一六「殺意」
帰宅した圭介を、母が出迎えた。手には食塩を持っている。だが圭介の青ざめた顔を見て、硬直している。
圭介は靴を脱ぎ捨て、母を押し退けてリビングに直行する。そしてテレビのチャンネルを垂れ流されているサスペンスドラマなどから、ニュース番組に切り替える。
すると以前同様に、あの、金井鏡花を殺した林の空撮が映し出された。
ヘリコプターに乗ったリポーターの声がする。
「えー、ただ今現場上空です。十日に起きました女子校生殺人事件に続きまして、またしてもこの場所で、悲劇が起こりました。警察関係者への取材によりますと、所持品から、殺害されたのは、十日に殺害された金井鏡花さんと同じ高校に通う女子生徒と見られますが、まだ詳しい身元は発表されておりません。現場が同じ事を踏まえまして、十日の事件との関連性も捜査中との事ですが……」
何だ。何なのだ。
リモコンを手に、佇んだままテレビ画面を見詰めていた圭介は、思考を激しく巡らせていた。けれども、どこにも着地点は無い。
何が何だか解らない。
やがて画面はスタジオに戻り、
「速報です」
とキャスターが告げた。
「被害者の身元がたった今発表されました。金井鏡花さんと同じく成架高校に通う三年生、渡辺みどりさん、一八歳との事です。繰り返します……」
みどり。
渡辺みどり。
圭介はソファに倒れ込んだ。
何故だ。
何故、今頃この家に居て、仔猫と戯れていたはずの娘が、あの林で死んでいる。
何故、彼女が殺されている。何故、鏡花と同じ場所で。
圭介は、そのまま昏倒した。
それから、目覚めた午前三時までの記憶は、殆ど無い。服も制服のままである。唯一思い出せたのは、大きな肩甲骨と、スーツの生地が頬を擦る感触だけだった。
だが、改めて父という存在の偉大さを噛み締めるゆとりは無かった。跳ね起きた圭介が真っ先にしたのは、パソコンを立ち上げる事である。
各種のニュースサイトを開き、地名や渡辺みどりの名で検索を掛けていく。
やはり、悪い夢ではなかった。
間違い無く、成架高校裏の雑木林で、渡辺みどりの他殺体が見付かっている。
見出しには「連続殺人」の語が多く見られたが、中には「葬儀の日に……愉快犯の可能性」「警察への挑戦」「猟奇殺人」などと、煽情的で下劣な言葉を躍らせているものも、少なくない。
ディスプレイの明かりの中、圭介は頭を抱えた。
圭介が始めた計画は、紛れも無い連続殺人である。しかしその対象は金井鏡花、西島美久、そして紫崎陽子。この三人だけだ。
けれども、何者かが圭介の殺人計画に、手を加え始めた。圭介の仕組んだ歯車に、別の何かが付け加えられている。
いや……便乗しているだけなのだろうか。だとすれば、それは、もっと恐ろしい事だ。
圭介の起こした人殺しが、波及し、伝播し、別の人殺しを生んだ。だとすれば、それは、とてつもなくおぞましい事だ。
一連の殺人は、あくまで圭介の中でだけ完結するものだった。三人の他に誰かを加えるなど、ましてや、渡辺みどりを殺すなど、あってはならぬ事だったのだ。
渡辺みどり。
圭介は、彼女が好きだった。小さな命を憂う、そんな感性の持ち主が、堪らなく愛おしかった。だから、圭介にとってみどりは、数少ない大切な友人だったのだ。
肩を並べて同じ場所に立ち、同じ目線で、同じものが見えた。そうして居たいと思えた。それは鏡花にも、美久にも、陽子にも、適わない事だった。
例え口に出さずとも、例え一方的な想いでも、圭介にとってみどりは、親友なのだった。
しかし、みどりは殺されてしまった。
圭介の起こした波紋が、彼女を殺した。
圭介は頭を掻き毟った。爪の間に血が滲み込む程に。それでも胸を刺し貫く痛みは止まなかった。
俺のせいなのか。圭介は自問した。恐らく、そうだ。圭介は答えた。
この痛みもそうなのか。圭介はまた訊ねた。いいや、違う。圭介は頭を振った。
金井鏡花を殺した時、圭介の心は切り裂かれた。西島美久を殺した時も、大きな孔が空いた。その時の傷と、今度の傷は同じものだろうか。
いいや、断じて違う。
紫崎陽子の腕を思い出せ。彼女は自ら腕を切り出血させる。だが死にはしない。自傷行為とは得てしてそういうものだからだ。圭介もまた、死んでいない。二人を殺して出来た傷などは、自傷でしかないからだ。
やっと解った。
圭介は顔を上げた。その表情はもはや悲嘆に暮れてなどいない。寧ろ晴れ晴れとして、悟り切っている。
渡辺みどりを殺した誰かは、図らずか、圭介をも殺しかけたのである。
繰り返そう。殺し「かけた」のだ。
圭介はまだ生きている。圭介の心は激しく出血しながらも、鼓動を止めない。
殺されかけた者は、本能的に何をするか。
殺し返すだけだ。
そう。だから圭介は……憎悪と殺意で蘇った圭介は……やっと理解したのだ。
金井鏡花の死に顔を見るまでは殺人者になれぬという葛藤も、実際に見た瞬間に生じた倒錯も、全ては、憎しみや怒りや、暴力や人を殺す欲求……心を焼き尽くす炎が、その火種すらも、心に宿していなかったからなのだ。自己陶酔というぬるま湯に浸かっていたからだ。
だが今、圭介の心は、煮えたぎっている。
誰かがこの胸を刺すならば、その刃ごと焼き尽くしてやる。
そして漸く、圭介は人殺しになった。
引っ掴んだ携帯電話には、二件の着信履歴が残っていた。どちらも紫崎陽子からのものだ。圭介は時間も構わずに架け直した。
すると、三度目のコール音で通話が繋がる。
「起きててくれると思ったよ」
「今まで何してたの?」
「不貞寝してたんだよ。ニュースを見てね」
圭介は鼻で笑った。
「不貞寝? まあ良いけど……葦原の仕業じゃないんでしょ、アレ。葬式の後、探してた子?」
「そう。渡辺みどり。葬式が終わったら、家に遊びに来る約束だった。俺の、友達だ。俺には殺せない。君はそれを確かめたくて電話してたんだろうけど……今架けたのはそれに答えるためじゃない」
圭介は敢えて早口に、陽子が口を挟む隙を与えず喋り続けた。
「あの時、葬式が終わった後、君は俺に何か知らせようとしたな? あれは、渡辺さんの事件についてか? あの時君は、既に知っていたのか?」
口振りは自然と詰問するものになっていた。もし、あの段階で陽子が渡辺みどりの事件を知っていたのなら、追及せねばならないからだ。
しかし陽子は、圭介に対抗する様に、強い口調で「違うよ」と言い切った。
「私だってニュースになるまで知らなかった。大体、渡辺さんの事だって知らないもの」
確かに、そう言われればそうだ。圭介がみどりを探していた時、陽子は、誰の事だという態度を取った。今から知らせようという事件の中心人物を、知らぬ訳が無いのである。
圭介は、ふう、と一息吐いた。
「……そうか。解った。じゃあ、何を知らせようとしていたんだい?」
「それ、西島の事なんだけど」
「ああ」
「西島ね、死んでないよ」




