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一一「黒猫」

 学校の裏門から校舎脇を通る路地。左手は背の高い植え込み、右手は一年生の教室の窓が並ぶ。その奥にゴミ収集所がある。普通校舎棟、特別教室棟……それから職員室や校長室、保健室や事務室等が入る職員棟。収集所はこれら三棟を繋ぐ連絡通路とも通じているが、清掃前のこの時間、昼休みに人気は皆無だ。

 圭介は、ひしゃげた収納庫の隣で、くすんだ青色のポリバケツに腰掛けていた。


「呼んだ?」


 そこに現れたのは陽子である。圭介は陽子を、ぐったりと上目遣いに見上げて、「ああ」とだけ答えた。


 呼び出しの合図はたったのワンコール、携帯電話に着信履歴を残すだけである。学校に居る間ならば、どちらからでも構わない。すると昼休みのこの掃き溜めが、二人の密会の場となるのだ。

 何故そんな面倒な取り決めをして、こんな場所で忍び逢いをするのかと言えば、圭介からすれば殺した金井鏡花への配慮、陽子にとっては独特の秘密主義を貫く為だ。そして二人は共に、こうした場こそ互いの関係性に相応しいと感じている。


 陽子は圭介の様子を見て、目敏く言った。


「涼太郎と話したんでしょ?」


「リョウタロウ? ああ……凪か」


 圭介はまた一段と体に重みを覚えた。僅かな嫉妬心だ。圭介は陽子に名で呼ばれた事が無い。


「心配する事無いよ。あなたが困る様な事は話してないから」


「だけど実際、困らされてる」


 あの目だ。嫌に澄んだ瞳。まるで眼球から視神経を伝い、脳髄まで引き摺り出そうとするかの様に、精神の奥底まで覗き込もうとする目。


「あいつはね、ただのコレなんだよ」


 陽子は頭の横で指を二度回して、手を開いた。


「だから、困るんだ」


 初めの会話から探偵を名乗るなど、馬鹿以外の何物でもあるまい。だが、馬鹿が故か、それとも紙一重で天才の域にあるのか、それは定かでは無いにしろ、圭介が金井鏡花殺しの犯人と決め付けている。証拠も言質も無く、調査や推理という過程をすっ飛ばし、直感のみでそう信じている。

 だからこそ、手に負えない。

 ものを考える頭脳なら、疑念を与えれば良い。迷うならば惑わせれば良い。しかし凪の思考は圭介の想像に収まらず、かつ、奴の中でははっきりとした輪郭が描かれているのだ。

 手の打ち様が無い。


「殺しちゃえば?」


「そういう訳には行かない。殺人鬼じゃないんだよ、俺は」


「充分殺人鬼でしょ。一人殺して、次と、更にその次の計画がもうあるんだから」


 ふ、と圭介は自嘲した。陽子の言う通りだ。人一人を殺しておいて、自身の良心などに甘えるべきではない。


「じゃあ、考えておくよ。だけどまだ必要じゃないな。次はあいつの知らない相手だから」


「そう。決行はいつ? 手伝いは要る?」


「いや、要らない。君はいずれ被害者になる。共犯になられちゃ、ややこしい」


「解った。じゃあ、楽しみにしてる」


 陽子は微笑んだ。

 圭介にはその表情が、陽子のどんな時よりも素敵に思えた。


 この後、圭介は早退した。凪涼太郎の視線を躱したいのもあったが、単純に体調が優れなかったからだ。体の不具合にしても、凪の所為と言えなくもなかったが。

 自転車を漕ぐ圭介は、殆ど無心だった。西島美久の殺害手順、凪涼太郎の処理、陽子と凪の関係……考えるべき事は沢山あるはずなのに、まるで脳が働かなかった。それは何故か、と考える事さえ無かった。ただただ、左右のペダルを交互に踏み込み、区画整備された真っ直ぐな道を行く。

