第10話 菊乃の不満 2
前半と後半の温度差に気を付けてください。
菊乃が春菊へのボディタッチ禁止令を出されてからというもの……
洗面台にて
「……シャカシャカシャカシャカ……」
「あぁ! 春ちゃん!」
春菊が歯磨きをしているところに、菊乃が顔をぱぁっと晴らせてやってくる。
「春ちゃん! 歯、磨いてあげようかぁ!」
「いや、今もう自分でやってますから!」
「じゃ、じゃあ~……えっとぉ~……そ、そうだぁ!
春ちゃん、髪、はねてるよね? だから私がなおして……」
「あぁ、それだったら、もう柚乃に頼んであるんで大丈夫です」
「ふぇ?! だ、だったらぁ~えーとぉ……」
「菊姉さんも、そんなところで唸っているより、
早く歯磨きとか済ませたらどうですか? 学校も早く行かないと遅れちゃうし」
「う、うぅ……」
今にも子供が泣きそうな、そんな声を漏らしながらしょんぼりする菊乃でした。
玄関にて (いってらっしゃいver.)
「それじゃあ行ってきます」
「行ってきますね、菊乃さん、柚乃ちゃん」
「行ってらっしゃい、お兄ちゃん、碧さん」
「はるちゃぁ~ん!」
「よっと」
菊乃が勢いよく春菊に抱き着くのを見据えて、春菊は華麗によけて見せる。
「あぅぅ……」
「菊姉さん、ボディタッチ禁止令のこと忘れたんですか?」
「だ、だってぇ……朝のいってらっしゃいのハグは花ヶ丘家の習慣でしょ……?」
「いやそんな習慣聞いたことないですよ!」
「……その習慣……いいかも……」
「おい柚乃そんな習慣本当にないからな!?」
「……あ、春くん、もうそろそろ学校に行く時間過ぎちゃうよ!」
「あ……ホントだ、ていうことで、菊姉さん、柚乃、行ってきます!」
「行ってきま~す!」
「あ、春ちゃん……」
「毎朝……玄関……お兄ちゃん……抱擁……えへ、えへへへ……」
玄関の前で分かりやすくうなだれている菊乃と、
だらしない顔でえへえへ言っている柚乃が、全く交えないオーラをお互いに放っていた。
玄関にて (おかえりなさいver.)
「ただいまー」
「おかえり春ちゃん!」
「うおっ!?」
ドアを開け、不意に菊乃がとびかかってきたのを、ギリギリで避ける春菊。
「もう! 何で花ヶ丘家のおかえりなさいの時の習慣を破るのぉ!」
「だからそんな習慣初耳だって!」
「……その習慣……いいかも……」
「柚乃、だからこれは違くてだな?」
「春ちゃん! あの禁止令いつ解除されるのぉ!」
「え? えーっと……あと四日ぐらい?」
「ながぁい! ながいながいながいながぁ~~い!」
「ちょ、菊姉さん静かに! 近所の永井さんが今頃びっくりしてるって」
「だって! 本当に長いんだもん! もう私耐えられないよぉ~……」
「耐えられないって……ボディタッチ禁止しただけじゃないですか……」
「私は春ちゃんに定期的にボディタッチしてないと死んじゃうんだよぉ?!」
「……現に死んでないじゃないですか……」
「うぅ……でもでも! 寿命は減ってるよ?」
「……菊姉さんの場合、本気で減ってそうだから怖いな……」
最もである。
「だ、だけど! とにかくまだボディタッチ禁止令は続いてるからダメだ!」
「そ、そんなぁ~……」
涙を瞳に浮かべて、春菊に背を向けてとぼとぼと重い足取りでリビングに向かう菊乃。
その姿を見て、春菊は何とも複雑な顔をして鼻を鳴らすと、
今さっきまで「毎夕……玄関……お兄ちゃん……抱擁……えへ、えへへへ……」
とぶつぶつと呟いていた柚乃がふと春菊に耳打ちをする。
「お兄ちゃん、ちょっといいですか?」
「うん? なんだ?」
「お姉さんのことなんですが……本当にいいんでしょうか?」
そう聞かれ、春菊はぐっと拳を強く握って真剣な表情を浮かべる。
「……間違ったものを正そうとするのが、人間の良くも悪い癖だ、
俺と菊姉さんみたいに間違った関係も、ちゃんとした関係に戻そうとするのは
人間として当たり前のことなんじゃないのか?」
それを聞いて、柚乃は一度目を瞑ると、やや寂しげな笑みを浮かべた。
「……間違ったままでも、間違ったものを正しいと思えば、それは正しいんじゃないですか?
