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二〇「凪涼太郎」

「念のためお伺いしますが、葦原さん、圭介さんはパソコンやプリンターをお持ちですか?」


「パソコンはあります。プリンターは、持っていません」


「そうですか。じゃあ、ちょっと部屋を見せて貰ってもいいですかね。これも念のため、ですがね。捜査令状があるでもないんで、あくまで任意で」


 斉木が上目遣いに言う。ねっとりと絡み付く視線は、「もし断れば疑いが深まるぞ」と語っている。圭介はすんなりと肯いた。


 四畳半の個室に圭介と、刑事が二人。母は戸口でじっと見守っている。


「確かに、ありませんね」


 棚やデスクを見回し、プリンターの置けるスペースが無いのを確かめながら、工藤が言う。斉木の方は、棚板を指で撫でて、その腹を眺めるなどしている。埃の具合でも見ているのだろうが、綺麗好きならば元々プリンターがあろうと無かろうと埃が積もっているはずが無い。探偵にでもなったつもりか、と圭介は内心小馬鹿にしていた。


 探偵。嫌な言葉を思い出してしまった。


「ちょっと机の引き出し、覗かせて貰っても良いですかね」


 斉木がデスクを指差しながら言った。茶封筒の余りでもあると思ったのか。

 しかし……ちょうど指を突き付けた先、一番上の引き出しは、鏡花の遺品、壊れた携帯電話を仕舞っておいた場所だ。

 圭介は、「どうぞ」と答える。

 斉木は引き出しを思い切り開く。そこには……文房具が入っているだけだ。先程までパーカーのポケットにあったカッターナイフもある。


「おやあ。これは……?」


 引き出しの一番奥から斉木が取り出したものは、携帯灰皿と煙草、そしてライターである。


「駄目だよお、未成年者がこういう事しちゃあ。犯罪なんだから」


「逮捕しますか?」


 圭介は微笑んで返す。斉木は苦笑いを浮かべた。


「いやあ、まあ、今回は見逃して、没収だけ」


 そう言って、自らのポケットに煙草を押し込んだ。まさか、着服するつもりではあるまい。


 では……鏡花殺害の決定的証拠である携帯電話は今、どこにあるか。

 それはデスクトップパソコン本体の中である。タッパー一つがすっぽり収まる程のスペースがある。警察が来たと聞き、着替えをする二分の間に、隠し入れておいたのだ。

 間一髪の幸運という訳でも無い。凪が家を訪れた事、その後に警察が現れた事から、部屋を捜索される危惧を感じての行動だった。


 まだ捕まる訳にはいかない。


「それでは、お騒がせしました。また何かあればお伺いするかと思いますが、その時もどうか、ご協力をお願いします」


 玄関口で工藤は頭を下げる。斉木は、そうしない。来た時同様に、下品な笑みを浮かべるだけだった。


「二度と来るな」


 と言ったのは、圭介の心の片隅である。


 さて。部屋に戻った圭介は煙草に火を灯した。斉木に没収された箱には残り三本しかない。引き出しの下段には、まだ八箱も新品が残っていたのだった。

 煙を吐き出して思うのは、刑事の手ぬるさなどではなく、渡辺みどりを殺した男への、感慨だ。


 凪涼太郎。


「……どうしてお前は、そうまでする」


 ぷ、と窓から煙を吐き捨てながら呟いた。

 最早一切の憶測は消え、確信だけが残った。渡辺みどりの殺害犯は、圭介に強い関心を寄せ、鏡花を殺した事を信じて止まず、追い詰める事に喜びを見出した人物に他ならない。

 凪。凪涼太郎でしかあり得ない。


 先程までめらめらと燃え上がっていたはずの、憤怒や殺意の炎は、いつの間にか静かに、それでいて強烈な熱を持ったものに……ちょうど、煙草の先の様なものに変化していた。消えてしまいそうに見えて、けれども酸素を与えれば激しく熱し、そして一点に向けられている。矛先を定められずに、あちこちへ引火する様な大火は、もう必要が無い。たった一人の男を殺そうという時、火はいっそ研ぎ澄まされて、音も無く燃えるのだ。


 圭介はこれまでに、殺人者として一体、何度変身を遂げただろう。

 深い哀れみを経て、愛情を越え、倒錯と狂乱の後、身を焦がし、そして今、静寂の境地に至っている。

 蛹から蝶が翅を開く様に、蕾から花が咲き実を結ぶ様に……。

 人殺したる圭介は、完成を迎えたのだった。


 一方。


 成架高校のゴミ収集所に、すらりとした長身の少年が佇んでいた。制服のブレザーをまるで特注したかの様に着こなし、ひゅうと吹き抜けた風に、栗色がかった髪をなびかせている。

