを待っている。
三者とも、意志疎通の会話は最小限にとどめていた。
それでも志は同じだった。
すなわち、退却という二文字をかなぐり捨てていた。
あの業火を駆使する魔女に立ち向かい、そして打ち倒さねばならないと決めていた。
このまま逃げては、ルビィは好き勝手に事をやらかす。
本部からの応援を待ち続けていたら、民間人の犠牲が広がるだけなのだ。それだけは、決して避けなければならない。
村雨はその場に屈むと、目線をチャミアに合わせた。彼の目に、今までとは少し違う厳しさがあった。
「ここから先は、君の自由意志を尊重する。慎重に答えてくれ。緊急配員法に基づき、一時的にだが俺の部下になるつもりはあるかい?」
「あります」
チャミアは即答した。しっかりと言葉の意味を分かっての返答だった。
緊急配員法――文字通り、緊急時にのみ現場判断で下すことのできる、蒼天機関に属する者だけが扱える特殊な法律である。
その実態は、都市に悪影響をもたらす犯罪者と遭遇し、これに独力で対抗するのが難しいと判断した場合、あるいはそれに準ずる状況下にある場合、一般都民を一時的にではあるが、機関員の配下に置いても良いとするものだ。
協力者にはそれなりの褒賞が支払われるが、その部分はチャミアにとってみればどうでも良かった。
とにかく、ドクターの洗脳にやられてしまっているルビィの暴走を止めたいとの一心で、彼女はこれに合意した。
「よろしい。それでは現時刻をもって、君を三等兵に任命する。ところで、電脳手術は?」
「受けてます」
「七鞍、彼女に軍用回線をインストールしてやれ。これからは回線を使って連絡を行う」
「了解」
七鞍が即座に行動に移った。
バリケードの傍にしゃがみ込むと、太腿部を覆う脚部装甲に備え付けられたアクセサリ・ケースから、有線端子を取り出し、チャミアの後ろ髪を掴んで捲りあげる。
剥きたてのゆで卵のように、真っ白なうなじ。
そこに二つの神経挿入口があるのを確認した。
「(きれいなうなじ……羨ましいな……)」
若干の嫉妬心と共に、七鞍がチャミアの神経挿入口に有線端子の端子を差し込んだ。
そうして今度は、反対側の端子を、ケースから取り出した薄い長方形型のデータボックスと繋いだ。
その瞬間、チャミアの全身が僅かに震えたが、すぐに治まった。
一方で、村雨はクローズド・ヘルメットを被り、電磁制御式重機関砲を構えながら、おっかなびっくりといった様子で、バリケードの隙間から前方を確認していた。
注意深く、左右に後方も見渡した。
「おかしい」
夜のしじまに、村雨のくぐもった呟きが溶けた。
「敵影がどこにも見当たらない。視界距離を最大にしてもだ」
「ということは、五百メートル圏内には、あのおっそろしい魔女は来ていないということですねー」
「どういうことだ? 標的を俺達から変えたのか? くそ! 奴の近くに映像記録飛翔体があれば、電脳回線を使って様子が分かるってのにな」
「多分、待っているんだと思います」
軍用電脳回線のインストールを無事に終えた七鞍が、意味深な台詞を口にした。村雨と七鞍の視線が、引き寄せらるように彼女へと向けられる。
「待っているってのはつまり……」
「私たちがこのまま退却しないと、気づいているということですか」
チャミアの神経挿入口から有線端子を回収しながら、七鞍が虫の居所が悪そうに言った。
「癪ですね。いつでもどこからでもかかってこいと言わんばかりの態度。自分が勝つ気まんまんでいなきゃできない戦法ですよ。そういう選択をする奴ってのは、無性にぶん殴りたくなって仕方がありません」
「だが強敵であるのは事実だ。連携して挑まなければ、どうしようもないぞ」
言葉は七鞍に向けられたものでありながら、目線はチャミアに向けられていた。暗に仄めかす言い方だった。
チャミアは静かに立ち上がると、村雨と七鞍を交互に見つめながら話し始めた。
「姉さんの魔眼はたしかに脅威ですが、破る術はあります」
同じ釜の飯を食ってきた姉と妹の関係だからこそ、知りえる弱点。その全てをチャミアは伝えた。
ドクターの支配を振り解き、自ら選択した戦いの道を踏破し、生き延び、そうして広い世界を見るために。
バリケードを隠れ蓑にした密談。作戦の練り上げは、十分ほどで済んだ。
各々は気持ちを改めて、いざ敵が待ち受けているであろう、光が丘公園付近まで駆け急いだ。
それぞれの心は、戦いに向けて仕上がっていた。