一〇「探偵」
翌日、水曜日からの学校は通常日程に戻った。「一応」と付けねばならないが。
一限目の体育は、校庭のトラックをひたすらぐるぐると走り回るだけのものだった。通常ならば校外外周のところが校庭に切り替えられたのは、鏡花の遺体が発見された林がすぐ傍にある事への配慮だろう。圭介は淡々と流して走ったが、体調不良を訴えて見学する女子の姿が目立った。
二限目の英語、三限目の数学も、共に問題集をこなして、終わった者から教師に採点を受けるという、授業と言うよりは自習に近いものだった。
四限目、理科に至っては、担当教師が不在であった。と言うのも、彼は鏡花のクラスを担任していたのだ。代わりに現れた圭介のクラス担任は、詳しい事情を口にしなかったが、きっと塞ぎ込んで休暇を取っているのだろう。事前から予定されていたらしい物理のプリントに、ビデオを見ながら空欄を埋めていく作業だった。しかし講義による補助無しには埋められない項が多く、生徒らを混乱させた。
数百人の内、たった一人の生徒の死が、様々な形の空白を生んでいる。
四限目が終わるとすぐ、圭介は特別教室棟二階のトイレに入った。以前に向かったのと同じトイレだ。用を足そうと思っても、教科書やノートに筆記用具を手にしたまま来る者はそう居ない。それを確かめる様にちょっと振り返ってから、圭介は一番奥の個室に足を踏み入れた。
ほんの一、二分して個室を出ると、向かいの小便器の脇に、凪が立っていた。まるでファッションカタログに見る立ち姿の様に、腰に手を当てて、待ち伏せていたのだった。
「下痢かい? 随分焦っていたみたいだけど」
圭介は答えなかった。顔中でお前に言うべき事は無いと、うんざりした気持ちを表明しつつ、手洗い場に向かう。
一方、凪は今まで圭介の居た個室の戸を開け、首を突っ込みながら言う。
「それにしちゃあ、臭わないなあ」
圭介は全く無視しつつ、さっさと手洗いを済ませて、教材一式を取る。
そこへ、凪が駆け付けてきて、出入り口への道を遮った。無機物じみた顔がすぐ目の前に迫る。
「何だよ」
とうとう痺れを切らして圭介が言う。
「ふうん。口臭もしない。こんな短時間じゃ煙草ではないし。でなきゃゲロかと思ったけど、それも違うんだなあ。一体何をしてたんだい?」
「小便だよ」
「へえ。でもこの前は立ってしてたろう?」
ああ、もう。圭介は不意に舌打ちした。
自称高校生探偵が鏡花の死を探るなら解るが、圭介が何故トイレに入ったかなどどうでも良い事ではないか。いや、好奇心を満たしたいだけだという様な事を自ら口にしていた。何にでも嘴を挟みたい性質の持ち主なのか。
つまり、傍迷惑な男でしかない。
「好きにやってろ」
押し退けて出入り口へ向かうが、その背中に凪は大声で言う。
「忠告するよ。紫崎の事はあまり信用し過ぎない方が良い」
突然出てきた意外な名前に、圭介はまたも、思わず立ち止まった。
「彼女の『友達』は何もあんただけじゃないんだ。紫崎は一見謎多き人物だけど、隠し事はあまり得意じゃなくてね。何でもかんでも打ち明けちゃうのは、お勧め出来ないな」
「あいつと何を話したんだ」
見え透いた罠だと気付いていながら、圭介はつい問い返してしまった。
凪は「あれえ」などと声を上げ、わざとらしくおどけて見せた。
「それはボクが訊きたかったんだけどな。ボクはあんた程彼女と親しくないから。で、紫崎は何を知ってるんだい?」
やはり、鎌を掛けられていた様だ。だが解っていて引っ掛かってやったのだし、何かを聞き出したのではないと自白している。圭介は鼻で笑った。
「俺が煙草を吸ってるって事だ」
「ああ、それくらいならボクでも知ってる。あんた、家を出る前に吸ってるだろ。登校してきた時にうっすら臭う時があるからね。他には?」
「さあな。自分で調べろよ、探偵なら」
吐き捨てる様に言う圭介に対して、凪はにやりと、不敵に笑った。
「勿論、調べてるよ。今のところ解ってるのは、金井と最後に連絡を取ったのが、あんただって事だけかな」
圭介は、驚愕した。
「お前、どうして……」
陽子にも話していない事実だ。警察でさえも、通話履歴等を調べてやっと解った事である。
「おや、まあ……山勘が当たったと知ると、嬉しいもんだなあ」
凪は目を細め、圭介を見下す様に、顎を上げた。
「さっきの課題だよ。空欄がムカつくから適当に埋めてやったんだ。ボクが紫崎から聞いたのは、君の家を刑事が訪ねたって事だけだ。そこからちょっと推理して、適当に言ってみただけ。いや、そうか、正解だったかあ」
嵌められた。
見え見えの虎挟みを避けたところを、本命の投げ縄に掛けられた恰好だ。圭介の顔に渋面が顕れた。
いや、だが、恐怖も焦燥もする場面ではない。凪は自身が言う通り、適当な言葉を並び立てて、圭介の腹を探ろうとしているだけなのである。ここでもし過剰な反応を見せれば、それこそ思う壺だ。
「……だから?」
「『だから』って?」
「だから、俺が金井と最後に連絡を取り合った人物だとして、それが何なんだ? 確かに俺は彼女と付き合ってた。なら、お互い連絡の遣り取りをするくらい、普通だろ」
「そうだなあ。そりゃそうだ」
凪はそっぽを向いて、顎を擦った。
「でもねえ。おかげで確信が持てたよ」
「確信?」
凪は圭介へ視線を戻し、再び笑んだ。
「金井鏡花を殺したのは、あんただ」
圭介は「ふん」と鼻を鳴らし、嘲笑で応える。
「何の証拠があって言ってるんだ?」
「証拠なんてあるもんか。前に言ったはずだよ。ボクはボクが納得出来ればそれで良いんだ。警察とは違う。あんたを捕まえる必要なんか無いからね」
「ああ、そう。じゃ、そういう事で良いから、もう付き纏うのはやめてくれ」
初めから解り切った事ではあったが、こんな下らない話で終わるなら、付き合ってやるべきではなかった。いや、殴り倒してでも道を空けさせれば良かった。
圭介は芳香剤の臭いに満ちた溜息を吐き、凪の脇を擦り抜ける。
が、その腕を、凪は鷲掴みにして留めた。
「だけどね、ボクはまだ納得してない。あんたが金井を殺したかなんて、いっそどうだって良い事なんだ」
「は……?」
「金井殺しを隠すのは……いや、金井を殺したのも、別の何かを隠す為なんじゃないか。そう思ってる」
ガラス玉に似た瞳が鋭くぎらついて、圭介を真っ直ぐ捉えて離さなかった。
圭介は、背筋にぞわりとした怖気を感じて、凪の手を力任せに振り解き……。
そして逃げ去った。




