〇一「訃報」
人を生かすには何が必要だろうか。
ある月曜日の朝、埼玉県立成架高等学校では、緊急の全校集会が開かれた。
重い足を引き摺る様にして壇上に立った校長の口から語られたのは、少女の訃報である。
少女の名は金井鏡花といった。三年生、一七歳だった。
直接に知っていた訳でもなかろう。担任教師から聞き取ったり、成績表を眺めて初めて知ったり、それら内容の事々を述べる、校長の口調が、淡々としたものではなく、沈みきったものを押し出すかの様だったのは、金井鏡花が単なる死を遂げたからではないからだろう。
人の手で殺害されたのだ。
金井鏡花は、二日前の夜、行方不明になった。二一時頃、コンビニエンスストアに行ってくると、それだけ言って家を出たきり、戻らなかった。
家族が警察に捜索を依頼したのが、日付を跨いで深夜一時。そして彼女の遺骸が学校近くの雑木林で発見されたのは、そろそろ日も昇ろうかという四時半頃の事だ。
大規模な捜索が始まる以前に発見されたのは、鏡花の体が、遺棄と言うより、安置とも言うべき状態だったからだ。舗装されていない小道から、林の中へ懐中電灯を向ければすぐに見付かる場所。隠すつもりなど更々無いという、殺害者の明確な意思があった。
安置という言葉が近しいのは、遺骸のやり場ばかりが理由ではない。金井鏡花の体は、脚を揃え、両手を胸の上に置かれていたのだった。
十代少女の殺害とは、世間にとってセンセーショナルな出来事だ。まさにこの朝のニュース番組はこぞってこの事件を取り上げた。何分早朝の事であるから、情報の深度は様々ではあった。ただ高校生の少女とも報じられたし、早々に名前を発表するメディアもあった。ところによっては発見現場の空撮を流すところもあったか。
だから、全校集会で何を告げられるか、想像の出来る者とそうでない者とは半々というところだった。
金井鏡花と親しくしていた女子生徒の中には、体育館に入る以前から泣いていた者も居た。校長の言葉を聞いて泣き出した者も居た。取り乱して崩れ落ちる少女も居た。男子生徒の方は、ただぽかんとして立ち尽くす者が多かった。
いずれにしろ、学校という狭いコミュニティの中での、一人の少女の死、それも殺人などという、多くの人間にとって虚構にしか存在し得ないその事件は、強烈な衝撃をもたらしたのだった。




