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〇六「紫崎陽子」

 リビングに戻るなり、母はテレビの電源を入れた。緊張の糸を解くためだろう。だが圭介には無謀な事に思えた。まだ昼、テレビ局はどこもワイドショーを放送している時間だ。今度の事件を取り扱っている場面が流れたなら、逆効果になる。

 けれども圭介の些細な危惧は外れた。

 気象情報、今沖縄の辺りで猛威を振るっている台風についての話題だった。太平洋上で発生した台風は、東南アジア各国に水害をもたらし、そのまま陸地を求める様に北上、現在は沖縄から九州南部に大雨を降らしている。

 強風と強雨の映像に続いて、進路予想図が表示された。日本海上の高気圧に抵抗を受けながら、ゆっくりと一週間程掛けて、関東地方を直撃、あるいは掠めて、日本列島を横切って行くらしい。

 圭介はこれを、吉報と受け取った。


 話題が切り替わる前に、圭介は一言告げて自室に戻った。

 我ながら……と圭介は思い返す。

 我ながら、刑事を相手にして、よくも平静を装えたものだ。いや、何も偽装などしていなかったからこそだろう。圭介が吐いた嘘とは、鏡花との待ち合わせ場所と、時間のずれに関する事柄だけなのだ。だから、事前に警察が訊ねてくる事を予想していても、用意していた辻褄合わせはその部分だけだ。母が同席する事も解っていたが、母が圭介に配慮し、ある事実について敢えて隠し立てする事さえ、予め知っていた。

 そう、全て計算尽くだった。圭介の計画は、鏡花を殺した時点で、既に完成していたのだ。


 圭介はまた煙草に火を灯しながら、机の引き出しを開いた。そこにはタッパーが入っている。更にその中身は、バッテリーとSIMカードを引き抜いた上、基板ごと金槌で砕かれた、鏡花の携帯電話が収められている。

 鏡花があの晩持ち出したはずで、かつ現場に無かった物。圭介が犯人である最大の証拠だ。

 それを何故処分せず、手元に残してあるか。理由は、鏡花の遺品だからだ。GPS、高速移動体通信の位置情報検索。それらの網に掛からぬ様破壊をしたが、けれども、愛した女の形見なのだ。

 我ながら……。

 歪んでいると、圭介は思った。


 もし家宅捜索をされれば、その場で圭介の容疑は明らかなものになる。

 いや、何もこの携帯電話だけが証拠ではない。

 完全犯罪は成立しない。刑事ドラマや小説でさんざっぱらに繰り返されたその台詞を、無論圭介は理解している。現に、もう参考人にリスト入りしているのだから、犯罪者としては落第点以下と言ったところだろう。

 鏡花とは口付けを交わしたのだから、口腔内に圭介の唾液が残っているだろう。靴下越しに枝や小石を踏んだのだから、血液も残っているかも知れない。それに皮膚組織や繊維。細かく鑑定すれば圭介に繋がる証拠は確実に残っている。

 圭介は下調べをし、あらゆる防犯カメラを回避して林へ向かったが、鏡花はそうではあるまい。すると、コンビニで待ち合わせをしたという圭介の供述と矛盾する。

 絶対に、どこかに綻びがある。

 だが警察がそれを見付けた頃には、もう手遅れだ。


 これは完全犯罪などではない。しかし逮捕はされない。

 圭介は確信している。


 圭介のポケットの中で、スマートフォンが通話着信の振動を始めた。

 画面を見て発信者を確かめるなり、圭介は受話ボタンをタップする。


「未成年が煙草を吸ったらいけないんだよ、葦原」


 発信者は第一声の後に、くすくすと、か細い笑い声を立てた。

 釣られる様にして、圭介も、ははは、と笑う。


「君から電話してくるなんて珍しいな、陽子ちゃん」


 紫崎陽子。同じ成架高校の三年生で、彼女もまた、圭介の交際相手だ。


「ストーカーもどきが何を言うんだか」


「人聞き悪いよ。たまたま通り掛かっただけ。たまたま、警察が出入りするところを見て、たまたま、あなたの部屋の窓が開いているのを見付けたから、電話してるんだ」


「ふ。本当に好きだね、そういうの。手でも振ろうか?」


「恥ずかしいからやめなよ。それに、もう居ないし、私。いつまでも同じ所に突っ立って、他人の家の窓を見上げていたら、怪しい人だと思われちゃうじゃない」


「何だ。自分が充分に不審者だって、まだ気付いてないの?」


「そんなまさか。嘘でしょう?」


 また再び笑い合う。

 互いを皮肉する諧謔的な会話。それが圭介と陽子の常である。だが逆を言えば、尋常の高校生がする様な、極々日常的な会話はほぼ皆無だ。

 そこに惹かれ合う理由があるのだろう。圭介は、芸能人がどうの、スポーツがどうのという話は一切解らない。漫画やゲームにしても、流行のものには興味が無い。陽子も同様……いや、もっと壊滅的だ。圭介の方は何となくならば他人に話を合わせられるが、陽子は、周囲にはその生態からして謎と見られている。しかし、それは二人の表層であって、互いに、心に日光も届かぬ深淵を持っている点で似ているのだ。そして二つの深い深い洞穴の底は、横穴で通じている。

 ついでの話だが、二人が初めて交わした会話は、東西冷戦構造と中東問題についてだった。

 要は変わり者同士であるというだけ……そう片付ける事も出来ようが、圭介が陽子に感じるシンパシーは、家族や金井鏡花などに抱くものと全く別次元にあり、尚かつ、ここ最近は殊更に強まっている。

 共に破滅を求める者どもとして。


「で。用件は?」


「ああ。ちょっと気になったから、訊いておこうと思って」


 陽子は何気無い口調で言ったが、続く言葉に、圭介は思わず煙草を取り落としそうになった。


「次は私を殺してくれるの?」


「次……?」


 次。

 次回には前回。次行には前行。「次」には必ず「前」がある。不確定の未来と、確定した過去だ。

 前回。過去。圭介が殺した者は、金井鏡花だ。


「……俺が鏡花を殺したって?」


「違うの?」


 違わない。違わないのだが。


「どうしてそういう結論になっちまうかな。あれは……通り魔だろ」


「確率の問題だよ。知っての通り、私も良く月光浴をするけれど、警察に声を掛けられたのはたった二回、変態に出会した事なんて一回も無い。通り魔殺人なんて、晴れた日に雷に打たれるより少ないよ。だったら、近しい人間の計画殺人だって考える方が自然じゃない?」


 何の確証も無かろうに、確信のこもった口振りだ。しかし正論ではある。全国のニュースを見ていても、一年の内に通り魔事件が数件報道されるだけで「最近は物騒だ」「世も末だ」などと感想を持ってしまうくらいだ。

 成る程……圭介は煙草を舌が痛くなる程一気に吸い込み、一息に吐き出した。

 警察も陽子の言う様に考えているに違い無い。当然、通り魔の線も捨て去ってはいないだろうが、初動から偶発的な事件と決め付けて捜査を進めるのは、自ら岩礁に向かって舵を切る様なものだ。まずは身近なところから、動機と機会を持っている者を探すのが常道だろう。


「……流石だなあ、陽子ちゃんは」


 電話の向こうで、紫崎陽子は、ふふ、と笑った。

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