一九「火車」
刑事が二人。何の話があって現れたのか、見当も付かない。まさかクラスメートや関係者全員を訪ねて回っている訳ではあるまい。
以前、金井鏡花の時には、最後に連絡を取り合った人物である、という事実にも関わらず、工藤一人がやって来た。しかし今度は二人。
至極単純な話だが、人間が二人になれば、考える脳が二つになり、視点も二つに増える。多数の思考、複数の視点をより合わせれば、単数では得られない発想が生まれるものだ。人が会議を開く理由である。
ならば、これからなされる話というのは、それ程重要な事柄なのだろうか。
ダイニングテーブルに着いた並びは、以前と同様、圭介の対面に工藤、隣に母。だが今回は、斉木が普段父親の座る席、上座に着く。工藤が浅く座るのに対して、斉木は椅子をずずと寄せ、深く背もたれに体を預ける恰好を取った。圭介にとって気分の良いものではない。
例の如く、工藤はスーツジャケットの懐からボイスレコーダーを取り出し、テーブルに置く。そして「これは記録用ですから」と、決まり文句の如く言った。
「すみませんねえ、どうも。若い連中はこういうのに頼るんですわ」
と、斉木が勝手な事を言う。録音は全てを記録し、メモを取るより確実で、いざという時には証拠にもなり得よう……と圭介でさえ思うのだが。
「はあ。それで……渡辺さんの話と言うと?」
切り出したのは圭介からだ。圭介は目の前の工藤に訊ねたつもりだったが、答えたのは斉木の方である。
「それじゃあ、まずな、亡くなった渡辺さんとはどれくらい親しかったのかな?」
「『どれくらい』と言われても……」
「金井鏡花さんと比べたら?」
斉木の語気がやや強くなり、唾が飛んだ。圭介は自分の眉が痙攣するのを感じた。
「比べ様が無いです。渡辺さんとは、ただの友達でしたから」
「ふうん。そお」
何やら意味深に相槌を打ち、目を細め、背もたれをギシと鳴らせる。
不愉快だ。圭介はこの斉木という刑事の、一挙手一投足が、気に入らなかった。
「付き合いたいとか、そういう気持ちは無かったの」
「ありません」
圭介はきっぱりと断言した。
「渡辺さんは本当に、ただの友達です。親しみはありましたが、僕が付き合っていたのはあくまで金井さんです。それは、前にもお話しましたけど」
圭介はわざと、じっとりとした目付きで工藤を見た。工藤は苦い顔をする。
「すみません。ちょっとした確認でして……」
圭介は二人の刑事の関係性が読めた気がした。階級の違いがあるのか無いのか、どうやら、工藤にとって斉木は御しがたい同僚であるらしい。好んでコンビを組んでいる訳ではなさそうだ。まあ、仕事上のタッグというのは、そういうものなのかも知れないが。
兎も角、話の主導権を斉木に握らせては良くないらしい。斉木はあからさまに圭介を下に見ているし、どうにも「ねちっこいタイプ」の男の様だ。いずれにせよ、圭介は迂闊に口を滑らせたりしないが、強い嫌悪感は知らず知らず顔に出てしまうもので、そうした態度はまた、あらぬ疑いの種にもなりかねない。
穏便かつ冷静に対処するには、工藤にリードさせるのが最良だ。圭介はそう判断し、言葉を繰った。
「そうですか……すみません。僕も、その、今度の事で気が立っていると言うか、動転していると言うか……何が何だか、解らなくて……」
「お察ししますよ。こんな事は普通、身の回りではあり得ない……いえ、あってはいけない事です。お辛いでしょうが、どうか少しだけ、お話を伺わせて下さい」
そう返す工藤の横で、斉木はムスッとした様子で閉口している。やはり、圭介が睨んだ通り、感情の機微に疎い男らしい。口を挟む隙を奪うのに、まんまと成功した。
「はい。僕に出来る事なら、なんでもお答えします。何でも、お手伝いさせて下さい」
「ありがとうございます。助かります」
じめじめとした空気。もう出番は無いとばかりに、斉木は腕を組んだ。圭介にとっては、しめしめである。
「では……」
工藤はスーツの懐をごそごそやって、内ポケットから何か、茶色の物を取り出した。それは何の変哲も無い、茶封筒だった。
封筒をテーブルに置いた工藤は、「どうぞ」と掌を見せた。手に取ってくれという意味らしい。圭介はそれに従って、封筒を取り上げる。
宛名も、差出人の記載も、切手すら貼っていない。ただし、封の部分は折り曲げてあり、僅かに膨らむ厚みから、中に何か入っている事だけが解る。
「中を見て頂けますか」
指示通りに、封を開いて覗き込む。入っているものは、恐らくB5サイズを三つ折りにした紙片、一枚きりだった。