 刹那的に、破滅的に、今を生きている。ここ数ヶ月から、圭介はそういう人間になってしまっていた。


 しかし、ふと、反対側の道端に、黒い塊を見付けた。散髪後に掃き集められた髪の様な、毛玉の様な、小さな塊だ。

 その向こうがひょっこり突き出たかと思えば、茶色の両目が圭介を見た。

 それは黒猫だった。生後半年にも満たないだろう仔猫だ。

 圭介は、ちょうど真向かいのところでブレーキを引いた。目と目が合わさった仔猫は、圭介に対して、ぴゃあ、と幼く鳴いた。何を訴えたかは猫にしか解らない。けれども、何かを訴えられたと、圭介は感じた。

 わざと強めに力を込めて、ガシャンと大音で自転車のスタンドを立てた。だが猫は身を僅かに竦ませるだけで、逃げようとしなかった。圭介は屈み込み、三度舌打ちしながら路面を指で叩いた。すると猫はすっくと脚を伸ばしたが、一方で尾っぽを立て、背を丸くし、毛を逆立てる。警戒の姿勢だ。

 それはそうだろう、と圭介は思った。野良の仔猫に一体どんな期待をしたのか。自らを強く卑下するつもりでもないが、決して聖人君子などではないのだ。寧ろ、その対極にある人間だ。涅槃仏やファンタジーの吟遊詩人の如く、動物があちらから好んで来る訳が無い。

 ところが、である。

 仔猫が姿勢を低くしたかと思うと、伸ばした首で体を引っ張る様にして、ゆっくり圭介に近付いて来た。そして圭介の指先の臭いを嗅ぎ、それに頬を擦り付けたのだった。

 ああ、と圭介は思わず声を上げた。

 指を伸ばすと、鼻を付けて額を擦る。掌を拡げると頭を埋める。耳をくすぐると体を上げて手首にしがみつき、親指の付け根を甘噛みする。


 圭介の胸に、温かなものが込み上げてきた。


 仔猫に首輪は付いていない。辺りを見回したが、親猫らしき姿も無い。

 だから圭介は、仔猫をそっと抱き抱え、前カゴに乗せ、自転車を押した。


「えぇ! 何ソレ?」


 猫だ。ブレザーの懐に入れたのを見た、母の第一声だった。


「拾っちゃった。母さん、猫、飼いたがってただろ?」


 猫を飼うか犬を飼うか。そういう家族会議は以前から頻繁に行われてきた。圭介にしろ父にしろ、反対はしなかったが、結局一番飼いたがっているはずの母が、世話の労力や金銭的な理由を持ち出して、毎度立ち消えになっていたのだった。踏ん切りを付けられないのも母の悪い癖だ。


 しかし、いざ圭介が連れ帰ってみてからは早かった。すぐに動物病院に連れて行き、検査を受ける。仔猫は雌で、ノミやダニの類いは付いていなかったし、目ヤニも耳垢も無かった。言い方は悪いが、良い拾いものだった。それで、獣医の勧める餌なども購入し、帰り道にホームセンターに立ち寄って、トイレ用品を買い揃える。

 この仔猫を飼う。即決だ。


「うお」


 と声にしてたじろぐ父を、圭介は初めて見た。帰宅するなり仔猫が駈けて行って、脚に絡み付くからだった。人懐こい猫なのである。どうもまだ人への警戒心が芽生える前らしく、あちこち走り回ったり飛び載ったりと、もう家に馴れてしまった様子だ。

 それは兎も角、動物を飼うとなれば当然の議題が生まれる。呼び名だ。

 仔猫は雄らしい。父の足をえらく気に入った様で、家族の食事中はずっと齧り付いていた。それを覗き込みながら、圭介は提案する。


「『ケースケ』なんてどう?」


 母は眉間に縦皺を作った。父の方は苦笑しながらも、


「笑えないよ」


 と言った。

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