周りから何を言われようが何を思われようが、当人がそう思えば、
それがすべてなんじゃないですか?」
「…………」
何も言い返せなかった春菊は、その場からそろりと柚乃を追い越して
そのまま二階の自分の部屋へと向かっていった。
晩御飯にて
「「「いただきま~す!」」」
色とりどりに盛られた食卓に、菊乃、柚乃、そして春菊は揃って
手を合わせて頭をぺこりと下げる。
「もぐもぐ……うん、今日も柚乃の料理はうまいな!」
「あ、ありがとう……ございます」
「……は、春ちゃん!」
「は、はい!?」
急に自分の名を呼ばれ、ついつい声を裏返す春菊。
「そ、そのぉ……は、はい、あ~ん……」
「あ……」
「……」
以前だったら渋々受け入れていたこんな甘い誘い。
「春ちゃん……これだったら……ボディタッチじゃ、ないでしょ?」
はい、あ~んは、ボディタッチではない。
世間一般から見たらこれもボディタッチかもしれないという人もいるかもしれないが、
春菊にとってはこれはボディタッチには値しなかった。
しかし、春菊は禁止令に反していないその菊乃の行為を、受け入れることをしなかった。
菊乃の誘いを……拒否した。
「あぅ……」
「……こういうの……普通じゃあ、ないだろ?」
「…………」
「…………」
俯きながら、服の端をギュッと力強く握って苦しそうに発せられた春菊の言葉。
菊乃は今にでも泣きそうな、そんな表情を浮かべ、
柚乃はどこか悔しがっていて苛立っているような、そんな表情だった。
「ほ、ほら……”普通のきょうだい”じゃあ、こんなこと、しないだろ?」
「…………私たちが、”普通のきょうだい”じゃないってくらい、春ちゃんも知ってるでしょ?」
「っ!?」
「私たちが連れ子同士の血が全くつながっていないきょうだいだってことくらい、
春ちゃんだって分かってるでしょ?」
努めて優しい声色で、菊乃は春菊を諭す。
「私たちが普通のきょうだいじゃないところで、普通のことをやっても、
意味ないんじゃないかなぁ~?」
「……で、でも……」
そう言って、春菊は顔をさらに俯かせると、ぎっと歯を食いしばった。
「きょうだい同士で……好き以上の感情を持ったら……異常だろ」
「「っ!?」
流れる部屋の沈黙。
それを打ち破ったのは、少女の悲痛の叫びだった。
「っ! 春ちゃんの、大バカさんっ!」
だっとイスから立ち上がってその場から立ち上がると、
そのまま物凄い勢いでそのまま二階へと駆け上がっていった。
「………」
握る手を震わせてそのまま俯いている春菊に、柚乃は至って冷静に口を開く。
「……今の発言は、お姉さんにとっても、私にとっても0点以下です」
「……でも、俺は正しいことを言ったまでだ」
「正しいことを言えば、人は幸せになれるんですか?」
「…………」
「お兄ちゃんも……いい加減気づいているでしょう? お姉さんの好意も」
「……ああ」
「……だったら、ちゃんと伝えてあげてください、お姉さんに。
本来言うべきだったこと」
「……ああ……!」
春菊は目を覚ますかのように目を見開くと、席を立ってそのまま部屋を後にする。
「柚乃、ありがとな!」
「……いえ、ちゃんと伝えてくださいね、お姉さんに」
「ああ!」
そう言って、春菊は部屋を出ると、そのままドアがガチャリと閉められた。
「……はぁ~……」
一人残された部屋で一人、柚乃は深いため息をつく。
「私は……いつになったらお姉さんにみたいに素直になれるのかな……」
そう言って、ふふっと自分を嘲笑したかのように笑うと再び沈黙が流れる。
「いつか私も、お姉さんみたいに……なりたいなぁ~……」
自分の作った料理を見ながら、無表情のまま笑って、そっと呟くのであった。
次回は甘甘にしたいですね(切実)