それを引き出し、開く……と、一拍の間を空けて、圭介は思わず、紙切れを突き放していた。
何だ、これは。
「読んで頂けませんか。声に出して、読んでみて下さい」
工藤は変わらず、落ち着き払った調子で言う。いや、そう圭介に迫る。
圭介は驚愕し、困惑し、躊躇しながら、紙に印字された文章を読み上げる。
「……『今夜九時』……『学校裏の雑木林で待っています』……」
次の行、右端までインデントされた文字列を、圭介はどうしても声にする事が出来なかった。目を上げると、工藤と視線がかち合い、工藤は無言のまま、目で「読め」と言った。
「……あ……『葦原圭介』……」
一体、何なのだ、これは。
「見覚えがありませんか?」
「あ……」
母親が縋る様に圭介の袖を掴んだ。圭介はそれを、振り解く。
「ある訳ありませんよ!」
こんな物は知らない。嘘っぱちだ。身に覚えが無い。巫山戯ている。
圭介は、頭蓋の内側で火花が炸裂する様な感覚を味わわされた。
「それは被害者、渡辺みどりさんが所持していたものの、コピー……模造品です。本当に、知らないんですね?」
「知りません! ぼ、僕は、確かに彼女と会う約束をしてました。けど、この家でです。こんな文書を送り付ける理由なんて……」
「その事は聞いてましたか、お母さん?」
「え? あ、あの……友達が仔猫に会いに来る、とは……あ、仔猫を拾ったんです。うちの子が。その、それで、まだ名前が決まってなくて……今は隠れちゃってますけど……え? その子が、あの、渡辺さんなの?」
「……そうだよ」
やっと話が繋がったらしい母に対して、圭介は舌を打つ様に答える。
苛立ちが抑えられない。
「仔猫、ねぇ」
斉木が粘り着いた声で言う。
「あんた、殺されてんでしょうがよ、カノジョが。そんな時に猫拾うなんてなあ、おかしかないですかね」
「それとこれとは……!」
関係が無い。何を言い出すのだ、この馬鹿は。圭介は胸の内で罵った。
すると、意外な方面から圭介に加勢する声が上がった。
「そうですよ、斉木さん。それとこれとは、全く関係が無い。どうでも良い事なんです。わたしの父も、祖母の通夜が終わった次の朝に釣りへ出掛けましたよ。悲嘆に暮れているかどうかなんて、傍目に判断出来るものじゃあないでしょう」
工藤が極めて冷静な指摘をする。斉木は渋い顔をした。
そしてくるりと圭介に向き直った工藤は、また意表を突く言葉を口走った。
「葦原さん。我々も、これがあなたの書いた物だとは思っていません」
「……は?」
「だって、おかしいでしょう。現場は金井鏡花さんの件で警邏が厳しくなっています。そんな中、敢えて同じ場所を選び、殺害した渡辺みどりさんを遺棄する様な犯人が、こんな明らかな証拠を残しておくでしょうか。どう考えても、不自然です」
工藤の言う通りだ。もし、圭介がこの手紙を用いてみどりを誘い出し、そして殺したのであれば、当然、持ち去られているはずなのだ。いやそれ以前に、手紙などという形の残るもので呼び出したりするだろうか。巡回する警察の隙を縫い、渡辺みどりを殺害して見せる様な、周到な犯人が、そんな不手際を起こすだろうか。辻褄が合わない。
「しかし」と工藤は続けた。
「これが見付かったのも、ここにあなたの名前が書かれているのも、紛れも無い事実です。これを警察は、無視する事は出来ません。今日お伺いしたのは、そういう事情があっての事なのです」
「そう……でしたか」
圭介は良く理解した。深く納得した。
工藤の話す事が、ではない。みどりを殺した者の目的が、である。
渡辺みどり殺害の罪を圭介に負わせようとは、微塵も考えてはいないのだろう。こんな幼稚な手段ではすぐに看破される。実際にそうなっている。
では何か。警察の目を再び圭介に向けさせるためだ。
そう、「再び」だ。新たな嫌疑を抱かせようというのではない。金井鏡花殺しを完全に再現出来たなら、それも適ったろうが、その詳しい状況はメディアにも伏せられている。知っているのは殺害した本人である圭介と警察関係者だけだ。だから犯人は、圭介に繋がる証拠を「無理矢理捏造した」のである。金井鏡花と渡辺みどりの殺害は連続したものではないと敢えて主張する一方で、圭介を捜査対象として再浮上させるのが、渡辺みどり殺害犯の目的なのだ。そしてそれは、思惑通りになった。
つまり……渡辺みどりを殺した者にとって、殺人は手段に過ぎなかった。圭介を陥れるための、一行程に他ならないのだ。
そんな事のために、みどりは殺されたのだ。
圭介の中で再び、殺意が火柱を噴き上げていた。