 すぐ背後に薄汚れたポリバケツがあったが、彼は腰を下ろそうとはしなかった。潔癖症のきらいがある。ズボンのポケットに手を突っ込んでいるが、もしその隅に綿埃の一つでも溜まっていたなら、彼はそれを許す事が出来なかったろう。


「やあ。来たね」


 現れたもう一つの人影に、凪涼太郎は軽妙な調子で言った。


「休校中に学校の敷地に呼び出すなんて、どうかしてるんじゃないの?」


 紫崎陽子は倦怠感たっぷりに応えた。陽子もやはり制服姿だった。


「それでも来たじゃない」


「まあね。用件は何となく解ったから」


「それはどうかな。たぶん君は半分も理解してないよ」


「へえ。そう。じゃあ、その用とやらをとっとと話して。折角の休校を満喫してるんだから」


「つれないなあ。君とボクの仲じゃないか」


 意味深に微笑む凪に対して、目を細めて睨み返す陽子。


 陽子は涼太郎の事が嫌いだ。小学生の頃から嫌っている。

 腐れ縁だ。関わり合いになりたくなくとも切れない、鎖縁である。

 成績は上々、スポーツも万能、おまけに容姿も優れた涼太郎は、いつも、自信たっぷりに胡座をかいている。独善的な男だ。

 他方、自信というものの欠片も知らぬ陽子は、日陰者であり、涼太郎とは対照的な存在である。なのに昔から、どういう訳か、涼太郎は陽子に良く絡んできた。本を読んでいれば取り上げてくる。ノートを貸せと言われれば落書きされて返ってくる。そうやって、何かと鬱陶しく傍に寄ってくる。

 日陰に根付いた陽子を、煌々と照らし出そうとしてくる。

 湿った石を裏返しては、下から這い出たダンゴムシを見て喜ぶ様な、糞餓鬼だ。

 だから、涼太郎が葦原圭介に強く関心を寄せるのも、無理からぬ事だと陽子は思う。圭介は陽子と同種の人間だ。涼太郎にとっては、同じダンゴムシなのである。


「しょうが無いなあ。じゃあ、要点だけ先に言おうか」


 すると涼太郎はポケットから手を抜き出し、眼前で握り拳を作った。


「一緒に葦原圭介を、叩き潰さないか?」


「は……」


 訂正しなければならない。

 涼太郎はダンゴムシを見付けたら踏み潰す、悪童だ。


「どうして私が、あんたと一緒になって、彼を?」


「だって君、最近彼と親しくしてるじゃないか」


 質問の答えになっていない。滅茶苦茶である。脈絡が無い。


「……訳が解らない」


「ひとに解る様に話すのは苦手なんだよ。知ってるだろう?」


 ああ、よく知っている。陽子は、うんざりする程に、涼太郎の性癖を思い知らされている。支離滅裂なのだ、涼太郎という男は。


「じゃあ、そうだなあ。噛み砕いて言うと……」


 拳から人差し指を突き立てて、陽子の鼻へ向けた。


「君は裏切られてるじゃないか、葦原に」


「裏切られている?」


「そうだよ」と涼太郎は腕組みした。いちいち挙動の多い男だ。


「だって、そうじゃないか。葦原の計画だと、金井鏡花、西島美久と殺していって、最後に君だったんじゃないか」


 そうだ。と陽子は思う。肯きはしないが、そのはずであると思っている。


「ところが、だ。西島美久は死んでいないし、君はまだ生きている。これって、おかしくないかな? 西島美久を殺し損ねたなら、自分がとっ捕まる前に焦って次に進もうとするんじゃないか?」


「それは……」


 渡辺みどりが殺されたからだ。葦原圭介の計画は、そこで狂ってしまった。

 今は、陽子を殺すのを保留にしているだけである。だがいずれ叶う事だ。陽子はそう信じている。


「君の願望は良く知ってる」


 涼太郎は突然話題を切り替えた。


「何と言うんだろうね。学術的には知らないが、『他殺願望』とでも言うのかな。自殺願望とは違う。死にたいけれど、自分では実行出来ない。だから誰かに殺して貰いたい。そんな願いを叶えてくれるのが葦原『だった』」


 ビー玉の様な瞳が陽子を見透かし、そして一歩、まった一歩と、歩み寄る。


「『なのに』葦原は未だ実現してくれない。『何故か』君を殺してくれない」


 陽子の目前に、涼太郎の長身がそそり立つ。どうしてか、陽子は身動ぎ一つ出来なかった。

 涼太郎はゆっくりと腰を折り、陽子の耳元で囁いた。


「それはね。紫崎陽子……葦原にとって、君なんかは、どうでも良いからだよ」


 その言葉は、陽子の体を縛り上げた。

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